chapter 002

act.001 Operator


 ◇



 小さく欠伸をしながらL777は箸を手に握り、頂きます、と小声で口にしてからお碗を伸ばした。


「……ここ、あいてるかんじ?」

「あ、どうぞ」


 空いた手で自分の盆を手前に引く。

 汁物を吸うために顔を少し上げると、向かいの席に座った人物が目に映った。

 いつも以上に眠たげな顔をしたゼロがいた。

 昨日、この男を起こしたときに銃口を突きつけられたときのことを思い出す。寝起きが悪そうだったが、早起きが出来ないわけではないらしい。


「おはようございます、ゼロさん」


 返事はなく、代わりに大きな欠伸をしたゼロは箸に手を着けず、まるで放心状態のように固まったままだった。

 その理由は聞くまでもない。眠さに勝てないのだろう。


「ここ、空いてる?」


 斜め向かいから声をかけられ、L777はお碗から口を慌てて離して2回ほど頷いた。


「いいですよね、ゼロさん」


 聞くと、「あ"?」と不機嫌気味に睨まれた。


「あー、いいのいいの、こいつは。朝は使いモンになんねーから」


 同意するのもおかしな話なので、L777は「はぁ」と曖昧に頷いた。

 斜め前に座った眼鏡の男は箸をグーで掴み、納豆を混ぜ始める。

 その匂いが鼻についたのか、ゼロは自身の隣を見た。


「……おまえ、いつ来たの」

「ついさっき」

「……あ、そ」


 ゼロはもう一度大欠伸をして、そろそろと箸に手を伸ばした。


「で、お前、L777であってる?」

「あ、はい。初めまして。えっと……」

「SF-E001」

「……01番号ナンバーワン!?」


 突然大声を出し、L777は噎せ返った。

 慌てて水を飲むその姿を見ながらピンはくつくつと笑う。


「お前、そんなことで一々声あげんなや」


 笑いが収まる前にピンが言う。

 そこまで笑われると流石に恥ずかしい。L777は少し小さくなりながら後頭部に手を回した。


「初めまして、SF-L777です……」

「うん、知ってる」


 L777。自身の番号は嫌いではないが、主席の成績を示す01番号の前で名乗るのはいささか抵抗がある。


「最近GFから移動してきたんだって?」

「はい。えっと、E001さんは――」

「――ピン」

「あ、はい。えっと、ピンさんはずっとSF番号で?」

「まぁな」と口にものを入れた状態で答える。

「ですよね。しかもE番号ナンバーってことは……」

技術班Engineer


 かっけぇ、とL777は思わずこぼした。


「ゼロさんとは同期なんですか?」

「いや?」


 隣に座るゼロが眠たげに、けれど1度首を縦に振ってピンに同意する。


「え。じゃあ、接点ないじゃないですか」

「俺、元S番号」

「……え」

「こいつ、元相棒」

「……え?」


 えぇ!?と目を飛び出して驚くと、ピンはまたケタケタと笑い出した。


「……しかも、こいつ、ただのEじゃないからね」


 同席している他2人がこれほど騒いでも、ゼロは眠たげな顔をしてゆっくりと箸を動かす。そんなゼロがぽつりと呟いた言葉にL777はずっと止めていた箸を落としかけた。


「……ピンさん、まだ何かしてるんですか」

「……これね、M番号もしょってる」

「……Mって」とL777は目を白黒させる。

衛生兵Medic」ピンはしれっと答えながら箸を口に運んだ。

「……、」L777は口をぱくぱくと動かした。


 最強の男と万能の男。

 そんなの無敵な組み合わせだろうな、とL777は只でさえなかった自信を見失いかけた。万能の代わりを自分が出来るのか、と気が遠くなりそうだった。


「で、でも、なんで技術班に転移したんです?」

「飽きた」

「あき、飽きた!?」

「……うそつけ、おまえ、せんとうきょうじゃん」

「お前は早く目ェ覚ませや。呂律イカれてんぞ」


 うん、と頷き、ゼロはお冷に浮かぶ氷を口に含み、バリバリとかみ砕く。

 L777は自分の向かいに座る2人を改めて見た。2人とも歳は自分とさほど変わらない。けれど、その2人も同期ではないと言っていた。どちらが年上なのか、少し興味が湧くが聞くのは躊躇われた。

