6/ "探偵"への依頼 4

 ――セントラルエリア。かつて、この都市にまだ上層ガーデンがなかった頃、そこは華やかな地域だった。中心部の宮殿を囲むように高級商店や文化施設が立ち並び、多くの人々で賑わっていた。けれど、今ではその殆どは上層へと移設された。歴史の重みを示す宮殿も、毎日最新商品を並べる高級商店も、華やかなもの全ては上層へと移った。


 けれど、今でもあの頃の名残はある。例えば、以前は高級百貨店だった二万平方メートルもの建物は、百貨店が上層へと移動した後も、複数の中規模店が共同経営をしている。宮殿の跡地は広大な市立公園になった。かつて程ではないが、そこには今も多くの人が訪れる。輝かしいものが失われたとしても、残るものも、新しく生まれるものもある。


 グリフィンはセントラルエリアの街路樹が並ぶ歩道を歩いていた。下層の道路はどこも薄汚れているが、セントラルエリアだけは別だ。定期的に清掃機械が道を巡回し、破損はないか精査し、美観と清潔を守っている。ここが中心たる地区であることもそうだが、もうひとつの理由は、階層連絡駅シティポートが存在するからだ。

 階層連絡駅シティポートはその名の通り、テムシティで唯一、上層と下層を繋ぐ索道機関ロープウェイを備えている。元々は他都市との線路を結ぶ普通の主要駅だったのだが、上層都市が完成すると共に、二つの階層を繋ぐ駅が新たに併設された。

 今ではセントラルエリアは他都市だけではなく、上層への玄関口ともなっているのだった。


 珍しくグリフィンが拠点のあるイーストエリアを離れ、ここを訪れたのは、一つは秘術<フィア>の標を設置するため。もう一つはある調べ物のためだった。電子回線ウェブネットと裏の道以外で情報を集めるには、イーストエリアは向かない。

 テムシティの図書館の殆どはこのエリアに集約されており、書物による調べ物をするならばここに足を運ぶしかない。


 テムシティで二番目に大きい図書館は、当然ながら利用者が多い。美しいアーチに支えられた巨大な丸屋根の下には三階層に分けられ、ぐるりと円周を描く本棚がある。娯楽。歴史。自然。科学。社会。様々なジャンルが定められた分類別に並べられているが、そのどれもグリフィンの目当てではない。

 グリフィンは配置図を確認すると、第一書架を抜けて通路の奥にある一つの部屋に入った。そこは書物ではなく、このテムシティにおける過去の新聞を集めた書架だった。


「……手間が省けるな」


 書架にある演算機コンピューターを見て、グリフィンは呟いた。幸いなことに、過去の記事はデータベース化されていた。僅かな情報から目当ての記事を探る……もしくは人の多い公共施設で文字調べの秘術<フィア>を使うことにはならずに済みそうだった。


 ……ブロディが帰った後、その話はグリフィンの中でどうにも溶けないわだかまりとなっていた。シャノのこと、病のこと、彼の父の死のこと。そして、肝心なことを隠すようなブロディの言葉。恐らく、それはただの病死ではなかったのだと予感させた。それを調べるために、グリフィンはここに来た。


 グリフィンは赤茶色の手袋のまま、手早く金属の文字板タイプボードを打鍵する。表示される情報から記事を絞り、目的のものを探す。何度か検索単語キーワードを変えて調べ直し、やがて――見つけた。

 それは五年前の記事だった。大きな見出しの一面記事。


『悲劇・住宅街で起きた大量病死! 六月二十八日、シックスローズ地区・峰家通りで病原菌の流出が発生した。流出元は無許可で薬品を製造、販売する違法集団。彼らは民家に機材を持ち込み、違法に薬品を製造していた。流出した病原菌は致死性が高く、現在二十三人が死亡。被害者はジェイ・アーチー(12)、サリー・アーチー(33)、グロウ・フォレスト(30)、サム・ハイド・・・(41)――』


「…………」


 グリフィンは演算機コンピューターの画面に表示された文字をじっと見つめた。被害者リストに書き出されたハイドの字。シャノン・ハイドと同じ。画面の光がグリフィンの銅色の仮面をチラチラと照らす。


「――なーにやってんだ?」


 突然、何者かの手が肩に触れ、グリフィンは驚いて振り返った。そこに居たのは、にやついた笑みを見せる長身、赤毛の男。協力者にして同居人、そして殺人鬼であるジャック。


「なっ……貴様……」

「どうしてここにいるかって? お前、解りやすいんだよ。今度から悪いことする時はもう少し後ろに気を使うんだな」


 そこに居たのは、にやついた笑みを見せる長身、赤毛の男。協力者にして同居人、そして殺人鬼であるジャック。ジャックはからかうように笑うと、光る画面ディスプレイをちらりと見た。


