第43話


   脱出


「そういうものなのですよ。世の中にはわからないことだらけなのです。暗闇の中にこんな世界が広がっているなんて、誰も想像をいたしませんから」

 いなくなったと思っていた声がまた、聞こえてきた。

「暗闇を出たいのなら、危険を冒さなければなりません。入るのは簡単ですけれど、出るのは難しいのですよ」

 その言葉を聞き、ミカもまた立ち止る。

「どうすればいいのですか? 私は早くこの方を家に帰さなければならないのです」

「そう焦ることはありません。もうじき現れますから」

 と、突然モーンという物音が聞こえてきた。地下でなにかが移動でもしているような音だった。途切れずにずっと響いている。

「やってきましたね。あれがこの暗闇の支配者なのです。ここから出るためには、この音を消さなければならないのです。あなたたちならどうしますか? 簡単ではありませんよ。私たちもずっと悩まされていたのですから」

 そんなことで暗闇から出られるなんて、簡単だと思った。地下にいるそのなにかを見つけ、殺してしまえばいいだけだろ?

 その考え方はミカも同じだったようだ。

「どこにいるのですか? 地下から聞こえてきますが?」

「そんなことはわかりません。わかっていても教えるわけにはいきません」

 僕とミカは地下への入り口を探してみることにした。それが一番だと考えたんだ。けれどどこにも見当たらない。

 ドンッ! と僕の背中になにかがぶつかった。僕は振り返ったけれど、なにも見えなかった。するとまた、背中にドンッとなにかがぶつかった。僕はミカに助けを求めようとした。けれどミカも、そのなにかに背中をぶつけられているようだった。振り払おうとしても何度も背中にぶつかってくる。

「いい加減にしなさい!」

 ミカが大きな声を出した。するともう、背中にはなにもぶつかってこなかった。その代わりにすすり泣く声が聞こえてきたよ。

「すみませんでした・・・・ ごめんなさい・・・・ 許して下さい。そんなに怒らなくてもいいじゃないですか? 僕がなにをしたというのですか!」

 その声は途中から怒りを表していた。ミカは見えないなにかに対してきつい視線を浴びせていたようだ。そしてもう一度、怒鳴った。するとまた、すすり泣く声が聞こえてきた。

「ごめんなさい・・・・ もうしませんから・・・・ なんでもいうことを聞きます。言って下さい。僕に出来ることならなんでもしますから」

「ならこの音の主の元へ連れて行きなさい」

 ミカのその言葉には驚いた。優しいはずの天使が、見えないなにかに対して蔑んだ視線を向け、命令口調をするなんて、僕の抱く天使のイメージではありえない。

「そんなことなら簡単です。ついてきて下さい」

 そういう声が聞こえたけれど、見えないものについていくことなんて出来ない。どうすればいいのかと、僕とミカは思わず顔を見合わせてしまったよ。

 するとまた、僕の背中にドンッとなにかがぶつかる。そして僕を前へ前へと押し出していく。

「そのまま進んで下さい。それほど遠くはありませんから」

 僕は押し出されるままに進んでいく。その隣をミカがついてきていた。何度も背中を押される僕には、長い時間に感じられていたけれど、実際にはそうでもなかったようだ。

「もうついたのですか?」

 ミカが平然とそういった。

「ここにいると思います。あいつは憶病なので、優しく叱って下さい。そうすればすぐに泣きやむことでしょう。そしてあなたたちとはサヨナラです」

 聞こえていた音が少し大きくなったように感じられた。この下にいるのかもしれないと、実感を与えてくれた。けれどどうやって下に降りればいいのか、全く想像もつかなかった。

「下ではないと思いますよ」

 僕の頬にスッとなにかが通り過ぎ、また痛みを感じた。

「下から聞こえてくるように感じますが、下ではないのです。見上げて下さい。ほらそこに、なにかが見えるはずです」

 けれど僕とミカにはなにも見えなかった。

「そうでしたね。忘れていました。あなたたちにはなにも見えないのです。けれど聞こえているはずです。さぁ、この音を止めてみなさい」

 僕の頬にまた、痛みを感じた。今度は反対側の頬だった。手を当てるとまた、血が流れていた。

「静かにしてもらえませんか?」

 ミカのその声は、理想を超えた天使の優しさに溢れていた。するとすぐにそのモーンという声がピタリと止んだ。

「ありがとうございます」

 ミカは上をに顔を向けてそういった。

 その直後にドサッとなにかが落ちてきたようだった。僕のすぐ近くに落ちたようで、その衝撃が僕の肌にも伝わってきた。けれど姿は見えない。するとまた、背中になにかがぶつかった。

「死んでしまったよ。あいつは声を出していないと生きてはいけないんだ」

 その声が聞こえるのと同時に、辺りが真っ暗に染まった。不思議な表現だろ? 元からそこは真っ暗だったんだ。まぁ僕とミカには黄緑の明るい景色が見えてはいたんだけど、それもまた暗闇であることには間違いがないんだ。それなのに、というか、それだからなのか、更なる暗さを感じたんだ。僕は初めて知ったよ。暗闇にはいくつもの段階があるんだってことをね。明るさに段階があるのと同じことだ。際限なく明るさがあるように、際限なく暗闇が存在するってことだよ。そのときの暗闇は、さらに深い暗闇ではあったけれど、暖かい暗闇でもあったんだ。自然と落ち着きを感じるような暗闇だよ。母の胎内? そんな記憶はないのに、何故だか僕はそう感じてしまったんだ。

「さて、あなたの家へと急ぎましょう」

 ミカの声はとても冷静だった。なにかが死んでしまったことになど、少しも気にはしていなかった。まぁ、それは僕も同じだったんだけどね。

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