第7話 理由
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次の日の放課後、亮介はブッケンの三人に呼び出されていた。
相変わらず、薄暗い部室は静まり返り少し涼しかった。
遠くで、サッカー部が大きな声を出して練習しているのが聞こえる。
いつものようにこたつに足を突っ込んだ三人は、神妙な面持ちで亮介を見ていた。
「どうしたんだよ。急に呼び出して。」
亮介は昨日の龍告寺での出来事は誰にも話さないように決めていた。不安を煽ってはいけないし、この三人を危険には危険にはさらしたくなかった。
「昨日あれから私たちは手分けしていろんなお店を回ったのね。もう夕方だったから、数は限られていたけど。どこにも数珠は反応しなかったわ。そのあと私たちは近くの公園で落ち合った。もう暗くなっていたし結局何にも得るものはなかったので帰ろうとしたんだよね。そしたらね、公園のベンチで座っていたおっさんが私たちに声をかけてきたの。そのおっさんね、その数珠は誰にもらったんだ!って、私の手を掴んできたの。もうねー、めっちゃキモくて」
深雪は手首の数珠を見せながら顔をしかめた。
「で走って逃げてきた。」
「で?それが何?」
「何って。おかしいと思わない?こんな数珠だよ。今時珍しくもなんともないじゃん。それに気づいて興味を示すなんておかしいと思わない?」
「まぁ、確かにな。でもそれならなんで逃げてきたんだよ?」
「だって気持ち悪いじゃない。いきなり変なおっさんに声かけられるんだよ。それに一緒にいた男子はこの人たちだし。」
門田と西村はバツの悪そうな顔をしている。
「で俺に何の用?」
「それでね、昨日のおっさんを一緒に探してくれないかなと思って。」
「えー、嘘だろ?なんで俺が!」
亮介は呆れた顔でブッケンの三人を見た。
夕方の空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうな雰囲気だった。五月の割に妙に湿った空気を感じる。
深雪が変なおっさんに声をかけられたという公園は小高い丘の上にあった。この街は龍告寺がある綱領山と柊山の間に挟まれて翔陵川が流れている。綱領山の標高は高く険しい。それに比べ柊山は比較的緩やかで、綱領山側より柊山側の方が発展している。どちらかというと、綱領山は住宅街で、柊山側は商業施設や官公庁が多い。より多くの食品を求めて橋を渡って行くうちにこの辺りまで来てしまったのだろう。この公園は柊山側に位置する。
あれからよくこんなとこまで来たもんだなと、亮介は感心した。ブッケンの集中力は時として距離や体力をも超えてしまうようだ。
トラック用のスペースがあるコンビニの駐車場くらいの広さのこの公園は低いフェンスに囲まれ、周りにジャングルジムやブランコ、砂場といった遊具がある。それらを挟むように小さなベンチが二、三。球技をさせないためであろう。広い広場の真ん中に街灯が一つポツンと立っている。
この街灯の下で深雪は男に声をかけられた。
「さて、そのおっさんはどんな服装だったの」
亮介はまず容姿を聞いた。
「服は全身黒で足元は汚れていた。何か派手なリュックを背負っていて、少し疲れていたみたいに感じた」
「それだけ?」
「だって、周りが暗かったし周囲に溶け込んでる感もすごかったし、顔もよく見ないまま走って逃げたんだもん」
「お前ねー、超常現象とか不思議な話とか言ってる割には怖がりすぎじゃないか。」
「生きてる人間が一番恐ろしいってこと中川は知らないの?」
深雪はむくれていった。
「はいはい、それではとりあえず歩き回ってみましょうか。」
亮介は入ってきた出入り口とは反対側の出入り口に向かって歩きだした。
この公園は広さの割に出入り口が二つしかない。ここに来るまでに特段変わったような様子はなかった。公園にも異常は見当たらない。ということは反対側の出口から出て、やってきた道とは別の道を通って翔陵川方面へ抜けることが得策と思えた。
公園を出ると、工場街へ出る。工場街とはいっても小さな町工場が立ち並ぶ狭い地域だ。両側には何かの部品を作っている工場がならぶ。四人は金属を削る音や、けたたましいトラックのエンジン音を聞きながら歩いた。
