7/ 関わり、交わり


  ――空は暗く、重い。

 重厚な闇に、しかして美しく輝く塵がある。――星。この都市では滅多に見ることのない空の輝き。

 だから、これは夢だと分かった。

 淀んだ空の多いこの都市では上層のネオンが星だ。


 わたしは己の体を見る。ぽっかりと空洞が開いているが痛みはなかった。

 触れると、黄金の血が手を覆った。


 奇妙なことだった。わたしは目をこする。けれど、その黄金色は消えない。

 星々を見上げた。星は数を増やし、満天の空がわたしを見下ろした。


 輝く星が降り注ぐ。空が光の筋で満たされる。黄金に。黄金に――


 ◆ ◆ ◆


 ――目覚めたシャノが最初に見たのは、自宅の天井だった。朝の光が部屋に差し込んでいる。チクタクと時計の音がする。

 以前にもこのようなことがあった気がする。

 徐に顔を横に向けると、そこには椅子に座ったまま眠る仮面の男の姿があった。


「グリフィン」


 声をかけると、目深に被ったフードが僅かに揺れた。


「……ハイド。目が覚めたか」


 グリフィンは体を起こし、シャノを見た。眠っていたというのに、この男は白いコートも手袋も外さない。


「死んだかと思ったけど」

「すぐさま処置をした故、傷は塞がっている。血液も肉も、全て回収し構成した」


 事前に周囲を媒介素で満たしていたのも功を奏した、とグリフィンが呟く。


「……何だか、凄いね」


 ――それも秘術<フィア>という奴だろうか。事実、貫かれ、内部に多数の損傷を受けた筈のシャノの体には一切の傷跡も、痛みも残っていなかった。


「あれは……あの怪物は?」

「逃した」


 グリフィンは端的に伝えた。


「そっか……それは残念」

「まだ存在力が低いため、あの時に現界時間の終わりが来たようだ。……すまない」


 ごめん、とシャノが謝罪するより先に、グリフィンが言った。


「怪異の力を見誤ったまま戦闘に入ったこと、敵の攻撃に対し立ち回れなかったこと。……結果、君に大きな傷を負わせたこと、全て私の責任だ」


 グリフィンの声は淡々としていたが、酷く落ち込んでいることが感じられた。シャノは慌てた。


「いや、気にしないで、大丈夫! こうして傷も治してくれたわけだしさ」


 その時、寝室の扉が開いた。


「お。起きてるじゃねえか」


 聞きなれない声がした。いや、しかしそれはつい最近に、聞いたことのある声だ。

 見れば、そこに堂々と立つのは、ラフな服装に目立つ赤い長髪の若い男。


「"切り裂きジャック"……!?」


 しれっと居る連続殺人容疑者に、シャノは言葉を失った。


「すまない。諸々の結果、君の部屋に連れて来てしまった」

 おおごとだった。驚く家主と対称的に、殺人鬼は気楽に笑った。


「感謝しろよ、怪我した御前とそいつをここに運んでやったのは俺だぜ?」

「……。貴様が居らずとも私一人でも可能だった」

「ヘッ、意地張るねえ、フラついてた癖に。あの様で人間一人を運べるかよ」


 グリフィンは不機嫌そうに黙った。


「まあそれより、起きたなら食っとけ。仮面男、御前の分こいつに渡していいだろ」

「……。え」


 あまりの事態に気づかなかったが、よく見れば、ジャックはその腕に調理された食事を抱えていた。ふわりと空腹を誘う香りがベッドまで届く。


「冷蔵庫の中、勝手に使ったからな」


 いち早く朝食を口に運びながら、ジャックは言った。

 シャノは渡された皿を見た。ふっくらと温まったバターロールに、ベーコンエッグ。バランス良く野菜も添えてある。基本を抑えた朝食だ。


「……御前が、作ったのか」


 ジャックは肩をすくめた。


「だってこいつ使えねえんだもん。やれローリエがないだの、何の調味料がないだのと。あ、油切れてたから買ったぞ」


 昨晩、血なまぐさい武器で襲ってきた様子からは想像も及ばぬほど、日の下で見る殺人鬼はまるで普通だった。


