24/ エピローグ
――その翌日、シャノは全身の打ち身や擦り傷をブロディに見つかり、またこっ酷く叱られた。だがブロディは何があったかは尋ねなかった。
警察署は当然のことながら後始末や新聞屋の詮索の対処に追われており、まだまだ忙しい様子だった。
更に数日後。シャノとグリフィンとジャック――三人は再び、酒場ブラックドッグへと呼び出された。
初めは警戒もあったが、コネリーの用は単純な話だった。――今回の報酬の支払いである。
「……本当に?」
「ヒヒ、当然、オレは約束は守るとも」
テムシティで一番の悪人は笑って言った。客の居ない酒場の木机には、分厚い札束が置かれている。偽札ではない。本物の現金である。
「本当に現金だ……う、うわ、見て、高さ何cmくらいある? 10cmくらいかな?」
「シャノン、落ち着け……」
「解ってんだろうな、三等分だぞ」
「解ってるって、それでも十分大金だよ、これで滞納が払える」
グリフィンとジャックは静かに、憐れみの視線を向けた。
「困窮してるわね。露頭に迷っても、探偵にだけはならないわ」
黒い髪に、流行遅れの黒い服の女が呟いた。涼やかな声の主はドロシー・フォーサイスだ。
「貴方のお陰でコイツの計画が失敗したのはせいせいするわ。私は薬を練るのが仕事なのに、あんなに外を走らせて」
「そう言うなよドロシー。それだけアンタを買ってるってことだよ」
「信用できる部下が少ないからでしょう。人を増やしなさいよね」
ドロシーの態度からはコネリーを敬うような素振りは見えない。あくまで仕事上、仕方がなく付き合っているという様子だ。
「フォーサイスさんは……コネリーに借りでも?」
「そう。私は元々田舎出でね。何も知らずにノコノコこの都市に来た時に、体よく騙されたの。最低よねアイツ」
その辛辣な言葉が、心の底から出た本心であるのは、シャノたちにも容易に伝わった。
「気付いた時には借金がとんでもない額に膨らんでいてね。本当、何がどうしてあれだけになったのかしら。……でも、仕方がないわね。自分の甘さのツケだもの。都会人は疲れていてスピリチュアルに依存しやすいって聞いたから稼ぎに来たのに、こんな悪人に目をつけられるなんてね。心底嫌気が差したら、こいつの頭をブチ抜いて、私も死ぬわ」
「ヒヒヒ、おお、おお、魔女ってのはおっかないな」
コネリーはくすくすと愉快そうに笑う。
「あー、一つ聞きたいんだが」
「何? ジャック……だったわね」
「お前、何でそんな服なんだ? 魔女の伝統とか?」
ドロシーの服装は清潔ではあるが、厚ぼったい布を使ったロングスカートであり、お世辞にも今時、ましては都会的とは言えない。ジャックの無神経な問いに、ドロシーはきょとんとし、意外にも、恥ずかしそうに視線を逸した。
「……やっぱり、変かしら。この街に来て薄々は感じていたのだけど。私の住んでいた所ではこういう服が普通だったの。だから単に田舎っぽいだけなの。本当に田舎なのよ? 狐は跳ねてるし、畑を荒らす兎を捕まえて食べているような所」
ドロシーはスカートの端を摘んだ。
「ああ、そう言えばシャノン。もう一人アンタに会わせたい奴がいるんだよ」
「わたしに?」
心当たりがなく、シャノは不思議そうに首を傾げた。コネリーは意味深に口の端を上げた。
「アンタが助けたやつが礼を言いたいってさ」
コネリーが指を鳴らすと、酒場の奥の扉が開き、少し気まずそうに大柄な男が現れた。何処かで見たことのあるその男は、黄色いシャツを着ていた。
「おう、あの……有難うよ。アンタ」
シャノはその顔を思い出す。その男は廃病院で唯一生き残った、コネリーの部下だ。この男もまた、
「あー、ボスから聞いたよ。アンタのお陰で助かったって」
黄色いシャツの男には、青ざめ、苦しげに呻きそれでも生きようとしていたあの時の面影はない。シャノは微笑んだ。
「元気そうで良かった。けど、悪さは程々にね」
「そりゃ難しいわ。でも、恩人の言うことだからな。ちったあ考えとくよ」
黄色いシャツの男は肩を竦めた。
酒場ブラックドッグを出た三人は、昼間の明るさに少し目を伏せる。
表の道路では、人々が雑然と行き交い、変わらず空は霧と排煙に覆われている。その上には上層プレートの影が見えた。テムシティ下層の、いつも通りの風景だ。
「この金でぱーっとやろうぜ」
「ジャックが奢ってくれるなら喜んで。わたしは節約するから」
「懸命な判断だ」
「ちぇ、少しは景気よーくやれよ」
つまらない事を言い合いながら、三人は帰路につく。