狭い工場街を向けると少し大きな幹線道路に出る。この道路は翔陵川に架かっている橋へ向かう。全国チェーンの服屋やファミリーレストランが等間隔に並べられたごくごくありふれた景色の中を警戒心たっぷりの高校生が歩道を行く。すれ違う人たちは四人をチラリと横目で見るだけですぐに興味をなくす。
「…休憩…しませんか」
門田が消え入りそうな声で言った。
「はぁ?まだ十五分も歩いてないでしょ。行きはバス使ったし」
「いや…でも深雪くん…体力の限界が…ねぇ…西村くん…」
「ふぁい」
西村も限界がきてそうだ。
とりあえず、近くのコンビニエンスストアに入ることにした。ここはイートインスペースのあるありふれたコンビニエンスストアだ。お客は弁当コーナーに作業着を着た男性と文具コーナに中学生位の女の子が一人だけだった。
深雪と門田はお茶を、亮介はアイスコーヒー、西村はアイスクリームとなぜかポップコーンを買ってイートインスペースに入った。
「さて、これからどうしましょうかね」
アイスコーヒーの氷をかき混ぜながら亮介は尋ねた。
「いくら小さな町だからと言ってもたった一人のおっさんを見つけ出す事なんてなかなかできることじゃないよ」
「それはそうなんだけどねー」
深雪はお茶を一口飲んだだけでペットボトルの蓋を閉めている。
「…どうします…」
「もう諦めて帰ろうぜ」
亮介は打ち切りを提案した。
「だめ。絶対にだめ。だってこの数珠に興味を示すなんてそんなにあることじゃないと思う。あのおっさんは必ず何か知ってると思うの」
「いやでも、こんな闇雲に探してもらちがあかないぜ」
「それはまぁ、そうなんだけど」
手詰まり。全く次の手段が見つからない。重い沈黙に四人は包まれた。
作業着姿の男が会計を済ませて店を出ていった。それとすれ違うように上下スウェットにサンダル履きの男が店に入ってきた。その男は店の中を一瞥すると窓際の雑誌のコーナーに足を運んだ。何気ない普通の光景だ。
「困ったねぇ」
「…困りましたね…」
「うーん」
四人は机を囲み頭を抱えている。その時、
「中川?」
と声をかけられた。
亮介が顔を上げてみるとそこにはさっき店に入ってきたスウェットの男が立っていた。
亮介はその顔に見覚えがあった。
「緒方さん!」
ほんの数日前までスーパーマルカツで亮介と一緒に働いていた唯一のヒラ社員だった緒方だった。
「緒方さん。久しぶりです。どうしてここに?」
「いや、俺の家この近所だからさ」
久しぶりに見る緒方の声は小さく聞き取りずらかった。寝癖がひどく、無精髭も生え放題でまったく手入れはされていない。働いていた時の緒方は責任感があり、動きに全く無駄がなく、キビキビと効率よく仕事をこなす優秀な社員であったが、今はずいぶんくたびれた様子で当時の面影はまったく感じられない。
「それより、こっちこそなんでお前がこんなところに」
「変質者探しですよ」
「なんだそれ?」
「この先の山側にある公園でこの子が変なおっさんに声をかけられたんです」
ドロッとした目で緒方は亮介たちを眺めている。
「それで、僕たちはそのおっさんを探して歩いて回っているんです。緒方さんこの辺で変なおっさん見ませんでしたか」
「いや、ずっと引きこもってたから」
「そうですか」
亮介は緒方を傷つけてしまったような気がして、少し声のトーンが下がった。
「そういえばお前まだあのスーパーで働いているのか?」
「はい」
「そうか。なんか突然やめて申し訳なかったな」
「いえ、緒方さんのことだから何かものすごく大きな理由があったんだろうと思っていますよ」
「あの時なぁ、本当に体調が悪くなってしまって。俺も不思議で仕方がなかったんだわ。だって普通に楽しく仕事ができていたんだぜ。それが突然ある日やる気がなくなってしまって体力どころか気力までなくなってしまったんだ」
「はあ、なんでですかね。僕は緒方さんが毎日楽しそうに働いてるところを見て少し尊敬もしていたんですよ」
「店を辞めた後家に引きこもって俺は深く考えて見たんだ。それで俺はね、なんとなく原因がわかったかもしれないんだ。原因はあの店だ。あの店には何か得体の知れない不思議なネガティブな雰囲気が漂い出していたんだ」
緒方の目に少し力が入った。
