第3話 三毛猫と夢の中
保健室に着いた僕は、さっそく体調不良を訴えて寝かせてもらった。何か吐き気がして気持ち悪いと言っておけば、熱はなくともとりあえずベットに寝かせてもらえる。
あれだけの事をされて平気な訳もなく、僕ははさみでもなんでもいいからとにかく鋭く尖った刃物で、あいつらの喉笛を切り裂いてやりたかった。ドラマみたいに吹き上がる血に泣き喚き、怯えながら逃げ出そうとするあいつらを指を指して笑い飛ばしてやりたかった。
そんなことをしても、何にもならないことは分かっている。
とにかく、このやり場のない怒りを目一杯ぶつけてやりたかった。
そんな自分を抑え込むには、こうして安定した寝心地を提供してくれるベッドで寝転がるのが一番だ。文句を言っているうちに眠くなって、目覚めた頃には忘れている。
そして、それは程なくしてやってきた。
「…………………。」
驚いた。そう形容するには表情が乏しいだろうか。しかし驚きはすれど、まったく意外な程でもないのは、この光景を見た瞬間に悟れてしまった。
色とりどりの宝石が、大小さまざまな形になって世界を構築している。忘れもしない、これは照間が短い人生の中で見た一番神秘的な光景だった。
「あれ?随分と早いんだね!」
後ろを振り返ると、見慣れたふてぶてしい笑顔の三毛猫がそこにいた。
「ようこそ!時間と空間に支配された世界へ!」
嫌でも耳に残る宣伝文句は、何だかとても心が安らいでいく気がした。
「また来たよ、リベ。」
「うん!知ってたよ!でもこんなに早いとは思ってなかった!お昼寝中かな?」
「……うん、そんなとこ。」
なんだか体育の授業をサボっているのを叱られている気になってしまった照間は、込み上げてくる罪悪感のせいでリベと目を合わせられない。
そもそも、この三毛猫が笑っている時に合わせる目なんて無いのだが。
「…………リベ、嘘は嫌いなんだよ?」
「嘘なんて言ってないよ。」
「照間は正直だなぁ、だってほら。」
「?」
リベが指し示した方向には、真っ白な水晶がどす黒く変色しているものがあった。それは水晶の中でもやもやと蠢いていて、うっすらと光の反射で浮かび上がるひびのあとから、今にも中から飛び出てきそうなほど禍々しい。
「あれは照間の心だよ。」
「嘘だ……。」
嘘だ、と咄嗟に出た言葉に後悔した。その後にあれが自分の心ではないと否定する材料などなく、むしろ肯定する材料の方が揃っている。問い詰められれば、それこそ簡単に自分の心を写しているのだと納得してしまう。
しかし三毛猫は、大きな瞼で三日月を描くと、意地の悪そうににたにたする。
「あのね、嘘だよ!照間は正直だなぁ。あはは!」
「……………。」
水晶が余計に黒ずみそうだった。もう何も信じない。
「さて、でも照間はあれが何か知らなくて、自分の心だと言われて信じてしまいそうだったんだよね?」
「…………そうだよ、おかしい?」
尖った口調で言葉を返すと、リベは「んお?」と言いたげな顔をした。
「……怒ってる?」
「……うん。」
「僕に?」
「……違う。」
「僕にも?」
「……うん。」
正直に答えると、リベはまた丸い輪郭の瞼を閉じてにっこり笑う。
「あはは!照間は正直だねぇ。そうだね、なら、仕返ししてみる?」
「……仕返し?」
リベはにっこり笑ったまま、あらぬ方向に指を指し示した。そこには澄んだ蒼色、どちらかというと水色に近い澄んだ蒼をした水晶があった。後で調べたのだが、ああいう風に群が連なっている形の事をクラスターと言うらしい。
「あれ、君の嫌いな男の子。」
「……へ?」
突拍子もない比喩に、間の抜けた声が出てしまった。
「ぶっ壊すと、面白いよ!」
まだ何も言っていないのに、どうしてリベは僕が怒っている理由を知っているのか。いや、それよりもどうして、あの蒼い水晶があの男の子なんだと言い出すのか。それをまるで壊せと言い出すのか。
「ここは時間と空間に支配された世界!時間は感じるもの、空間はそこにあるもの。僕たちは時間に感じられ、空間に認識されている。僕はこの世界の案内役!時間と空間が僕に教えてくれるんだ!君がしたい事も、されたことも!」
