8/ <断罪の遺変/オルト>


 古ぼけた安いアパルトメントの一室で、キラキラと、透明なガラスが光る。

 部屋の端には雑多に纏められた衣類や書物、空き瓶などがダンボールの中へと放り込まれている。


「残りの荷物、ココ置いとくぞ」


 ジャックが運び込んだものを床に置いた。フラスコ、試験管、バーナーなどの器具、機械のがらくた、そして謎の薬剤らしきものが幾つか。


 これらはグリフィンの指定で集められたものだった。シャノはリストを見るとどこかに電話を掛け、三十分後には怪しげな黒服の男によりそれらが届けられた。グリフィンは手早くそれらを手際よく安っぽいテーブルの上に設置していく。


「助かった。予定よりも随分と早く揃えることが出来た」

「酒場に便利な知り合いが居てね」


 ブラックドッグ、ウル・コネリー。情報網を支配する彼にかかれば街のどこに行けば商品が手に入るかなど瞬時に把握し、こうして人員を使って届けることも容易い。知り合ってから、最も彼を役立てた日かも知れないとシャノは思う。商品代以外の請求が少し怖いが、それは黙っておいた。


 グリフィンが緑色の塊を砕いてフラスコに入れた。熱された塊はドロドロとした液体状になり、管に通される。半透明の緑色の液体が美しく細管を這う。天へ向かう索道機関ロープウェイのように。


「さて。残りのフィア塊でどのくらいの分量が作れるか……」


 印を刻む弾丸の補充、怪異を呼び寄せる為の誘導撒粉、自らの武器とすべき媒介、必要なものは多くあった。

 化学反応の様子を見ながら、グリフィンはがらくたを取り出す。精製し、秘術反応を高めたフィア結晶を機械に組み込むのだ。


「これって自分で作ってたんだ。あの棒状の探査機械とか、光熱弾とか、虫みたいなのも?」

「……昔は科学を志していてな。その頃の技術を応用している」

「へえ、色々やってたんだね」


 緑色の液体が徐々にきらめく結晶と化していく。


「……尋ねても良いか。君は、何故探偵をしている」


 静まり返った部屋でぽつりとグリフィンが呟いた。ジャックは別の部屋に行ったようで、今は二人だけだった。


「そうだなぁ」


 シャノは応えた。そして何から言うべきか少し考えてから、もう一度口を開いた。


「父が病で死んだ時にね、色々考えたんだよ。自分が何をしたいのかってね。――わたしは、困っている誰かの助けになりたかった。勿論、接客だって、工場だって、デスクワークだって、誰かの助けにならない仕事なんてないんだけど。その人の側に寄り添いたかった。で、思いついたのが探偵。今思えばもっと色々あっただろって気はするんだけど」