「俺が入った頃はそんな風でもなかったんだ。俺はその場の雰囲気を察知して空気を読む。なんて言うか、つまり空気に敏感な方なんだ。ところが、今年に入ってその暗い雰囲気が出てきたように感じる。特に調理場の奥は気持ち悪かった。一人であの調理場に立って惣菜を作っていると背筋がゾクゾクっとなって包丁を握る手が震えていたんだ。後ろの方には在庫だろ。その奥は金庫と事務所じゃない。基本的に事務所には部長と俺がいるだけだよね。たまに社長がいてたけど。あとは、高木さんか」
高木さんはベテランパートのおばちゃんだ。高木さんはバイトのシフト決めやら、商品の発注などあらゆる事務仕事ができる。しかし、嫌味っぽい性格からバイトの間ではすこし敬遠されていた。緒方は自分が入社するよりも前に働いていた高木さんにかなり遠慮していた。
「その在庫の段ボールの奥の方から黒いモヤのようなイメージが湧いて出たんだ。それが何なのかわからない。わからないけど確実に良くないことだということがわかった。その雰囲気を感じ取って以来、俺は調理場に一人でいることを極力避けた。毎日が張り詰めていたよ。緊張の毎日だった。」
緒方の目からより一層の熱量を感じた。
「でも、緒方さんが基本一人でお惣菜作ってましたよね。シフトに確認や着替えぐらいで、店が開いたらみんなあそこにはなかなか入らないし」
「そうなんだ。一人にならないなんて所詮無理なことなんだ。そして俺は徐々に徐々にその雰囲気に飲み込まれるような気がしてきたんだ。ここにいると俺は何か得体の知れないものに取り込まれすべてが終わってしまうそんな気になった。そう感じるともう無理だった。もう逃げるしかなかった。もう緊張がピークに足した時、衝動的に俺はその場にあったメモに走り書きをしてその場から逃げ出した。それから、一歩も外に出られなくなった。今では立派な引きこもりさ。やっと最近は近所に散歩くらいはできるようになったけどな」
「その事を社長とかには話せてないんですよね」
「話せるわけねぇだろうが。いきなり飛んだやつだぞ。合わせる顔もないよ」
「でも、一応話しておいた方が」
「いやいや、無理だろ。話したところで誰がこんな話信じる?頭がおかしくなったでお終いだよ。ま、君子危うきに近寄らずだよ。いろんな意味で。とにかくあの店は何かある。気をつけろよ。それにお前たちも変質者探しなんかせずに早く帰りな。君子危うきに近寄らずだよ。じゃな。」
そう言って緒方は重そうな足取りでコンビニエンスストアを出て行った。
店内には陽気な流行りの音楽が流れている。
「今の話信じる?」
亮介はブッケンの三人に目をやり尋ねた。
「信じるもなにも…マルカツに行きたい?」
答えは聞くまでもなかった。三人の目は好奇心に満ちて爛々と輝いていた。
時刻は午後五時半。どんよりとした雲が太陽を隠し、雨を降らせる準備が整っていた。
緒方と会ったコンビニエンスストアからバスで二十分ほど揺られるとスーパーマルカツのある地域に入る。最寄りのバス停「最上町前」から歩いてすぐのところにスーパーマルカツはある。
四人はバスを降りスーパーマルカツに向かう角を曲がった。亮介は普段より人通りが多いように感じた。それも人々はどこかへ行くわけではなくここに集まってきているようにも感じた。
スーパーマルカツに着くとその人の数は一段と増し騒然とした雰囲気に包まれていた。
人混みをかき分けたその先には消防車が二台とパトカーと警察官がいた。
先程からサラサラと弱い雨が降り出し野次馬たちを薄く湿らせていた。
パトカーや消防車の赤色灯は消されていたが、物々しい雰囲気に亮介の胸はざわめいた。
自動扉を抜け店の中に入った。どさくさに紛れてブッケンの三人も自動扉を抜けた。
お客がいない事とBGMがなっていない事以外はいつもと変わらない店内であった。
四台あるレジの一番端のサービスコーナー前に従業員のみんなが集まっていた。
「何かあったんですか」
亮介はベテランパートの高木に声をかけた。
「ああ、中川くん。あのね新人の派遣さんがねフライヤーで失敗しちゃったのー」
人が足りないということで急遽派遣会社から一月間だけの契約で中村と言う三十代の主婦が三日前から働きだしていた。