「…………美味しい」


 口にした食事は、温かく、空腹に染み入った。普段は簡易食フリーズドライにすぐ頼るので、真っ当に調理された朝食も久々だとシャノは思う。


 旺盛に朝食をかき込むシャノを見て、ジャックは感心した顔をする。


「ホントに綺麗に治ってんだな、御前。あれだけはらわた撒き散らしといて」

「そんなに……?」


 どれだけの有様だったのだろう。早々に意識を失ったのでシャノには分からない。


「いやなんか、すごかったぞ。こう、ぞぞぞーっと地面を血が這って、御前の中に戻るの」


 自分の中にズルズルと臓物が仕舞われるさまを想像しながら、シャノはベーコンエッグを飲み込んだ。


「で、こいつも起きたし良いだろ。説明しろ、アレは何なんだよ」


 アレ、とジャックは言った。それが意味するところは一つだ。怪物。怪異。この現実に顕れし非現実。


 ――巨大な爪、四本腕の怪物。

 忘れられぬ程の強烈な印象を刻みながら、今やそれは架空の物語だったかのようにも思わせる。今は消えてしまったシャノの傷のように。


「……あれは、遺変<オルト>。あの形なき亡霊を、我々はそう呼ぶ」

「形なき、亡霊……?」


「見ただろう、あのこの世のものとは思えない姿を。そして、今もあれが実際にあったことなのか、疑う気持ちが少なからず君の中にあるはずだ。それは、正しい。あれは亡霊だ。この世から失われ顧みられなかった想いを吸い上げ、形としたもの。今はまだ完全には形を成さぬもの。この世に顕れながらもまだ存在を確立していない、形なき亡霊。故に、人の記憶にも残らない」


 グリフィンは外で買ってきた朝刊を広げた。一面には昨日の切り裂きジャック事件。そして昨晩、現場付近が荒らされたという記事。――だが、そこに巨大な爪の怪物のことは書かれていない。つまり、人通りが少なかったとはいえ、大通りも近い場所なのに、あれだけの大きな騒ぎを誰も見ていない。だが、ジャックが疑問を呈した。


「ならなんで俺たちには記憶が残ってるんだ?」


 そう。シャノにも、ジャックにも、当然グリフィンにも――昨晩の記憶がある。路地に影を落とす巨躯の、死を齎す爪の記憶がある。


「確かに、あれはおとぎ話のような姿で信じ難い。だがあれだけ間近に奴を見て、架空のモノだと割り切れるか? 御前たちは遺変<オルト>と戦い、その爪の息遣いを感じた。確かにそこに存在すると信じた。そういうことだ。信じれば、記憶に残る」


「成る程ねぇ」


 ジャックは呟き、空になった皿を置いた。グリフィンは無表情な仮面でジャックを見た。


「――こちらからも聞こう。"切り裂きジャック"。貴様は何者だ」

「俺?」


 話題が自分に向けられ、赤毛の殺人鬼は小首を傾げた。


「この大量殺人事件の被害者の殆どは、遺変<オルト>の仕業だ。だが、そうでない者が四人居る。被害者が一名である最初の二件。そして三件目、四件目にも一人ずつ、遺変<オルト>以外の手による死者が居る。――依頼、と言っていただろう。御前は何故人を殺している」


「んー、シュミ」


 ニタリと、殺人鬼は残酷な笑みを見せた。グリフィンが僅かに殺気立ったような気配を見せた。けらけらとジャックは笑った。

「分かってる分かってる、そういう話じゃないってのは。でもそれも一つの大事な事実だ」

 ジャックは器用にくるくるとフォークを弄んだ。食べ終わった皿には取り零された汁だけが残されている。


「俺は人殺しが好きだ。体を裂くと綺麗な淡桃の肉が見えるのも、汚い泣き声を聞くのも、それが死んだ後を見るのも好きだ。まあ、それでもだな、ある日変人なりに思わったワケだ。『無差別殺人は流石にどうなんだ?』ってな。楽しいが金にはならないし。……そう、金だ。閃いたね、仕事にすれば良いんじゃねえかってな。殺しの需要は絶対にあるからな。で、ツテを使ったりウヤムヤしたりして、俺を使ってくれるトコを探して、今になる。専門は謎の失踪とバラバラ殺人」