 シャノは苦笑した。グリフィンは少し黙ってから、静かに告げた。


「……君が居てくれて、感謝している」


 シャーレに取られたフィア結晶が揺れる。


「危機を救われたことも、私一人の手には余る怪異であることも含めてだが……何よりも、ただ一人立ち向かうのではないことが、有難い」


 その仮面は精製したフィア結晶の方を向いたままだったが、言葉は真摯だった。


「……実は迷惑かと思ってたけど。貴方の役に立てているなら良かった。そうだね、一人じゃないんだから怪異だってなんだってブチのめしてやろう!」

「ああ」


「ふーん、ふーん?」


 愉快げな声が聞こえ、グリフィンがはっと顔を上げた。部屋の入口にはニヤニヤと笑みを浮かべたジャックが立っていた。

「俺への感謝はないのかよー? このつよーい俺が居ないと困るだろー?」


「…………感謝している」


 からかうジャックに、仮面の奥から苦渋の声が絞り出された。シャノが呆れた顔でジャックを見る。

 緑の液体は殆ど結晶へと変化し、部屋の中央をちらちらと照らしていた。


 ◆ ◆ ◆


 ――夜が来る。夜が来る。

 そこは東の塵ダスト・イーストの端、今は打ち捨てられた廃工場地帯。とうに古び朽ち果て、取り壊すことすら忘れられた一帯に余人の姿はない。


 その暗がりに這い寄るものを、止める者は居ない。

 それに名はなく。人の姿ではなく。命の姿ではなく。在るのはただ、忘れ去られた遺物たち。

 断罪せだんじよ。断罪せだんじよ。断罪せだんじよ。

 それは切り裂くものとして存在する。それは裁くものとして存在する。 


 廃工場の屋上に立つグリフィンが秘術具を設置する手を止めた。


「――来たか」


 そして――それは顕現した。

 薄い霧が覆う夜、白い月が浮かぶ空に、四本の長い腕。細かな刃を備えた鋼鉄のような鉤爪。頭部に赤く輝く四つの目。

 遺変<オルト>。切り裂きジャックとして生まれ落ちんとする怪異。


断罪せだんじよ――>


 何もない空間から闇を収束するように形を為す遺変<オルト>を探偵と、秘術使いと、殺人鬼が見る。


「あれは、どうやら断罪の指向性を持つようだ。だが、あれの行う断罪は法律や規範、倫理に則ったものではない。この世の全ての、罪を赦さないという"いのり"。例えば、肩をぶつけたことが許せない、利益を得るのが許せない。不幸でないことが許せない。そういった多くの場合は秘されるいのりも含まれる。つまり――奴のいのりは全ての人間を殺す・・・・・・・・


 グリフィンは四つの内、一つ残った秘術具をジャックへ投げ渡した


「自動で指定位置へ辿り着く機能をつける時間はなかった。あと一つは貴様が設置するしかない」


 完全に体を現界させた遺変<オルト>が、その足を廃工場の屋根に下ろし、重い音を立てた。


「ハッ! 無茶言いやがるぜ」

「フン。出来ないのか」

「おお、煽るねえ。当然――やれるに決まってんだろ!」


 赤い長髪を翻し、ジャックが遺変<オルト>へと踏み出した。


「昨日切り落とした手は再生したか……だがまだ昨日の印が残っているようだ。であれば、狙うは残りの二脚のみ。だが術印の効果も永遠ではない。今直ぐにでも失われてもおかしくはない。急ぐぞ」

「ああ、分かった」


 シャノは銃をホルダーから取り出した。秘術<フィア>を宿せし武器。怪異を斃す力を繋ぐもの。グリフィンは手にした術杖つえの光で仮面を薄く照らされながら、僅かに顔を動かした。


「……シャノン・ハイド。君を信頼している。君はけして愚かではないと」


 銅色の仮面に穿たれた六つの虚ろな黒穴がじっとシャノを見た。シャノは笑った。


「信頼には応えないとね。大丈夫。自分も、貴方も守るよ」


 そしてグリフィンを背に、シャノは外套をはためかせ駆け出した。


 ギャルルルルルル!! 人に死を齎す爪と人に死を齎す刃が激しくぶつかり合う。


「デカブツと屋根の上で戦えとは、無茶苦茶させやがる。コイツの体格に対して足場が狭すぎだろうが、落ちたら死ぬっつーの」


 誘導場所に廃工場地帯が選ばれたのは、ひとえに何も知らぬ市民を巻き添えにしないためである。『ここでなら誰も巻き込むことはない。好きに暴れろ』グリフィンは無表情にジャックへ告げた。昨日の路地ならばその狭さが怪異の動きをも阻んでいたが、ここに壁はない。