「クロークって狭いじゃない。段ボールとかもいっぱい積んでてなかなか身動きが取れなくなる時があるじゃない。派遣さんが品出しでスナック菓子を取りに行ったときにバランスを崩しちゃって。その時に山積みにしていた段ボールがなだれたんだって。で、運の悪いことになだれた先が見切り品の箱だったんだ。でその見切り品がトレイのままフライヤーの中にボチャッと。油が跳ねてボヤ騒ぎ。幸いすぐに火は消し止められたんだけど、警備会社のセンサーが感知しちゃってこの騒ぎになっちゃったってこと」
「派遣さんは?」
「うん、手に軽い火傷を負った程度で大した事ないって」
「それはよかった」
「なんでよかったの?派遣さんのおかげで二、三日は営業はできないよ。これじゃぁ私の収入にも大きく関わってくるじゃない」
高木は困った顔でため息まじりにつぶやいた。
「社長と部長は?」
「あー、社長は出張。なんかドバイ行ってるって。絶対バカンスよね。部長はなんかさっき事務所のほうに警察と消防と一緒に入っていったよ」
亮介は改めて店内を見た。BGMが無いだけでいつも通りのスーパーマルカツだ。これからどうなるかはわからないけど被害は少なそうなのですぐにでも仕事は再開できそうだと感じた。
亮介は店内を見回しゆっくりお惣菜コーナーに向かったその時、ドクンと心臓が波打った。
「あっ、まただ」
この感覚はマノコが近くにいる。
亮介は辺りを見渡した。
特になにもない。
「ミラン」
亮介はミランの名を呼んだ。
「はーい」
亮介の胸ポケットが一瞬膨らむと中からミランが飛び出してきた。
目の高さまでミランが浮き上がってきた。
「マノコですね。この辺りにいますよ。すごい波動がビンビンきてます」
「やっぱりそうだよな。今俺の心臓は激しく動いている」
「ご主人様、ブレイドみてください」
亮介はズボンのポケットからミランに渡されたブレイドを取り出した。虹色に輝いていたブレイドは黒く真ん中にブレイドの形より少し小さめの楕円形の赤いシミのようなものが浮き出ていた。
「これは一体?」
「やはり、ここにはマノコがいるようです。ご主人様ブレイドを持って歩いてください。」
亮介はブレイドを手にゆっくりと陳列棚に沿って歩いてみた。ブレイドの赤いシミはそのたびに大きくなったり小さくなったり、まるで心臓が鼓動しているような動きを繰り返した。
「熱いっ!」
後ろの方で深雪の叫ぶような声が聞こえた。
振り返ると深雪は左手首を押さえていた。深雪の手首の数珠が赤く染まり、煙を出している。深雪は数珠を手首から外し、床に落とした。
「何なのこれ!」
落とした数珠が床に焦げ跡を作り、すえた匂いが立ちあがってきた。
「大丈夫か」
亮介は深雪のもとへ駆け寄った。
ブレイドに目をやるとまるで警告を発するかのように赤いシミが激しく鼓動していた。
「ミラン、ミラン!これは一体どういう事なんだ」
ミランは亮介の耳元で
「確定ですね。この中に必ずマノコがいます。早く探さなきゃ。どこでしょう」
ミランは高く飛び上がり頭上から店内を見た。
照明は全てつけられ店内は明るいが、お客は一人もいず、冷蔵庫のモーター音と従業員のヒソヒソと話す声だけが店内に聞こえる。
「見つけました」
ミランの目は深雪の背中のパンコーナーに向けられていた。
「食パンです」
そういうとミランは食パンに向かって急降下した。夕方のパンコーナーは品出しをされたばかりで、十分に数は残されていた。
そのパンの山に向かってミランは槍を構え落下速度を速めた。
「キェーイ!」
ミランが槍を突き刺したパンは、ピラミッド状に積み上げ並べられた食パンの真ん中あたりだった。
勢いよく突き刺さったミランの槍は食パンの山にほんの少しの歪みを作った。その歪みの隙間からうっすらと黒いモヤが湧き出ている。
ミランが突き刺さった槍で中のマノコを取り出そうとしている。
「よいしょ、早く出てこい!」
ミランはマノコを取り出すのに苦労しているようだ。
「今回のコイツは強力です!」
ミランの紅い槍が大きくしなる。
早めの対応だったからなのか亮介の体調はさほど悪くはなっていない。亮介はミランの動きに集中した。
グイグイとミランは何度も何度も引き出そうと試みる。しかし、中々尻尾を掴ませない。やがて食パンの間から黒いモヤがはっきりと見えだした。
「がんばれ!ミラン!」
亮介はブレイドを握りしめた。
「うおりゃゃゃゃー!」
ミランが大きく叫び最後の力を込めた時、
バキッ!
