act.003 The left hand
『その先です』
L777は
「……怪しい建物ですね」
人の手が入っていない建物は、被弾をしたりして倒壊している建物がほとんどだ。だが、その建物は倒壊していない。半壊もしていなければ、むしろ最近作られたようにさえ見える。
怪しさを膨らませるのはその外壁の色だ。光を吸収しつくしているような色だが、日光に照らされている部分は反射している、黒。
見た目の構造は積み木でも積み上げたような簡易的なものだ。
「システムロックは?」
近くの大きな瓦礫に姿を隠しながら、2人は建物の様子を見る。
『あと3分待って欲しいとアンが言ってます』
「今回はちゃんと敵にハッキングかけてんだ」
ゼロは敵のアジトを前に軽口を叩く。瓦礫に背を預け、そのまま退屈そうに空を仰いだ。けれど、不思議と隙はない。ピリピリとした緊張感を肌で感じる。
「ってか、俺できるじゃん。アン必要なくない?」
『敵のシステム回路を知っておくためでもあるんですぅ。ゼロさんのは問答無用じゃないですか』
「まぁ、そうだね。俺、機械系はさっぱりだしね」
2人の会話を聞きながら、うん?とL777は首をかしげた。
だがそれを聞く前に、会話を遮るようにO201の『お待たせしました』という声が聞こえてきた。疲労を感じさせない、むしろつやつやとした声だった。達成感に満ち満ちた声に一瞬気が抜けそうになる。
『ロック解除しました。お二人に建物内のマップを転送します』
「りょーかい。ってかマップなんてあんの?」
ゼロは立ち上がり、ぐぐっと伸びをする。目だけは建物をじっと見つめていた。
『今敵の防衛システムにちょっかい出してるところなんです。そこから盗み出しました』
「おぉ、やるねぇ。けどバレたりはしないでね。俺達が死ぬから」
『もちろんです。バレたら即刻お知らせするように心がけます』
「うん、注意するとこそこじゃねーわ」
返答しながら、行くぞとゼロは慣れた手つきでハンドサインを下した。
「解せないのはあそこに兵力を置いたくせに、こっちにはいないことね」
ドアの前に立ち、ゼロは外壁を見上げた。
「レーザーの一つでも飛んでくるかと思ったんだけどね」
しれっと呟いたゼロの言葉に、一瞬息が止まった。
そのまま弾かれるように外壁を見上げる。銃口のようなものはない。
「……怖いこと言わないでくださいよ」
「そう?」
意外そうに返事をすると、ゼロはドアだと思われる部分に顔を近づけた。切り込みのようなものが確認できる以外、そこはドアだと思わせるような特徴は見当たらない。
「で、どうやって開けんの、これ」
近くにスイッチのような物があるわけではない。
L777が周囲をきょろきょろし始めると、じっとドアを見ていたゼロはガツンとドアを蹴飛ばした。
「ちょっと!何してんですか!」
「いや、衝撃与えたら開くかなぁと」
「敵に気づかれるわ!」
「あー、そしたら開くかもね」
いやいやいやとL777は手を左右にひらひらと数回振った。
緊張感のない声で、相変わらず怖いことを平気で口にする。もう何年分寿命が縮んだことか。
んー、とあまり考えていないような声で唸ると、ゼロは左手に掴んでいた銃を右手に移し、空いた左手をドアにあてた。
そのまま「開けーゴマ」と緩い声で呟く。そんな物で開くものか、とはあまり思わなかった。
もしかしたら――そんな期待を募らせていると、やはりドアは開いた。
「お。開いたわ」
きっと「開けた」が正しいのだろう。
「……はい」
L777は銃を握り治したゼロの左手を見たままそう答えた。
建物内は外より暗かった。
それなりに幅のある通路の中央をLEDライトのような光が直線上に引かれている。壁には等間隔で薄らとした光源が確認できる。その程度しか明るさはない。
「暗いですね」と呟くと、ゼロは「そう?」と怪訝そうに答えた。
彼はきっとこういった任務は初めてではないのだろう。機械に視界が必要とは思えない。ルートを覚えさせれば見えずとも困らない。彼は暗闇の中、潜入をしたことがあるのかもしれない。
彼の歩き方は意識せずとも足音がしない。初心者の自分とは歩き方一つでも十分異なる。建物内には自分の下手くそな足音が吸収されるように響いていた。
L777はゴーグルを暗視用に切り替えた。色感は実際のものとは少し異なるが、こちらの方が見やすい。
少しすすむと、地下へ続く階段が現れた。ライン上の明かりはあるが、段差が見えない。
ゼロはそれを前に立ち止まる。
L777はゼロに極力近づき、「別れますか?」と口を動かす。警戒しすぎてほとんど声にならなかったが、唇の動きで分かったのか、ゼロは「別れない」と即答した。
「何でですか?」
ゼロは胸ポケットから親指大のハンドライトを取り出して、それで足下を照らしながら階段を数段下りて振り返った。
「だって、お前死ぬよ」
ハスキーながらも場に即した声と感情を欠いた目。
心臓を鷲掴みにされたのかと思った。
彼は今までの経験から、この建物に何があるのか察してしまえる。だが、自分にはそれが分からない。ゼロに気遣われていなければ、自分は何も知らないままあっさり殺されてしまう、否、もしかしたらもう死んでいたかもしれない。
ゼロはL777から視線を外し、階段を降り始めた。
その明かりは持ち主の足下ではない足下を照らしている。
手にするのは武器だけにしとけ、暗闇に溶けるような後ろ姿にそう言われたような気がした。
