第4話 人の業

 世界を渡る瞬間は、よく分からない。

 いつも"そのあたり"を歩いていたらいつの間にか着いているのだ。今回も、気が急くままに十字路を早足に歩いていたら、地面の急変につんのめった。

 清潔そうな白い壁と夜闇に濡れた採光窓を電灯が照らしている。大病院の待合室を思い出させる広大なロビーだ。無人の広間は空間以上に寂しく見える。

 従業員扉に駆け寄って開けると、びっくりしたように肉球を挙げる少女がいた。カーディガンにフレアスカート、ロングブーツを合わせた私服姿の仁後さんだ。びっくりしたように耳を立ててひげを揺らす。


「あれっ。タケオくん、帰ったんじゃなかったんっすか?」

「ヒルデガルドさんは!?」

「ま、まだ中にいるっすよ。どうしたっすか? そんな血相を変えて」

「不審者はまだいる!」

「は? あ、ちょっと待つっす!」


 仁後さんをすり抜けて事務室に向かうと、小走りに仁後さんが追いかけてきた。

 道すがら話す。マサオの呈した疑義、鍵を開けられる別の何者かの存在。


「それって……つまり、犯人は誰っすか?」

「分からん!」


 道すがら管理ボックスの台帳を取ってめくった。

 倉庫の台帳に巨大な陥穽があったのだから、こちらにもあって不思議はない。その先入観を持った頭で読み始めると、すぐに分かった。


「やっぱりだ。取り出した時刻しか書いてない。持ち出したまま隠しても分からないんだ!」


 納得しかけた仁後さんはかぶりを振った。


「いや、でもそれはおかしいっす」


 にゅっと爪を出して、倉庫の扉を指し示す。


「鍵が開いてることに気づくのは、他のスタッフが倉庫を開けようとしたときっす。それ以前に管理ボックスから鍵がなくなっていたら、その時点で気づくはずっすよ」

「そ、そうか。確かに……」

「それに台帳の内容が正しいとしたら、うちたちの誰かが犯人ってことに」


 仁後さんの声が途中で止まった。

 見ると、彼女の大きな瞳が台帳を食い入るように見つめている。

 指差す。


「……これ、なんっすかね」


 事件の日、仁後さんが最後に入る少し前。

 自動で浮き上がってくる人名欄のひとつが、注意してみなければ分からないほど少しだけ汚れている。見覚えのある汚れだ。


「これ、消した跡だ……嘘だろ」


 仁後さんが慌てて手荷物から筆記具を取り出す。消しゴムを借りて、自分の名前がある欄にちょっとかけてみる。

 字がかすれた。


「「えええええ!?」っす!?」

「ちょ、ちょっと仁後さん、ペンも貸してくれる!?」


 ペンで上から書き加えても、勝手に書き換わったりしない。

 愕然として手が震えた。


「……自動で書き込まれるから、書き足そうという発想がなかった。そうか、これただの紙だったのか」

「神の力で浮き上がる文字、勝手に焼き印とかだと思ってたっす。ちょっと腑に落ちないっすよね雰囲気的に」


 仁後さんが不満げに言う。そこに不満を持つのは理不尽だと分かってはいるのだが、気持ちはすごく分かる。

 だが、神がいい加減なのは今に始まったことではない。それに一言確認すれば分かったはずのことだ。

 ついでに倉庫の台帳を検めると、鍵と同じタイミングで人名が書き換えられていたことが分かった。これは確定でクロだ。


「これ、結構ヤバい気がするっすよ」

「俺も」


 急いで通路を進み、事務室で眼鏡をかけてパソコンを使う戦女神、という斬新な女史に駆け寄る。


「ヒルデガルドさん!」


 ヒルデガルドさんは慌てて駆け寄る俺たちを悠然と振り返り、ギッとキャスターチェアにもたれかかった。


「どうしたタケっぴ、ニャー子」

「タケっぴはやめてください。過去視の宝珠を貸してほしいんです」

「ニャー子も勘弁してくださいっす」


 ヒルデガルドさんは俺と仁後さんを見比べて、


「ふむ。ただ事ではないようだな。すぐに準備しよう」


 落ち着き払って眼鏡を外し立ち上がる。無表情が今は心強い。

 過去視の宝珠を持ち出したヒルデガルドさんに「そういえば」と尋ねる。


「不法侵入の犯人はなんだったんですか」

「彼か。どこと言ったかな、すでに滅んだ世界の神だよ。尋問したら勝手に吐いた。彼の世界を滅ぼす原因となった神器を、我々が放出したと思っているらしい」


 べつに珍しい話じゃない、とヒルデガルドさんは肩をすくめる。

 滅んだ滅ぼされたは神話につきものだ。珍しくはないのかもしれない。しかし国の勃興盛衰と同じ程度に、当事者にとってただ事ではないはずだ。


「ここで歴史は紡がれないし、ここで命の営みは進まない。我々は世界の外側にいるんだ。生まれたものが滅ぶ姿に心を痛め反省し顧みこそすれ、責任を取って身を切るほど彼らと縁は深くない。それほど近しい同志だと思うのは傲慢ですらある」

