第3話 首なし騎士<デュラハン>

1/ 告死の黄炎 1


 ――死とは何か、と人は問う。


 全てのものに、それは必ず訪れる。


 あるいは、悲劇。

 あるいは、安寧。

 あるいは、世界を終わらせるもの。


 富める者も、病める者も、獣も、物も、変わりはなしない。


 死に導かれた時、その全ては幕を下ろす。

 何を思うことも、何を伝えることも、何を行うこともない。

 何もかもを失くし、嘆き憤る魂すら、もはやそこにはない。


 故に――。

 ……もしも、誰かに死を与えることが出来るのならば。

 ……もしも、それを世界に許された存在であるのなら。


 それこそが、この世で最も力ある存在だろう。


 ◆ ◆ ◆


 日は傾ぎ、夕暮れの光が街を照らす。セントラルエリアを見下ろす第二大時計塔クロックタワーの文字盤は背面光バックライトに照らされ、淡い黄色に光っている。

 閉店の札をかける小さな家電屋のショーウィンドウでは、展示用の映像機テレビジョンがニュースを流す。


『――今週は、宮殿跡地にて科学技術会合が開かれます。下層での開催は約十五年ぶりとなり……』


 ――ここは大都市テムシティ。機械科学華やかなりし文明の都市。街が上層と下層に分かれても数十年経とうと、変わりはしない。



 テムシティ下層、ウッドウェル地区。

 野生の薔薇ワイルドローズ亭は、住民に親しまれる安酒場パブだ。錆びついた薔薇の看板が風に揺れている。店は狭く、木製のテーブルや椅子は工場の廃材から作られたものだ。客が零した酒が染みこんだ床板を、幾つもの無骨な靴が踏み荒らす。


「祝え祝えー! 今日はシャノの奢りだぜ! 何たって仕事で初めてマトモな報酬が入ったらしいからな!」

「めでてえ、シャノ! これでお前も一人前だな! 今日は盛大に奢れ!」


 粗暴な乱痴気騒ぎの中心に居るのは、灰色の目をした若者だ。肩より長い髪を垂らしたその人物は、中性的な顔立ちに呆れを浮かべていた。肉体労働者たちの太い腕に肩を叩かれながら、その若者、シャノン・ハイドは顔馴染み連中をあしらう。


「はいはい、奢らないよ。自分の飲み代は自分で出すように。こっちは滞納の支払いで殆ど消えるんだから」


 シャノは溜息を吐いた。その言葉は嘘偽りない真実だ、悲しいことに。


「大体、何処から聞きつけてくるのさ。誰にも話してないのに」

「ハッハア、あったりまえだろ。金とトラブルの話は漏れるもんさ!」


 男たちは豪快に笑った。彼らは皆、この地区の住民だ。一様に裕福とは言えず、教養に欠け、善良とも言い難いが、馴染めば気の良い連中だ。シャノは騒ぐ男たちを掻い潜り、注文した酒を手にテーブルへと戻る。


「……賑やかだな」


 同席しているのは、フードで頭部を覆った怪しげな男だ。その顔は六つの穴だけが空いた仮面で覆われており、表情を読むことは出来ない。


「ごめんねグリフィン、馬鹿たちに嗅ぎつけられちゃって……飲む場所変えようか?」

「いや、構わん。こういう煩雑さも悪くない」


 先日の<人狼>事件、その解決祝いに彼らは近くの安酒場パブを訪れていた。

 二体目の遺変<オルト>の消滅。そして同時にシャノの初の大仕事が終わった祝杯でもある。シャノン・ハイドが本業と主張する探偵業は、そもそも探偵らしい顧客が居ない。日々の業務といえば犬猫の世話と遺失物捜索だ。そこに先日初めて、大きな依頼と報酬が舞い込んだ。今までにない大躍進である。例えそれが悪評高いウル・コネリーからのものだとしても。


