2/ 狂った狼が吠える街 2

 ――秘術は万能ではない。

 ――秘術は無限ではない。


 秘術<フィア>は、失われし力だ。

 特殊な媒介素を反応させることで、大いなるわざを行使する。

 かつて大気にフィアが満ちていた頃、秘術は稀なるものではなかった。生活手段の一つであり、ありふれた技術と見做されていた。しかし、時が経つにつれ大気に存在するフィアは薄まり、やがて秘術は人々の営みから姿を消した。今ではその存在を知る者も少ない。


 フィアの薄い今日びにおいて、秘術の行使は難しくある。故に、十全にわざを使うにはそれを補う物が必要だ。

 グリフィンにとってはそれが己の機械技術であり、そして媒介素を多分に含んだフィア塊だった。


 カツン。カツン。カツン。暗い洞窟に二人分の足音が響く。秘術<フィア>によって齎される緑色の光が足元をぼんやりと照らしている。

 ここはテムシティの地下深く、今や人の立ち入らぬ捨て去られた場所。


「先日掘ったばかりだろォに、もうないとは、余程大仕事だったようだ」


 鳥のようなマスクをつけた男が言った。男の左腕は大きく鋭い。それは銅色に輝く金属の義手だった。


「ああ、予想以上に手強い遺変<オルト>でな」

 白と紺のコートを秘術<フィア>の緑光で照らしながら、グリフィンは答えた。


「今回ので三体目か。随分な騒ぎだったようだな」

「ああ。敵も元型の質を選ぶようになってきている。今後も手に負えない存在力の遺変<オルト>が増えるだろう」

「それで、今回は大量のフィア塊を必要としていると」


 鳥マスクの男は、洞窟の壁に光る緑の石を見た。

 ブロディが部屋を訪れた翌日。グリフィンはフィア塊補給のため、この洞窟を訪れていた。

 秘術<フィア>を行使するにあたって、フィア塊は重要だ。小規模なもの、大規模なものを問わず、フィアがなければわざは発動しない。だが、大気にフィアの薄い現代では常に十分な量の媒介素を得るのは難しい。故に、フィアが込められた鉱石を様々に加工し持ち歩くことでグリフィンは術を行使する。今手に持つ緑光のランプにも、フィアの欠片が使われている。燃料を使ったランプよりも長く保つものだ。


 この地下洞窟がどういった経緯で作られたかは定かではない。かつてもフィア塊の発掘に使われていたのか。それとも石炭などの他の鉱物だったのか、全く別の目的があったのか、今では何一つ情報は残されていない。グリフィンが探査のわざを使い、フィア塊が眠るこの洞窟の入口を見つけた時、この場所を知る者は居なかった。


「強敵か。No.2の時も随分手こずったよォだが、キミ一人で対処しきれるのかい」

「……いや、一人ではなくなった」

「ほう!」


 鳥マスクの男は興味深げに声を上げた。


「それはそれは、頑固なキミのハートを射止めたのはどんな奴だ?」

「……からかうな」

「良いから良いからァ、どういう奴なんだよ」


 鳥マスクの男はグリフィンを肘で小突いた。グリフィンは溜息を吐くと、渋々口を開いた。


「探偵と殺人鬼だ」

「へえ! 何だそらァ、どっちもキミが嫌いそうなタイプじゃねえか!」

「……確かに、そうだが」

「だろ? 探偵は人を嗅ぎ回るあこぎな商売だし、殺人鬼なんてもっての外! 何でそんな人選を?」

「目的が一致したというだけだ。……まあ、一人は信頼出来る。一人は全く信用ならんので今は起爆の術を仕込んだ首輪をつけている」

「あっはっは、キミらしいな。おっと、ここらへんで良いか」


 二人は足を止めた。そこにはランプの光を受け、暗がりできらきらと輝く緑の鉱石があった。神秘の力を秘めし塊。秘術<フィア>の源。


「よし、掘ってくぞー。袋、用意しろォ」

明量出力上昇<タ・ショウ・セ・コウ>


 グリフィンが秘された言葉を紡ぐと、手に持った緑光のランプがより明るさを増し、岩場を照らした。

 鳥マスクの男は機械の左腕を振り上げた。ギシギシと関節が軋み、排気口から熱い蒸気が吹き出る。


 ガリガリガリ! 金属の指が岩を砕き、鉱石を抉り出してゆく。鳥マスクが掘り出すフィア塊を、グリフィンが拾い上げ革袋に詰める。暫くすると、グリフィンの用意した二つの袋は一杯になった。


