第17話


   魔王


「お前がそうなのか? 全く、困ったものだな。こんなことになるなんて、あいつはいったいなにを考えているのだ?」

 僕の真上に大きななにかが立っていた。そのなにかは仁王立ちをして、僕はその股の間にしゃがみ込んでいたんだ。大きな声が真っ暗な空間全体に響いていた。

「この辺りじゃあとうとうわし一人になっちまったようだな。どうしたものかな。ここでお前を殺してやろうか?」

 暗闇に目が慣れ、そのなにかの姿が徐々に視界の中に浮かんできた。そのなにかは真っ赤な体をしていて、髪の毛も真っ赤で、爪も真っ赤だった。歯の色も、目玉までもが真っ赤だ。けれどたった一ヶ所、頭の天辺に生えている三本の角だけが紫色だった。それに合わせているのか、紫色の上着を着ていた。ズボンも同じ紫色だった。

「お前を殺したところで、なにも変わらんな。けれど少しは、このわしの気が晴れるかもしれん」

 そいつが悪魔だということに、僕はなかなか気がつかなかった。ましてや魔王だとは思いもしなかった。だからそいつの言っている言葉の意味も理解出来なかった。僕はただ、ニヤニヤとした微笑を零していただけだ。

「わしのことが怖くないのか? これでもわしは、ここの父なんだがな」

 見た目は恐ろしかったけれど、その仕草が滑稽に映っていておかしくってならなかったんだ。思いっきり前屈みになり、頭の角を地面に刺していた。僕の目には、逆さまの魔王の顔が見えていたからね。

「まぁよい。その度胸に免じて殺すのはなしにしとくかのう」

 魔王はそう言いながら僕の身体をつまみ上げ、身体を起こし、その大きな肩に乗せた。

「上に行くしかないようじゃのう。わしはこの戦いが無意味なことを知っていたのじゃよ。けれど子供たちは言うことを聞かなかった。こうなることを分かっていて、戦いを挑んだんじゃよ。それもこれも、お前のせいじゃよ。あいつはお前を救おうとしている。そのためにこの世界を滅茶苦茶にしようとしているのじゃよ。わしの子供たちは少しばかり頭が弱いのじゃ。この現実を見て、黙っていられるはずがないのはあいつだって分かっておろうに」

 このときの僕には意味の分からない言葉だった。今でも正直、完璧には理解が出来ていないんだけれどね。まぁ、分かる必要はなくってしまったというのが実際のところだよ。

「さて、上で決着をつけるとしようかのう」

 魔王は一度膝を深く曲げ、勢いをつけて真上にジャンプをした。かなりの長い時間、空へ向かって飛んでいたよ。真っ暗だった空間に、ほんの少しの明かりが、頭上に浮かんだ。それは地上から見上げる星のように小さくて僅かな光。その明かりは徐々に大きくなっていく。ちょうど魔王の頭一つ分くらいの大きさに膨らんだとき、ボカンッという音が響き、地面の欠片や埃が降り注いできた。そして僕と魔王は明るい外の世界に飛び出していったんだ。

 そこには眩しいほどの光は降り注いでいなかった。空を薄暗く染めていた雲もない。真っ青な空に、明るい日差しが降り注いでいた。気持ちのいい、心温まる秋空が広がっていたんだよ。

「あなたまで戦うというのですか? これ以上無意味な戦いはよしましょう。これからすぐ、もっと大きな敵が待ち構えているのですよ。出来ればあなたには味方として戦ってほしいのです」

 地上には四人の天使が立っていた。口を開いたのは、ミカだった。他の三人はミカの言葉にいちいちうなずいていた。首振り人形? 滑稽な姿だったよ。天使や悪魔っていうのは、実に滑稽だとういうことを学んだ一日でもあったよ。

「そうはいってものう、わしの子供たちがこの様なのじゃよ。このまま黙っているわけにはいくまい」

 地上の至る所に、小さな、といっても僕とあまり変わらない大きさの悪魔が緑の血を流して倒れていた。数十匹なんてものじゃない。数百匹はいたんじゃないかな。魔王の言葉が僕の胸には痛かった。子供たちのこんな姿を見ては当然の悲痛さが、僕には理解が出来るんだ。

 そして天使たちからは少し離れた位置に、死神たちが固まっていた。一際大きな一体の死神を中心に、丸く輪っかを作っていたんだ。赤い視線が、じっと僕に向かっているような気がして恐怖を感じたよ。正直言って、死神がなにを考えているのかなんて分かりっこないし、分かろうとすることさえ出来ない。死神の姿を見ていると、全ての思考が吸い込まれていく。それは、こうして空想の中にその姿を思い浮かべているときも変わらない。

「なぜこうなる前に止めてくれなかったのですか? あなたが指示をすれば、こうはならなかったはずです。私たちも、無意味な殺生はせずにすんだのです」

「なにを今更なことを言うとるのじゃ! 貴様らはもっと大きな殺生をしているじゃないか! こいつの家族を大勢殺しているじゃないか!」

「家族は生きています。私たちにとって、彼と彼の家族は大事な宝なのですから。あなたもご存知ですよね? 彼がどんな立場の存在かということを」

「なにをふざけたことを! だったらなぜこんなことを! 貴様らが殺した人間たちは、彼の家族じゃないのか? 彼にあいつの魂が注がれているとはいっても、彼は人間なんだ! その仲間を殺したということは、彼の家族を殺したも同罪じゃ!」

「全ては神様の意思のままです。こうすることが正しかったと、すぐに気がつくことでしょう。人間たちはまた、作り直せばいいのです。神様がそれを望むのなら」

 ミカの言葉を聞き、魔王は大きなため息をこぼし、落胆の表情を浮かべていた。今にも泣いてしまいそうに、顔を歪めていた。

「人が大勢死んだからといって、喜んで姿を現し、彼らをむさぼりつくそうなどとしたのが間違いの元なのです。おかげで死神たちまで現れる始末です。この大騒ぎを沈めるには、私たちの力ではこうする方法しかなかったのです。あなたが一言注意をすればすむことだったのですが・・・・」

「ふざけるな!」

 魔王は唾を撒き散らしながら大声を出した。その形相は、まさしく僕のイメージする恐怖の大魔王そのものだった。

「子供たちは貴様らの勝手な都合で振り回されたんじゃ! 許さんぞ!」

 魔王は僕を肩に乗せたまま、ミカに向かって突っ込んでいった。

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