第五章 第2話

 さらに色々と聞きたいことが増えてしまったが、場の雰囲気を見て、僕はレイGの後ろをついていく。

 小さな小部屋の扉を開けると、そこにはロディがいた。

「レイバーっ!」

 彼女は僕の姿を見ると、おもむろに抱きついてきた。

「もうっ! 1週間も目を覚まさないから……」

 喜んだ表情を見せると共に、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「ご、ごめん。グローリエルやオーシンは?」

「レイバーが目を覚ますまで、できることをしようって。カサンドラ大海溝に向かったわ」

 カサンドラ大海溝?

「エプシロンでございます」

 マルメロが扉を閉めつつ、そう答えた。


「彼らには、帝都の結界を解くために、カサンドラ大海溝にあるエプシロンの破壊に赴いてもらっている」

 墜落の衝撃で1週間も目を覚まさなかった僕のために、レイGは色々と説明してくれた。

 宝玉ブレイバーの効果なのか、瘴気を浴び過ぎた身体が中和されて、彼が元の人間の姿に戻っていること。

 陛下が崩御した後に、帝都に結界が張られたこと。

 黒の瘴気の根源となっている宝玉エプシロンが、カサンドラ大海溝にあること。

 エプシロンの触媒となっているのが、大陸全土で行方不明になっている人たちであること。

 そして今、帝都を占拠しているのが、僕の兄さん――勇者ガネットであること。

「ちょっと待って、僕の兄さんが本当に帝都を占拠してるのか?」

「むぐむぐ……ああ、本当だ」

 レイGはパスタを頬張りながら、あっけらかんとして答える。

 顔立ちはイケメンそのものなのだが、長くスライムでいたせいか、食べ方が汚い。

 口の周りにベットリとトマトソースをつけながら、レイGは答えた。

「坊ちゃま、お口を」

 執事のマルメロが、すかさずナプキンを差し出す。

 口をフキフキしながら、レイGは言葉を続けた。

「お前の兄トニー=ガネットが、元々シー・ライナスの調査で大陸を訪れているのは知っての通り。勇者ガネットとして、各地で名声をあげた。そして、いつしか赤髪黒眼{せきはつこくがん}の英雄ガネットと呼ばれるようになった。陛下の信任も厚かったし、さっきお前に食ってかかっていた少年も、初めは彼に憧れていたんだ」

 あの少年の睨みつける眼差しを思い出すと、僕は胸が傷んだ。

「そして、彼はカサンドラ大海溝の調査の過程で、エプシロンを見つけた。大陸を覆う黒の瘴気の元凶となる宝玉を。本来であれば、その時点で陛下に報告するべきだったのだが、あろうことか彼はエプシロンを悪用したんだ」

 あの兄さんが……、何てことだ。

 頭を抱える僕を心配そうにロディは見つめてくる。

「彼にどんな思惑があったのか分からない。だが、その頃から大陸を覆う瘴気は収まるどころか、逆に激しさを増していった。それに呼応するかのように、シー・ライナスも。帝都の一部の大臣たちは、陛下にガネットを召還するよう進言したが、陛下や大半の大臣たちは彼を信じて疑わなかった。そして、帝国軍はシー・ライナスに戦いを挑み、敗れた。陛下もその戦いで命を落とされている」

 レイGはフーッと一呼吸置いて、言葉を続ける。

「ガネット召還を進言した大臣の一人、宰相オルベルト公は私に、一本の書簡を送ってきた――汝、カサーラント公を特命全権大使に任ず。ただちに、ノーゼルアン領ケプロに赴任すべし、と。オルベルト公は、最初からお前の兄を疑っていた。そう、心の弱さを」

 

「あああああああっーーー!」

 僕は思わず立ち上がって、机をズドンッとブン殴った。

 大陸に渡って、それほど時間は経たないが、この状況を見ればレイGが言っていることはおそらく事実なのだろう。

 ずっと僕の憧れだった兄さんを疑いたくはなかった。

 なかった、でも……。

「レイG、今日はもうこのくらいで……」

 気を遣ってロディが提案するも、レイGは僕に顔を近づけてきた。

「いいや、事態は一刻を争う。それに、レイバーも勇者なら、事実を受け止められるだろ?」

 彼の目がまっすぐに、僕を捉える。

 ――そう、僕はすべてを知らなければならないんだ。

 モヤモヤしていた気持ちが薄らぎ、僕は頷いた。

「……レイG、続けて」

 僕が席に着くと、彼は話を続けた。

「一方で、宰相はガネットの実力は認めていた。だからこそ、勇者の暴走を止めるのは、他ならぬ勇者しかないと考えたようだ。だから私をケプロに派遣し、ギルロスで対ガネットに備えた勇者を探すことを命じたんだ。もっとも、皮肉なことにガネットの弟であるお前が選ばれることになるとはな」

