6/ 回転する刃2

「さあ、何と名乗ってやろうか! 殺し屋ヒットマン気狂いクレイジー連続殺人鬼シリアルキラー

 誰も彼も適当な呼び名で俺を呼ぶが……。そうだな、最も通りの良い名前はーー切り裂きジャックジャック・ザ・リッパー!」


 ――切り裂きジャック。この所の大量殺人の犯人。そして――。シャノは店の壁を見た。暗くても分かる、こびり付いた血液。


「御前か……! 御前が!!」

「ハッハア! 俺に恨みがあるようだな!! 結構!」


 ギャルルルル!! "切り裂きジャック"がチェーンソーを構えた。


「捕まえるか? 殺すか? ハ! どっちでも構わねえな、かかってきな!」


 ジャックが踏み出す。シャノが銃を抜き、ジャックに向けて銃弾を放った。パン! キィン! だがそれはチェーンソーの側面で阻まれた。ジャックは弾を防ぐため振り上げたその勢いのまま、軸足を中心に体を捻り、斬りつけた。

 ギャルルルル!! 回転刃の唸りがシャノの耳元をかすめた。僅かな差でシャノはジャックの方へと飛び出し、その脇をすり抜けた。


「チッ――」


 獲物を逃した刃の先端が木の壁を削り取る。

 グリフィンも上手く男の武器から逃れ、二人は店の出口へと走る!


「一度広い場所に出る。この路地では容易く奴の刃渡りの餌食だ」

「分かった!」


 店を出て、二人は路地を駆ける。


「さっきは有難う、助けて貰って……足手纏いにはならないって言ったのに、ごめん」

「いや、良い。協力的関係の範囲だ」


 落ちたゴミを蹴り飛ばし、乗り捨てられた自転車を越え、やがて路地の出口が見えてきた。だが。


「行かせる、かよッ!」


 ジャックの動きは二人よりも速かった。追いついてきたジャックは道に打ち捨てられ積み上げられた荷台を踏み――跳んだ。

 高い跳躍。そして壁を蹴り、更に跳躍。走る二人を飛び越え――その行く手に着地した。驚異的身体能力だ。


「ハ! ざーんねん、逃げ切れなかったな」

「ク……!」

「さてさて、楽しい解体タイムと行こうじゃねえか。」 


 グリフィンは一歩前に出、取り出した小さな棒状の発光体を構えた。緑色のぼんやりとした光がグリフィンの手袋を照らす。


「少しだけ、時間を稼ぐ。来た方向を戻って別の道から逃げるぞ。私はこの辺りに詳しくない、案内を頼む」

「任せてくれ、この辺りなら全部の道を知ってる。……探偵だからね!」

「ああ。頼もしい」


 ギャルルルル! チェーンソーのエンジンが再起動した。


 ――"断罪せだんじよ"


