探偵たちのメリーじゃないクリスマス 1

 白い雪が排煙の下層ダスト・イーストに降り注ぐ。商店には輝くイルミネーションが彩られ、毎年のように聞き慣れた聖歌が音響装置スピーカーから流れる。

 世は十二月も半ば。街はクリスマス一色だった。


 店ではクリスマス商戦が始まり、消費者の意欲をそそる様々な商品が並べられる。きらきらとしたディスプレイに街を往く人は足取りも軽く、子供たちは訪れるサンタクロースとプレゼントに胸を躍らせる。


 ――だというのに。

 シャノン・ハイドが帰宅した時、その部屋は暗黒に満ちていた。


「な――」


 昏い赤色に明滅する電球。壁にぶら下げられた人間を模したオブジェの頭部にはカボチャが据えられている。髭の生えた白いマスク。テーブルの上には赤々と燃える十字。

 

「何で!? クリスマスシーズンなのに何でハロウィーンとガイ・フォークスのごった煮になってるんだ!?」


 がたついた扉を開けてすぐ飛び込んできた暗澹たる光景に、シャノは驚愕した。

 シャノが今朝方、家を出た時は何時も通りだった。古びた壁はひび割れ、安っぽい家具が並んでいた。

 しかし、今はどうしたことか。


 見慣れた簡素な我が家は消え失せ、真っ暗な部屋にジャック・オー・ランタンとガイ・フォークス・マスクが仲良く並んでいる。見慣れた応接テーブルの上には、不吉でありながら延焼のないよう配慮された火が燃えていた。

 先述の通り、世は十二月も半月過ぎた時分である。それがこの空間だけニヶ月前へとタイムトラベルしていた。


 そして――装飾され尽くした部屋の中、辛うじて見覚えのある外観を留めているソファの上で、赤毛の男が暗黒の微笑みを浮かべた。


「地獄へお帰り、家主どのォ~?」

「こんな家の家主だった覚えはない!」


 シャノは赤毛の男――同居人のジャックへと叫んだ。


「街は鈴の音がシャンシャン鳴っているのに、この部屋はカボチャに白マスク! ハロウィンもガイ・フォークスもとっくに過ぎてるのに、殺人鬼は時間感覚が一ヶ月ズレてるのか……!? 人の国に降りる時に時差ボケでも……!?」

「ハーン、言ってくれるじゃねえか」


 ジャックは剣呑な目をしたまま、藁人形を串刺しにしたモップを掴み、立ち上がった。かつてない威圧に、シャノは僅かに戦いた。


 ジャックはどこに出しても死刑もしくは終身刑確実な、正真正銘の大量殺人犯(本人の称するところの職業殺人鬼)ではあるが、この家に住むようになってからは常に温厚な振る舞いをしていた。居候賃代わりに家主のシャノの不得手とする家事全般を担当し、一般的な生活からはみ出さないよう努めていたと言えよう。そのジャックがこれほどの威圧を見せるのは珍しいことだった。


「何でこんなことになってるかだと? それはなあ……」


 ガサゴソと音がした。ジャックが取り出したのは、くしゃくしゃになった合成樹脂袋ポリ袋だった。半透明の白色に緑色のロゴマークの付いたそれは、テムシティでよく見かけるグロサリーストアのものだ。


「そ、それは……」


 どこにでもあるそれにシャノはたじろいだ。ジャックは罪を告げる裁判官のように厳かに言った。


「そうだ。サイドボードの引き出しに隠してあったヤツだよ。言っただろうが! 外で買い食いしたゴミは! 溜め込まずにきちんと捨てろって!」

「あっ、あーーっ!!」


 己の怠惰を見せつけられ、シャノは呻いた。ジャックの怒りも当然のことでこれらが発見されるのは数度目のことだった。一日二日であれば良いが、こういったものを数ヶ月溜め込むのがシャノの悪癖であった。