「ちょっと、待って。レイGと初めて会ったときには、キミはスライムになっていたけど、まさか最初から全部知っていたということ?」

 僕はちょっと疑心暗鬼になっているのかもしれない。

「いいや、その逆だ。全部記憶を飛ばされていた」

「記憶を飛ばされた?」

「大使として、カサーラントの飛水艇発射砲から出発して、ギースに辿り着いた直後に、私はアレグラに会ったんだ」

 レイGはそう言うと、苦々しい表情になった。

「エプシロンの力を手にした勇者ガネットは、恋人であるアレグラの右目にエプシロンの欠片を埋め込みました。その力によって、坊ちゃまはスライムに変えられてしまったのです。私めは元からスライム族ですので難を逃れましたが」

 マルメロはそう言うと、涙を拭うためにハンカチを取り出した。

「そして、ギース基地で落ち合うことになっていたグローリエル教官に坊ちゃまを預け、私めはカサーラントに戻ることになったのです。本当は私も坊ちゃまのそばにおりたかったのですが、教官殿からレイG様のことは大丈夫だから、カサ―ラントを空けたままにするなと言われ……」

「結果的に、グローリエルの判断は正しかった。マルメロは、多くの民たちを早めにここに避難させることができたし、私もこうしてレイバーたちを連れてこれたのだから。ちなみに、ジョブリアから宝玉ブレイバーを託されてから、私は少しずつ記憶が蘇ってはきていたのだが、ギースでアレグラに再び会うことになって、瘴気の力に抗えなかったようだ。あの時はお前にも、ずいぶんと苦労をかけたな」

 そう言うと、レイGは僕に頭を下げた。

「いや、謝ることはないよ。元はと言えば、兄さんが蒔いた種。でも、僕にはまだ兄さんが変わってしまったとは、正直信じきれない」

 僕は素直な感想を口にした。

「でも、もう僕と兄さんだけの問題じゃないのは分かる――。これだけ、多くの人たちを混乱に落とし込んで……。だから、この目でたしかめに行きたいんだ。兄さんは帝都にいるんだろ?」

「そうだ。だが、早まるな。今のガネットは、エプシロンの力を得て強大になっている。グローリエルとオーシンから連絡があるまで、ここで待つんだ」


 カサンドラ大海溝に向かった彼らから連絡があるまで、僕らはしばらくレイGの館に留まることにした。

 避難民のケアをしつつ、宝玉ブレイバーを使いこなすために、それぞれが訓練をして数日が過ぎた。

 音信不通になっていたジョブリアとも連絡が取れるようになっていた。

 瘴気の影響で連絡が取れなくなっていたと思っていたのは杞憂で、単に爆睡していたらしい。

 そのことをロディから突っ込まれると、

「わらわも、主らより先にカサンドラのエプシロンをどうにかしてやろうと思っての。じゃが、固いのなんの。あやつ、相当意地が悪くなっておる。思念体では、半分ほどしか力を発揮できんでの。ちと疲れたゆえ、眠っておったのじゃ。あとはグローリエルたちが何とかしてくれるじゃろうて――」

 と答えた。

 相変わらず、適当な女神サマである。

 だけど、ジョブリア自身も元々、夫婦ゲンカが原因で世界を危機にさらしているのは承知しているので、どこか後ろめたいところがあるようだ。

 だから、ブレイバーの力の引き出し方を熱心に教えてくれた。

 ロディは避難民の中にいる精霊術師に術を学び、レイGは禁書を読み込んではエプシロンの攻略を研究していた。

 そして、僕は。

 館の訓練場で剣を振り、汗を流していた。

「えいっ、やあぁあ、はあああぁっっ!」

 剣に埋め込まれた宝玉を通じて、ジョブリアがおもむろに問いかけてくる。

「よいか、レイバー。勇者にとって、最も大事なことは“畏れぬ心”を持つことじゃ。今のお主に、その覚悟はあるか?」

 僕は額の汗を拭った。

「わからない……。でも、兄さんを倒すことが目的じゃないことはわかる」

「ほう、何ゆえ?」

「兄さんは、たしかに過ちを犯している。でも、そんな兄さんを打ち倒すことは、弱さを否定することだ。エプシロンは、心のスキマが栄養源なんだろ」

 再び剣を振りながら、僕は答える。

「兄さんを赦す。シー・ライナスを赦す。僕は、多くのもののために闘う。弱いけど、闘うんだっ」

「……」

「みんなの期待に応えたい。憧れられる存在でありたい。僕は勇者であることを決して、畏れないっ!!」

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