「十分だ。今回はこれで良いだろう」

「フゥ、そうか? じゃあ戻ろうか」


 振り上げた金属の腕を下ろすと、鳥マスクの男は汗を拭った。


「まさかオレのこの腕がキミの役に立つとはね。下層こっちじゃ繊細な動きの出来る義手は高すぎて手に入らねえが……、こういう使い道なら抜群だ」


 カツン。カツン。カツン。帰路の足音が洞窟に響く。義手の重量の分、鳥マスクの足音はやや重い。


「……君が望むなら、私がもっと質の良い義手を用意するが」

「バカだな。それじゃキミの役に立たないだろォ、グリフィン」


 やがて二人の視界に光が差し込んだ。秘術<フィア>の緑光ではない、外の明るさが。

 洞窟内とは違う、乾いた外の空気が二人に触れた。男は防塵用のマスクを外した。くたびれた髪を伸ばす、痩せた男の顔がその下から現れた。


「ありがとよ、オレみたいな落ちこぼれを頼ってくれて嬉しかったよ」

「……エイデン」


 グリフィンは古き知人の名を呟いた。


「頑張って、オバケから皆を救ってくれよ、救世主さま?」

「……救いなどではない。ただの贖罪だ」


 グリフィンは静かに空に座する上層都市を見上げた。暗闇から出たばかりの目には、それは眩しく見えた。


 ◆ ◆ ◆


 空はいつも通り、曇った顔で憂鬱げに都市を見下ろしていた。

 清浄装置により、煙突から上がる排煙も空を汚すことはない。その技術が導入されたのは上層の空を守るためではあったが、下層もその恩恵に預かっているのは確かだ。


 お陰で下層民は酸性雨に悩まされることもなく、肺病を恐れることもなく生活している。若者が衛生マスクもなしに小型通話器セルフォンをかけながら、颯爽と自転車で通りを走り去ることも出来る。


 通り過ぎる車輪の音を聞きながら、シャノはベンチに腰掛けていた。普段ならばこの辺りは閑静なのだが、今は地下鉄アンダーレイルの拡張工事の音が僅かに聞こえてきていた。


 イーストエリアの中でも、ここシックスローズは治安の良い地区だった。住民の数も増えつつあり、古びた施設の改修なども進んでいる。雑多ではあるものの穏やかな空気は、望ましいものだった。


 ――特に、人を悼むための場所としては。


 テムシティ下層に幾つかある公共墓地、その一つ。それがここ、シックスローズ墓地だった。

 平らに整地された土地に、白い墓碑が規則的に並べられている。幾つもの弔い。幾つもの死。平日ゆえか訪れる者は少ない。風で木の枝が揺れ、墓碑に落ちる影がチラチラと揺れた。ぼんやりとシャノはその風景を眺めていた。