「旦那さんお手製の豚の丸焼きが美味しいんだよ、ここ」

「――シャノ、そんなこと言うならあたしのパイは要らないようだね?」


 焼き立てのパイを片手に、もう一方の手は腰に当てて立つのは恰幅のいい中年の女――この店のおかみである。


「何だい、あんたが良い仕事入ったって言うから、折角あたしから差し入れしてやろうって思ったのにさ」

「すみません、おかみさん。頼むから、トレイを下げないで下さいよ。おかみさんの魚パイだって逸品なんだから」

「今回だけだからね、次はちゃんとあたしのパイも褒めるように」

「ええ、次は必ず」


 野生の薔薇ワイルドローズ亭のおかみは勿体ぶった様子でテーブルにパイを置いた。出来たてのパイは湯気を立て、香ばしい香りが鼻をくすぐった。

 パイにフォークを刺した時、店の中から沸き立つ歓声があがった。


「十人抜きだ! この赤毛つえーぞ!」

「確かに良い体してるけどよ、何処からそんな力出てるんだ?」


 歓声の中心は、一つのテーブルだ。そこではいつの間にか、酔った男たちによる腕相撲勝負が始まっていた。肉体仕事で鍛えた立派な体格の男が、腕を抑え、悔しげにテーブルに突っ伏していた。反対側には赤毛長身の男が余裕の表情を浮かべて、己が打ち負かした男を見下ろしていた。


「腕の使い方にコツがあるんだよ、コツが」

「くそ、もう一回だもう一回!」

「ハ! 何度やっても同じだ。強くなってから出直してこい」


 赤毛の男は一笑に付すと、賭金の入った袋を掴み、颯爽ときびすを返した。


「おかえり、ジャック。儲かった?」

「そこそこな」


 シャノの問いにジャックは肩を竦めた。金の入った袋が机に乗る。銅貨の重い音が響いた。本業を止めている今、ジャックはこうした賭博を含む、幾つかの方法で小金を稼いでいるらしかった。


「ゲッ、それ生首パイじゃねえか」


 ジャックはテーブルに置かれたパイを見て、顔をしかめた。香ばしい色のパイ生地からは、焼けた白身魚が頭を突き出していた。人によっては恨めしそうにも見えるこの独特な盛り付けは、元は海辺の風習で、スターゲイジー星を見るパイと呼ばれる。


「大漁祈願……もしくは大漁祝いの意味があるようだが。頭部を見せることで、きちんと中身に魚を使っていることを示すとか」

「仮にそれを認めるとしてもだな、センスが古いんだよ。十世紀くらいのセンスだろうが。十九世紀にもなってやることか?」

「まあまあ、食べてみなよ。美味しいから」


 皿に取り分けられたパイをジャックは渋々手に取る。まぶたのない乾いた目が捕食者を睨む。それを無視し、ジャックは焼き立てのパイにかぶりついた。ゆっくりと咀嚼すると柔らかくほぐれたタラとジャガイモの味が広がった。


「む、マジだ。味は良いな」

「でしょ。コショウをかけると酒にも合うよ」


 店内に置かれた映像機テレビジョンでは、ニュースが流れている。白黒映像機モノクロテレビの映像は粗く、時折受信機アンテナの不調なのか、画面が乱れていた。こういったポンコツ製品は下層では未だ珍しくはないが、裕福層の住むウエストエリアでは彩色映像機カラーテレビが普及しつつあるらしい。


「聞いたかシャノ。金持ちが殺されてるんだってよ」


 顔見知りの一人が、にやついた赤ら顔で映像機テレビジョンを指した。画面の右上には『上層区で男性殺害。連続殺人か?』の文字。面長のニュースキャスターが迫真の様子で事件について解説をしていた。ここの所、新聞やニュースを騒がしている事件だ。特殊な死因から警察は同一犯の仕業として捜査しているという。


「知らない人でも人は人。そういう言い方は感心しないな。亡くなった所で金が回ってくるわけじゃなし、喜んでどうするんだか。こっちに金を稼ぐ才があれば別だけど」

「ケッ、良い子ちゃんめ」


 酔った男は鼻白んだ様子だった。気を取り直すように一気にビールを煽ると、酒臭い息と共に囁いた。


「だがな、ありゃきっと――首なし騎士デュラハンの仕業だぜ」

「……首なし騎士デュラハン?」


 耳慣れない言葉にシャノは眉を上げた。その様子を見て男は機嫌よく笑った。


「知らねえのか? 最近出るって噂だぜ。角の婆さんから聞いた話だがよ……『頭がない男』がさ、夜中に現れるんだ。真っ暗な夜に、真っ黒い服。こっちに向かって言うのさ『お前に死を告げに来た――』ってな」


