第3話 神のご加護がありますように

 鯉口を切った途端、柄が指に吸い付くようにはまり、まるで自ら溢れ出るようになめらかに刀が滑り出た。

 居合い。

 走った刀は切っ先三寸、物打ちの位置でぴたりと銃弾を斬り捨てた。きぃん、と音が弾けて無人の床と壁に銃弾が落ちる。


「みゃあっ!?」


 遅れて仁後さんが頭を抱えて縮み込んだ。

 表情を歪めた男は憤怒の表情で引き金を絞る。二発、三発。

 まるで小枝のように軽やかな刀は返す手首に追随して、銃弾を簡単に捉えて弾く。

 なるほど、あの小柄な神様が最強と号するだけのことはあった。初めて触ってここまで使えるとは驚嘆の一言に尽きる。

 しかし、あの不審者は何者だ。

 あの銃はどこぞの軍神が思いつきで作った、神殺しの拳銃だ。ヒルデガルドさんが撃たれていたら、神格の差から死なないまでも無事では済まない。


「銃を捨てろ、お前っ!」


 男は銃を捨てた。え?

 一瞬戸惑った隙に男は屈んだ。その手にダーツを持っている。

 息を呑んだ。


「あれは――!」


 対人毒矢だ。矢が触れただけで人間はたちどころに全身が爛れて悶え死ぬという、開発した神はちょっと病んでるんじゃないのと囁かれたいわくつき。

 ダーツはあやまたず俺を狙い、男の手を離れて真っ直ぐ飛んでくる。

 速い。あるいは、避けられるほど俺は素早くない。


「頼むぞ、神様っ!」


 刀を振り上げる。矢は行けると言っていたけど、ダーツはどうだ……!?

 刃に吸い込まれるように、ダーツは縦に真っ二つという姿になって、方々に吹っ飛んで落下した。俺も、仁後さんにも触れることなく。

 安堵の息を吐く暇もない。


――あの男!


 間違いなかった。

 男は神器の効果を知っている。状況に即した武器を選んで使っていた。

 たまたま俺も知っている神器だったが、効果を知らない神器も山ほどある。この場の全てを知り尽くしていたとしたら、すぐに対応しきれなくなる……!


