23/ <共感の遺変/オルト>4

 ――幻想的な緑の光が粉々に散る。

 秘術<フィア>の力と拳が激突する。バイロンの手刀を術杖つえで受け、グリフィンは膝をつく。


「くっ、シャノン……!」


 グリフィンは焦りを滲ませる。非常階段の先、建物の屋上の端にシャノが追い詰められているのが見えた。グリフィンが放つ秘術<フィア>の炎を、バイロンは蹴り、打ち払う。超常エネルギーの塊をそれが燃えるよりも疾く砕く。バイロンの技に小手先はない。あるのは卓越した暴力だけ。秘術<フィア>を物ともしない。



秘術<フィア>のエネルギーを叩き割る、だと……」

「フン、下らんな。驕るなよ。非科学の技術であろうと原理は同じだ。作用する前に、破壊してしまえば良いだけだ」


 秘術<フィア>の破壊は、ただ技術的に卓越していれば良いというだけではない。高純度のエネルギーを前にして恐れず、躊躇わぬ精神をも要する。

 『猛牛』の渾名に相応しく、バイロンは躊躇いなく秘術<フィア>の間合いへと踏み込み、拳を振るう!


「何人我が身<ボウ・セ――」


 防御式は間に合わない。形成途上の揺らいだ秘術<フィア>を、バイロンの拳が砕いた。そのまま、バイロンの攻撃はグリフィンへ自身と届く。グリフィンの体が吹き飛び、建物の壁へと叩きつけられる。


「く……っ、」


 グリフィンは仮面の奥で苦しげに呻く。術杖だけは辛うじて手放さなかった。

 攻めるにも守るにも、バイロンの方が上だった。バイロンの動きは秘術<フィア>の発動よりも先んじる。


「あの探偵もどきも終わりだな。奴の情報代金は、ウルの良い小金稼ぎだったようだが。それも最後だ、全てな」

「……殺すつもりか」

「さてな、俺は興味がない。貴様らがどうなるかは、全てウルが決めることだ。あの探偵は顔だけは良いし、貴様らも各々有能だ。生かして売り飛ばすのが一番有益かも知れんな」


 グリフィンは黙る。バイロンが鼻で笑った。


「苛立ったか? ハ、下らんな。あんな何処にでも居る、無謀さしか取り柄のない人間に執着するか?」

「力だけの交友を持つことに興味はない。お前が何と言おうと。私はあの探偵をこの先も信じ続けたいと決めている。そして、私自身がそれに相応しくあることも!」


 グリフィンの目前に立ち、バイロンは腰を低く構えた。最後の一撃。この戦いの終幕だ。バイロンの豪腕が唸る。グリフィンは力を振り絞り、術杖を前に突き出した。

光あれ<セ・コウ>明量出力上昇<タ・ショウ・セ・コウ>!!」

「無駄だ!!」


 バイロンが吠える。術杖から放たれる緑色を纏った光を、バイロンの鍛えた拳が打ち砕く!

 秘術<フィア>の術式から成るエネルギーの塊を、物理法則のみに因って齎される拳が衝突する。

 ――瞬間、光があふれた。


「なに――――」


 バイロンの強拳が触れた時、発動前の秘術<フィア>は霧散する筈だった。それまで通りならば。砕いた筈の光は弾け、バイロンの視界を白色の眩さで覆う――!


「読み違えたな。それはただの光だ。何の威力もない。始動にかけるエネルギーが少なければ、その分早く秘術<フィア>は発動する――歯を食いしばれ。人の身で受けるには少々きついぞ」


 目が眩む視界の中、バイロンの耳にグリフィンの声だけが届いた。


力よ形となり刺し貫け<シカ・ガガ・ティキ>


 たった数秒のこと。力ある言葉を紡ぐには十分な時間だった。

 秘術<フィア>の力によって、不可視の力が荒れ狂い、鋭い刃の形を成し、そしてバイロンへと襲いかかった。


「ぐ―――ッ!」


 大柄な体躯が動きを止める。服の上に赤い血液が滲んだ。その肉に、緑の粒光纏う非実体の槍が突き刺さっていた。バイロンの体が膝をつき、倒れた。

 それで充分だった。バイロンの様子は確認しない。グリフィンは屋上へ向かって叫んだ。裾のよれたインバネスコートを纏う、灰色の目がそれを見た。


「シャノン! 飛べ! こちらで受け止める!」


 シャノは高所からグリフィンを見下ろした。今居る位置は五階建ての屋上だ。地面まで一体、何mある? 一瞬だけ、躊躇いがあった。だがそんなものに意味はない。近くに迫るコネリーを見た。魔術施品クラフト・グッズを取り返されることだけは看過出来ない。恐怖を振り払い、シャノは――その足を、空中へと踏み外した。


