第12話

   悪魔と死神


「お前は信じるか? この世界には俺たち以外にも住人がいるってことをだ。俺はな、そいつらを見ちまったんだよ」

 僕も今見ているよ。そんな言葉は飲み込んだ。

「なにを言いたいのかは分かっている。それは言わなくてもいい。俺がここにいて、こうして話をしているんだ。けれど俺が言いたいのは違う。幽霊の存在じゃなく、他にもまだいるってことだ」

 それも知っていると、口を開こうとした。天使のミカは人間とは違うこの世界の住人だ。けれどそんな言葉をいう前に、おじさんの幽霊に遮られてしまったよ。

「お前は悪魔の存在を信じるか? 気味の悪い姿をしていてな、俺たちを喰らいにくるんだ。小さいのもいるし、大きいのもいる。角が生えている奴もいたな。真ん中に一本の奴も、二本の奴もいた。皮膚の色も様々だった。驚いたのはな、あいつらみんな腰に布を巻いてやがったんだ。茶色く汚れていたけど、悪魔のくせに、恥ずかしいのかねぇ。もっとも俺だってそんなもの見たくはねぇけどな」

 天使がいて、悪魔がいる。この世界はどうかしている。なんてことは感じなかったよ。僕の知らないことは、きっとまだまだ多く残されているんだ。もっともっと知りたい。そんな興味が湧いていた。恐怖や不思議を感じるのがバカらしいことは、それまでの経験で理解していた。

「そいつらは今どこにいるんですか? ここでいったいなにをしたんです?」

「お前は俺の言うことを信じてくれるのか? こんな話、バカげていると思わないのか?」

 おじさんの幽霊の目が大きくなっていた。吸い込まれるんじゃないかって恐怖を感じたよ。

「僕も見ているんです。悪魔ではなかったんですけど、不思議な存在を目の当たりにしたんです」

「俺以外に・・・・ ってことだよな?」

 僕は笑顔を見せてうなずいた。

「あいつらは今、俺と同じように身を潜めている。悪魔のくせにな、逃げ隠れしているんだ」

「あなたから・・・・ ですか?」

「そんなはずはねぇな。あいつらにかかれば、俺なんて一瞬で死んじまうよ。変な奴らは他にもいるんだよ。お前はそいつらを見たのか?」

 なにを言っている? おじさんの幽霊が言っていることは理解が出来ない。そいつらって誰だ? 僕が出会ったのは天使のミカだけだ。けれどそんなはずはない。おじさんの幽霊が天使に出会っているはずはないんだって思った。天使に出会っているのなら、天国に連れて行かれるのが普通だ。僕自身はここにいるっていうのに、そんなことを安易に感じ、首を横に振った。

「まぁどうでもいいか。あいつらはな、悪魔をも怖がらせるほどなんだ。俺も正直、あいつらが怖い。悪魔よりも怖いかもしれない」

「悪魔はそいつらから逃げていると?」

 だったらやっぱり天使じゃない。天使からは誰だって逃げることなんて出来ない。僕は相も変わらずそんな安易な発想を持っていた。

「あいつらには勝てないんだよ。魂を吸い取られちまうからな。悪魔だろうが幽霊だろうが区別はないんだ。お前も狙われるかもしれない・・・・」

 おじさんの幽霊が僕を上目使いに見上げていた。けれどすぐにうつむいた。その表情が見えていなかったのに、何故だか哀しげなおじさんの幽霊の表情が僕の目には見えていた。

「死神・・・・ きっとそうに違いない。足元まで隠れる真っ黒なマントを着ていて、フードをかぶって顔を隠していた。手には無意味なほどに長い柄の、大きく曲がった刃のついた鎌を持っていた。それを使って悪魔を切りつけていたんだ」

 おじさんの幽霊は顔を上げ、鎌を切りつける仕草を真似ていた。哀しげな表情はまだ、残ったままだった。

「悪魔だって黙ってやられるがままでいたわけではない。死神に対して抵抗をしていた。コートの上からではあるけど、身体や頭などに噛みついていた。鎌を奪って切りつけている者もいたよ。凄まじい光景だった。悪魔は身体を切り裂かれてドロドロの緑の血を流していた。死神はコートと鎌だけを残し、跡形もなく消えていったよ」