「よくやった、タケっち」


 風が走った。

 迅雷の如く駆けたヒルデガルドさんが、瞬きの間に男を組み伏せていた。

 腕を極められた男は虚空をつかんで震えている。戦乙女は冷淡につぶやいた。


「事件解決かな」


 鮮やかな手並みに、止まっていた息がようやく出てきた。ため息として。

 さすが、高位の神は恐れ入る。介入した瞬間に解決してしまった。

 台帳を振り返る。

 最新の欄に記載されているのはだけ。

 鍵を開けた彼女に便乗して倉庫に立ち入った俺と仁後さんは漏れている。


「タケオくん、早くやっつけるっすぅ……ケンカは苦手っすよぅ……」

「いや俺に任せないで。仁後さん、もう終わったよ」


 えうえう、と泣きじゃくる仁後さんだが、彼女が気弱なだけだ。

 ヒルデガルドさんどころか、仁後さんの方が俺より力があるのだから笑えない。

 つくづく俺は非力だと思い知らされる。

 どう足掻いたって、超えられない壁というものはある。


 -§-


 電車の車窓を、夜の電光が流れていく。

 幾度かの、大量に人が降りていくターミナル駅を過ぎると、車内にはひとは疎らにしか残っていない。

 この世界のどこでもない勤務地だが、地球から向かうにはそれなりに条件があるようで、ゲートのある十字路に通うためわざわざ電車を使わなければならなかった。

 最寄駅のホームに降り立つ。煌々とした明るさは夜に孤独を際立たせるばかりだ。夜気に湿ったアスファルトの匂いを吸ってため息が漏れる。


 退勤の晴れがましさも、帰路の心の弾みもない。疲労に溶かされた体はただ重い。

 なんだか思い出す。

 前職は毎日がこんな帰り道だった。週末の帰り道すら、睡眠と気晴らしへの僅かな欲求と、それ以上に週明けまでの残り時間を数える気怠さで倦み疲れていた……。

 帰り道に踏み出しかけた足を止める。


「……寄っていくか」


 立ち寄る、というほど近くはない。

 だがこの気分を抱えたまま帰るほうがよほど気が重かった。

 住宅街と駅前の境界あたり、道の角地にあるちょっとしたバーがある。

 アンティーク調の扉を開けると、まるで昭和からずっと続けてきたかのような場末のバーそのものといった風情が待っている。


「いらっしゃいませ。お、タケオじゃん。久しぶり」


 バーのマスター、と呼ぶには若すぎる男が、煤けた顔に似合わない稚気のある笑みを見せた。もしかしたら、俺も似たような笑みになっているのかもしれない。


「よう。また来た」

「いつでも来い。なに呑む?」

「なんでもいい。酒はよく分からない」

「相変わらずだな」


 相変わらず、か。

 それは違うような気がするし、もしかしたら、そうなのかもしれない。

 カウンター席に座って、酒の注ぎ方がサマになった男に言う。


「まだ経営が続いてて安心したよ、マサオ」

「もう少し通ってくれてもいいんだぜ? タケオくん」


 名前を呼び合って、くっくと笑う。

 彼とはダサい名前同盟を結んだ、小学生からの幼馴染だ。


「これはなんの酒だ?」

「スコッチ。有名なイギリスのウィスキーだよ」

「ふぅん。聞いたことあるな」


 グラスを舐めるように飲む。つんとくるアルコールの匂いに顔をしかめた。むせ返るような苦い酒気につばを飲み込む。


「いつまでも飲み慣れないなあ」

「悪かったな」

「で、今日はなにをしくじったんだ?」


 マサオがばっさり切り込んできた。

 まあ、そんなときしか来ないから当然だ。


「なにから話したものかな」


 愚痴りたいと思うが、いつも迷う。

 守秘義務や個人情報というだけではない。

 異世界を相手に世界の外で働いている、なんて。冗談でも通じない。

 ただ事実だけを整理する。


「しょうもない見落としで、大惨事を起こすところだった」


 鼻を指でなでる。

 単なる読心術のはずだった。その世界の生化学と相性が最悪で、読み取られた相手は思考能力を乗っ取られて洗脳される……そんな能力を認可していた。申請した神も冷や汗をかいていたほどだ。

 受付に割り込んで手続きを中断してくれた仁後さんは、俺に猫パンチを浴びせた。いやモフした。


「集中力落ちすぎっすよ。倉庫の件が気になるのも分かるっすけど、仕事はちゃんとやるっす。うちたちが下手打つと、迷惑するのは異世界人だけじゃないんすよ。分不相応な力を持たされた転生者も不幸になっちゃうんっすから」


 説教を思い出して肩が落ちる。まったくその通りだ。


「タケオがその手の凡ミスするなんてな。なにがあったんだ?」


 ぎくりとする。

 俺の顔を見て察したマサオは、へらっと笑って肩をすくめた。


「どうも落ち込み方が軽いからさ。気が散ってもって思うようななにかが、ミスの前にあったのかなって」

「おまえ、バーのマスターに向いてるのかどうか分からないな」

「……そりゃどうも」


 観察力や聞く技術は大事なのだろうが、察しすぎるのはあまりいい特技じゃない。

 変にがっかりしてるマサオに免じて口を割る。


「不審者がいたんだ。施錠されてる倉庫の鍵が開いてて、調べたら、中に隠れてた。どうも他のスタッフが倉庫を開けたときに乗じて忍び込んでたみたいでな」


 腑に落ちないことは多い。神器のことを知りすぎているとか、動機とか。

 侵入の記録が残っていないトリックは分かったものの、そもそもどうやって入ったのか判然としない。たとえ神の権能を駆使しようとも、そう易々と忍び込めるなら神器の倉庫になっているはずがないからだ。

 ほとんど話していないのに、マサオは「そりゃ確かに妙だ」と腕を組んだ。


「他のスタッフに乗じて忍び込んだなら、鍵が開いてるのはおかしい」

「……え?」


 軽くカウンターに置いたつもりが、やけに勢いがついていた。ごとんとグラスが鳴ってウィスキーが跳ねる。

 マサオは少し嫌な顔をした後、話を最後まで続けた。


「倉庫なら内鍵なんてないだろ? 不審者がどうやって鍵を開けるんだ」


 思わず立ち上がっていた。

 確かにそうだ。

 首尾よく忍び込んだ後、出ていくスタッフが

 鍵を開けたのは不審者じゃない。

 鍵を開けられるがまだ残っている。

 椅子を蹴立てて、倒しそうになって慌てて支える。出口に向かいかけて引き返す。財布から一万円札を出して放り投げた。


「おいタケオ」


 走ろうとして、マサオに呼び止められた。

 振り返る。彼は真剣な表情をしていた。


「今の仕事、楽しいか?」


 即答しかけて、やめる。


「――お前はどうなんだ。バーを始めて、今、楽しいか?」


 マサオは笑った。

 そういうことだ。

 バーを始めるという冒険を見て、俺も今の世界に飛び込むことを決めたのだから。

 店の扉を開け、振り返ってひと声かける。


「また来る!」

「お待ちしております」


 慇懃に礼をするマサオを笑って、俺は駆けだした。

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