「さてさて、使い捨てと安く見られたか、それとも高く買われたか……だなッ!!」


 二本の巨腕による乱雑な切り裂き。屋根を軋ませる攻撃をジャックはギリギリで潜り抜けた。


「チッ、少し良くねえな……」


 ジャックは足を止め、チェーンソーを低く構えた。屋根の端が後ろに迫っていた。


<悪、悪、悪、悪を断罪せだんじよ!>


 遺変<オルト>は叫び、嘆き、音を立てて爪を振るう! ジャックは進路を切り開くため、己を八つ裂きにせんとする腕の軌道を見据える。


 ――だが、恐るべき腕が一瞬動きを緩めた。ジャックはその一時を見逃さず床を蹴り、怪異の足の間をくぐり抜け、窮地を脱する。緑の鱗光がちらりと赤髪の上を舞った。


「――誘導に使ったものと同じ、貴様の髪を磨り潰し混入したものだ。狙うべき貴様の痕跡に撹乱され、僅かだが撹乱することが出来る」


「ハ、後ろで俺がアイツを倒すのを待ってるだけかと思ったぜ」


 グリフィンの赤茶色の手袋には、細かなフィアの緑色の残滓が残る。


「だが、これで術具とやらも仕込み終わったな!」


 遺変<オルト>の足元に小さく緑色に光るものがある。グリフィンから渡された秘術具の光。ジャックは立ち回りながらそれを正しい位置に設置し終えていた!


範囲を限定<セーティ>我が炎ここに在りて汝を焦がす<ハ・セ・ネツ・ミト・セ・エン>


 爆発。光。炎。轟音とともに、遺変<オルト>の四方に置かれたフィア結晶が燃え上がり、仕込まれた爆薬と相乗し、遺変<オルト>を中心とした円状に爆発を繰り返した。


 遺変<オルト>の姿が――傾ぐ。廃工場の屋根が爆発により破壊され、落ちた。遺変<オルト>も足場を失い、廃工場内部の床へと叩きつけられる! 


範囲を限定<セーティ>我が炎ここに在りて汝を焦がす<ハ・セ・ネツ・ミト・セ・エン>


 二度目の爆発が遺変<オルト>を包んだ。破壊された工場床の瓦礫に埋まり、怪異は身動きが出来ない。四本の腕はちぎれてこそいなかったが、落下による体勢の崩れと破壊された瓦礫でバラバラに伸び切っていた。即ち――未だ印のない脚部を守るものは今はない!


「――――」


 シャノが銃を構えた。屋根の上から真下へ、狙いを定めてトリガーを引く。二発、銃口から緑の光が迸った。パァン。弾ける音と共に、四本の腕同様に二つの印が浮かび上がった。


 ――ここに、大秘術<メガロフィア>の式は成った。


 遺変<オルト>が硬直し、苦悶した。手足に刻まれた六つの印が輝き、周囲に満たされたフィア媒介素と反応し、眩い燐光を散らす。


断罪せだんじよ、断罪せだんじよ、ア゛ア――!!>


 激しい緑黄の稲妻と共に遺変<オルト>が叫ぶ。印から発される稲妻が収束し、その胸部へと届く。


<ギ、ギギ、ギ――!>


 怪異の叫びとともに胸部が変形し――暗い球状結晶がそこに現れた。


「何だ、ありゃ」


 ジャックがチェーンソーを担ぎ直し呟いた。


「あれが遺変<オルト>の霊核だ。存在の中心となる情報全てが納められたもの。亡霊の在り処。あれを破壊する。しかし――」


<ギ、ガ、ギギ――>


 遺変<オルト>が手足を震わせた。そして長い腕で地を掴み、立ち上がる。霊核は露出したが終わりではない。怪異は爆発の影響から回復し、再び人間を殺すべく赤い目を光らせた。遺変<オルト>屋根に開いた穴へと爪腕を伸ばし、屋根へと這い上がる。


「おい、トドメ刺せ!」

「当然、そうする。だが――」


 遺変<オルト>が屋根を破壊する。三人は巻き込まれぬよう屋根を走り、隣の建物に掛かる鉄製の外階段へと飛び移った。


「霊核は小さい、暴れられると狙いが定まらん」


 追ってくる遺変<オルト>を見、階段を駆け上りながらグリフィンは苛立たしげに言った。その後ろで、シャノは立ち止まりじっと怪異を見た。己を否定する人間へと手を伸ばす巨腕ではなく、その胸を。