 それに、ピンが01番号ということは、やはりゼロも01番号なのだろう。それが確信に移行しつつある。

 だが同時に強い疑問が浮上する。"0"1だからゼロと呼ばれているのなら、ピンだって同じ理屈でゼロと呼ばれたっておかしくはない。それどころか、どの年代の01番号も、ゼロと呼ばれかねない。


 だが3桁の数字の後ろ2桁は順位を示す。0位は存在しない。

 頭を捻っていると、「お隣、いいですか?」と作った声で話しかけられた。


「あ、どうぞ」


 L777が盆を少し動かしながら答えると、その人物はピンの正面に座った。

 平服を丁寧に着こなし、わざわざ帽子まで被っている。式典ならその恰好をすることもあるが、その恰好で食堂に来る兵士はまずいない。

 L777は怪訝な目を隣に座った高身長の青年風の男に向けた。そして、ぎょっと目を剥く。

 その目のまま正面に座る2人を見るが、2人は特に反応せず朝食を食べ進める。


「で、何しに来たんだよ」


 ピンが正面の人物に尋ねる。

 その人物は帽子を更に目深に被りながら、いただきますと両手を合わせた。


「何って。ここに来るのは飯食う以外ないでしょうが」

「いや。アンタ、ここで食う必要性ないじゃん」

「うるせ。ここの味が好きなんだよ」


 ずずず、と音を立てながら汁物を吸い、「うまぁ」と幸せそうな声を零した。


「……かくれる気、あんの?」とゼロが首をかしげる。

「変装バッチグーでしょ」


 どこが、と正面2人が声を揃えた。

 最強の男、万能の男。そして、そこに加わった若大将。自分がひどく場違いに思えて仕方ない。


「そっちの2人に任務持ってきたんだけどさ」

「え、大将、わざわざ食堂でその話するんですか?」

「しーっ。大将とか言っちゃ駄目」


 ものすごい剣幕で迫られ、L777は自身の口を手で押さえた。

 じゃあ何と呼べば良いんだ。一部で呼ばれている「若」という愛称ですら、口に出せない。


「任務?」と尋ねたのは、ピンだった。

「そ。ゼロとラッキー君に特殊任務をプレゼント」


 ぱち、と片目を閉じる若大将に「いらね」とゼロが間髪入れずに答えた。


「先日、ってか昨日。小隊がいくつか行方不明になってさ、情報部に死ぬ気で探してもらって、その結果が出たから行ってくれ」


 先ほどまで上司としての貫禄は感じなかったが、唐突にそれは顔を出した。

「行方不明」と呟いたゼロの顔は、気怠さは残るものの真剣味を帯びていた。


「行方をくらませた理由は?」とピン。

「それはまだ曖昧。けど、攫われた可能性が今のとこ断トツ。誘拐されて拉致監禁かもしれないから、救助に行くの」

「裏切りだったらどうすんの」


 現地に赴かないピンからすれば他人事だが、L777はそうも言っていられない。当事者だ。そして裏切り者がどういう目に遭うのか、教えられずとも本能的に分かる。


「そしたら……ねぇ?」


 含みのある妙な言い方で、若大将はゼロの方へ視線を配った。

 箸先でほんの少し白米を摘まみ、ゼロはそれを口に運ぶ。噛むまでもない少量を飲み込んでから、彼は「yes,sir」と口を動かした。


「見つけ次第、情報部Operator通して報告よろ」

「ん」とゼロが短く頷く。

「あ、行く先の座標は直接、情報部から受け取って」

「おけ」とゼロは箸のスピードを少し上げた。


「あ。行く前に」

「……まだあんの?細かいことこれ以上覚えらんないんだけど」


 ゼロは顔をしかめる。


「違う違う。ラッキー君と担当のオペレーターちゃん、顔会わせてないでしょ?」

「あー、じゃない?」

「一応、顔会わせしときな。初対面と顔見知りじゃ、信頼度も変わるしね」


「はい」とL777は頷く。


「というか、担当って?」

「SFって、小隊で動かないでしょ?指示は直接情報部から通達するのわけよ、1対1でね」

「……え」


 GFにいた頃、そんなことはなかった。

 むしろランダムに情報部から話しかけてくるので顔見知り云々などは気にしたことすらなかった。

 慣れない感覚にL777が小さく唸っていると、「こいつの担当、誰?」とゼロが尋ねる。確かに名前ぐらい聞いておかなければ。

 若大将はふふんと得意げに笑った。


「SF-O201ちゃん」


 いィ!?とL777は小さな悲鳴を上げた。本日2度目の01番号だ。目眩を覚えた気がした。