 己でも良くないと思っていること、そしてそれへの言い逃れの出来なさからシャノは口ごもりながら言い返す。


「そ、それはわたしが悪かったけど! か、勝手に部屋を掃除しないで欲しい! お前は家政夫さんか!」

「そーだよ! お前が隠したゴミを片付けてるのも、お前が放置してる床に掃除機をかけてるのも、お前が溜め込んだ服を洗ってるのも、全部俺!」

「くっ……! そうだった……! いつもありがとう……!」


 悔しがったが反論することは出来ず、シャノは仕方がなく感謝を告げた。


「で、俺は考えた。どーやったら俺のこの怒りを犯罪に抵触せずに伝えられるかとな」


 ジャックが暗黒祭典と化したアパルトメントの一室を見渡した。薄暗い赤色の照明。不気味なジャック・オー・ランタンを被った案山子。大きく口を歪めたガイ・フォークス・マスクの群れ。天井からは本物と見まごう精巧な人体のオブジェが吊るされ、ぶらぶらと揺れている。


「どーだ! 居心地が悪かろうよ!」

「正直、かなり悪い! 時期的にも混乱する!」

「ハッ、殺人鬼の怒りを味わえ!」


 おどろおどろしく、ジャックは人体を模したオブジェと、燃える十字を振った。火の粉が飛びすぎないよう気遣いつつ。


「そしてもう一つ」

「なっ…‥!?」


 ジャックがパチンと指を鳴らすと、シャノの体が後ろから抑え込まれた。脇の下からしっかりと抑えつけるその腕はもう一人の同居人、仮面の男グリフィンのものである。


「ぐっ、グリフィン!?」

「すまん……私も本意では無いのだが、こればかりは奴の意見を否定出来なかった……」


 黒孔が並んだ仮面の向こうから苦渋の声がした。


「ハ、覚悟しろシャノ。よーく見ておくんだな……!」


 残忍な顔でジャックはシャノの部屋に押し入り、手近な引き出しを開けた。

 ――がさり。がさがさ。

 その中からまたもや、雑に放り込まれた屑ゴミが現れた。

 がさがさ、くしゃり。ごそごそ、ずるり。

 幾つものゴミが何箇所からも次々と発見され、引きずり出されてゆく。

 ――あまりに恥ずかしい光景だった。


「やめっ、やめて! せめて自分で出すから! 待って! あーっそこはダメーッ!」


 放置していたゴミが人の手によって目前で暴かれていくという恥辱に、シャノは思わず顔を覆おうとした。しかしグリフィンによってガッチリと拘束された腕ではそれも叶わなかった。

 ジャックは背後から聞こえる悲鳴にも構わず、無慈悲に怠惰の罪を暴き立ててゆく。目を背けたくなる現実を、まざまざと見せつけられるしかなかった。


「この家政夫ーッ! 鬼ーッ! 悪魔ーッ! 殺人鬼ーッ! 性犯罪者ーッ!」

「鬼でも悪魔でも性犯罪者でもねーからな!」

「気をつけるから! 次はもう少し早く捨てるから! うわーーーーっ!」

「すまない……すまないシャノン……」


 煌めく聖夜も間近な十二月。古びたアパルトメントからは虚しい悲鳴が響くのだった。


 ◆ ◆ ◆


 平凡なアパルトメントが暗黒祭壇と化してから数時間後。

 グリフィンは奇々怪々なオブジェで彩られた部屋から抜け出し、街を歩いていた。


「ううむ……しかしシャノンにも困ったものだな」


 白紺のコートを冷たい風に揺らしながら、グリフィンは独りごちた。確かに、シャノの家事に対する怠惰癖というか、ギリギリまで引き延ばそうとする気質は褒められたものではない。

 しかし生ゴミなどの致命的なものはきちんと処理している様子だし、グリフィンとしては放っておいても良い程度ではないかと考えていた。ジャックに伝えると、「甘やかすな」と冷ややかに言われてしまったのだが。