「で、何調べてるんだよ?」

「いや……昔の事件を、少しな」


 疚しいことを暴かれたかのように、グリフィンは気まずく答えた。


「あんまり人のこと探るもんじゃねーぞー?」

「……そうだな。すまん」


 グリフィンは自省した。――確かに、そうだ。無性に不安を掻き立てられここまで来てしまったが、ジャックの言うとおりするべきではないことだった。

 文字板タイプボードが操作されると、表示されていた検索結果は全て閉じた。


「もうここに用はない、出るとしよう」

「んー、そうだな」


 グリフィンは椅子を引いて立ち上がった。書架の扉へと向かう途中、グリフィンは立ち止まった。


「……ジャック」

「あん?」

 自分の方へ背を向けたままのグリフィンに、ジャックは首を傾げる。


「……酒場では助かった……その、……ありがとう」


 ぼそぼそとした言葉に、ジャックは一瞬、呆気にとられてから、我慢できずに笑いだした。


「ハハハ! 大したことじゃねえが、褒められるのは気分が良いな! しかもお前に!」

「む……私とて感謝くらいはする」


 これ以上なく愉快そうに笑うジャックに、グリフィンの銅色の仮面の奥から拗ねた声が響いた。


「ハ、昨日の晩は言えなかった癖に」

「貴様、気付いていたのか……」

「いや? 今気付いた」


 それは事実だ。昨晩のグリフィンの言動に引っ掛かる所ははあったものの、ジャックにその理由は解っていなかった。また嫌味でも言うつもりだったのかと思っていたほどで、たった今、その引っ掛かりが繋がったのだった。


「ハハハ、それにしても意外な台詞が聞けた、こりゃ忘れられねえな」

「いい加減に笑うのは止せ、不愉快だ」


 どうにも口の端が上がってしまうジャックに、不貞腐れたようにグリフィンは書架の外へと歩きだした。


「おいおい、置いていくなよ」


 その後をジャックが追い、横に並ぶ。歩きながらジャックは思い出したように自分の首に据えられた黒いチョーカーに触れた。


「感謝ついでにそろそろコレ、外さねえ?」

「外さん」

「ちぇ。陰険。根暗」


 じろりと睨むように、無表情な仮面がジャックの方へと向けられた。


「私の性質が如何に暗かろうが、世間に害しか齎さぬ、救いがたいクズの犯罪者よりマシだ」

「お前、あんまり生意気言ってると、仕返すぞ。俺の罪を全部被せて偽の証拠ごと警察に突き出すとかな」

「日々の中、貴様が赤裸々に犯罪歴を述べ立てた録音データを私が警察に送りつけるほうが早い」

「チッ……いつの間にそんなモンを……やりやがる」


 これ以上遣り返せないと悟り、ジャックは大人しく引き下がった。こういった謀略はグリフィンのほうが上手だった。


「朝から出掛けていたが、貴様は何をしていたんだ」

「ん、日雇いの小金稼ぎバイト。もう済んだよ」

「殺しではないだろうな」


 低い声で尋ねるグリフィンに、ジャックは両手を軽く上げて、後ろ暗いことはないと示した。


「しねえってば。そういう約束だろ」

「私がシャノンほど貴様を信用していないのは理解していると思っていたが?」

「ちぇー、まだ駄目か。解りましたよ、信頼されるようにちまちま努力しますー」

「しなくて良い。永劫、信用などせん。ただ大人しくしていろ」

「はいはい」


 些細な牽制をしあいながら、二人は図書館を後にした。


 ◆ ◆ ◆


 一通りの調査を終え、シャノは手帳を確認しながら路地を歩いていた。あの後、ロイスの以前の職場や、親密な知人の元も訪れ、彼が現れそうな場所を聞くことが出来た。明日はそちらの調査になる。今日のところはあと一件、シュガーポット地区にある違法武器屋を訪ねるだけだった。

 一日歩き通し、空は暗くなりはじめていた。表の通りをヘッドランプを点けた車が走り去る。


「出来れば夕飯までには帰りたい所だけど……」


 呟いてから、シャノは自分の思考に小さく苦笑した。


「締切と依頼予約以外の時間を気にするの、久々だな」


 帰宅が遅くなった所で、簡易食フリーズドライを湯で戻すには五分あれば十分だったからだ。ここ数日は毎晩きちんとした食事を摂っている。作っているのは元殺人鬼という大凡おおよそきちんとしていない人間だが。