リベが僕の顔を覗き込んだ時、体の中が透明になってじろりと舐め上げるように見られている気がした。ろくに見えてやしないその細目が、憎らしいほど真実を言い当ててくる。
「……あの石を叩くとどうなるの?」
「試してごらん!大丈夫!何も心配しなくていいんだよ!」
答えになっていない、というのとは違った。つまり叩いてみなければわからないのだと、リベがそう言っている様に聞こえた。
どうなるかわからない、子供心にはそれが不安で仕方なかった。尋ねれば教えてくれる大人というのは便利だが、時々訳のわからないことを言い出すから困った。わからないと言えば
何が言いたいかと言えば、大人はすぐ、わからないのなら何もするなと言う。理解したいから聞いているのに、理解できないと答えれば、理解しないでいいというのはどういうことなのか。
この黒ずんだ石の目の前まで来れたのは、きっとそういう日ごろの
試しに小突いてみた。これが頑丈で、子供の拳骨が当たった程度ではびくともしない。
そのあたりで、そういえばと思った。
「ねぇリベ、この石叩けるよ?」
「んお?そりゃ石だから叩けるよね。」
「じゃなくて、ほら、ここって「ここにあるけどここにはない」んでしょ?これはここにあるものなの?」
僕が当たり前のように尋ねた疑問は、リベにとっては不思議なものらしかった。しかしリベは大人と違って、猫らしくふにゃあと鳴いてうんうんと頷いた。
「照間は頭がいいねぇ!大丈夫!それは間違いなくその石の感触だよ!僕が保障するよ!」
「……そっか。」
我ながら淡白な反応だと思った。だがその程度でも充分だとリベの顔に書いてある。つまり僕が納得するならば、理由なんて何でもいいのだ。なるほど、それならば単純明快だ。リベの方が下手な大人よりよっぽど頼もしく見える。
それにしてもどうやってかち割ろうか。生憎手元にはこの拳骨より硬い石を砕く道具が無い。リベに聞いたら早いと思ったが、これは自分の考えでやりたいと思った。
これをあの男の子だと思うなら、僕は自分の力でやり遂げなければいけないと思った。リベをこの石を砕く理由に、巻き込んではいけないと思った。
それで、どうやって砕こうか?そもそもこの石は砕けるのだろうか?砕いてしまったら男の子はどうなるのだろうか?
そのまま、男の子が砕けるのだろうか。
少し臆病になったのは子供だからだろうか。砕くのはやめにして、とりあえず石を削ろうと思った。削るだけなら簡単だ。いつの間にか手元に現れたマイナスドライバーのような物で、表面にある小さなひび割れを抉っていく。
削り跡は粉を吹いて、もう一センチぐらい深く掘れば中から何かが暴れ出しそうだった。器用にも一蹴だけドーナツを描いておいた。我ながら美しい全円が描けたと思う。
不思議と、それぐらいで気が済んだ。
「んお?それだけでいいの?」
「……うん。壊すのは、少しもったいない気がしたんだ。」
嘘だ。砕いたらどうなるのかが怖くて躊躇っているだけだ。だけどリベは僕の顔を一目見るとにっこり笑って、何故だかその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。自分の事を愉快だと言って欲しいのだろうか。
そんなところで、視界がぐらついた。たぶん現実に戻されるのだ。
「照間は優しいね。……おっと、そろそろ時間だね。それじゃあ今回は照間に、良い事を教えてあげよう。」
世界から彩りが消えていく最中、リベの大きな瞳が眩く光ってこちらを見つめていた。
真夜中にそれと出会っていたら、僕は足がすくんで動けなくなったかもしれない。
「照間は優しいね。でもずっとこのままでいたら、誰よりも残酷な大人になるよ。」
僕が優しい?でもいつか、残酷な大人になる?
白い穴だらけの見慣れない天井を見上げながら、三毛猫の意味深な言葉の残響が、鼓膜の奥に残っていた。
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