 そんなL777を前にして、「あいつかぁ……」とピンが虚空を見つめ、「あいつか」とゼロが小さく笑っていた。


「……なんか、凄い人なんですか?」


 恐る恐る尋ねてみる。2人の反応からしてあまり良い予感はしない。

 ゼロとピンは互いの顔を見合わせてから答える。


「まぁ、ドンマイ」とピンが親指を立てた。

「色々とヤバいよ」とゼロが楽しそうに笑う。

「……、」L777は隣の男に視線を向けた。


 視線に気づいた若大将は、やはり自慢げに笑う。


「情報部に限らず曲者多いけど、彼女は断トツの別格」


 絵に描いたような変人からのお墨付き。

 L777は口を開け放ったまま天井を見つめた。




 ◇




 軍なんていう血生臭い場所だが、その場所は辛うじて花を感じられる場所だった。少々毒気を感じさせることが玉に瑕だが。


「……何、アンタら」


 情報部に足を運んだL777、ゼロ、ピンの3人は入り口で足止めを食らった。癖一つ感じさせない真っ直ぐな長い髪を垂らしたオペレーター、O202オーツーは冷ややかな目つきで3人を出迎えた。


「テメェに用はねーからひっこめ」


 しっしっと手を払うピンに「ぶっ殺されたいの?」とO202は口元だけ爽やかに笑ってみせた。仲介しようと1歩踏み出したL777の前に手を出し、ゼロはそれを制した。そして諦めたように首を力なく横に振る。


「アンタみたいな害虫、ここの子に近づけるわけにはいかないの。さっさと失せて」

「テメェの面のほうがよっぽど害虫だろうが」

「その面燃やすぞ」


 止めなくて良いんですか、とL777はゼロに小声で尋ねる。

 止まんないから良いよ、とゼロは欠伸を手で隠す。

 2人してにこやかな表情で言い争っているのが不気味で仕方ない。L777はおろおろとしながら2人の顔を交互に見た。


O202オーツーL777ナナの担当に会いに来たんだけど、話通ってる?」


 バチバチと火花を散らしている元相棒を横にどかして、ゼロは本題に踏み込んだ。誰彼構わず喧嘩腰というわけでもないO202はゼロの顔を見ると、柔和な笑みを浮かべた。


「はい、聞いてますよー。アンのことですよね?」


 その問いにゼロが首肯した。聞き慣れないその呼び方がO201の呼び名らしい。


「ちょっと呼んできますんで、ここで待っててください」


 それで室内に引っ込んだらとても出来る女性に見えたのだが、彼女は「アンタは帰れ」とピンに喧嘩を売ることを忘れたりはしなかった。


「あの2人、何かあったんですか?」とL777は小声で尋ねる。


 ゼロはピンが壁に貼られた掲示物に気を取られているのを確認してからL777の方へ半歩近寄った。


「何もない。一言で言うなら、犬猿」とゼロは声を殺す。

「じゃ、通常運転なんですね?」と念を押す。

「そ。犬も食わないから、無視でおけ」


 なんだぁ、とL777は変に入っていた力を抜いた。


「はーい、連れてきましたよー」


 再び現れたO202に腕を引っ張られる形で顔を出したのは、おどおどとした人物だった。長い髪は毛先を少しうねらせている。

「自己紹介は?」とO202に促され、その人物は背筋を正した。


「え、SF-O201と申します。どうぞ、よろしくおねがい、いたします」


 辿々しくそう言った彼女は、入隊時期は自分より早くてもきっと年下なのだろうなと思った。

 少し頼りなさは感じるが、戦闘職種でもない女性ならこれぐらいでも問題はないだろう。L777は食堂での3人の言葉を思い出す。目立ったようなおかしい箇所は見当たらない。


「O201、お前、この前技術班のPCにハッキングかけやがったろ?」


 ピンが言うと、うっと彼女は言葉を詰まらせてO202の後ろに回り込んだ。


「アン、またやったの?」

「ごめんなさい。難しいセキュリティのかかっているところをみると挑みたくなっちゃうんです……」

「やるなら敵のセキュリティにしなさいよ」

「て、敵のは未知の構造で体操じゃ済まないんです……」

「技術班のは体操に持ってこいってわけだ?」とピンが問い詰める。


 彼女はO202の服にしがみつき、顔を伏せて小声で何度も謝罪の言葉を口にし始めた。

 あぁ変人だ、とL777は諦めたように天井を仰いだ。

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