「あ?」


 ふっと。自分の上に落ちた影に、ジャックが振り返った。


 ガリリリリリ! 何かが路地の壁を削った。パラパラと砕け落ちる石塊に、顔を見上げる。

 それは巨大な影だった。空の月をも覆う奇怪な巨躯が、そこに在った。

 ギチギチと体を鳴らし、頭部には赤い四つの目。四本の異常に長い腕が、路地の壁を掴んでいた。

 人ならざるカタチ。人ならざるモノ。


 巨大な怪物はその腕を動かし、爪を振り下ろした。ガリガリガリ!! その鋭い攻撃をチェーンソーが阻む。


「チッ、テメ……ッ!」


 怪物の爪には細かな刃があり、それがチェーンソーと噛み合い、歪な音を立てた。


「嗅ぎつけたか……!!」


 それまで淡々としていたグリフィンの声が、僅かに色めき立ち、無表情な仮面が睨むようにソレを見た。


「……あれは、一体」


 おどろおどろしく唸り、切り裂き、襲いかからんとするもの。おとぎ話のような怪物。


「あれが、"切り裂きジャック"だ」


 グリフィンは立ちすくむシャノに言った。


「御前が探し求めた相手だ」


 ◆ ◆ ◆


遺変オルトNo.3、現界実験を始めよう』


 繁栄せし都市の影、置き去りにされた街のさらに奥に、それは在る。

 昏き闇が微睡む巨大回廊メガロクロイスター。 


『存在レベル7。指向性<断罪>。完全現界まで三段階。次段階行動――原典の破壊』


 ここにまだ幻想は成らず。未だ怪異の身であるならば。


『ああ、我が身は嘆く。嘆く。この世の救いは遠く、幻想は儚い』

 黒衣の男は顔を覆い、天を仰いだ。

『我らが"いのり"の成就の為、礎となれ、"切り裂きジャック"』


 ◆ ◆ ◆


<ギ……ギギィ……>


 受け止めた得物ごと押しつぶさんと、怪物が力を増す。

 ジャックは押し返そうとするが、怪物の力は強い。拮抗――いや、徐々にジャックは押され始めていた。

 何か別の手段が必要だった。ジャックは考える。退くか。進むか。その時、何かが怪物に向かって投げつけられた。


「――<サクリ・セ・コウ>!!」


 その物体は緑に光り、怪物の体の上で爆発した。


<ギ――ガ――>


 怪物がよろめいた隙に、ジャックはチェーンソーを引き抜き、シャノたちの所まで後退した。


「ほう、妙な技を使いやがる。俺を守ってくれるのか?」


 ジャックは光熱弾の持ち主、グリフィンを見て口の端を上げた。


「暫定処置だ。これ以上人を食わせてはならない。殺せば殺すほど、奴の存在力が高まる」

「ふーん、よく分からねえが、どーも」


 ジャックは素直に礼を告げ、再度立ち上がらんとする怪物を見た。


「まったく、出やがったな、怪物。二度も人の仕事を邪魔しやがって」

「前にもアレに……あんなものに会ったのか」


 戸惑うシャノに、ジャックはけろりと答えた。


「おう。一昨日の仕事の後にな。ったく、俺が一人殺した後に現れてぐちゃぐちゃに殺しやがった。何だ。御前らあれを追ってんのか?」

「そうだ、私はな」


「グリフィン。あれが犯人なら、貴方の追っているモノなら……どうするんだ」


 巨大で歪な怪物を前に、グリフィンは怯まずに、迷わずに答えた。


「――破壊し、消滅させる」


 ジャックが楽しげに笑った。


「ハ! そりゃ良いね、俺もヤツをぶっ壊したかったトコだ。まあ何より――」


<ギギ……ギガッガ!!>


 怪物は光熱弾のダメージから立ち直り、三人の獲物に狙いをつけた。


「どうにかしねえとこっちが死にそうだからな」


「我々を手伝うつもりか?」

「今は必要だろ?」

「快楽殺人者と手を組みたくはないが、仕方があるまい。構わないか、探偵」

「わたしも気は乗らないけど……今は選ぶ自由はないか」

「ハッハ! 冷たい奴ら! 良いぜ、存分に働いてやろうじゃねえか。終わった時には感謝させてやるよ!」


<ギ……ギギ、ギ!>


 怪物は今や完全に態勢を戻し、その細かな刃のついた爪で壁や地面を抉りながら路地へと押し入った。振るわれたその凶々しい爪を三人は避ける。


「探偵。殺人鬼。暫く奴の相手を出来るか。私には奴を仕留める手段がある」

「さっきの、緑色の技?」


 シャノは思い返す。不思議な言葉と美しい緑色の光とともに放たれる、輝けるちから。そうだとグリフィンは頷いた。


「これは秘術<フィア>。いにしえより受け継がれ、世界より忘れ去られた力。私がアレを葬るために研鑽し、得たものだ。だが、大きなわざを使うには少し段取りが居る」

「わたしとこいつで、それまで殺されないように、逃さないように、時間を稼ぐ、と」

「ハン、つまり手前の準備が出来るまで、前座を務めろってワケだな。俺は主役の方が好きだが、まあたまには良いだろうさ!」


 やるべきことは理解したとばかりに、ジャックは怪物の前へと躍り出た。


誘導灯ダミーを用意出来ていないのが痛いが……」


 グリフィンは声に難しい表情を見せつつも、何かの機械をシャノに手渡した。


「探偵。シャノン・ハイド。君にはこれを任せたい」


 ギャリリリリ! ギャルルルル!!