 ――何の支えもなく、重力のまま、落ちる。

 無防備に、無抵抗に、地面へと引き寄せられる感覚。

 死が手を伸ばす気配に気を失わないよう、魔術施品クラフト・グッズをしっかりと掴んだ。


其の身理の力に抗え<ケゲ・セ・イリク>


 グリフィンが力ある言葉を紡ぐ。高度五メートル。地面に打ちつけられる寸でで、落下速度が緩む。だが止まっては居ない。地面へ近づくシャノの体を、グリフィンは大きく手を広げ、受け止めた。

 だが勢いは殺しきれず、グリフィンは蹌踉めき、尻もちをついた。

 どすん、と二人は地面に倒れ、シャノを抱えたままの仮面の奥から苦しげな声がした。


「む、むう……すまん」

「いてて、グリフィン、大丈夫……!?」

「ハッ、だっせえ。そこはちゃんと受け止めきれよ」


 皮肉った声がした。見上げれば、動力鎖鋸チェーンソーを担いだ赤毛の男が口元をにやつかせていた。魔術施品を手にしたシャノが立ち上がる。


「ジャック、無事で良かった……エドガー・ベーコンは?」

「へっ、黙らせた」


 満足げにジャックは胸を張った。その表情は清々しい。


「バイロンもあの通り、気絶している。……死ぬかも知れないが。今が遺変<オルト>を倒す機会だな」


 コネリーはまだ地上に下りず、バイロンとベーコンは動けない。死体漁りのブラックドッグの介入がない間に、遺変<オルト>を片付ける必要がある。


「見た所、あの秘術防壁は遺変<オルト>を抑え込む一方、こちらの攻撃も通さん。全てを阻む壁だ。故に、遺変<オルト>を倒すには秘術防壁を解除する他ない」

「となると……遺変<オルト>が外に出てくる?」

「ああ。何の拘束もない遺変<オルト>と戦うことになるな」

「何か作戦は?」

「無い。あの厄介な包帯をいなし、霊核を露出させ、秘術<フィア>を以て消滅させるしかない」



 グリフィンの言葉に、ジャックが不敵に笑った。


「前と同じってことだろ。さっさとやっちまおうぜ。面倒くさい奴らが起きる前にな」


 グリフィンは受け取った魔術施品クラフト・グッズを地面に転がし、その術杖で破壊した。防壁を維持する術式が消え、緑光の柱が霧散する。――そして、ぬるりと不気味な爪を持つ腕が伸びた。窮屈な牢から、不気味な影が抜け出す。――遺変<オルト>


 暗がりにて、人を殺す幻想の怪異。未だこの世に形はなく、有象無象が跋扈する夜にのみ姿を現す。

 それは人ならざる姿で、それは人ならざる恐怖を齎す。


<グ――ルルルルルル――!!!!>


 人狼の形をした遺変<オルト>が吠えた。怒りと共に。防病マスクのような頭部が不気味に睨む。

 遺変<オルト>の包帯が無数に伸び、地面を、建物を覆ってゆく。暗い路地に死の包帯が白く浮かび、退路を防いだ。"いのり"を阻み、己を拘束したものを殺し、周囲にいる全てを殺し尽くすにするために。自らが存在するために。


共感みたせよ……共感みた、せよ!>


 遺変<オルト>が腕を振るい、包帯を伸ばす! 三人は辛くもそれを避ける。


「あれは、共感の指向性を持つようだ。人を人とも思わず、資材として消費し、利用する者。相手を慮ることなく、ただ高みから支配する者を憎む――だが、その怒りの向く先は自らと違う者全てだ。重んじる規律の違う者、己よりも貧しい者、生まれ育ちが違う者。自らと違う存在全てを疎む。共に在らざるものを赦さないという"いのり"。つまり――奴のいのりは全ての人間を殺す」