「――見える・・・

「探偵……?」

「わたしには、見える。あれが」


 シャノはじっと這い上がる遺変<オルト>を見た。その露出した胸部を見た。それは暗くはない。その小さな核は燦然と黄金に、輝いて。シャノの灰色の目が赤く輝いた。


「それは……」


 グリフィンはそれを見て息を呑んだ。見えているのだ、この闇夜でもシャノにはあの霊核がはっきりと見えている。その異能の理由は想像に難くなかった。昨晩のことを思い出す。貫く遺変<オルト>の爪。架空の存在が実在の肉体を侵食し、在り得ざる力を刻み込む。グリフィンは強い動揺を呑み込み、口を開いた。


「……探偵。残弾はあるな? 印をつけろ。術印の光なら私にも位置がはっきりと見える」

「ああ、大丈夫。――あれを撃ち抜けば良いんだね」


 鉄階段を捻り、切り裂きながら遺変<オルト>は壁に爪を突き立て建物を這い上がる。遺変<オルト>が壁を昇るたびに煉瓦が崩れ舞い散った。シャノは銃口を定めた。

 ――パァン!

 遺変<オルト>の胸に緑の光が弾けた。霊核に術印が刻まれ淡く発光する。


「貴様がどれだけ嘆こうが、我が秘術<フィア>は否定する」


 秘術<フィア>の弾丸により刻まれた印を見、仮面の男は術杖つえを振るう。


「――範囲を限定<セーティ>フィールド展開<ティキ>。満ちよ、満ちよ」


 声がする。厳かな声が。白と紺の荘厳なる衣装と銅色の仮面。緑に光る術杖つえを構え、言葉を紡ぐ。

 それはこの世非ざりしものを消し去るために。それは闇より出るものを消し去るために。それは手の届かぬ嘆きを消し去るために。


「形なき存在よ畏れ憎しみ怒れる幻想よ汝は在りえざるもの<ヒティ・ヒティ・ヒティ・ミドツ>


<ギギ……! ギ……罪……! 断……!>


 遺変<オルト>の上に光る円状のゲートが構成される。いのりを拒絶し分け隔てる言葉が存在なきおとぎ話の体を砕き、散らしてゆく。

 苦しむ怪異が最後のあがきのように壁に突き立てた回転刃の爪を振り上げ、暴れる。


「くっ……!」

「グリフィン!」


 衝撃で建物が破壊され、術を行使するグリフィンの足元も割れ崩れる。

 ――だが。怯む訳にはいかない。この機会を逃してはならない!

 建物の屋上が崩れる。グリフィンは逃げなかった。まっすぐに、崩壊する石床へと踏み出し、跳んだ――藻掻く遺変<オルト>へと。


 白いコートの裾が月光の下に翻る。緑の燐光と破壊された瓦礫が宙を舞う。

 グリフィンは遺変<オルト>へとしがみつき、印の光目掛けてその胸部の霊核へと術杖つえを突き立てた。


「――知れ、其は存在せぬ者」


<ギア、アアアアアアアア!!!!>


 この世ならぬねじ切れるような断末魔の叫びが響いた。遺変<オルト>の体が細かな粒子となり、輝く円状ゲートへと吸い込まれ、崩壊してゆく。

 同時に、足場を失ったグリフィンの体も空中へ放り出される。


「グリフィン!」


 シャノが走り、手を伸ばした。その灰色の瞳が目深なフードの奥の無機質な銅色の仮面を見た。


 ――静寂。

 崩壊が止まり、舞い上がった土埃が晴れてゆく。

 シャノの手は、赤茶色の手袋をしたグリフィンの腕をしっかりと掴んでいた。そして。


「……で、お二人さん、無事なようだな?」


 グリフィンを掴んだままぶら下がるシャノの腕を捕らえ、崩落した建物の縁でジャックが意地悪く笑った。


 空は霧が晴れ、白い満月が壊れた廃工場と、戦い終えた三人を照らしていた。

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