 機械の回転音が響き渡る。一つはジャックのチェーンソーのもの。残りは全て怪物のもの。爪に生えた小さな刃が煉瓦を抉り取り、回転する。


 ジャックは相手の攻撃をいなしつつ、距離を離さずに攻撃の矛先を自分に集中させるよう立ち回る。打ち合うごとに、怪物の動きを把握する。この相手は、腕は四本あるが動きが巧みとはいえない。一見全ての腕が襲ってくるようだが、同時にきちんと制御出来るのは精々二本。


「――とはいえ、永遠に続けられるわけじゃねえしな。あいつらのお手並み拝見ってとこだが」

<ギ、ギギイ……!>

「ハ! 怪物も大したことねえな!」


 どこか苛立ったように吠える怪物に、ジャックは不敵に笑みを見せた。


 ジャックの戦いを、少し後ろからシャノは見定める。シャノが持つのはただの拳銃一つ。店で一発使って、残弾は16発。

 そしてもう一つ。グリフィンから受け取った銃だ。ただしそれは普通の銃ではない。形態はリボルバーのようだが装飾的なデザインに沿ってグリフィンの使う機械と同じような淡い緑色の発光をしている。緑色の光。秘術<フィア>の光。


 シャノは意を決した。


「"切り裂きジャック"! 聞け!」

「おう、何だ」


 ジャックは怪物の腕の振り下ろしを避け、シャノに視線をやった。


「わたしがこの銃で、あいつの手足へ術に必要な印を刻む」

「仮面男のお膳立てってワケだな。そして俺がお膳立ておまえのお膳立て。良いだろう! 俺が御前の弾を突破させてやる!」


 怪物が吠え、四本の腕を全て振り下ろした。切り裂くでもない、抉り取るでもない、打ち払い叩き潰す力。人を越える大いなる力で。

 ジャックはその四つの腕の中に――飛び込む。大きな腕が、鋭い爪が、そこに並ぶ細かな刃がジャックを殺そうとその頭上を覆い尽くす。


 だが――怪物は、殺人鬼を殺すこと能わず。

 ジャックは振り下ろされる怪物の手、その金属のような関節に得物の刃を垂直に突き上げた。

 ギャリリリリ! 金属の刃が噛み合う音。そのまま捻り、振り払い――そして、怪物の手首がひとつ、根本からちぎれ飛んだ。


「ハッハア! 見えてきたぜ、御前の殺し方がな!」


 ジャックは唸るチェーンソーの音より大きく笑った。


 怪物は自らの武器が一つ失われたことに、すぐには対応出来ない。殺すべき相手はまだ生きている。だが巨大な手は地面を石畳ごと深く抉り、掴んでまだ動かせない。その僅かな隙に、シャノは秘術<フィア>の銃を構え――緑色に光る弾丸を放った。

 着弾。音と共に光が弾け、腕に一つに謎めいた模様の印が浮かび上がった。

 続けて二弾、三弾、四弾。全ての腕に印が刻まれる!


<ギ……ギギイ!>


 怪物の腕がジャックを挟み潰さんと動いた。それをひらりと後ろに跳び、避ける。


「ああ、いい気味だぜ。御前、人の殺しに便乗して死体増やしやがって。"切り裂きジャック"は俺だぞ? 勝手にさあ、キルスコア水増ししてんじゃねえっての」


「――範囲を限定<セーティ>フィールド展開<ティキ>。満ちよ、満ちよ」


 秘めたる言葉を唱え、グリフィンは秘術<フィア>を為す場を作り上げる。

 フィア塊を機械で大気に打ち上げ、周囲は媒介素で満たされていた。緑の燐光がちらりちらりと宙を舞う。


 秘術<フィア>は万能ではなく、無限ではなく。ゆえにこうして力を満たす。大いなるわざを具現化するために。

 グリフィンはフィア塊を内蔵した六本足の自動機械を壁に放し、前線の戦いを見た。


 残る印をつけるべき箇所は二本の脚部。だがそれは激しく動く四本の腕に邪魔され、弾が通るための道筋が見えない。


「あそこは……どうすっかな。跳んでみるか?」


 ジャックは横薙ぎに殴りつける腕に跳び乗り、更に壁を蹴り――怪物の上へと跳び上がった。空中。怪物がジャックを追い、空に手を伸ばす。しかし――追ってくる腕は上段の二本。

