3/ 告死の黄炎 3

 ゴミが散らばる狭い路地に、その店はある。通行人の多くは昼間から汚い安酒場パブに立ち寄るばかりで、そこに目をくれることはない。ただ一人、薄汚れた格好の少年だけが、じっと店のショーウィンドウに張り付いている。白く霞んだショーウィンドウの中では映像機テレビジョンやラジオが値札を貼られ、道行く客を見送っているのだ。


 店内には積み上がった未修理の機械が自分の番を待っていた。その埃っぽい機械の山の間に、二人の客が訪れていた。反対側の棚には修理済の機械や家電が並んでいる。中には三十年は昔の、今は誰も使っていないような旧式の通信機すら置いてあった。


「――おいおい、触ってくれるなよ。そりゃもう先約があるんだ」


 懐古レトロ趣味に一歩踏み込んでいるそれに伸ばした手を、シャノはぴたりと止めた。商品の角には売約済の小さなシールがあった。


「すみません、珍しくて。……それ、直りそうかな?」

「配線が悪くなってるだけだ。取り替えてやりゃ済む」


 フロッグズ・ネストの店主、エイデン・マッカイは千切れかけた配線を摘みあげた。


 違法機械店、フロッグズ・ネストにシャノとグリフィンが訪れたのは、他でもない。壊れた映像機テレビジョンの修理の為だった。元々中古品だったそれは随分と前にうんともすんとも言わなくなり、シャノの部屋の真ん中で片付けられもせず、ずっと眠っていたものだ。


 首なし騎士のことは気にはかかっていたが、生活のこともしなければならない。

 ジャックに直せとせっつかれ、シャノとしても捨てるよりは、と思いこうして修理へと持ち込んだ。こういった違法店舗は見知らぬ客に対して警戒心が強いが、エイデン・マッカイはグリフィンの旧友とのことで、一言三言交わすとすんなりと修理を引き受けてくれた。


 陋巷ろうこうに店を構えてはいるが、エイデンの技術力は確かだ。死にかけた機械もエイデンの手にかかれば再び息を吹き返す。秘術<フィア>の知識も共有しており、グリフィンの術具制作の補助にも携わっている。


「直せとは言うものの、修理費用を出してはくれないんだからな……」

「しかし君は探偵だろう。情報源は多いに越したことはない。何より映像機テレビニュースは新聞より早いからな」


 最近ではすっかり、映像機テレビニュースの方が早くなった。勿論、それは家や店などの映像機テレビジョンがある場所でのことで、道を歩いている途中、受け取った号外で情報を知ることも多い。


「エイデンさん、修理費用はどのくらいになりそうかな?」

「色々と傷んでるからなァ。四千リングって所か」

「う、結構するな……」

「これでも安くしてるんだぞ? メーカーに出せば八千リングはかかる」

「勿論、助かってはいるんだけどね」


 必要な費用とはいえ、折角入った収入がみるみると消えていくのは物悲しいものがあった。エイデンは工具を置き、汗を拭った。


「成程なァ。グリフィンが信用してると言うから一体どんな人間かと思ったが、確かにまるで探偵らしくねェな」

「こうみえても、ちゃんとした探偵だよ。先日も大きな仕事が入ったんだからね?」


 ようやく入った仕事だとはシャノは言わなかった。エイデンは大笑いした。


「褒めてんだよ。この通り、彼は堅物な男だからな。本来なら、他人の素行を嗅ぎ回る仕事っていうのはお気に召すまいよ」

「……これまでそういった職業とは縁がなかったからな。実際に会ってみれば、思うような人物像とは違ったというだけだ。……だから、その、シャノン。君や、君の志す職業がどうという訳ではない」


 銅色の仮面の奥から言い繕うグリフィンの様子に、エイデンはまたも堪えきれぬよう笑った。


「ハッハッハ! よし、じゃあアレだ。謝罪代わりに俺からグリフィンのとっておきの恥ずかしいエピソードを教えてやろう」

「それは是非。グリフィン、そういう話は隠すので」

「エイデン……余計なことは言わないでくれ。というか、何故君が私に代わって謝罪するんだ」


 グリフィンが気恥ずかしそうにフードを抑えた時だった。


「――すみません」


 フロッグズ・ネストの入口に、何者かが立っていた。それは女だ。すらりとした靭やかな体躯に、黒いスーツ。スーツに溶け込むような黒く長い髪は、きちんと手入れをされているのであろう艷やかさで、一本の毛の乱れなく、後ろで一つに括られている。隙のないしなやかな女。――黒豹のような印象の女だった。