 この件に関しては間違いなくジャックに理があり、彼に辛辣な態度をとりがちなグリフィンも頷ずかざるを得なかった。


 ジャックとて、厳しいことを要求しているわけではない。適当な場所にゴミを仕舞い込むな。一箇所に纏めろ。その程度である。

 結果――グリフィンは今、ゴミ箱を買いに遣わされていた。


 よく調べてみた所、シャノの部屋にはゴミ箱がなかった。いや、精確には、あった。サイドボードの側に置かれた小さなゴミ箱は雑然と物を突っ込まれたがらくた箱と化しており、ゴミ箱の役割を果たしていなかった。


 故に、必要なのは新しいゴミ箱だとジャックとグリフィンは結論づけた。蓋があり(物を積ませないため)、容量があり(ある程度溜め込んでも溢れないため)、使い勝手の良い(利便性が低いと使用されない可能性が高いため)そんなゴミ箱を置くべきだった。


 向かう先はフラットダウン地区の商店街。学生の多いフラットダウンでは、安価で機能的な商品を探しやすい。若い男女が行き交う中、グリフィンは綺麗な煉瓦道を進む。

 店のショウウィンドウを覗き込んでいたグリフィンに、一人の男が声をかけた。


「もしもし! そこの兄さん!」

「む……?」


 グリフィンは顔を上げ、振り返った。そこに居たのは痩せ気味の若い男だった。支給された風な特徴のないTシャツを着る男は、グリフィンが気付くと嬉しそうにした。


「ああ良かった、その声は男だな。顔が見えないから女性かも知れないと思ってさ。いや、性別は問題じゃないんだが」

「知り合いではないと思うが、私に何の用だ」


 男の顔に見覚えはなかった。男は慌てて説明した。


「いやね、実は……臨時雇いを探してるんだよ。雇ってた子が風邪で突然来れなくなってね」

「臨時雇い……?」

「そう、今日一日、サンタクロースをして欲しいんだ!」

「サンタ……クロース……?」


 サンタクロース。いわゆる、クリスマスの主役、シンボルと言える存在だ。クリスマスの前夜に家を訪れ、子供たちに贈り物を届けるという。この時期、街のあちこちで赤い服を纏い、白い髭を蓄えたその姿を見る。


「ああ、サンタだ。うちは菓子を販売する会社でね。サンタクロースの衣装を着て、子供たちにチョコレートの試供品を配って欲しいんだよ」

「チョコレートの……」


 見れば、男のTシャツにはチョコレート会社のポップなロゴがプリントされていた。


「……見ての通り、私はこのような姿だ。仮面を取ることは出来ない。他の者を探したほうが良いと思うが」

「いや、そのままで構わない! 寧ろ良い! それすっごくカッコイイからね、子供は喜ぶよ!」

「……そうだろうか」


 ……そうだろうか? グリフィンは懐疑的だったが、男は自信満々に頷いた。


「自慢じゃないけどね、ウチは大きな会社だから日給も弾むよ。どうだい?」


 菓子会社の男は日雇い募集のチラシを見せた。記載された日給は、日雇いの料金としてはかなりのものであった。時給だけならば、平均的な会社員をも上回る。

 グリフィンは悩んだ。貯蓄に不安はないとはいえ、現在は細々と機械や薬品を売って小遣いを稼ぐ身。家主であるシャノの稼ぎは不安定だ。たった一日とはいえ、収入が増えるのは良いことだった。

 幸い、ゴミ箱を買うのは急ぎの用ではない。仕事を終えたあとのんびりと買いに行っても問題はない。


「……本当に、私で構わないのだな?」

「ああ勿論! キミはしっかりしてるし、仕事も信用できるよ」


 菓子会社の男は頷いた。グリフィンは決めた。


「良かろう。その仕事、私が請け負おう」


 ――それが、この後大きなトラブルに繋がるとは、この時のグリフィンは思いもしなかった。

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