第五章 畏れぬ心 ~二人のガネット~

第五章 第1話

 波の音が聞こえる。

 寄せては返す、波の音が。

 ――そうか、僕。助かったんだ。

 ロディは、グローリエルは……。

 

「レイバー様」

 僕は誰かから声をかけられて、うっすらと目を開けた。

 眼前には豪華な調度品や大きな窓が見える。

 窓にかかったカーテンは高い天井の上から吊り下げられていた。

 ふかふかのベッドの上で、僕は横たわっていた。

「お目覚めでしょうか?」

 さっきから声はするものの、声の主の姿が見えない。

 左右を見ても、人影がない。

「こちらでございます、レイバー様」

 ベットの脇を見ると、何とそこには明るい灰色のレイGがいた。

「レイG?」

 僕が不思議そうな目で見ると、そのスライムは咳払いをして答える。

「失礼、私は当館の執事マルメロ。坊ちゃまは、すでに大書庫におられます」

 そういうとマルメロは、深々とお辞儀をした。

 僕もつられて、お辞儀を返す。

 よく見ると執事マルメロは、立派な白髪のヒゲを蓄えていた。

 坊ちゃま? 執事? 何のことだ?

「坊ちゃまって……レイGのことですか」

「左様。レイG坊ちゃまは当館の主にて、カサ―ラント国境域の十七代目当主でございます」

 マルメロに促されるまま寝室を出て、大書庫へと向かうため、僕は館の廊下を歩いている。

 なんで、僕の周りにはこう地方領主が多いんだろう……。

 何部屋あるのか分からない扉の数、壁にかけられた絵はとても高価そうだ。

 そうした光景を見ると、自分との身分差を嫌でも感じてしまう。

 どうせ、僕ん家は貧乏ですよ……。

 おまけに肩代わりしてもらっているとはいえ、今の僕には二〇億セネカの借金まである。

「こちらでございます」

 マルメロが大書庫の引き戸を開けると、そこには三階建てはあろうかという高さに、様々な種類の本がギッシリと並んでいた。

 ただ、辺りを見回してもレイGたちの姿は見えなかった。

「レイバー様、さらにこの奥の“秘文庫”に参ります」

 僕が質問をする前に、マルメロのほうが答えた。

「マルメロさん、秘文庫って?」

「普段は閲覧できない禁書を収めている場所にございます」

 いろいろと尋ねたいことはあるものの、マルメロは早足で跳ねながら? 大書庫の奥へと向かっていくため、僕も小走りで追いかける。

 奥まで辿り着くと、マルメロはジャンプをしながら、書棚の本を押している。

 おそらく、秘文庫へと続く道のスイッチとなっているのだろう。

 ただ、何度もジャンプしても、届かない本があるようだ。

「ゼーハーッ、ぜーはぁ……」

「どの本を押せばいいんですか?」

「そ、その青い本を……」

 僕がトンと本の背表紙を押すと、カチンという音と共に書棚は床に沈み、目の前には通路が現れた。

「申し訳ございませぬ。先ほども同じ作業をいたしましたため、身体が思うように動きませなんだ……」

「いいですって、それよりこの奥ですか」

「はい、参りましょう」

 マルメロは息を整えると、そばにあるランプを持ち、緩やかな傾斜の通路を進んでいった。

 僕も後ろからついていくものの、さっきまでとは違って薄暗く、空気も冷たい。

 だが、遠くから子どもがはしゃいでいる声がかすかに聞こえてくる。

 道すがら、マルメロは僕に説明をする。

「秘文庫は禁書を収める場所と先ほどは申しましたが、現在は近隣の村々の住人も避難しております」

「外は瘴気で?」

 墜落したときに、大陸が黒い瘴気で覆われていたのを思い出した。

「はい。現在はカサ―ラント、いえアルアン大陸そのものが黒の瘴気で覆われております。坊ちゃまを始め、各地の領主の方々が近隣住民を避難させるのが手一杯でして……」

「アルアン皇帝陛下は、何をしてらっしゃるのですか」

 アルアン帝国は、アルアン大陸そのものが、帝国領だ。

 経済力、軍事力ともに他の大陸を圧倒的に凌いでいる。

 僕たちも大陸に渡ったら、初めに帝都におもむくつもりだったが、マルメロの次の言葉に衝撃を受けた。

「実は……皇帝陛下は、昨年崩御なさいました……」

「え、陛下がっ?」

「帝国軍を総動員して、シー・ライナスに決戦を挑んだものの、力及ばず。何と、おいたわしや……」

 そう言うと、マルメロは涙を拭った。

「折からの黒の瘴気による混乱に加えて、陛下が崩御されて大陸全土が混乱の極致でございます。都市同士の行き来もできない状態でして、ここカサ―ラントも孤立状態なのです。ですが、坊ちゃまがお戻りになられて、民たちも安心しているようで……」

 話をしているうちに、いつの間にか通路の奥にたどり着いたようだ。

 さっきよりも、子どもたちのはしゃぐ声が大きくなっている。

 通路の奥の扉をマルメロが開けると、そこには大書庫よりも大きな空間が広がった。

 マルメロの話の通り、多くの群衆がここに避難をしているようだ。

 人間もいれば、獣人やスライムもいる。

 話に聞く通り、多種多様な種族が暮らす土地のようだ。

 が、僕はあまり歓迎されていなかった。

「おい……、アイツ赤毛だぞ」

「それに黒い目をしている……」

 僕がヒソヒソと話をしている方向に視線を向けると、決まって目を背けられた。

 さっきまでは、あんなにはしゃいでいた子どもたちも、母親にしっかりとしがみついている。

「レイバー様、お気になさらぬよう」

「お気になさらぬようって……明らかに僕、敵視されてませんか?」

 そのとき、近くにいた小さな男の子が僕に持っていた本を投げつけてきた。

「勇者ガネットっ! 父さんを元に戻せ!」

 制止する母親とおぼしき女性の腕の中で、男の子は今にも飛びかかろうとする目で僕をグッと睨んでいた。

 そして、震えながら泣いていた。

「待て。その男はトニー=ガネットではないぞ!」

 若い男の声が響いた。

 そして、群衆が道を開け、男に頭を下げる。

 長身で、金髪。

 細いフレームの眼鏡をかけた男が、僕の方へと近づいてくる。

 額には……え、ブレイバー?

 僕が驚いて、マルメロの方を見ると、彼はコクンと頷いた。

「いかにも、坊ちゃま……もとい、カサ―ラント公レイG様でございます」

 僕が口をパクパクとさせていると、レイGは真面目な顔で言った。

「何をぼんやりとしているレイバー。奥へ行くぞ、ロディが待ってる」

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