 すらすらと澱みなく述べられる倫理観の低い言葉にシャノは無言で最後のレタスを食べた。

 グリフィンはその表情の見えない出で立ちからでも分かるほど不愉快そうにジャックの話を聞いていたが、感情を飲み込み、静かに口を開いた。


「結論から言おう。貴様はハメられた」

「ふーん。事実なら、聞き捨てならねえな。続きを聞こうじゃないか」


 ジャックは笑みを止め、手に持ったフォーク越しにグリフィンを見た。


「仕事を邪魔されたと言ったな。少し違う。遺変<オルト>は貴様の居た場所に現れる。貴様があの怪異を呼び寄せるビーコンだ。先程言ったな。あれは形のない亡霊であり、今はまだ完全には形を成さぬと。そう、今はまだ、だ。あれは形を成そうとしている。"切り裂きジャック"として」


「……こっちも切り裂きジャックで、あっちも切り裂きジャック?」


 ――人間と怪物、二種類の切り裂きジャック。


「最初の二つの事件はこの男一人の犯行だった。だが三件目からはあの怪異が現れた。遺変<オルト>は貴様の起こした事件に便乗し、模倣し、それ・・に成ろうとしている。貴様の作る、"切り裂きジャック"の幻想ストーリーを媒介にして。そして、それは最初から仕組まれたことだろう。御前に依頼が届いた時からな」


 成る程、とジャックはグリフィンの言葉を咀嚼し、頷いた。


「ふーん、つまりは模倣犯ってことだな。人の戦績に便乗して自己アイデンティティを確立しようとしてる、と。ハ、ムカつくな」


 ジャックはフォークを皿へと放り投げた。そしてグリフィンを見た。


「で、いつ奴を殺しに行く?」

「……何?」


 グリフィンが怪訝そうに聞き返した。


「あいつだよ。遺変<オルト>っつったな。御前らはあれを殺すんだろ。それとも勝てねえから止めにしたのか?」

「待て。何を貴様が乗り気になっている。それに、探偵はまた行くとは……」

「行くよ。わたしは行く」


 シャノは強く言った。怪我は治っている。空腹も満たされた。考える。真っ赤に染まった幾つもの現場を。そして自分の気持ちが変わらぬことを確認した。


「怪我のことで心配させただろうけど、大丈夫だ。それに昨日の戦い、結構惜しい所まで行けただろ? 役に立てると思うな」

「……聞け。傷の処置の為、大量のフィア塊を使った。その上、君を傷つけたのは何で構成されているかも解析されていない得体の知れぬ怪物だ。完全に回復したかは解らない。これから、何かしら影響が出る可能性もある」


「でも、今は何もない。……もし何かあったら、その時は諦めて貴方に任せるさ。駄目かな」


 グリフィンは黙った。自らの手を見、それから改めてシャノを見た。


「……。君が決意したなら、それを私が否定するのは無粋だろう。分かった、そうすると良い」


「よし、決まったな!」

「待て」


 意気揚々と手を叩いたジャックをグリフィンが睨んだ。否、その表情は変わらず仮面ではあるのだが。


「貴様と組むとは言っていない、重罪犯」

「ハ! 御前ら二人でアレに勝てるって確信があるのか? 大した実力には見えなかったがな」


 ジャックは嫌味たらしく言った。


「俺にはあるぜ。俺が御前らと組めば、奴を殺せるって自信がな。俺が奴と戦い、御前らがトドメを刺す。俺は奴への決定打を持たないが、御前らにはそれがありそうだ。御前らはあいつの攻撃に歯が立たないが、俺なら相手になる。良い役割配分だろ?」