「そういうのも悪くない、か」


 夕飯の献立を思い、シャノは一人微笑んだ。今日の調査を片付けてしまおうと、探偵は少し歩を早めた。しかし、変わり映えのしない煉瓦壁の角を曲がった時、シャノの歩みはぴたりと止まった。

 

 ――黒い衣服が、薄汚い路地裏で風に揺れていた。

 ――黒く長い髪。流行とは程遠い、厚手のロングスカート。


 それは女だ。あの路地で僅かに彼らを見てから消えた女。

 女はシャノに気付いていなかった。銀色の指輪を嵌めた手に持つ、呪術模様を刻んだ護符タリスマンをじっと見ていた。


「貴方、事件の時に路地に居た……」

「……!」


 シャノが声を掛けると、黒い服の女は驚いたように手元にある謎めいた護符タリスマンから顔上げ、後ずさった。


「待ってくれ、話を聞きたいんだ」

「……ごめんなさい、仕事・・があるから」


 女は静かに呟くと、手元から白い花びらの塊を舞い散らせた。


「なっ……!?」


 花弁に乗って合成された強い香りが路地裏に充満する。その濃い芳香を吸った瞬間、ぐらりと目眩がし、シャノは額を抑えた。


「あっ……! くそ!」


 鼻をコートの布で抑え、香りに因る目眩が治まった時、黒い服の女の姿は既に遠かった。慌ててシャノも逃げる女の後を追いかけるべく走り出した。


 ◆ ◆ ◆


 シュガーポット地区には多くの違法店舗が存在する。取り扱うのは薬物であったり、武器であったり、輸入禁止品であったりと様々だが、いずれであれ法に触れており公的機関に発覚すれば摘発は免れない。

 しかしその中でも『お目こぼし』を受ける店もある。比較的穏当な商品を扱っており、販売する相手を選ぶ思慮があり、警察に協力的な店。つまりは、残しておいた方が役に立つ者だ。


 フロッグズ・ネストもそういった違法店の一つだった。主だった販売品は機械部品だ。機械が壊れた時、純正メーカー部品は高くつくが、代替となる似通った部品を使うことで安く修理を済ませることが出来る。勿論、安価な分、純正品と比べて質は落ちる上に壊れやすい。一長一短だ。

 そしてもう一つの販売品は違法銃だった。法律の規制を越えた弾数を装填し、より殺傷力の高い銃。勿論、素性の分からぬ与太者には販売しない。フロッグズ・ネストが銃を売るのは名のある裏組織か、信用のある個人だけだ。



「アンタのトコの銃は特別・・なんだろ、そこらの違法銃じゃねえ、凄いんだって聞いてる。それが必要なんだよ」

「……お前、悪さするんじゃねえだろうな」

「大丈夫、大丈夫だ。……悲しいけどさ、アンタだって、俺にそんな度胸あるようには見えないだろ? ただの使い走りなんだよ、今のボスにこき使われてるんだ。解るだろ? 仕方ねえんだ、借金があるんだよ」

「……取り敢えず、紹介状と個人カードを出せ。複写コピーする。何かあった時うちにも言い訳が必要だ」

「ああ、良いよ。ほら、ちゃんと持ってる」


 ロイスは鞄を漁ると、組織の依頼であることを示す紙と、自らの個人カードを差し出した。エイデンは口元を剣呑に閉じたまま、それらを受け取ると機械で複写コピーした。


「……他のヤツの使い走りだとしても、お前にこんなモン売りたくねェんだがな」


 エイデンは不機嫌そうに、隠された床の扉から違法銃を取り出した。中身を確かめながら、エイデンはロイスの手を見る。よく使い込まれ、労働の痕跡を感じる、節くれだった職人の手。銃を扱う手などではない。

 現金と引き換えに検め終わった銃を渡すと、金髪の若者はその素朴な顔を輝かせた。


「ありがとう! 感謝するよ!!」


 ロイスは銃の収まった木箱を抱えると、足早に店を出ていった。


「あいつ……本当に大丈夫かね」


 エイデンは複写コピーした紹介状を見た。上部にはブラックドッグの刻印があった。本物かは解らないが、示された以上は従うしかない。ブラックドッグは闇組織の中でも冷酷だが、それは合理性と表裏一体だ。もしも偽の紹介状だとしても、事情を説明すれば許されるだろう。……その結果、ロイスがどうなるかは、エイデンにとっては考えたくはないことだったが。


