2/ 告死の黄炎 2

「……で、首なし騎士デュラハンを見たって?」


 翌日。パンにバターを塗りながら、ジャックは鼻で笑った。昨晩、いたずら妖精パックに化かされたような顔でふらふらと酒場に戻ったシャノを案じ、二人は食事を切り上げ、自宅へと連れ帰った。最初は酒の影響かとも思っていたが――。


「そう……なんだよ」


 シャノはジャムトーストを齧り、至極真面目に頷いた。自分でも、やや疑わしげに。


「鞭を持って?」

「うん」

「頭がないって?」

「うん」


 首なし騎士デュラハンは有名な伝承の一つであり、そのおどろおどろしい見た目から、物語にもよく登場する。首のない馬に乗った、首のないヒトの形をしたモノ。死を控えた者の戸口に立ち、その最期の刻を予言するという。シャノが昨晩見たモノの特徴は、それに当て嵌まっていた。実在しないはずの、架空の存在に。


「シャノン。それは……遺変<オルト>ではないと?」


 遺変<オルト>。この街に既に二度現れた怪異。それはお伽噺でも噂話でもない、実在の驚異である。人々の眠る夜、空想から現実に影を落とし、命を奪う恐怖そのもの。昨晩の首なし騎士が第三のそれであったというのなら、納得はいく。

 遺変<オルト>と首なし騎士、どちらがより非現実的かといえば、目にしていないものにとってはどちらも同じであろうが。


 グリフィンの言葉に、シャノは首を振った。


「違う、と思う。はっきりとは言えないけど……今まで見た二体とは違った」


 あの首なし騎士が言葉を発した、それだけではない。黄色に燃える炎は腰を抜かした老人を見ていた。


「……それに、誰も殺さなかった。ただ、予言だけを告げて消えていったんだ」


 遺変<オルト>は人の命を奪う。人を喰らうことで空想の身を現実へと顕現させるのが遺変<オルト>という怪異だからだ。


「そうなると……やはり、本物か……?」

「そんなもん居るわけねーだろ。酔ったこいつが強盗でも見間違えたんだろ」


 ジャックは馬鹿にしたように言った。だがグリフィンは落ち着いた声でそれを否定する。


「そうとも言い切れん。未だこの世には解明されていない事柄が無数にある。先日の魔女然り、人狼然りな」


 路地裏の雑貨屋、ドロシー・フォーサイズは魔女であり、裏社会に潜む組織の首魁、ウル・コネリーは人狼である。居るはずのないモノ。お伽噺とされた存在が、この街には居る。

 だがジャックはあくまで懐疑的な態度を崩さない。


「ほおお、じゃあ言うがよ。首がなくてどーやって前を見るんだよ。魔女も狼野郎も、首はあるだろ」

「ありえなくはない。視覚以外を発達させた生物も居る」

「ハーン、じゃあ首なし騎士も蝙蝠みたいに音波を出して周囲を探ってるワケだ」

「…………」


 返す言葉が浮かばず、グリフィンは押し黙った。


「絶対ねーだろ」

「むう……」


 屁理屈だとは思ったが、上手い説明も思いつかなかった。ジャックは勢いづき、話を続ける。


「大体、首なし騎士なんてのは、つまり化物は化物でも、幽霊だろ。ユーレイなんざ居ねえっての」

「何故言い切れる」

「ハ、だってこの俺が、一度も出会ってねえからな!」


 元連続殺人鬼は胸を張った。シャノは呆れ顔でソーセージを頬張った。


「ジャックの場合、幽霊も斬り殺しそうだからねえ。避けられてるんじゃないかな」


 人を殺す怪異をも斬り裂く男だ。例え恨みつらみがあれど、幽霊が顔を見せたがらなくても不思議はない。


「ともあれ……その首なし騎士とやらが本物の怪異であろうと、ただの見間違いであろうと。現状、被害者が居らず、そして遺変<オルト>でもないならば、我々が関与する理由もあるまい」

「まあ、そうだよね。被害はご老人が驚いたっていうだけ」


 老人はあの後、ヒイヒイと呻きながらも走ってその場から逃げ去った。様子を見るに特に体を痛めたということもなかったようだ。

 グリフィンは少し冷めた紅茶を飲み干した。皿の朝食は綺麗に食べ終えていた。


「首なし騎士が本当に怪しげなモノであれば、また遭遇することもあるだろう。我々が――夜闇の怪異を追う限り」


 ◆ ◆ ◆


 繁栄せし都市の影、置き去りにされた街のさらに奥に、それは在る。昏き闇が微睡む巨大回廊メガロクロイスター。ぼんやりとした暗がりの部屋を照らすのは、置かれた機械の点灯ランプだ。