 事実、昨晩の実質的な交戦は殆どジャックがこなしていた。その提案は正しいと言える。個人的な"不快感"にさえ目を瞑ればこれ以上ない戦力と言えた。


(……秘術<フィア>もなく、目に見える身体改造もなく、あそこまで立ち回るとは)


 人の身でありながら、この男もまた怪物のようだとグリフィンは思う。遺変<オルト>の元型となるほどの力。


 グリフィンは意思を訊くようにシャノを見た。シャノは、無言。


「…………」

「へっ、通報するか?」


 シャノが口にするより先に、ジャックがその考えを当てた。


「そうだな、それも考えてる。被害者の殆どが御前の手によるものでなくても、御前が殺した人は居る」


「そうなったら、俺は急いで退散するしかないな。人殺しは警察が弱点だ」


 おどけた調子でジャックは言った。だがシャノの言葉を侮っている訳ではない。二人はじりじりとお互いの言葉を測る。


「……。一昨日、エディスン雑貨店で会ったな」

「ん? ああ、パンの店か。そういや御前、見た顔だと思った」


 思い出したとジャックは頷く。


「……御前は、エディスンさんを殺したわけじゃないんだな」


「違うね。あれは違う。俺は仕事でしか殺さないんだ。それに俺だって気に入ってたんだからな、あそこのパンは」

「……そうだね、良い店だった」


 シャノはバターロールが乗っていた皿を見た。もうパンの温もりは残っていない。


「……。分かった、手を組もう。わたしはシャノン・ハイドだ。シャノでも、ハイドでも」

「りょーかい! 俺はどーぞ、ジャックのままで」


 ジャックは楽しそうに笑う。グリフィンも二人のやりとりを確認し、重い頭を上げた。


「……決まったか。仕方がないとはいえ、複雑な心持ちだ」

「殺し屋的にはこれ、褒められてる内に入んのかな」

「入らん。褒めてなど一切いない」


 ポジティブなジャックにグリフィンが釘を刺す。


「大体なんだ。殺し屋と言いながらその、目立つ、騒がしい、大ぶりで扱いづらい、三重に非効率的な得物は」

「そりゃ仕事だけどよ、俺にとってはシュミ兼仕事だ。なら楽しくなきゃ駄目だろ? 俺が殺したいように殺す、その為なら多少の苦労は負う」


 堂々たる自負に、仮面の奥から溜息が聞こえた。


「……そもそも、それが問題でもある。貴様という問題のある人間を元型……模倣したせいで、あの遺変<オルト>は存在力が低い状態であるにも関わらず、極めて凶暴かつ殺戮に長けている」

「つまり、俺が強いせいで、あの怪物も強くなってるのか。褒めるねぇ」

「非常に、不本意だ」


 非常に、に強く力を込めてグリフィンは言った。


「とにかく……強力な怪異だ。三人がかりで向かわねばならないほどにな。作戦が必要だ。秘術<フィア>の道具も大量に用意せねばなるまい。夜まで待て」

「怪物はどうやって探すんだ」

「それは簡単だ。貴様という餌が居るのだ。待っていれば自然に現れる。……出るとしても幻想の余地の広い夜だが、徐々に出現の速度も早まっている」


「……それって、今晩にも出るかもってこと?」


 グリフィンは頷いた。良くないことだった。このアパルトメントに遺変<オルト>が出現しては大変なことになるだろう。


「じゃあ急いで準備を始めよう。出来ることがあれば手伝うよ」

 シャノの言葉に、グリフィンは頷いた。


「そうだな。まずは――掃除だ」

「掃除」


 発言の意図を捉えかね、シャノが首を傾げた。


「時間もないので急ぎこの家に、秘術道具製作の為の機材を設置する。故に――」


 グリフィンはこの家で最も広い部屋である居間を見た。衣服や書物、ダンボールなど、生活品が散乱したままの部屋を。ジャックが呟いた。


「……掃除だな」


 こうして、奇妙なチームが出来た。

 自称・探偵と、秘術使いと、職業殺人鬼の、ちぐはぐな三人組の。

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