7/ "探偵"への依頼 5

 背後を追う足音が消えたことを感じ、黒衣の女は首に下げた銀の護符タリスマンを手に取った。重なった蓋を開けると、中には方位磁針のような針が目的の相手を指し示すべく、右へ左へと回っていた。

 女は針に従い、道を進む。街は随分と暗くなり、霧がかった空にも影が落ちている。やがて女は小さな広場の先に、その男を見つけた。


「……居たわね、ロイス・キール」


 掌に乗った銀の針が、正面を真っ直ぐに指し示し、止まった。乱れた金髪の若い男は、驚き、大きな荷物を抱えた侭立ち上がった。


「あ、アンタ……!」

「……本当は、私の役割は貴方を探し当てるだけ。そこからは別の人を呼ぶ筈だったのだけど……仕方ないわね、私も追手を引っ掛けてしまったみたいだから」

「アンタ、また……! アンタだ! アンタたちが家に来てからラカムはおかしくなったんだ!」


 怯え、喚くロイスを憐れむように黒衣の女は目を伏せた。


「……それは違うわ。私は彼に何もしていない。私が貴方たちの家を訪れなくても、彼の辿る運命は同じだった。彼がどうして死んだのか、私には知らされていないけれど。……とにかく、来て頂戴。貴方と貴方たちが持ち去った物を探している人が居るわ。心当たりはあるでしょう」

「い、嫌だ……! 俺は死にたくない……! 俺にはリカが……!」

「……乱暴にはしたくないのよ。でも貴方が協力的でないなら、私も……」


 黒衣の女は小さなボトルを取り出した。ボトルの中の液体は粘質に揺らめき、仄かな青色をしている。まるで幽霊を閉じ込めたようだ、とロイスは思った。

 女は美しい形の口を開き、言葉を紡ぐ。力ある言葉を。知られざる力を。


 尋常ならざる力により、女の長い黒髪が浮き上がった。


 ――ああ。美しい。


 自分とは程遠い偉大なる力を前に、自分の終わりを目前にして、ロイスは馬鹿げたことを思った。

 夜を照らす街灯の明かりが、女の髪に透けている。その何と、幻想的なことか。


 ――美しいものが好きだった。美しいものを作りたかった。その自分が、この女の手で終わりを告げられるならば。


 黒衣の女がボトルの蓋に触れ、その中身を零そうとした時――突如、美しい幻想は失われた。


 ――カン!

 軽い音と共に、女の指先に支えられていた、青色の液体を湛えるボトルが弾き飛ばされ、宙を舞った。


 黒衣の女は驚きに目を見張った。

 ロイスは見た。黒い布が天から舞い降りるのを。

 それは目前に立つ幻想的な女のものではない。もう一人の――黒衣の女。


 謎めいた銀色の仮面をつけた小柄な女のジャケットが翻った。仮面の女は軽やかに地面に着地すると、振り向きもせずにロイスに命令した。


「行け。早く品を取って来い」

 黒衣の女に見惚れ、放心していたロイスは目が覚めたように、重い木箱を抱えて立ち上がった。

「あ、ありがとう……! 必ずアレを届ける……!」

「……!」


 逃げるロイスの背に黒衣の女は文様の描かれた紙を投げつけようとした。だが、それは仮面の女に阻まれた。

 自分が不利な状況に置かれたことを悟り、黒衣の女は後ずさった。


「……貴方は、何」

「知る必要はない。死ね、汚れた女」


 相手の問いには答えず、仮面の女の拳が黒衣の女へと向かった。纏った金属の手甲グローブが淡い黄色に発光する。

 しかし、仮面の女の輝く拳は相手の頭部を捉えなかった。仮面の女の拳は空気だけを切り裂いた。


 地を転がる音とともに、黒衣の女は一人の人間に抱きかかえられていた。灰色の目をした若者に。


「――お嬢さん、悪い、乱暴にして!」


 男か女か、曖昧な印象を受ける顔が黒衣の女を守るように抱きとめている。

 彼は――シャノン・ハイドは地面に膝をついて体勢を立て直すと、仮面の女を睨む。その瞬間、銀色の拳が弾丸のようにシャノの目の前に届く。だが灰色の目はそれを捉えている。シャノは女の腕を絡め取った。そして相手の勢いを殺さないまま、その体をぐるりと回転させ、宙へと放り投げた。


「くっ――――」


 仮面の女は放り投げられながらも、空中で体を捻り、石畳の地面へと着地した。勢いで砂埃が舞い上がる。


「ただの生白い男かと思ったが……御前、何だ。御前に――用はない!」


 仮面の女は地を蹴り、また拳を振り上げ、飛び出した。


「チ――ッ……!」


 女の拳を受けた腕がミシリと重い。


「御前の方こそ何者だ。何故あの女性を狙う」

「フ、知らんようだから教えてやろう。この都市での余計な詮索は――死に至る他ないぞ!」

「――ッ!!」


 銀の拳を蹴り上げ、シャノは荒い息をついて後ろに下がった。シャノにとって状況は芳しくない。仮面の女の金属製の手甲グローブは頑丈で威力が高い。いつまでもやりあえるものではない。


「――っ、ハア、ハア……! くそ、しんどいな……!」


 シャノの頬から汗が伝い、乾いた地面へと落ちた。その背後で、黒髪の女が信じられない顔でシャノを見上げる。


「貴方……何故私を庇うの……私の方が悪者かも知れないのに」

「悪いけど、今、そこまで、考えてる余裕はない!」


 仮面の女の銀色の拳を、シャノはすんでで躱した。何度目かの打ち合いの後、仮面の女は考え直したようにス、とその動きを止めた。銀色の仮面の中央にある黒穴がジロリとシャノを睨む。


「たかが通りすがりかと思ったが……思ったよりやるな。警官か、軍人か? それとも流行りの武闘家とやらか。だが――貴様、面倒だ」

 

 仮面の女がその掌を握ると共に、銀色の手甲グローブの周囲に輝きが満ちた。

 ――淡い黄色の燐光。美しく纏い付くその輝きは、まるで――<秘術フィア>のように。


「逆らわぬなら見逃してやろうと思ったが……御前もその女と共に死ね!」


 煌々と輝く銀の拳が、二人の人間を殺さんと唸り、振り上げられる!


「――瞬け其の輝きよ<サクリ・セ・コウ>


 ――その時だった。死を齎さんとする仮面の女の体に、緑色・・の光が炸裂した。


「何っ……!?」


 爆ぜる緑光を受け、女の体が後ろに吹き飛んだ。

 シャノは顔を上げ、見た。緑の光の元、失われしわざを扱う――銅色の仮面の男を。


「シャノン。卓越した行動力は君の美点だが、無謀は程々に頼む。フォローする側も大変だ」


 白と紺の長衣コート秘術<フィア>の風に煽られ揺れる。 


「グリフィン!」

「すまん、追いつくのに手間取った」


 グリフィンは光を払うように、先端に緑のフィア光を灯す金属の長杖を振るった。

 銀色の仮面の女は爆風を受けた胸元を押さえ、現れた男を見た。


「貴様は……」

「……御前は」


 仮面の女とグリフィンは互いの姿を見ると、一瞬、言葉を止めた。先に口を開いたのは女の方だった。


「フ、フフフ! フフフ!! <グリフィン>か!」


 銀の仮面の女は笑い、確かに呼んだ。その名を。グリフィンの名を。


「……良いだろう、女はやめだ。最優先で、殺させて貰おう!!」

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