ミランが持っていた紅い槍が根元から折れた。
「えーえー!」
先がなくなった槍を見てミランが焦りだした。
「まずいです。私はこれがなければマノコとは戦えません。私の武器はこれが最強ですから。」
食パンに突き刺さったままの槍の先には顔をだしかけたモヤがうごめいている。
ミランは腰にさしていた短剣を抜きモヤに突き進んでいった。
もうすでにモヤはミランを敵と認識した。パンの間をぬってあらゆる方向から何本もの触手のような突起物をニュルニュルと放出しミランに襲いかかってきた。果敢に立ち向かうミランだが、やはり圧倒的な数には勝てないのか、徐々にその姿はモヤの中に取り込まれていった。
「イア!トゥ!ハァッ!」
ミランの声だけが黒いモヤの中から聞こえてくる。
「ミラン!」
亮介は大きく叫んだ。
モヤの厚みは増していく。もうほとんど食パンの山全体を黒いモヤが包み込んでしまっている。ミランの声も分厚いモヤに阻まれ小さく聞き取りにくくなっていた。
するとその時、突然亮介が握りしめていたブレイドが熱く熱を持ち、明るい光を放ちだした。
虹色に輝くその光は食パンを覆っているモヤに向けて放たれ、中にいたミランを透かし照らした。
ミランは全身をモヤに包まれ身動きが取れなくなっていた。
ブレイドはその光が漏れるかのように、ちょうど真ん中から亀裂が入った。ブレイドの裂け目は徐々に広がっていき、中からまぶしい光が溢れ出だした。
亀裂が完全に開くと、ドーム型だったブレイドが卵のように楕円球になった。そのなから、プリズムのような様々な光の筋が放たれた。その光の筋に乗り滑るようにそれぞれの甲冑を身につけた小さな少女が五人現れた。
「苦労してるようだね。ミラン」
西洋風の甲冑ロリカ・セグメンタタに身を包んだ金髪の少女はミランに言った。
「アキ!」
ミランが叫んだ。
「助けましょうね。」
褐色の肌の少女は古代インドの戦士が身につけるような薄い胸当ての甲冑を着ている。布製のブーツは分厚く、腰には短剣を差している。
「バルーザ!」
「もう大丈夫だよ。」
三つ編みのお下げ髪の頭に鳥の羽を一本さした鉢巻をした少女は鞣し革の服を着ている。手には身長ほどの槍が握られている。首から色とりどりのネックレスを何重にも重ね、顔には三本線がメイクされていた。インディアンの戦士のようだ。
「ワナギーさん」
「ふぅ。早くやっつけちゃいましょ」
前たてが鬼のツノのように湾曲し、吹き返しが大きくめくれ上がった平たい兜をかぶった日本風の鎧を着た少女はクールに言った。
「ニッポまで」
「まったく情けないね。ほら、新しい槍だよ」
長くて白い上着にターバンのようなヘッドピース、肩から革製の分厚いベルトをたすき掛けにし、手にはブーメランのような形の湾刀を手にした世界一勇敢で勇猛なグルカ兵の伝統的な戦闘衣装を身につけた少女がミランに新しい槍を投げ渡した
「ありがとう。グルーガ」
ミランは飛び上がりグルーガが投げた槍を空中でキャッチした。
六人は円を描くように旋回しながら、食パンに向かって降下してしていった。
グルーガがククリナイフと呼ばれる湾刀でモヤを蹴散らし、ぽっかり空いた穴に向けてニッポが弓を連射する。その後を追うように槍を持ったワナギーが突っ込む。モヤは突っ込んできたワナギーを捉えようと触手を伸ばしてきた。それを腰から短剣を抜いたバルーザがガッチリ受け止めた。その横をすり抜けるようにワナギーが食パンに槍を突き立てた。
モヤは悶えるようにその全貌を露わにし、食パンから飛び出してきた。蛇のように体をくゆらせのたうちまわるように空中へと登っていくモヤに、アキが大きな刀で切りつける。その切れ味は鋭く、モヤはいくつかの破片に切断された。モヤの先端、生物なら頭にあたる部分をめがけて槍を構えたミランが錐揉みしながら突撃した。ミランはモヤの先端を槍に突き刺したままモヤもろとも食パンに突っ込んだ。