 残された複写コピーからエイデンが目を逸らせないでいると、再度、店の木扉が開く音がした。エイデンが顔をあげると、そこには見知った姿があった。

 白と紺の長衣に、深遠なる六つの黒穴を穿つ、銅色の仮面。


「おお、グリフィン」

「エイデン、素材の発注を頼みたくてな」


 買い出しをするというジャックと別れた後、グリフィンは旧知の店に向かった。<秘術フィア>に必要なものを買い足すためだ。


「はは、こう連日キミの顔を見るとは、相当忙しいらしいな」

「そうだな。状況が変わった今、何かと下準備が必要だ」


 グリフィンはカウンターに近付き、それから広げられた侭の書類の複写コピーに気が付いた。そのうちの一枚、個人カードの写しに、どこか見覚えのある顔写真が粗く印刷されていた。


「こいつは……?」

「ん? さっき来た使い走りだよ。ホントはこんなとこ来るような奴じゃねえんだけどな……」

「……少し見せてくれ」


 ――最近、どこかで見たような。

 そんな引っ掛かりを覚え、グリフィンは不鮮明な印刷をじっと見る。ギザギザした黒色のインクで、明るい髪色の凡庸な顔の男が写っている。


「知り合いか? ロイスって言うんだけどな」

「……!」


 耳に覚えのある名を聞き、グリフィンは思い出した。昨日、狂った男に襲われていた若者。個人カードの写しはその若者と同じ顔をしていた。今日シャノが追っている、ロイス・キールという男。


「どちらに行った!? 今探している奴なんだ!」

「あ? ああ、多分右に行った気がする……」

「ありがたい!」

「お、おい……!」


 驚くエイデンを後に、グリフィンは店の外に飛び出した。しかしまたその時、別の人影が扉を開けたグリフィンの前へと飛び出してきた。


「どいて」


 黒い服の女は冷たい目でグリフィンを見た。


「ん、すまん……!?」


 重そうな服装に見合わない身軽さで女が角を曲がった後に、また足音がした。グリフィンが見やると、今度はよく知った姿の人間だった。


「グリフィン!」

「シャノン? 何故ここに」


 予想だにせず現れた同居人の姿を見て、グリフィンは更に戸惑いを深めた。だがグリフィンのそんな困惑には構わず、シャノは叫んだ。


「そのひと追ってくれ! 路地に居た黒い服の女性だ!」

「何……!?」


 ロイス・キールに謎の黒衣の女。昨日の現場にいた人間が突然二人も現れた。しかしどういった状況なのか考えている暇はなかった。グリフィンはシャノと共に女の後を追うべく走り出した。


「くそっ、あんな服着てるのに足が速い……! グリフィンは何でここに?」


 一瞬、グリフィンは言い淀んだ。図書館で過去の記事を調べたことが頭に過ぎった。


「……術の素材を買いにな。知り合いの店が近くにあるんだ」

「グリフィンもここらへんに知り合いが居たんだ」

「その事だが、店にロイス・キールが訪れたそうだ。つい先程な」

「……! 事件の関係者が近くに二人? 偶然かな」

「何かあるかも知れん。今は女を追おう」


 角を曲がると、道の先に翻る黒いロングスカートがシャノたちから見えた。

 黒衣の女は追っ手をちらりと振り返った。女は懐から小さな紙を取り出す。そこには黒いインクで不可思議な紋様が描かれている。女が走りざまに路地に積まれた木箱に手を触れる。


「<川よ、そなたの流れを阻むものはない>」


 ――力が、動いた。

 黒衣の女が言葉を紡ぐと、貼り付けられた紙を中心に目に見えるエネルギーが働き、まるで川の水が流れるように・・・・・・・・・・滑らかに、幾つもの木箱が道に倒れ込んだ。


「何……!?」


 軋む音を立て崩れ落ちる木箱の前で、二人の足が止まる。何かが起こったのだ、通常の物理法則から外れた、力の干渉が。


「今のは……? <秘術フィア>……?」

「いや、<秘術フィア>ではない。だが何かしらのわざだ」

「秘術の他にも、そんなものが……?」

「ある。この世には数多の隠された力が存在する。恐らく、私が知るよりも多くな」


 シャノは道を塞いで積み重なった木箱の角を上手く掴み、その山を乗り越えると、まだ下に居るグリフィンを見下ろした。


「グリフィン、先に行く!」

「すまん、すぐに追う」


 その場にグリフィンを残し、シャノは木箱の向こうへと飛び降りた。

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