黒杖通り22番地7号室の、狭い一室へと。
◆ ◆ ◆
誰も居なくなった酒場に、黒眼鏡の老人が現れる。老人――『豚飼い』エドガー・ベーコンは、高級な杖をつき、コネリーの側で足を止めた。
「取引は終わったかね?」
「ああ、今回の件は全て片付いた。まさか、このご時世に怪異とはね――流石に、厄介だった」
ウル・コネリーは腹心の二人にしか見せぬ表情で、肩を竦めた。
「あの殺人鬼、思ったより小物だったねぇ。法の外の楽しみよりも、つまらん暮らしを取るとは」
「狂気が深い方とマシな方、どっちが大物かは人によると思うけどね」
コネリーの言葉にベーコンはくつくつと笑った。
「おや、ウルはどちらかな?」
「オレは当然、使えるやつが好きさ」
コネリーは悪意を口元に浮かべ、その男を見下ろした。
「なあ、ロイス? オマエ解ってるだろう? あれだけ表で暴れちゃあオマエ、もう捕まるしかないよ」
ロイス・キール。元彫板士のしがないクスリ売りは、怯えきった目でコネリーを見上げた。あの日、あの場から逃げ出したキールに行くアテなどなく、結局はコネリーの元へと連れ戻されることになった。
「哀れにも生き残ったオマエに、良い話があるんだ。オレは丁度、新しい使い走りが欲しかったんだ。秘密を守れる使い走りがね。ほら、半年前さ、幹部が二人辞めただろ? 流石にオレとエドガーとギブの三人じゃ、人手が足りなくてね」
以前、
「だからさ、オマエがオレの使い走りになるっていうなら、オレの情報網でオマエを守ってやるよ。警察に残った
コネリーは微笑んだ。自分の秘密を知るものに。怪異の秘密を知るものに。
「ロイス、オマエは秘密を守れるだろう?」
コネリーはよく磨いたナイフを取り出し――刻みつけるように、ロイスの鼻に傷を入れた。
◆ ◆ ◆
『
重苦しい音が響いている。それは部屋に幾つも並ぶ大型機材から発されている。
巨大な歯車が軋み、緩慢に回る。機械の側面には薄黄色に明滅するモールドが刻まれている。
代わり映えのない光景。ここはいつもこうして停滞した運動を繰り返している。
僅かな明かりしかないその暗がりは、眠たげに闇を抱えているようだ。
永遠を作るための、
静かなそこに、破損した銀の仮面を抱えた女が姿を表した。赤いジャケットの下に白衣を纏う、痩せた男が女を見てにやついた。
「へへ、手土産はねえのか? ネクロクロウ」
「黙れ、虫が」
「おおっと、怖い怖い」
ネクロクロウの怒気にも怖じず、白衣の男はおどけてみせる。
「ウェアサイスはどうした」
「ゴリラ野郎はどっか遊びに行ってるよ」
「チッ、またか。あの方に気に入られているからと好き勝手を……」
ネクロクロウは忌々しく舌打ちする。
「――戻ったな、ネクロクロウ」
部屋の中央にしつらえられた祭壇の上。
ぬるりと影から現れたのは、黒いコートを纏う姿だ。
顔を覆う仮面には、大きな曲線を描く二本の角と、ジャラジャラと揺れる、呪術的な装飾。
低く、呻く男の声で、それはネクロクロウに返答を促した。
「申し訳ありません。
祭壇の上の男は、無言。装飾的な仮面に隠され、その表情は見えない。だが仮面の奥にある、恐ろしいほど冷たい視線にネクロクロウは喉を鳴らす。
「……やはり、警察署ごと私自ら破壊するべきでした」
「愚かな事を言うな、ネクロクロウ。手段は選ぶ必要がある。我らは、人。矜持のない生き様など――獣と変わらないのだからな。我らが作り上げるのは人間の世界。ゆえに、我らは人間でなくてはならない」
その背後には、一際大きく、複雑な構造を持つ美しい機械がある。無数の動力管の中には、淡く輝く液体が循環している。
――これぞ、人の持つ輝かしき叡智。
この地に生まれて幾星霜、闇を払い、思考を得た。人は進み続けている。
けれども、この世の醜さは未だ存在する。
光届かぬ街に、救いは遠く。略取と不幸は途絶えず、人の情念は人を焦がす。
――即ち、人類はいまだ成熟せず。
人の進歩は目覚ましく、常に歩みを止めず――それでも辿り着けてはいない。
あまたの生き物が形を決めてなお、人はまだ完成しない。
生き方を定められず、人類は足掻き続けている。あまりにも、嘆かわしく、あまりにも醜い。
――だからこそ。
「――我らはここで、人を完成させるのだ」
科学ひしめく世を救うのは、空想と怪異だけなのだから。
--------------------------------------第2話 人狼(了)
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