「ギィエーッ」
モヤは金属をこすり合わせるような強烈な叫び声をあげると、意思を持ったかのように動いていたモヤが霧散し始めた。黒い埃のような塊はほどけ、空中に舞い上がる。やがてそれらは散り散りに広がり、空気に溶けていった。
モヤが晴れていくと、そこには食パンに突き刺さった紅い槍とそれを手に仁王立ちしているミランがいた。
その周りには五人の戦士が輪を描くように浮いていた。
「終わったね」
アキがみんなに確認するように言った。
「いやいや、中々の敵でしたよ」
ワナギーが安心したように言った。
「やっぱり余裕だったね」
ニヤッとしながらグルーガが言った。
「あー、疲れた」
首を回しながらバルーザも言った。
「早く戻りましょう」
最後はニッポがクールに呟いた。
ミランは上空で浮くみんなに向かって
「どうもありがとう」
と頭を下げた。
「じゃ」
とアキがいうと五人は亮介の手の中のブレイドに戻っていった。五人がブレイドの中に入ると、開いていた蓋は素早く閉じられ、元のドーム型のブレイドに戻った。もう熱は感じられなかった。
後には少し歪んだ食パンの山と、静かに漂う空気だけが残された。
亮介はミランに聞きたいことが山のようにあったが、ここでミランと会話しても他の人にはミランが見えない。多分その光景は亮介が独り言で興奮している滑稽な場面に映るだけだろう。亮介はミランとの話を後に回し、深雪の様子を伺った。
「大丈夫だった」
「うん。ビックリした。急に手首が熱くなって、数珠を外したら持てないくらいで落としちゃった」
床に落とした深雪の数珠は紐が切れてバラバラになっていた。
「あらぁ、せっかくの数珠が壊れちゃったね」
「うん。でも、なんだか熱かったのはあの時だけみたい。今は全然だもんね」
床に散った数珠の玉を眺めると、真っ赤になっていた数珠が今は黒くむしろ冷たそうに感じた。きっと深雪が手首から外した時についたであろう、床には焦げ跡が数珠の形にはっきりと付いていた。しかし、深雪に何もなく亮介は少し安心した。
「おいおい、なんの騒ぎですか。バタバタとうるさい。せっかく仕入れた食パンの袋、破いたりしないでくださいよ」
クロークからぶつくさ言いながら部長が出てきた。
「コッチは事情聴取やら検証やらで忙しいんですから。それに社長はこんな時に限って出張だし」
後ろには厳つい銀色の消防服を着た男と制服の警察官がついて出てきた。
「とにかく、大事にならなくて良かった」
「気をつけてくださいよ」
二人の男はそれぞれに言うべきことを言った。その度に部長は
「ハイ。申し訳ありません」
とペコペコと頭を下げた。
「では、我々はお店の周りを点検したら戻りますので」
「ハイ。どうもご迷惑をおかけしました」
部長は消防士と警察官を外に見送りに出た。
店の中から窓ガラス越しにまだ頭を下げている部長が見える。
この騒ぎがひと段落ついても、今日の営業は無理だろう。ここは早く退散した方が良さそうだ。もともと、今日はシフトが入っていない日だし。
「さぁ、はやく帰るか」
と亮介はブッケンの三人に声をかけた。深雪が
「帰る前に、龍告寺に寄ってもらえない」
と言ってきた。
「いいけど、何で?」
亮介は尋ねた。
「うん。ほら数珠が壊れちゃったじゃない。だから新しいの欲しくて。それに、少し気になることがあって」
深雪はそう答えながら左手の手首を見せた。深雪の左手首にはクッキリと数珠の形でアザが残っている。
亮介たちはパートのおばさんたちへの挨拶もソコソコに店を出た。
龍告寺までここからバスと電車で約二十分。雨はまだシトシトと降っている。
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