第13話


   捕獲


 瓦礫の山を登り始めたおじさんの幽霊を、僕は追いかけた。下りるときには感じなかったけれど、結構な勾配の山になっていた。息が少し、荒くなる。

「そしたらお前が現れたんだ」

 おじさんの幽霊は僕よりも軽い足取りで山を登っていく。遅れぎみの僕を待つため、足を止めて振り返った。不気味な笑顔を浮かべていたよ。僕も笑顔を作ろうとほんの少し頬を緩めたけれど、それ以上は無理だった。そこで固まってしまったんだ。

「そんな顔をして、今さら幽霊が怖くなったのか?」

 確かに僕の顔は、恐怖に怯えていた。一瞬にしてこの顔をそんな恐怖に染めていたはずだよ。けれど、怖く感じていたのは幽霊になんかじゃなかった。

 おじさんの幽霊の顔が、一瞬にして別の顔に入れ替わったんだ。僕はその瞬間の全てを見ていた。おじさんの幽霊の顔がなくなり、頭の真ん中に一本の角を生やした紫色の肌をしたまさに悪魔と呼ぶに相応しい顔に置き換えられたんだ。

 おじさんの幽霊が足を止めて振り返った直後のことだった。その頭の上に、悪魔の顔が突然に現れたんだ。おじさんの幽霊の言葉が途切れたその瞬間に、悪魔は大きく口を開き、ギザギザに尖った歯を剥き出し、そのままおじさんの幽霊の頭に喰らいついた。僕を睨みつけた悪魔は、おじさんの幽霊の頭を一口に飲み込み、喰いちぎった。頭のなくなったおじさんの幽霊の首に、悪魔の顔が乗っかっていた。悪魔の口元とアゴの下からは透明な血が滴っていた。今になって考えると不思議なことだらけだよ。実態に触れることが出来ないはずのその身体から首だけが切り離されたり、噴き出す血が僕の身体にはかからなかったり、理解しようとするだけ無意味なのかも知れないけれど、それが現実だったとは理解している。

 僕はそんな悪魔の顔に恐怖の色をさらに濃くした。悪魔はその大きな黄色い目をひん剥き、僕を睨みつけていた。透明な血が滴るその口元がゆっくりと釣り上がり、笑っているようにも感じられたよ。

 僕はその場から一歩も身動きが出来ず、じっと悪魔を睨み返していた。少しでも目を離せば喰われてしまう。そう感じていたからだ。

 悪魔がほんの少し、首に乗せていたその顔を持ち上げた。その瞬間、大量の透明な液体が吹き上がり、悪魔の顔を濡らしていた。悪魔の顔が少し不機嫌に歪んでいたように感じられ、思わず僕の顔がほころんだ。

 するとそのとき、おじさんの幽霊の背後からもう一匹の悪魔が顔を覗かせた。脇腹の辺りからヒョイと覗くその顔は、なんだか少し愛らしかった。真緑の顔には皺がいっぱい刻まれていて、髪の毛なんて一本も生えていない。ウサギのような大きな耳が左右に垂れている。大きな黄色い目は、その瞳がくるくる周っているかのように輝いていた。穴の開いていない鼻、横に大きく裂けている口。尖った顎には髭のように何本かの管が垂れていた。

 その悪魔はピョンとジャンプをしておじさんの幽霊の肩に飛び乗った。顔の大きさに比べてずいぶんと小さな身体をしていた。二頭身? 足は短く、背丈よりも長い手を持っていた。そんな手でおじさんの幽霊の腕を持ち上げ、喰らいついていた。

 その後にはまた数匹の悪魔が顔を出してきたよ。足やお腹を喰らい、終いには全てを食い尽くしてしまった。おじさんの幽霊の欠片も残っていなかった。

 僕はそんな悪魔たちの食事の様子を全て目を離さずに見ていた。興味なんてあるはずもない。僕にはただ、そうするしか出来なかったんだ。逃げ出す勇気なんてない。悪魔たちは、食事をしながらもずっと僕を睨みつけていたんだからね。

 食事を終えてからも悪魔たちとの睨み合いは続いていた。中には一匹くらい余所見をしている奴もいた。そんな余所見をしていた一匹が、突然慌て出した。尖った歯を剥き出し、威嚇の唸り声。他の悪魔たちの肩や背中を叩いていた。

 それを合図に、そこにいた悪魔全員が後ろに顔を向けた。僕は視線を悪魔たちからはずし、上へと走らせた。

 そこにいたのは、真っ黒なコートを着てフードを被っている柄の長い鎌を持った死神だった。

 死神の視線が僕に向けられているように感じられた。フードの中は真っ暗でそこに顔があるのかどうかも判断がつかない。赤い光が二つ、僕に向けられているだけだった。そのフードにしてみても、僕の目にはそう見えていただけで、実際にはフードなんかじゃないのかも知れない。フードのような死神の身体の一部のようにも感じられる。

 思わず視線を外し、顔を逸らした僕は、何故だか反射的におじさんの幽霊が身を潜めていた瓦礫の隙間に視線を送った。そこには当然、幽霊なんて見えなかった。ふと、足元に目を向けると、そこに一つの死体が転がっていることに気がついた。辺りをよく見回せば、そこいら中に死体が転がっている。それまで気がつかなかったのは、視界が悪かったからではない。見たくないものは、無意識に視覚が拒否するものなんだよ。

 足元の死体をよく見ると、その顔に見覚えがあった。そうだよ。その死体は、おじさんの幽霊と同じ顔、格好をしていたんだ。

 おじさん・・・・ はぁ・・・・ なんてため息を零していたら、突然両腕両足に冷たさを感じた。氷? ドライアイスでもくっつけられたかのような痛みを伴う冷たさだった。そして身体がふわっと宙に浮かんだ。

 両腕両足を四匹の悪魔が握っていたんだ。僕を持ち上げ、走り出す。宙に浮かんでいた身体が、徐々に地面へと下がっていく。悪魔は体力が少ないようだ。僕の身体を四匹で持ち上げ運ぶのさえ辛そうだった。仰向けに浮かんでいた僕の背中が、いつの間にか地面をこすっていた。痛みはあまり感じなかった。熱っ! そんな声が無意識に何度も僕の口から漏れてたけれどね。

 悪魔たちは僕を連れ、死神から逃げていた。追いかけてくる死神は、宙に浮かんで移動していた。コートと地面との間には隙間があり、そこにあるはずの足はなく、砂埃だけが舞っていた。

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