 空いた隙間にシャノは秘術<フィア>銃を構える。キン! しかし既に印をつけた腕に阻まれ、届かない。


「ごめん! しくじった!」


 一発無駄にした。シャノは予備の光弾を装填し直す。グリフィンから渡された弾はあと3発。


「駄目か。おい仮面男! 何か案ねえか」

「……これほどの遺変<オルト>として成立しているとはな」


 グリフィンは残る手持ちの道具を数える。あまり効果的なものは残っていない。


「となると……施したわざを使うしかない」


 今回の対象に必要な印の数は六つ。現在、その内の四つしか刻むことが出来ていない。完全な形での発動は不可能。


「どちらも下がれ、先んじて術を発動させる。僅かな間だが奴の動きが止まるだろう。その隙に残りの印を刻め」

「了解、頼んだ!」


 ジャックとシャノは路地の奥へと下がった。グリフィンは白い長衣をはためかせ、無表情な仮面で怪物を睨んだ。


「来るか、遺変<オルト>――」


 夜闇の幻想。存在しないはずの怪異が大きく爪を開く。


「形なき存在。畏れ憎しみ怒れる幻想よ汝は在りえざるもの<ヒティ・ヒティ・ヒティ・ミドツ>


 言葉が大気のフィア媒介素を走り、怪物の腕に刻まれた印へと至る。

 それは幻想を無にする言葉。それはいのりを無にする言葉。その存在を空虚に返すため、秘術<フィア>の唸りが渦巻き、緑の稲妻が奔る。


<ギ、ギ……>


 徐々に巨躯の動きが鈍る。――しかし、そこで、怪物は猛り、吠えた。



「――! まずい……!」


 グリフィンはわざを止め、避けようとした。だが敵の大きな腕爪が振るわれる方が早かった。

 人ならざる暴力的な力で、グリフィンの体は弾き飛ばされた。


「ぐッ――!! ウッ!!」

「グリフィン!」


 グリフィンは強く壁に叩きつけられ、そのまま路上のゴミに埋もれるようにずり落ちた。シャノが駆け寄る。


<ギ……ダ……断罪せだんじよ!!!>


 怪物が叫んだ。それは自らを否定し、”なきもの”とするグリフィンに怒りを向ける。この"いのり"を否定させることはならないと。


断罪せだんじよ、断罪せだんじよ、断罪せだんじよ!!>


 ギャリリリリリリ!!

 地面を壁を抉り取りながら、大気中のフィア発光を引き裂きながら、憤怒に目を光らせた怪異が動かぬグリフィンに迫る。

 ギャリリリリリリ!!!

 人を殺すために形作られた、死の腕がグリフィンを貫く――否。


「ぎ……う…、ああ、クソ……」


 シャノは自分の体に突き刺さった金属のような黒く太い爪を見た。爪に並んだ細かな刃がミチミチと肉を引き裂く。

 赤い色が吹き出すのが見えた。

 ぼんやりした思考でシャノは状況を確認する。グリフィンが叫ぶような声がした。


 その声に場違いにも安堵する。彼が無事なら、きっとあの化物をなんとかしてくれるだろう。

 それで十分だった。


 体には熱と痛みの感覚ばかりがあった。ああ、痛みのせいだろうか。怪物の赤い目が黄金に輝いて見える。

 腹を貫通されながら、シャノは最後の力で銃の引き金を引いた。秘術<フィア>ではない、ただの銃弾。乾いた音と共に、その弾は怪物の目を――撃ち抜いた。

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