第五章 第6話

 イーブレイバーとエンドブレイバー。

 僕たちは今、一つの壁を乗り越えた。

 一撃を浴びて、ラーナスは激しい咆哮をあげつつ、その場に仰向けで倒れ込んだ。

 か、勝ったのか?

 僕は不安げに、兄さんのほうを見た。

「大丈夫。もう、ヤツにそれほど力は残っていない。元々、海の神であるラーナスは、器としての人間がいなければ、陸地では力を発揮できないんだ」

 僕たちに斬られた傷口を押さえながら、ラーナスはさらに何か言いたそうな目で、こちらを見つめる。

 さっきまでは夢中で戦っていたから気づかなかったけど、相当な強面だ。

 僕がちょっと怯んでいると、急にブレイバーから声が聞こえてきた。

「アンタ、もうよしなさいなっ!」

 宝玉からスルスルと、ジョブリアが現れてくる。

「げっ、ジョ、ジョブリアでねえか」

 目の前に元嫁が現れると、ラーナスは急にしおらしくなった。

 四つん這いになって、その場から逃げようとすると、鋭く彼女に制止される。

「待て。アンタ、逃げる気かい? また逃げて、一体どこに行くつもりじゃっ!」

 僕と兄さんは、顔を見合わせた。

 いきなり、目の前で神サマ同士の夫婦ゲンカが始まった。

 その光景を口を開けて、ただポカンと見ているしかなかった。

「だってさ、おめえが職業神になってよぉ。オラの立場がなくなってよぉ……」

 ラーナスは、うじうじと子どものような言い訳をしている。

「辞めてきた」

「へっ?」

「さっき辞めてきたのじゃ、職業神を」

 状況がうまく呑み込めないようで、ラーナスは目をパチパチとさせている。

「代わりに今度は、“森の神”にお前ともに転属じゃ。ケプロの近くに、良い森があるのじゃ。一緒にもう一度やろう、ラーナス」

 そう言うと、ジョブリアは彼の手を握った。

 ラーナスだけではなく、僕たちも呆気に取られてしまった。

 神サマって、そうコロコロと転職できるの?

「そもそもお主、海の神が向いておらんのじゃ。ならば、無理をすることもなかろうて――。職業神ジョブリアとして、最後の仕事じゃ。ラーナスよ、お主はわらわと共に、森の神になろうぞ」

 そう言うと、ジョブリアは元夫のラーナスに抱きついた。

 完全なカカア天下である。

 そして、眩い光がラーナスを捉えると、一瞬にして狩人の格好になった。

「お、おう――。オラ、お前のためにがんばるっ!」

 どうやら彼は海の神から、森の神に転職をしたようだ。

 彼女の前で、鼻息荒く意気込んでいる。

 夫婦ゲンカが終わったところで、ジョブリアは僕たちのほうを向き直った。

「……何じゃ、恥ずかしいところを見られてしまったのう」

「仲直りできて良かったですね」

 ロディが歩み寄って、笑う。

「うむ……。こらっ、揶揄うでないぞっ」

 ジョブリアはロディからストレートな感想を言われて、ちょっと照れているようだった。

「あー、コホンッ。ガネット……もとい、トニーよ」

 彼女は兄さんを手招きする。

「お主、曲がりなりにもエプシロンを制御しておったようじゃな――。本来ならば、ラーナスの力は、こんなものではない」

「はっ……」

 短く返事をするも、どこか兄さんの表情は暗かった。

「それからな、アルアンの皇帝は死んではおらぬぞ」

 兄さんは驚きのあまり、顔を上げた。

「ちと、ココからは遠いが、絶海の孤島で生きておる。早く助けに行くがよいぞ。そして、真面目にこれからも勇者として、しかと働け」

 やった! これで、皇帝殺しの汚名は晴らせる。

 僕は喜びのあまり、兄さんの肩に飛びついた。

「兄さんっ!」

「あ、ああ……。よろしいのですか、ジョブリア様」

「よろしいも、何もお主が蒔いた種じゃろが? しっかりと尻を拭わんか、バカ者。レイGよ、そなたもコヤツに協力してやるがよいぞ」

「はっ、仰せのままに」

 レイGは恭しく、膝をついてジョブリアの命に従った。

「それから、レイバーよ。お主は……」

 僕は名指しされて、キョトンとした。

「ぶははははははっ、何じゃそのマヌケ面はっ!」

 そんなに変な顔はしてないと思うんだけど……。

「さすが、ランク“E”の男じゃのう。さっきは聞いておったぞ」

 彼女は今にも吹き出しそうな様子だ。

「〈信じる。絶対に信じる。僕は大切な兄さんを守るために闘うんだっ!〉、ぷふふふ、なかなかの青さじゃったなっ」

 ケラケラと笑いながら、僕の口マネをした。

 人から真似をされると、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。

 真っ赤になっている僕に、ジョブリアは言葉を続ける。

「じゃが、その心意気――いたく気に入った! お主は、まだ若い。己が信じる道を歩めいっ」

「は、はいっ!」

 急に背筋がピンとなって、ぎこちなく答えてしまった。

 その様子をロディが見て、クスクスと笑う。

「ねぇ、もう行ってしまうの?」

 ラーナスの手を引いて、今にも飛び立とうとする彼女に僕は声をかけた。

「神がいつまでも、人間界におるわけにはいかんじゃろ」

「これまで、ありがとうジョブリア。きっと僕は、僕の信じる道を見つけてみせるよっ」

 彼女の目を見て、まっすぐにそう答えた。

「フフフ。次に会うときには、お主の成長が楽しみなものよ。ではな、さらばじゃ」

 そう言い残すと、彼女は夫ラーナスと共にパッと消えた。

 手にしていた剣を見ると、埋め込まれていた宝玉は消えていた。

「あーーっ、終わったんだな、全部――」

 僕は緊張の糸が切れて、その場にヘロヘロと座り込んだ。

「レイバー、見て。あそこ」

 ロディの指差す方角を見る。

「あっ……」

 遠い山の頂から、うっすらとオレンジ色の光が見えた。

 僕らの旅は過ぎてしまえば、まるで夢を見ている心地だったけど……。

 昇りくる朝日が、僕らの存在をたしかに照らし出していた。

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