「相手はそう思わなかったということでは……?」

「いいや。ただの逃避、責任転嫁だ。彼らの終末が彼らだけのものであるように、彼らの功績もまた、私たちのものではないのだからな」


 世界を築き、支えた実績に俺たちはなんら関わりがない。

 仮に「その隆盛は俺たちのおかげだ」と主張したら、それは単なる言いがかりだ。

 だから、世界の滅亡とも関係がない。


「それは無責任ではありませんか……」

「どうかな。私はむしろ、責任のありようだと思っているが……見てみるぞ」


 倉庫前に着くなり、ヒルデガルドさんは過去視の宝珠を照らした。白い幻影がひとの形を作り出す。

 周囲を見回し、手元に添えた鍵から合鍵を練成した人影。それは見覚えのある姿をしていた。


「嘘だろ……」


 イケイケなビジュアルバンドみたいな女神。

 創造を司る彼女が、神罰を宿す鍵を使合鍵を差して鍵を開けた。振り返る。後ろからやってきた不審者が中に忍び込んでいった。

 女神は台帳を書き換えて、出ていく。

 手が震えた。

 いったい、どういうつもりなんだ。


「……なんだ、彼女はなにをした?」


 俺とは違う理由でヒルデガルドさんは悩ましく人差し指の背を嚙んでいた。

 彼女は武器を容易く作る戦争と創造の女神だ。仁後さんが言ったように、元となる物理鍵が手元にあれば複製することもきっと不可能ではないだろう。

 ヒルデガルドさんは俺と仁後さんを見て手で示す。


「二人とも、倉庫から持ち出されたものを検めろ! 急げ!」

「わ、分かりました!」

「はいっす!」


 張り詰めた命令に慌てて従う。倉庫に立ち入って台帳や登記と比較すると、ヒルデガルドさんの焦りの理由に気づかされる。

 ない。

 のだ。

 女神はなにも盗んでいなかった。

 資料の束を片手に、仁後さんはぽりぽりと耳の後ろを引っかく。


「おかしいっすね。あの不審者を入れることが目的だったんっすかね?」

「あの不審者は協力を受けただけで、独立して動いていた。つまりは不思慮だった。台帳をわざわざ二つも揃えて書き換える計画性はないよ」


 ちょっとひどいことを言っている。

 実際スケープゴートだったのだろう。俺もすっかり騙された。


「そもそも台帳はなんで消えるようにしちゃったんですか」

「世界によっては文字が実体化したり意味わからん呪力を放ったりするからな……」


 ヒルデガルドさんは遠い目をした。

 その危惧は欠けていた。相当に大変な騒動があったようだ。

 世界法則が違うって面倒くさい。

 と、集中力を欠きながら棚卸し作業を進めていて、気づいた。


「あれ……仁後さん」

「なんっすか? なにか見つけたっすか?」


 ちょこちょこと隣に来る仁後さんに倉庫の壁際を示す。

 白い柱のような、巨大なミサイル。


「にゃ。これは容疑者さんの持ってきたミサイルっすね。まさか、あっ! コイツになにか仕込まれてるっすか!?」

「いや、違うんだ」


 慌てた仁後さんをなだめる。申請を受けてミサイルの詳細を検分したのは俺だ。仕様書にない不審な細工があったら、監査する意味がない。そういう意味では潔白だ。神がかり的に精密で強力なだけのミサイルである。


「これと入れ替わりに搬出した武器があったよな」


 かつてミサイルがあった場所を占めていた巨大な武器。

 


「あれは……確かあれは、性能がえげつないやつっすよ!」


 慌てて登記をめくる仁後さん。彼女の手元がすぐに止まった。


「せ、世界を分かち燃やす剣……これ、神から預かった神器じゃないっす。ほかの、滅んだ世界から回収した武器っすよ」

「ああ。それだよ」


 ヒルデガルドさんが声をあげた。


「ここに侵入した神。彼の世界を焼き尽くしたのがそれだ。神話の炎を操る転生者が手ずから鍛えた神器。処分品置き場に移したんだろう?」

「……処分品置き場って、もしかして」

「鍵もなにもない、裏口のゴミ捨て場のことっすか……?」


 ふむ、と顎に手を当てたヒルデガルドさんは倉庫の神器をおもむろに取り上げた。銀の水盤でできた水鏡。遠見の神器だ。水面を指でつついて覗き込む。

 無表情のままつぶやいた。


「まずいことになった」


 ずずん、と地面が揺れる。

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