第15話

   時計


 僕は首だけを動かし、辺りに気を配っていた。後方の死神からは常に意識を逸らさない。死神との距離が詰まれば大変なことになる。身をもってそう感じていたからね。

 そして、数十メートル離れた目の前と後方だけでなく、いたる所に人影が広がっていることに気がついたんだ。四方八方に、無数ともいえるほどの人影。いつの間に? 二・三十の塊が十ヶ所ほどに散らばっていた。ミカのいる場所と死神のいる場所を含めれば十二ヶ所になる。僕を中心としたちょっといびつな時計の文字盤のような散らばりようだった。

 悪魔と天使の戦い。全ての場所がそうだと思っていた。ミカも悪魔もそれぞれ自分たちの仲間を呼び集め、大きな戦いを始めている。そう思っていたんだ。けれどそれは、半分程度の正解ってところだったよ。

「僕はずっとここにいるのかい? この戦いはいつになったら終わるんだい?」

 僕は普通の声でミカに語りかけていた。それでもミカの耳に届くと少しの疑いもなく、自然に声を出していた。そう学んでいたから当然だよね。

 けれどもそのときは、ミカには届いていなかったようだ。届いていたとしても、返事が来なかったのは事実だよ。

「心配することないさ。私たちは決して負けない。悪魔に負けているようでは、この先の戦いを乗り越えることなんて出来ないからな。私たちはね、こんな身内のケンカに本気を出すほど愚かではないんだよ」

 優しくて品のある声が聞こえてきた。ミカの声とは違う男らしい落ち着きを伴った声だった。

「あなたが急ぐのなら、すぐに片付けることも出来る。けれどそれは、限られた範囲だけの話だ。あなたには見えていないのだろう。この現実が見たいのなら、見せてあげよう」

 僕は声を出しては返事をせず、ただうんうんとうなずいた。それだけで通じるはずだと、天然で感じていたんだよ。

「よろしい、では見せてあげるとしよう。見たい方角に意識を集中し、視線を送って下さい。そうすればきっと、あなたにも見えてくるだろう」

 僕の行動が、その声の主には見えている。そんなことは少しも不思議じゃなかった。

 その声に言われるがまま、意識を集中し、目を細めた。すると視界がググッと押し寄せてきた。その声には少しの疑いも感じなかったよ。従うのが当然。そう思わせる力を持っている声だったんだ。僕はその意識を目の前のミカへと向けた。ミカの姿が、戦っている悪魔たちの姿がググッと近づいてくる。カメラのズームを一気に絞った感じに勢いよく目の前に景色が近づいてくる。そんな感じだよ。

 ミカは足を大きく広げてジャンプをし、悪魔たちを翻弄していた。その姿は、戦っているというよりも、踊っているように見えたよ。ミカの素敵な舞に悪魔たちがあたふたしていたからね。

 悪魔たちが弱っているのは明らかだった。疲れきった表情で足をがたがた震わせていたのが目に見えたよ。

 戦いの最中、ミカが僕に顔を向け、ニコッと笑顔をのぞかせた。次の瞬間、そこにいた悪魔が全員、その場でバタッと倒れたよ。

 僕は顔を十五度右にずらし、一時の方向にある塊に意識を向けた。どんな天使が悪魔と戦っているのか、気にならないなんて嘘だろ?

 けれどそこには、悪魔はいたけれど、天使なんていなかった。天使の代わりに悪魔と戦っていたのは、半透明の身体、人間と同じ姿の幽霊たちだったんだ。

 おじさんの幽霊とは違い、そこの幽霊たちは悪魔と対等な戦いを繰り広げていたよ。まさに幽霊らしい見事な戦いっぷりだった。

 半透明なその身体、人や物をすり抜けられるその能力を生かした戦いをしていた。悪魔の体内に入り込むと、悪魔は自らの身体に攻撃を加えていた。頭が悪いのか? 仲間の悪魔の体内に入り込んでいる幽霊への攻撃のつもりなのか、仲間に対しても物理的な攻撃を加え、傷つけていた。悪魔の体内にいる幽霊は少しの痛みも感じていないのにね。