 ――ガコン。フシュウ……。

 機械の蓋が重々しく開き、中から女の姿が現れる。険しい顔をした黒髪の女は、自らの右手を動かし、何度か握る。鈍い銀色に輝く、機械の腕を。


「ネクロクロウ、調子はどうだよ」

「……問題ない。動きに慣れん所はあるが、じき馴染むだろう」


 白衣の上に派手な色のダウンジャケットを着た痩せた男は、紙に何かを書き込みながら、無愛想な女を見る。


 真新しい腕を振り、女――ネクロクロウは調子を確かめた。同時に苦い記憶が脳に甦る。あの下らない人間! 探偵だとか魔女だとかを標する、胡乱な者ども! それに、ネクロクロウは敗北したのだ。顕現した遺変<オルト>は消滅し、ネクロクロウ自身も敗走に等しい選択をするまでに追い込まれた。腹わたが煮えるほどの屈辱と憎しみがネクロクロウの内に湧き上がる。


「へへっ、あれだけ豪語しておいて、たかが下層民にやられるなんて、情けねえこったな」

「黙れ」

「折角、本物の人狼から抽出した遺変<オルト>もぶっ壊されて――」

「――黙れ、フライクレイドル」


 ネクロクロウは白衣の男の顔に、腕を向けた。機械の腕が、薄黄色の輝きを僅かに纏う。秘術<フィア>の光を。フライクレイドルは戯けた調子で、ひらりと蝶のように距離を取った。


「こえーこえー、自分の作ったモンでぶッ殺されるなんて御免だぜ」


 ネクロクロウは無言で男を睨み、拳を下ろした。右腕を舞う燐光が消え、ただの機械義肢へと戻る。苛立ったように女は踵を返した。その両足もまた、機械義肢だ。両手両足、彼女の四肢の全てがそうだ。ネクロクロウ自身がそれを望んだ。健康な四肢を斬り落とし、無慈悲で頑丈な手足を得た。闘うために。


 機械の側に脱ぎ捨ててあるのはネクロクロウの服だ。布地にあえて擦れや破れなどの加工を施し、荒々しく加工した服は上層で流行しているものだ。ネクロクロウが着替える傍ら、フライクレイドルは機械をチェックし、電源を落とす。


「テメーは無茶すっからな。調子良くなきゃ言えよ。調整出来るもんを我慢して使うなんて、無駄だ無駄。もっと効率コーリツよくやらねーと」


 ネクロクロウは返事をせず、別の話題を口にした。


「……次の遺変<オルト>は」

「準備してるってよ。面白い元型が居るらしい」

「フン、くだらん。集まる情念が強いかどうかが問題だ」

「さて、そりゃー実際に形を作ってみねェことにはな」


 フライクレイドルは思案するように腕を組んだ。


遺変<オルト>はまだ実験段階だ。真の遺変<オルト>を完成させるにゃ、まだ情報データが足りねェ。焦ってもしょうがねェよ」

「私に言っているのか?」

「そりゃ、オメー以外にいねえだろ。アエネイスは失敗しようと、工房まるごと食い尽くされようと冷静沈着そのもの、ウェアサイスは他人事。カリカリしてんのはオメーだけだぜ」


 フライクレイドルの側頭部の近くに、ネクロクロウの義腕が唸った。壁にめりこんだ拳から、パラリと砕けた壁材が落ちる。フライクレイドルは小さく息を呑み、素早くその場から離れた。


「ったく、すぐ暴力ボーリョクだ! 勘弁しろよな、馬鹿女!」


 二発目の拳が飛ぶ前に、そそくさとフライクレイドルは機材を纏めた。部屋の扉に手をかけ、最後にもう一度ネクロクロウの方へと振り返る。


「ムカつくんだったら、その元気使って鍛えとくんだな。――あのグリフィンどもに、次は勝てるように」


 オメーは頭使うより単純努力向きだしな、と笑い、白衣の上にジャケットを纏った男は立ち去る。後には、低く唸る壁の中の動力管の音と、睨みつけるネクロクロウだけが残された。



 発散しそこねた怒りを持て余し、ネクロクロウは義腕で壁を殴った。

 ――怒り。そう、怒りだ。それがネクロクロウの原動力だ。


 蒸気した思考で、あのいけすかない探偵のことを思い出す。ネクロクロウを睨みつける、あの善人ぶった目を。ああ、解っている。自分は最初からあいつの何もかもが憎いと。そして――。ネクロクロウは歪んだ感情に笑みを浮かべた。間違いなくあの灰色の視線も、自分のことを嫌悪しているのだと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る