「みんな死んでしまったんですか?」

「そうじゃない。死神は次から次へと現れてくるんだ。あいつらはきっと、死んでいない・・・・」

「それじゃあどこに消えて・・・・」

「そいつはわからない。あいつらには元々実体なんてないのかもしれない。噛みつかれても鎌で切りつけられても、コートが破れるだけで血の一滴も流れてこない。それにあいつらは・・・・ 普通じゃない。あいつらは鎌で切りつけた後、まだ息の残っている悪魔に近づき、キスをするんだ。その様子はフードに隠されていてよくは分からなかったけれど、顔を近づけられた悪魔はグッタリとその場に倒れてしまう。それに・・・・ 俺は見たんだ。死神が幽霊にキスをしているのを・・・・」

 おじさんの幽霊が身体をブルッと震わせた。僕もなんだか身震いを感じ、ブルッとした。

「キスされた幽霊は・・・・ その身体を死神のコートの中に吸い込まれてしまったよ」

「それで今は? 悪魔も死神もどこにも見当たらない」

 僕は少し怯えて辺りを見回した。首をすくめて背中を丸める。僕のいたその場所でそんな仕草をしても意味がないのは分かっている。おっかなびっくりな感情が態度に表れてしまったんだ。

「だから言ったろ? 悪魔も怯えている。隠れているんだよ」

「死神も?」

「・・・・あいつらは分からない。お前が現れる少し前のことだ。突然姿を消したんだ。空気の中に溶け込むように、その場で消えていなくなったよ。なんだか遠くを見つめていた。ほんの一瞬だけど、光り輝く閃光のようなものが俺の目には見えたんだけれど、それを見たから消えたのかどうかは分からないな」

 僕はもう一度、辺りを見回した。

「俺が嘘をついていると思うのか? あいつらは突然消えたんだよ! 突然現れたんだ! またいつ来るかわからない! 悪魔だってその辺にうろついているんだぞ!」

「だったらなんでですか? 僕が来たとき、あなたは瓦礫の山の上にいた。あそこはとても目立つはずです。あなただけじゃない。他にも大勢の人影が見えたんですよ」

「俺たちはずっと隠れていたんだ。悪魔が現れて、何人かが食い殺されるのを目撃してからはな。戦ったって勝ち目がないことくらい、誰にだって分かることだ。俺たちは幽霊なのに、喰われてしまうんだぞ! 俺は見たんだ! 喰われた幽霊は、透明な血を流していたんだからな!」

 おじさんの幽霊の身体をよく見ると、腕や太ももに傷があり、そこから透明の液体が流れていた。

「そしたらすぐ、死神が現れたんだ。死神と悪魔の戦いが始まったんだよ。上手く隠れられなかった幽霊たちも巻き込まれた。悪魔は自分たちに分が悪いと気がついたのか、途中からは逃げ惑っていたよ。死神は悪魔を追いかけることはしなかった。無理に探したりもしなかった。瓦礫の山の上に立ち、悠然と辺りを見回していたよ」

 おじさんの幽霊は瓦礫の隙間から這い出し、立ち上がった。なんの前触れもなく、突然に。僕は驚き、一歩後退った。

「それから突然、消えたんだよ。俺はその様子をここから覗き見していた。バカなことだと思うかもしれないけどな、どんなに強い恐怖も、好奇心には勝てないんだ」

 おじさんの幽霊はそう言い、真っ直ぐ足を進めた。僕の身体をすり抜け、瓦礫の山に向かって足を進めた。

「わけは分からずとも、安全だと感じたんだ。誰にだってそういうときってのがあるものだろ? あの閃光を見たからも知れないな。だからまた、瓦礫の山に登ってみた。あそこからなら全てが見渡せる。死神がどこに消えたのか、確かめようとしたんだ。悪魔の存在もそうだ。もうこの辺りにはいないということを、確かめたかったんだよ」

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