第6話 死中に活を

 血泡が喉からこみ上げて口の中で割れる。思いがけず大量の血を吹いた。


「ごぽ……あが」


 どろりと舌に血が絡みつく。剣を地面に刺して杖にする。頭がくらつく。

 男は目を丸くして尻もちをついていた。


「……はは」


 だが、彼は笑う。


「ははっ! 歯向かうからだ! 余計なことをしなければよかったのに!」


 男はふらふらと立ち上がり、返り血も拭わずに拳を震わせた。


「こんな、神の力をばらまく世界、神自身の力で滅ぼしてやる……!」


 口を開こうとした。呼吸さえ細く、声が出なかった。


――滅ぼしても、な。意味ないぞ。


 ここは神の力の発信地ではない。

 出所がのさばっていたらそのままだ。重要度など絶無に等しい。


――だって、この組織はこんなにも軽率だ。


 あまりにも穴が多いのは、普通の税関ボーダーセキュリティとは守っているものが違うからだ。

 見初めた誰かに庇護を与えたい。しかし、世界を乱したくない。

 そんな善意に応じるために、異世界とのすり合わせを行う。そんな場でしかない。


――世界を超えていくものたちが、全員神の世話になるわけじゃない。悪意で送り込む神もいる。俺たちは誰も守れない。


 いつも歯がゆいと思っていた。暴走する転生者から力を奪い返すことを、頑迷に行わない。そのために混乱する異世界が出てくる。

 だが彼の怒りを見て、分かった。

 に加担してもなのだ。

 勝利の確約された争奪戦など、仕掛けることすら卑怯だ。

 だから境界を守る。

 歯がゆくともことはせず、に慎重になる。

 善意と善意をすり合わせる組織だから、ひとしずくの悪意にこんなにも脆い。


 そして。


「滅ぼさせなんか……!」


――そんな組織だから、お人好しばかりが集まっている。


「しないっつーの! っす!」

「ああ?」


 声に振り返った男の背中が驚愕に強張った。

 が飛んでくる。文字通り、びゅーんと放物線を描いて。


「舐めんな!」


 男はクレイモアを握り、振り上げざまに打ち砕いた。

 中に詰まっていた赤紫色の液体がぶちまけられた。男は頭からかぶる。


「……ンだ、こりゃァ!」


 鼻にツンとくる独特の酒精。だ。

 通常より遥かにアルコール濃度の高いそれに、男は慌てて火から離れる。

 俺の前まで戻ってくる。

 炎の向こうで、仁後さんが猫の手を突き上げていた。


「今っすよ! タケオくん!」


 嗚呼。

 例え剣技のみとて、神に並んでこそ気づかされる我が身の矮小さよ。

 それでも俺は技の高みに固執して、神の世にまで踏み込んでしまった。

 だから。

 震える足の重心を変える。感覚のない指で柄を握る。棒のような腕を引く。

 ここで刀を振れずして、剣の腕を名乗れるものか。


「あ? て、めぇ――」


 男が気づいて、俺を見る。

 その目が、視神経が、脳が俺を認識するより早く。

 神速に至った剣戟がクレイモアを弾き飛ばす。


「が」


 悲鳴の上がりかけた頭を峰が引っぱたき、意識を彼方に昏倒させた。

 ……らしい。

 俺も気を失った。


 -§-


「タケオくん!」


 大きい猫の顔が見えた。仁後さんだ。

 白い天井、硬いベッド、消毒液の匂い。医務室だった。


「無茶はダメっすよ! いくら神の世でも、冥府渡りは大変なんっすからね」


 大変なだけで可能なのか。神代はずるい。


「彼は捕らえたよ。女神も無事だ」


 先回りしてヒルデガルドさんが教えてくれた。相変わらずの無表情で仁後さんの後ろに立っている。

 ひとまず、よかった。


「二人はどうなりますか?」

「どうもなにも」


 肩をすくめる。


「我々は警察じゃない。話を聞いたら、それぞれ故郷に帰して終わりさ」


 そうか。税関法に基づく法的組織じゃないのだ。

 なんだか無責任な話だ。


「さて。神が嫌いなタケオくんに質問だ」


 俺の近くに立ったヒルデガルドさんが改まって指を立てる。


「以前、私たちの行いを無責任と言ったね。だが私は責任のありようだと思う」


 確かにそんな話をした。


「その世界の天秤がなにを計っているのか、我々のものさしで読み取れようものか。なればこそ、我々は天秤そのものを守ることのみに腐心する」


 ヒルデガルドさんが俺を見下ろす。

 その手が水の入った小瓶を揺らした。


「無責任だと思うならよし。だが同意し、私の威光の下で働くのなら……治癒の水を分け与えよう。飲めばたちまち傷が治り、すぐにも現場復帰できる代物だ」


 かなりブラックな選択だ。

 苦笑して、手を伸ばす。


「そんなの、決まってるじゃないですか」


 小瓶を受け取る。

 今日も明日も、仲間と並び立つために。

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異世界ボーダーセキュリティ 留戸信弘 @ruto_txt

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