 悪魔の身体を自由にすり抜けることが出来る幽霊が、どうして悪魔にその身体を食い千切られる? そんな不思議に、僕なりの答えを見つけた。幽霊のその足が、しっかりと地面を踏み締めることが出来るのと同じ理由なのか、その足の裏ではどんなものに対しても実態として捉えることが出来る。肩や頭に乗ることも、飛び蹴りで幽霊を突き飛ばすことも出来る。そしてもう一つ、大きなその口も実態を捉えることが出来る。噛みつかれれば血が流れる。身体の一部を食い千切られもする。食べるという行為には、身体が透明だとか手がすり抜けてしまうとか、そういう小さなことはなんの障害にもならないってことなんだよ。

 それからまた顔を十五度ずらし、二時の方向に意識を向けた。そこでも幽霊と悪魔の戦いが行われていた。悪魔が優勢で、幽霊たちは深手を負い、逃げ惑うのが精一杯の様子だった。

 三時の方向では天使が幽霊を死神から守っていた。キスをし、幽霊を飲み込もうとしている死神を、一人の天使が守っていた。ミカにそっくりな女性の天使。けれどその表情はミカとは違い、優しさが少しも隠れていなかった。

 その天使は幽霊たちを一人一人抱き締めていた。抱き締められた幽霊は、その背中に小さな羽根を生やし、素っ裸の赤ん坊のような姿になり、空高く飛んでいった。にこやかな赤ん坊の笑顔。僕の耳にはその背後から爽やかなメロディーが聞こえていたよ。

 四時の方向にも天使の姿がある。死神との睨み合い。ミカと同じ美しい顔をしていたけれど、その身体つきと髪型が男性であることを表現していた。

 その天使と睨み合っている死神は、他の死神に比べて倍ほども大きな身体をしていた。手に持つその鎌も身体に比例した大きさだった。そんな二人の睨み合いには、生唾を飲み込みたくなる緊張感が漂っていた。実際にも僕は生唾を飲み込んでいたんじゃないかな? 無意識にではあるけれど、きっとそうに違いない。

 五時の方向にも死神がいた。一方的な戦いだった。幽霊を追いかけ、キスをする。

 僕は顔を一度正面に戻し、グルッと左に捻った。七時の方向に意識を向ける。そこでは男性の天使が死神たちを抱き締めていた。たった一人の天使に対し、そこに集まっていた多くの死神たちがタジタジになっていた。

「もうすぐ片付くことだろう。そこをじっとしていなさい」

 その天使が僕の顔を見つめ、口を動かした。その声はすぐに僕の耳元に届いたよ。僕はその声を知っていた。僕はその天使に向かって大きくうなずいて見せた。

 天使に抱き締められた死神は、真っ黒なコートを残して姿を消した。姿を消す際、奇妙な風の音が聞こえた。甲高い風の音。僕の耳には叫び声のようにも聞こえていたよ。死神が残した真っ黒なコートは、その風に吹かれ、粉々にどこかの空へと飛んでいった。

 八時の方向は幽霊と死神の戦いだった。そこでの幽霊は必死に死神と戦っていた。身体の中に入り込もうと何度も試みては何度も失敗していた。それでも諦めず、必死に動き回り、ついには一人の幽霊が死神から鎌を奪い取り、そのまま振り上げ、バサッと死神に対して一撃を食らわした。死神はその姿を消し、その場の地面に真っ黒なコートがバサッと落ちた。

 他の幽霊たちも他の死神から鎌を奪おうと必死になっていたが、鎌を奪い取るどころか、鎌を掴むことさえ出来ないでその手がすり抜けていく。その一人の幽霊だけが鎌をつかめた理由は分からない。おじさんの幽霊が僕の手をとっさに掴んだのと同じ理由だとは思うけれど、確かなことを知るには僕が幽霊になるまで待たなければならないようだ。そんな日も案外近いかも知れないと思うと、少し怖くなる。

 九時の方向では幽霊と悪魔が戦っていた。一時の方向と同じような戦いをしていた。つまらない。そう感じてしまった。そのままの流れで十時の方向、十一時の方向に顔を動かしながら意識を向ける。どっちもつまらない似たような戦いだった。互角の戦い。殺し合いというよりも、僕の目には逃げ合いのように映って見えたんだ。

 僕は絶えず背後の死神を意識していた。距離が詰まれば吸い込まれる。背中で死神を睨んでいたんだ。そんな背中には、死神の視線を絶えず感じていた。六時の方向では僕と死神の静かな戦いが繰り広げられていたってことだよ。

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