 遺変<オルト>の腕は二本。その下半身に足はなく、襤褸切れだけが幽霊のように舞い、その身は宙に浮かんでいる。

シャノは秘術銃<フィア・ガン>を構える。遺変<オルト>の霊核を露出させ、消滅の術式を刻むには、まずは怪異の身に秘術刻印を刻む必要がある。今回は、腕二本。要する秘術弾も二発。


 シャノは遺変<オルト>の側面に回り込み、銃の引き金を引いた。だが弾丸が届く前に、瞬く間に包帯がその軌道を逸らした。包帯は穴が開き、秘術<フィア>によって霧散したが、遺変<オルト>の腕は無傷。


「くそ、当たらない……!」


 シャノは包帯を避けながら、怪異を睨む。だが、見えない。望む道を指し示すシャノの怪異異能を以てしても、黄金の道標が見えない。炎刻弾ファイアバレットを使っても、次の弾丸を籠める前に包帯は再生するだろう。


「ジャック! 交代パス!」


 グリフィンは遺変<オルト>から距離を取り、秘術道具を設置する。


「ジャック。あの包帯をどうにかしろ。それと、時間稼ぎもだ。その間に場をフィアで満たす」

「ああん? お前ら、面倒くさいこと全部俺に任せる気かよ」

「出来るだろ?」

「出来ないのか」


 二人の挑発に、ジャックは半眼を向けた。


「ほおー、煽る気か、この俺を。あのな、俺より弱い癖にふてぶてしいんだよお前ら。それが殺人鬼おれに、モノを頼む態度かっての!」


 動力鎖鋸チェーンソーの動力を入れ、ジャックは走り出した。左から、右から、包帯が押し寄せる。誰であろうと絡めとり、殺してしまおうと。


「――範囲を限定<セーティ>フィールド展開<ティキ>。満ちよ、満ちよ」


 秘めたる言葉を唱え、グリフィンは秘術<フィア>を為す場を作り上げる。

 機械によってフィア塊が大気に打ち上がる。空に細かな光が弾け、周囲が媒介素で満たされる。緑の燐光がちらりちらりと宙を舞った。

 秘術<フィア>は万能ではなく、無限ではなく。ゆえにこうして力を満たす。大いなるわざを具現化するために。


<グルルルルル――――!!>


 増える。増える。遺変<オルト>の包帯が空気をも飲み込む程に視界を覆い尽くす。全てを貪欲に食らい尽くし、自らの中に取り込もうとするように。

 ――だが、その怪異に相対するは指折りの殺人鬼である。


「舐めるなよ、怪物如きが」


 ギャルルルルルル! ジャックの得物が大きく動力エンジンを昂ぶらせる!


「怪異だろうが、人狼だろうが。――その程度で俺に届くものかよ!」


 回転する無数の刃が音を立て、白色を引きちぎる。動力鎖鋸チェーンソーが唸り、迫る遺変<オルト>の死の手先を切り裂いてゆく!