 おどろおどろしい話に、シャノたち三人は顔を見合わせた。


「きっとあいつらもそれに殺られたのさ」


 男は空のジョッキを机に置いた。シャノは溜息を吐いた。


「誰が考えたんだか、今時、そんなお伽噺」

「ハハハ! さてな! ま、会えるモンなら会ってみたいよな! 写真にでも納めりゃ高く売れるぜ?」

「確かにね。新聞や雑誌から引っ張りだこだ。湖畔の怪物みたいにね」


 写真機カメラというものが現れてから、妖精や怪物を捉えた写真は人気がある。少女と写った羽の生えた妖精、大きな湖から頭を出す首の長い怪物……当然、それらは全て人の手による合成写真なのだが。


 ゲラゲラと笑って男はテーブルを離れた。グリフィンは白身魚のパイをつつく。


「……妖精の写真か。たしかに偽物フェイクと解ってはいても、面白いものだ。人気があるのも解る」

「意外。グリフィンもゴシップ雑誌とか読むんだね」

「私とて娯楽は嗜む」

「何だ、研究にしか興味がねえのかと思ってたぜ」

「偏った趣味しかない貴様に言われたくはない」


 ジャックの揶揄する言葉に、グリフィンは仮面の奥から不愉快そうに呟いた。


「しかし、偽物フェイクではない、というのは写真に映るものだろうか」

「どうだろうね? 少なくとも、わたしたちには見えなかったけれど」


 妖精。写真の中でも、舞台の上でも、お伽噺の挿絵でもないそれと、彼らは一度遭遇した。正確には、それと対話するという魔女と。彼ら自身は魔女が示す妖精とやらを見ることは出来なかった。ただ、彼女が妖精がそこに居ると、そう言った、それだけだ。

 ジャックが眉を顰めた。


「あの胡散臭い女の話、信じてるのか?」

「解らん。観測出来ないものを判断することは出来ん」


 雷や日照りが神の怒りなどではないと示されたのも、それらの運行が観測され解析されたからだ。十分な観測なしに結論を出すことは出来ない。少なくともそれがグリフィンの持論である。


「……んー、飲み過ぎた。少し夜風に当たってくる」

「おー、おー、みっともねえな」


 酒の入ったグラスを置き、額を抑えるシャノをジャックが笑った。


「すみませんね、こんなに飲んだのは久し振りなんだよ」

「へいへい、ゆっくり涼んできな、貧乏探偵」


 ジャックのからかう声を背に、シャノは店の外に出る。扉を開けると、冷えた夜風が頬を撫でた。店に入った時は赤かった空もすっかり暗い。月は見えず、灰色の雲が眠たげに夜を覆っている。調子の悪そうな車が、排煙を吐きながら安酒場パブの前の通りを走り抜けてゆく。


 野生の薔薇ワイルドローズ亭の角を曲がると、途端に周囲は暗くなる。街灯のない路地を、シャノはぼんやりと歩く。この辺りの区はあまり整備の手が入っていない。屋根が今にも剥がれ落ちそうな建物も散見される。路上には時折、ダンボールを敷き蹲った人間の姿がある。これから一層寒さが増す季節だ。彼らの中の、どの程度が生き残れるのか。今年も統計が出ることはないだろう。


 シャノが安価なアパルトメント区域に足を踏み込んだ時だった。その奥から何が倒れる音がした。


「ひ、ひいいっ、助けてくれ!」

「何……?」


 老人の細い声。シャノは咄嗟に走り出した。

 ――そこに、それは居た。


 腰を抜かした老人の前に。


 それは、一見男のような形をしていた。黒い裾を夜に棚引かせ、無言で老人を見下ろすそれは、しかして決して人ではない。

 黄の炎。古き時代において死を示す色。破滅の色。

 本来顔があるべき肩から上は、噴き上がる炎があった。人の形をしながら、それに人らしい頭部はない。あるのはただ、煌々と燃える黄色の業火のみ。


 火の粉を撒く炎から、地獄の唸りのような声がした。


『告げに来た。それが我が定めなれば』


『――最後の日だ。一年の後』


『そなたに死が訪れよう』


 言葉を告げ終えた瞬間、炎はふつりと消えた。明るく照らされていた路地に暗い夜闇が戻る。

 後にはシャノと、腰を抜かした老人だけが残されていた。


「首なし……騎士……?」


 ぽつりと、シャノはその言葉を呟いた。 

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