第45話


   帰宅


 するとスッと、僕の頬にまたなにかが横切った。今度も痛みは感じなかった。今度は傷もついていなかった。

「よく見て下さい、そこがあなたの家なのですよ」

 真っ暗な宙になにかが浮かんでいた。キラキラと光っていたようだけれど、それ以上は見えなかった。ただそこに、なにかがあるということだけを示していた。

 僕は意を決し、その中に足を一歩踏み入れた。恐いという気持ちもあったけれど、そこが僕の家だという言葉を信じたんだ。その言葉が嘘だとは、思えなかった。思いたくなかっただけかもしれない。

「ただいま!」

 僕は大きな声を出した。すると目の前に僕の家が見えた。信じられるかい? 僕は自宅の表玄関に立っていたんだよ。

 僕の家は崩れかかっていたけれど、人が生活出来る程度には保たれてもいた。どこから線を引いているのか、電気が明るく灯っていた。くつろげるとはいえないけれど、歩けるスペースは残っていた。

 家の中からは外の世界を見ることも出来る。僕の家以外はなにもない荒野が広がっているだけだけれどね。どうしてこんなことになっているのか、答えは簡単だ。確かめたわけではないけれど、それしかありえない。神様が、その膜で覆ってくれたんだ。その膜になにかの細工をし、外からは見えないようにしていたようだ。暗闇を吸収する膜で覆われているんだと思うよ。わかるかな? ミカはきっとその膜から発せられる匂いを辿っていたってことだよ。

 タタタタッ! と家の奥から足音が聞こえてきた。二種類の足音だった。軽やかな足音と、小刻みな足音だ。僕にはすぐ、誰の足音なのかがわかった。軽やかなのは優人の足音。小刻みなのはその後を必死に追いかけている優香の足音だ。

「パパ! お帰り!」

 二種類の声が同時に聞こえてきた。僕はその声を聞いて、嬉しくなった。長い一日、ようやく子供たちに会えたんだ。自然と涙が流れて、止まらなくなってしまった。

「怪我はないか? 元気だったか?」

 僕の声は震えていたと思う。涙だけでなく、鼻水も垂れていたよ。

「うん! ヒーローは買ってきてくれた?」

 優人と優香の顔を見て、僕の涙は勢いを増した。二人は満面の笑みを浮かべていて、その笑顔が、僕はにとても嬉しかったんだ。とても感動をしたんだ。再会できた喜びは、表現するのが難しい。この星がなくなってしまうことを忘れさせるほどの喜びだったからね。

「仲良く遊ぶんだぞ!」

 僕はそういって袋からそれぞれの人形を手渡した。二人はとても喜んでいた。特に優香は、ヒーローの人形に大喜びだった。

「ママはどこにいるんだい?」

 妻の姿が見えないことに気がつき、嫌な予感を覚えた。

「ママならもうすぐパパが帰ってくるはずだからって晩御飯の支度をしているよ。今日はね、特別にパパの大好きなカレーライスなんだって」

 優人は神様の人形を手に取り遊んでいた。

「ねぇパパ!  これってなに? どこがヒーローなの?」

「これは神様だよ。この世界を創ったヒーローなんだよ」

 僕は思ってもいないことを口にした。最初に買ったときは、確かにそう信じていた。優人にそういえばいいと考えていた。けれど今日一日でそんな考えはがらりと変わっていたよ。それでも優人には、最初に考えた通りのことをいったんだ。

「これはなんなの? 背中に変なのが生えてるよ」

 優香は天使の人形で遊んでいた。背中の翼が気になるようだった。片方の翼を掴んで引っ張っていた。

「あっ・・・・ 取れちゃった」

 優香が泣き出すと思った。けれど優香は気にもしていない。天使の人形をその場でポイッと投げてしまったんだ。僕は注意をしようと思ったけれど、優香は走って台所に向かってしまった。

 子供たちは部屋の中の崩壊具合を全く気にもしていなかった。構わずに走り回っていたよ。僕にはそれが危険な行為だとわかっていた。けれど子供たちを注意する気にはなれなかった。もうじきこの星は崩れ去る。今更少しの危険がなんだというんだ? 少しくらいの怪我ならば仕方がないと思っていた。死んでしまうなんてことは、神様が許さないと思っていたから、少しの心配もしていなかったんだ。人間っていうのは、都合のいいときだけ神様の存在やその言葉を信じるものなんだよ。しかも、少しの疑いもなくね。

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