 背後から迫る包帯すら、軸足から体をぐるりと回し、一断し切り捨てた。

 路地を埋める程の包帯触腕は、瞬く間に数を減らしていた。だがまだ術印を刻むには足りない。遺変<オルト>は厳重に自らの手を覆い隠している。


範囲を限定<セーティ>我が炎ここに在りて汝を焦がす<ハ・セ・ネツ・ミト・セ・エン>


 秘術<フィア>の火の粉が弾ける。遠くからでも感じる熱と共に灰が散り、包帯が焼け落ちたが、炎は手前で防がれる。秘術<フィア>の炎は奥まで届かない。


「くっ、無理か……! もっと内側に入り込めれば……!」


 グリフィンは仮面の奥で唸る。燃える遺変<オルト>の触腕を、ジャックが睨む。


「内側で、燃やせりゃ良いんだろ……!」


 グリフィンの術なしに、大きな火を起こす――その手段が一つだけあった。

 ジャックは自分の首に触れた。グリフィンが施した秘術<フィア>を刻んだ首輪。不用意な真似をすれば爆破するなどという物騒な品だ。


「グリフィン! この首輪外せ!」


 包帯を返す刃で切り裂き、ジャックは叫んだ。グリフィンはそれを聞いて――静かに答えた。


「自分で外せばいい」

「チッ、やっぱそうかよ」


 ジャックは首輪の革を掴み、無理に引きちぎった。カチンと軽い音がして首輪の留め具が壊れた。


「ほら、野良犬め、殺菌だ」


 ジャックは遺変<オルト>の懐へと踏み込んだ。首輪が宙を舞う。遺変<オルト>本体のすぐ近くへと。怪異の包帯が投げ込まれたそれを掴んだ。

 グリフィンが首輪の起動装置のスイッチを押した。


 ――轟音。内部に仕込まれたフィア片石による高エネルギーの爆発と、それに伴う火炎が噴き上がり、遺変<オルト>を焼き尽くした。黒ずんだ燃え滓が煙のように広がった。身を護るように展開されていた包帯が燃え落ち、阻むものが一気に消え去る。


「シャノ、行け!」


 遺変<オルト>の腕が蠢き、再度包帯が現れ始める。再生しきる前に、シャノは走った。秘術銃<フィア・ガン>の狙いを定める。今なら見える。秘術弾を撃ち込むべき場所が。


 ――銃口から緑の光が迸った。一発。二発!

 狼の耳を震わせ、遺変<オルト>が吠えた。その腕に緑色の術印が浮かび上がる!


共感みたせよ、共感みたせよ! ルルルルルルァアアア!!!!>


 二本の腕に刻まれた形に神秘の力が輝いた。

 ――ここに、大秘術<メガロフィア>の式は成った

 術印から発される稲妻が収束し、その頭部へと届く。防病マスクのような頭が裂け、霊核が露出した。


「ジャック、足場!」

「注文が多いな!」


 しゃがんだジャックの肩を踏み、シャノの身体が飛び上がる。剥き出しになった、霊核と同じ高さに。遺変<オルト>の胸に緑の光が弾けた。霊核に術印が刻まれ淡く発光する。その目印はグリフィンにも届く。


「貴様がどれだけ嘆こうが、我が秘術<フィア>は否定する」


 力ある言葉を唱え、仮面の男は術杖つえを振るう。


「――範囲を限定<セーティ>フィールド展開<ティキ>。満ちよ、満ちよ」


 声がする。厳かな声が。白と紺の荘厳なる衣装と銅色の仮面。緑に光る術杖つえを構え、言葉を紡ぐ。

 それはこの世に非ざるものを消し去るために。それは闇より出るものを消し去るために。それは手の届かぬ嘆きを消し去るために。


「形なき存在よ畏れ憎しみ怒れる幻想よ汝は在りえざるもの<ヒティ・ヒティ・ヒティ・ミドツ>


 苦しむ遺変<オルト>が吠え、爪を振るい、グリフィンへと襲いかかる! それは己を否定されることへの怒り、この世へと存在することを許されることへの渇望だ。


 遺変<オルト>が目前へと迫る。グリフィンは術印の光目掛けてその胸部の霊核へと術杖つえを突き立てた。


「――知れ、其は存在せぬ者」


 この世ならぬねじ切れるような断末魔の叫びが響いた。遺変<オルト>の体が細かな粒子となり、輝く円状ゲートへと吸い込まれ――やがて消滅した。

 夜の空を澱んだ霧が覆っている。今や月は見えない。怪異は消えた。周辺の建物には普段どおり、橙色のぼやけた室内灯が灯っていた。


 怪異が消え去ったことを確認し、術杖つえを下ろすグリフィンにジャックが詰め寄り、自らの首を指した。


「やっぱ千切った程度じゃ爆発しねーじゃねーか」

「当然だ。ヤケを起こされては困る」


 不機嫌に眉を寄せるジャックに、グリフィンは淡々と答えた。無理に外せば爆発するなど、当然ながらただの脅しであり、ハッタリだ。そのような危険な仕様はグリフィンの好むところではない。ジャックの渋面に、シャノは思わず噴き出す。


「チッ、びびるんじゃなかった」

「ジャック、そんなに信じてたんだ?」

「迫真の演技が効いたと見える」

「棒読みなだけだろうが、無愛想野郎」


 三人が言い合う最中、コツコツと軽い足音がした。


「ヒヒヒ、あーあ。倒されたか。仕方がないな」


 聞き覚えのある、不愉快な笑い声。振り返れば、派手なスカーフを夜風に揺らす、ウル・コネリーが立っていた。その姿もう異形ではなく、整った顔が何時も通りにやついている。傍らには深手を負ったバイロンを支えるベーコンの姿がある。