L777は彼に付き従う。
唇を噛んでいたことにしばらく気づくことはなかった。
階段を降りきるとゼロはライトを消した。
地下1階も上の階と違いはなかった。
階段を降りてきたのだっけ。そう確認しないと忘れてしまいそうなほど変わらない。
今のところずっと一本道だ。
もしかしたら気づかないところにドアがあったのかもしれないが、ゼロは階段以外で足を止めてはいない。敵の姿も見当たらない。
少しずつ歩き方を会得して足音が小さくなるが、響きやすい材質を使っているのか無音にすることは難しい。もちろんゼロの足音は一つもしない。
偶にちらちらと視線を向けていることを確認する。ふ、とどこかに消えてしまっても気配すら感じさせない彼を見失うのはたやすいことだろう。
少しすると、実態は掴めないが妙な音が聞こえてきた。モーター音に近いが、今時音の聞こえるモーターはない。
細かく振動するようなその音は、低いものかと思っていたが近づくにつれて徐々に高くなっていく。何かの音に酷似している。
なんだっけ、と少し考え込むと答えは出た。チェーンソーのような切断機の音だ。
それと同時に自分たちが何故ここに来たのかを思い出す。
自分たちはここに、仲間を見つけに来たのだ。
L777の目が吸い寄せられるようにゼロの方へ動く。
丁度、ゼロが「気をつけろ」とハンドサインを下したところだった。
中央のライトが途切れているのを目視した。
光の反射具合から壁で遮られているのだと言うことが分かる。
近寄ると切り込みのようなものは確認できなかった。
「……O202さんたちの声、しませんね」
「あー、多分ジャミングで通信機系は全部ダメになってる」
「……この先、どうしますか?マップだと広めの空間がありそうですけど」
「行くしかないでしょ」
どうやって。そう尋ねる前にゼロは左手を壁につけた。
瞬間、L777は横に思い切り蹴飛ばされた。腹に入ったが蹲ってる場合ではない。冷静且つ俊敏に顔を上げると、刃物を持った人間が先ほどまで自分がいた所の壁に刃を突き立てていた。擂れるような硬い音がする。剣先がわずかに壁に傷をつけていた。
自分はゼロに蹴飛ばされたおかげで助かったのだ。
「……なんで!?」
そしてその人物が着ている服はGFの軍服と相違ない。見間違えるはずのない服だ。
まさか裏切り――。
「乗っ取られてる。操り人形だわ、これ」
無の感情でそう呟いたゼロは、躊躇なく銃を撃った。
通常弾がその人物の剣を弾き落とす。
直後、キィィインと耳元で嫌な音がして思わず塞ぐ。だがそれは外部からの音ではなかったため、塞ぎきることは出来なかった。
その間にもGFの人間はナイフを取り出し、ゼロに斬りかかっていた。耳障りの音がするのは自分だけではないはず。だが、ゼロはそんな素振りを一切見せず、相手のナイフを掴んだ手を掴み、腹部に思い切り蹴りを食らわせた。GFは壁に叩きつけられてがくりと項垂れる。
ゼロは晒されたうなじに手刀を振り下ろした。
「
無線に声をかけながら、ゼロは銃口をGFの頭に突きつけた。引き金には指がかかっている。
『すいません、強制的に割り込んだら変なことになっちゃいました。そっちは大丈夫ですか?」
「仲間に襲われた」
『大変じゃないですか』
再び聞こえてきた彼女の声は、ゼロと同じように淡泊な声だった。
「ドッグタグは?」
『あります』
「上の指示を仰ぐ」
『返答――ゼロへ、悪いけどよろしく』
「回答――ホオブへ』
yes,sir。ゼロは音を口にした。
そのまま引き金にかけた指を動かした。音の無い弾丸が放たれ、仲間だった男の頭部に穴が開く。黒い壁に赤い染みが飛び散る。
L777の手から特殊銃が落下した。
なんでそんな意図もたやすく。
ゼロに血走った目を向ける。その目に映ったのは光を失った男の目だった。
『
「他の反応は?」
『その壁の奥です。どうします?』
「ぶち抜く」
『了解』
ゼロは殺した仲間の首にかけられたチェーンを剣で切り、ドッグタグを回収した。
そして壁から少し離れると、左手の銃を構える。特に合図も無く銃の形が大きく変わり、銃口に光が収束する。
「待った!その兵士……どうする気ですか」
L777は銃口の前に立ちはだかる。自身の背後には打ち抜かれた仲間がいる。
「持って帰るか?」
ゼロの音だけの言葉。
「当然です。弔ってやるのが礼儀でしょう」
けだるげな目とはまた違う、力の無いその目。
ゼロは少し首を傾けた。感情変化の乏しいその表情は今は何も映していない。
「O202、L777の情緒機能の
『……本人の同意がないとできません』
「あー、そっか」
薄い表情のまま、ゼロは投げるように右手に銃を移し替え、左手でL777の頭部を鷲掴みにした。
細く色白な腕からは想像できないほどの圧。L777はその手を掴んで抵抗するが、痛みで上手く力が入らない。
ゼロの左手には機械に命令を下す何かが仕込まれている。そしてL777の脳内には機械であるチップが入っている。
痛みからなのか、何も考えることが出来なくなった。
目の前の情報を、ただの情報としてだけ取り入れる。
この場にいるのは自分に指示を出す男と、死体のみ。ただそれだけ。
「下がれ」
その言葉にSF-L777は無言で従った。
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