 弔いは済ませていた。エディスン家の墓。葬儀には足を運んだが、一人で訪れたくて数日も経たぬ内に来てしまっていた。そしてまだ、ベンチでぐずぐずとしている。


 失われたものを惜しんでいるのか、凄惨な死を悼んでいるのか、救えなかったことを悔やんでいるのか。シャノには今ひとつ己の心が解らない。


「おう、辛気くせえな」


 後頭部を小突かれシャノは振り返った。そこには赤毛を長く伸ばした男が居た。


「ジャック……!?」


 不意に現れたその男に、シャノは驚く。


「何だ? 墓の鑑賞シュミか?」

「いや、違うけど……いやそうかも……?」

「フーン」


 連続殺人鬼は気のない返事をした。


「ジャックは何でここに? 言ってなかったと思うけど」

「グリフィンが、居るならここだろうってよ。取材終わってんだろーに中々帰って来ねえからよ。買い出しに行くってハナシだったろうが」

「え、もうそんな時間!?」


 慌てて腕時計を見れば、帰宅すると告げた時間はとうに過ぎていた。


「あー、くそ。ほんとごめん、今から行こうか」


 慌てるシャノに、ジャックは自慢げに膨らんだ買い物袋を見せた。もう片方の手にはチェーンソー用の混合燃料エンジンオイル


「もう済んでる。ついでに武器の補充もな。出来るヤツだろー?」

「分かった、完敗」


 シャノは苦笑する。


「買ったのはこっちの地区でだけどな。この辺り、店が揃ってて便利だな」

「そうだね。あ、でもここらって結構値段が……」


 ジャックは目を細め、悪意のある顔でニヤリと笑った。


「おう、高かったぞ。御前が帰ってこねーから好きに買わせてもらった。家計のやりくり、頑張れよ?」

「うそお!? い、幾ら使ったんだ!?」


 渡された領収書を見て、シャノは頭を抱えた。シャノは三人の中で最も収入や貯蓄が少ない。


「食費は三等分とはいえ、わたしだけキツいだろーこれ……」

「ハ、ざまーみろ。これに懲りたら時間は守れよ」

「くそ、悪かったってば……」

「御前たち」


 シャノが悔しさと明日からの生活費に呻いてると、声がした。二人が顔をあげると、そこには二つの革袋と買い物の済んだ袋を手に提げた仮面の男が立っていた。


「グリフィン」

「ぬう。電話に出ないから……」


 ジャックが自分と同量の買い物を済ませているのを見て、グリフィンが困ったように呟く。


「三人居るんだし、なんとか消費出来るんじゃないかな? 次の買い物の手間を省いたと思って」

「どうせ冷蔵庫スッカスカだもんな。どうにかなるだろ」


 グリフィンはベンチに座るシャノを見た。


「帰宅するか?」

「ああ、うん。そうするよ」


 シャノはすっと立ち上がった。休憩時間に入ったのだろう、工事の音は止んでいた。木の枝も穏やかに影を落とし、煙突の煙は相変わらず緩やかに空へと流れていた。


 三人は墓地を出て、アパルトメントの方へと通りを戻り始める。歩きながらグリフィンはジャックの持つ混合燃料エンジンオイルに目をやった。


「フィア片石で動くようにしてやろうか。燃料より消費効率が良い」


 ジャックは顔を顰めた。


「ぜってーイヤ。ただでさえ首に爆弾つけられてるのに、武器まで管理されてたまるか」

「そうか」


 それもそうだとグリフィンはそれ以上何も言わなかった。



 少し古くなった住宅地域に差し掛かると、通りの先に巡回バスの停留所が見えた。この辺りは比較的治安が良く、空き部屋も少ない。その時だった。


「うわああああ!!」


 細い通りの奥から悲鳴が響く。男の声だった。


「何……?」

「……ッ!」

「あ、おい!」


 真っ先に飛び出したのはシャノだった。荷物を置き、グリフィンとジャックが後を追う。


「うわああ! 助けて! 助けてくれ!!」

 アパルトメントが立ち並ぶ裏通りに入ると、足をもつれさせ泣き叫びながら逃げる若い男。そして逃げる男の後を追う何者か――それもまた薄汚れた男だったが、その様子は異常だった。


「ガアアアアアッ!! ギアアアアアッ!!」


 薄汚れた男は言葉にならぬ何かを喚き散らしながら、逃げる男を追う。素足にも関わらず薄汚れた男は石畳を躊躇いなく走る。


「ヒイイイッ!!」

「はッ!」


 今まさに逃げる男に飛びかからんとする追跡者の腹に、シャノは容赦なく蹴りを入れ、弾き飛ばした。


「ガアア!!」


 地面を転がった男は呻きながら、地面をガリガリと引っかき、再び立ち上がろうと藻掻く。その顔は獣のように歪み、目は血走り、開いた口元からは涎を垂らしていた。


「ハァーッ!! ハァーッ!!! ガアアーッ!!」

「ッ、何だ……? ヤク中か……?」

「ヒイイ、ああ、あ、アンタ、アンタありがとう……!!」


 涙と鼻水で顔を濡らした男がシャノに縋り付いた。


「あっ、ちょっと放し……!」

「ガルアアアアアアッ!!!!」


 立ち上がった獣のような男が、シャノと泣きつく男に飛びかかった時――その顔面に先程より鋭い蹴りが叩きつけられた。


 ――ドッッ!!


「――御前、足だけは早いんだからな」


 赤い毛が弧を描くように舞った。獣じみた男は壁に叩きつけられると、僅かに手を動かし、やがて動かなくなった。


「やっべ、やり過ぎたか?」


 グリフィンが用心しながら倒れた男に近づく。動く様子はない。


「……死んでいるな」


 男の体を確認し、グリフィンは呟いた。


 ――その様子を少し離れた所から黒衣の女が見ていた。黒い髪に無表情な目。女は獣じみた男が倒れるのを確認すると、静かに立ち去った。

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