 シャノは冷静な表情で、コネリーを見た。


「コネリー。まだ続けるか?」

「そうだな、オレの企みを知ったアンタたちにも死んでもらわないと」


 コネリーの表情が人狼であった時のような凄みを纏い――つまらない、とばかりに何時ものニヤけた顔戻った。


「……と、思ったけどやめておこう。そっちもワケアリだろうしな。オレはアンタたちが生きていると今後の都合が良いし、アンタたちもまだオレの協力が必要だろう?」

「変な依頼は今後、お断りだよ」

「ヒヒ、それはどうかな」


 シャノとコネリーは視線を交わした。それが了承の合図だった。コネリーは肩を竦め、踵を返した。


「さて、帰ろう二人とも。いやあ、今晩は疲れたな。ま、捕獲はダメだったが、オレの命の危機は過ぎた。感謝しているよ、シャノン」

「殺人鬼クンにはしてやられたな。しかし、私はいつでも君の心変わりを待っているよ?」

「しつけえんだよ、さっさと棺桶に入れ」


 やがて、コネリーたちの姿は見えなくなると、シャノは腕を大きく広げ、みっともなく地面に大の字になった。グリフィンも緊張の糸が切れたように座り込んだ。


「あー、疲れた! 今日は動きっぱなしだったよ」

「お前もご立派だが、一番働いたのは誰だろうなー?」

「ハイハイ、いつも通りジャックだよ。一度はひやっとしたけど」

「ちゃんと協力してやっただろーが。誰かさんはぜーんぜん信じてねえみたいだけど」

「ム、ムム、ムウ……」


 ジャックの当て擦りに唸るグリフィンを、シャノがフォローする。


「黙ってたジャックが悪いよ。何でベーコンとの取引の事を言わなかったのさ」

「俺が断ったら、あいつら別の奴に頼むだろ。なら俺が引き受けたフリした方が都合が良いだろ。お前らが何も知らなきゃバレもしない。あいつらの言いなりにしてやるつもりはなかったからな。へっ、どーだ見たかよ、ぶちのめしてやった時の、クソジジイのイヤ~な顔!」

「ごめん、見てなかった」

「すまないが、一人の相手で手一杯だった」

「そこは嘘でも合わせろよ、ノらねえ奴等だな」


 通りの向こうから、人々の賑わいが聞こえる。この辺りの通りには大小問わずレストランが多い。仕事を終えた者たちが思い思いに夜を楽しみ始めているようだった。

 シャノは草臥れた声で、腕を真上に伸ばし、ジャックを促した。


「もー立てない。今日はもう無理。ジャック、家まで頼んだ」

「アア?」


 チェロケースを背負い直したジャックが馬鹿にするように聞き返した。


「ベーコンとの取引を黙ってた分の労働」

「別にいーだろ。結果的には上手くいったんだからよ。寧ろ褒めろ」

「グリフィンのお説教、短くするように頼んであげるから」

「チッ、何分減るんだ?」

「十分とか?」

「少ねえ、四十分減らせ」


 グリフィンは冷たく仮面を向けた。


「馬鹿め。十五分だ」

「二十五分!」

「多過ぎる。二十分だ」

「よし、それで」


 交渉は成立した。ジャックはシャノとグリフィン、二人を抱えて歩き出す。


「何故私まで……私は歩ける」

「フラフラしてる奴に合わせる方が面倒だ。結局俺が一番働くんだよな。もっと労われるべきだろーよ」

「内臓が見たい、という問題発言について追求しても構わんが?」

「記憶にねーな」

「録音しているぞ」

「まじかよ、この陰険野郎」


 裏路地を抜け、通りに出るとレストランの換気口から漏れる、食事の匂いが鼻腔を擽る。


「ジャック、今日の晩御飯なに?」

「作りたくねえ、途中で酒場パブ寄ろうぜ」

「フム。この先に評判の良い店があるぞ」

「じゃ、そこだ。そこで決まりな」


 ボロボロの二人とそれを抱える一人。目立つ三人はそのまま雑踏の中に消えていった。

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