「店主さんにお話を伺いたいのですけど、宜しいでしょうかねえ?」


 女は職業的ビジネスライクな笑顔を浮かべた。映像機テレビジョンの配線を弄っていたエイデンが面倒臭そうに顔を上げた。


「話って何だい」

「ええ、私、事件について調べていましてねえ。最近の、富豪連続殺人について、伺いたいのですよ」

「……富豪だァ? ありゃ、上層の事件だろ」


 ――上層における、裕福層の連続殺人。それは先日、ニュースでも報じられた事件だ。シャノとグリフィンは顔を見合わせた。


「何で上層の事件なんか聞きに来る? さてはアンタ、取材費横領してんのか? 取材ならこんなゴミ溜めに来てねェで、ちゃんと階層連絡線シティポート使って上層うえに行けよ」

「いえいえ、誤解されないよう。私はねえ、下層の人々の忌憚なき意見を伺いたいのですよ。あの凄惨な事件について」

「……凄惨?」


 物騒な単語に、シャノが小さく反応した。スーツの女は満足気に口の端を上げた。


「まだご存知ありません? ではお教えしますが……口外はしないで下さいねえ?」


 そう言うと、女は声を潜め、言葉を続けた。


「この事件の犠牲者は――皆、一様に首を切り落とされていたのです」


 首のない死体を思い浮かべ、彼らは思わず息を呑んだ。下層ならまだそういった、粗野で残酷な事件もあるだろう。人の手首だけが見つかっただとか、多くはないが聞く話だ。だが、比べ物にならない程、治安の良い上層で? 立派な家に住む富裕層が?


「死後、ではありません。彼らは首を切り落とされたことが原因で――死に至った」


 即ちそれは、死体を辱めるためでも、死体を隠すためでもない。ただ死に至らしめる方法として、首を切り落とすことが選択されたのだ。


「既に犠牲者は三人。彼らは皆、家族を持つ、ごくごく普通の経営者たちでした。それについて、下層の人々がどう感じるのか。上層の方は、別の者が取材していますからご安心を」


 黒豹のような女は目を細めると、シャノとグリフィンへと目を留めた。


「……貴方がたはどうです? この非道な事件について……何かご意見が?」


 相手の言葉を待つ視線。考えの見通せない、冷ややかな笑みを女は浮かべる。シャノは女をじっと見た。


「……失礼。貴方、は?」


 スーツの女は細めた目を開き、さぞや今気づいたという風な表情を作った。


「これは失礼。申し遅れました。私は、ウォルトン新聞社の記者――サーシャ・ガルシアと言います」

「『リバー・タイムズ』か――」


 ウォルトン新聞社。下層で名うての新聞会社の名を聞き、シャノは眉を顰めた。近年立ち上げられた若い新聞社ながら、中流階級向けの一般紙、『リバー・タイムズ』の発行部数は下層において二位。時折メディアに顔を出す若き社長、アンドレアス・バードもその端麗な容姿や、知的かつユーモアに富んだ発言から人気がある。


「ウォルトン新聞社? 『リバー・タイムズ』なんてここらの奴が読んでいると思うか?」


 フロッグズネストがあるのはシュガーポット地区だ。下層でも殊更治安の悪いこの地域で、一般紙の『リバー・タイムズ』を読む者などないに等しい。下品なタブロイド紙すら、手にする者がどれ程居るか。


「とっとと帰ってくれ。機械についての取材なら受けてやる。勿論謝礼つきでな」

「事件には、コメント頂けないと?」

「どうでもいい。上層の事件なんぞ、興味はねェ」

「……そちらのお二方も?」


 シャノたちも答えなかった。新聞記者などという厄介な相手に対し、不用意な応答をするつもりはない。サーシャ・ガルシアと名乗った女は職業的な笑みビジネス・スマイルを浮かべた。


「そうですか。お時間を頂きありがとうございました。では、私はこれで――」


 失礼します、と会釈をし、黒いスーツの女は店の扉から出ていった。


「こんな汚い場所にまで取材とは、熱心なこった」

「例の富豪連続殺人か……物々しい事件ではある。この辺りには記者がよく訪れるのか?」

「ンなわけないだろ。精々タブロイドしか寄り付きやしねェっての」

「こちらでの報道は少ないけど……やっぱり上層うえでは大きな事件になってるんだろうね」

「まァな。金持ちの殺人事件なんてセンセーショナルだし、その上、連続事件なんだっていうんだから、ゴシップ記事にとっちゃ……おい待て、あの女、何を持っていった?」


 扉の方へと目をやったエイデンが、にわかに険のある表情をした。その視線は通路の側の修理済棚に向けられている。シャノとグリフィンもつられてそちらを見る。


「え? 何かなくなったんですか?」

「……クソッタレ! 四型通信機がない! あのスーツ女、いけしゃしゃあと!」


 見れば、先程シャノが触れようとした、売約済の旧式通信機がなくなっていた。殆どシャノとグリフィンの真後ろにあったはずのそれは、埃の跡だけ残し、忽然と姿を消していた。


「盗んだのか……!? いつの間に……」

「エイデンさん、あの記者を捕まえてくる!」

「あ、おい、探偵!」


 グリフィンとエイデンが驚く中、シャノは黒いスーツの女を追って、フロッグズ・ネストの戸を飛び出した。

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