月華の君
緋吹 楓
月華の君
たくさんの太陽が咲き誇るこの季節。
私は実家のある夕美町へ帰ってきていた。
電車で乗り継いで大学のある都会から3時間かかるこの町へは、
正月から帰ってきていないわけだから、だいたい7ヶ月ぶりだろうか。
懐かしい雰囲気を味わいながら歩を進める。
持って帰ってきた洋服やらお土産やらがやけに重たく感じる。
都会に比べてここは涼しいともいえる。
だがどちらにせよ暑いことには変わりがない。
タクシーで家まで行ってやろうかと思ったくらいだ。
風に流される髪をかきあげる。
その時、どこかで見たことのある顔が私の横を通り過ぎていった。
確かに憶えていた筈だ。なのに、なぜ、名前がでてこないのだろう。
私はもう一度確認しようと振り向いたが、その人はいつのまにかいなくなっていた。
私はいつか思い出せるだろうと思い、この暑い地獄から離脱するために、
実家まで早歩きで向かった。
結局、山のほうにある実家に着いたのは太陽が真上に昇る頃だった。
低い石段を登り、家の入り口の小さな門を開けると、
庭で子犬と戯れていたおばあちゃんがこちらに気づいた。
おばあちゃん「おかえり。亜理紗。元気してた?」
亜理紗「うん。おばあちゃんこそ元気してた?」
おばあちゃん「ええ、父さんと母さんにも挨拶してきなさい。」
亜理紗はうんと頷き、家の中に入る。
家の中の匂いは何一つ変わっていない。
とても心から安心できる匂いだ。
最近は寮生活のせいで、こういったことが感じられなかったからかもしれない。
私はリビングに入ると、真っ先に仏壇の方に向かって、
亜理紗「父さん、母さん、ただいま。」
と、挨拶をした。
おばあちゃんの晩ご飯は早い。
まだ、時計の針は6の文字を刻んでいない。
おばあちゃん「さあ、今日は亜理紗の好きなシチューよ。」
そう、私は小さい頃からこのシチューが好きだった。
亜理紗「おばあちゃんありがとう。」
そういうと、おばあちゃんは嬉しそうにしていた。
食器を片付け、お風呂から出た後、私は縁側で涼んでいた。
おばあちゃん「田舎の夜はすずしいでしょう。」
亜理紗「うん。それであれはなに?」
私は見慣れない植物を庭に見つけたので、聞いてみることにしたのだ。
おばあちゃん「あれはね、月下美人といってね。夜に咲くとてもきれいな花なんだけれど、一晩咲き誇ると花は枯れてしまうの。友達からもらったから植えたのよ。」
亜理紗「一晩だけか・・・幻想的だね。」
おばあちゃん「もうそろそろ咲くんじゃないかしらね。」
それは見てみたいものだ。
おばあちゃんが寝たあとも、私は一人で風景を眺めていた。
月下美人という名前をどこかでだれかに教えてもらった気がする。
何故だろう。初めて知ったはずなのに。
何かが思い出せそうな、そんな気がした。
あと少しで何か掴める・・・。
それは美しい蛍の舞を見たことで思い出した。
ずっと忘れてしまっていた自分の過去を、
ずっとずっと忘れてしまっていた彼のことを。
私は涙を流しながらあの場所へ向かった。
小川に飛び交う蛍が明るく感じて、夜道も怖くは感じなかった。
息を切らしながらついたそこは彼、悠の眠る所であった。
なぜこんなにも大事な人のことを忘れていたのだろう。
罪悪感で胸が一杯だった。
命の恩人である悠のことをなぜ頭を強く打ったぐらいで忘れていたのだろう。
私はその場で泣き続けた。
その時だった。
目の前が明るくなったような気がした。
顔を上げるとそこには儚げな白い花が咲き誇っていた。
それは悠が教えてくれた最後の知識である、月下美人だった。
悠が逢いに来てくれたような気がして、救われたような気がした。
家に帰ってくるとおばあちゃんが笑顔で迎えてくれた。
おばあちゃんに思い出したことを打ち明けると、全てを教えてくれた。
私と悠は中学生の頃までずっと一緒にいたこと、
事故に遭って私は記憶を失い、悠は命を失ったこと、
そのときに悠は私をかばうように亡くなっていたこと。
私は久しぶりにおばあちゃんと同じ部屋で眠った。
私はこうみえても非常に忙しい。
だから朝のうちに行くことにした。
亜理紗「おばあちゃんありがとう。また正月に帰ってくるね。」
おばあちゃんは寂しそうな顔をしていたが、それでも笑顔で見送ってくれた。
私は荷物を持ち、あの場所へ向かった。
昨日の夜に咲いた月下美人はまだなんとか咲いている。
もうそろそろ枯れ落ちてしまうだろう。
だから、今のうちに別れを告げることにした。
亜理紗「もう行くね、悠。何もしてあげられなかったけど、またお正月には会いに来るからね。」
立ち上がった私は、さようなら。と告げて太陽の方向へ歩いていった。
月華の君 緋吹 楓 @bucky4082
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