第一章 ランク“E”の少年勇者

第一章 第1話

 ドスドスッ、ドドッドス!

「……バー……おい、レイバーってば!」

「ううん、まだ寝かせてよ……」

「何言ってんだ、今朝は卒験だろが」

 眠い、とにかく眠い。

 朝が苦手なんだよ、僕は。

 うっすら目を開けると、二段ベッドの上から顔を覗かせて天板を叩く級友のロディの顔が見える。

「いいから、起きろって!」

 そう言うやいなや、ロディは僕を引っ張り起こす。

 栗毛の長めの髪を後ろで束ね、透き通った青い瞳を持つ彼は、いかにも怒っていますという態度を表すように僕を見つめる。

「イテテテテッ、わかった分かったって……ったく、乱暴だなお前は」

「文句言わずに、早く着替えろって」

 級友のロディは、僕と同じ十才でギルロスに入学した。

 辺境のアムロイ村から出てきた僕に対して、都会のケプロ出身である彼は垢抜けていて、いろいろと教えてくれる。

 四年も一緒にいると、面倒見の良さもかえってお節介というものだが……。

 そんな彼とも、卒業すればお別れかなのか。

「何、ボーッとしてんだよ! 朝メシ食う時間がなくなるって!」

 僕が着替えるやいなや、腕を引っ張って彼は学生食堂に連れていこうとする。

「そんなに急がなくったって、試験は逃げやしないさ」

「そんな余裕かましていると、大事なときにミスるんだよ」

 ――ミスねぇ……。

 僕からすれば、心配性のロディのほうがきちんと試験をこなせるのか不安だ。

 彼はこの前の試験でも、筆記用具は忘れるは、試験範囲を丸ごと間違えているわで、こっちがヒヤヒヤものだった。

 けれど、自分のことよりも他人のことばかりを気にするところは、何だか兄さんと似ていて憎めない……。


 ロディと学食に向かっていると、入口のところでグローリエル教官が立っていた。

 エルフである彼女は、その高い魔法技術を認められて長いことココで教えている。

 教官自身もギルロスの出身で、僕の兄の指導もしていた。

「まぁた遅刻? あなたたちは私が教えた中でも、記録に残る寝ぼすけサンたちね」

「僕は違いますよ、いつもレイバーのせいで……」

「言い訳しない。同じルームメイトなんだから、連帯責任よ」

 ムスっとした表情で、彼は僕を睨みつけた。

 ――残念だけどロディくん、キミの抗議では僕にはノーダメージさ。

 おどけた表情を見せる僕を無視して、ロディは一人で食堂に入っていった。

「あらあら、相変わらず彼は怒りっぽいわ。試験のときに冷静でいられるかしら」

「さぁ……。ロディはいつもあんな調子ですから」

 お手上げのポーズをとっていると、教官は手に持っていたバインダーで僕の頭をバシンと叩く。

「なぁに、他人事みたいに言ってるの。あなたもウカウカしていると、留年するわよ」

「大丈夫ですよ、僕は早くココを出て、兄さんを探さないといけないですから」

 ブロンドの髪を掻き上げながら、教官はキラキラとした翠緑色の瞳で僕を見つめてくる。

「そうだったわね。トニーは本当に優秀な生徒だったわ。お兄さん、まだ連絡がないままなの?」

 兄さんが旅立って四年――一度も連絡がないことを周りの人たちは心配している。

 でも、兄さんは目的を成し遂げるまで誰にも言わない人だから、僕は心配とかしていないんだけど。

 僕が落ち込んでいるように見えたのか教官が声をかけてくる。

「ごめんなさいね。不安を煽るようなこと言っちゃって……」

「大丈夫ですよ、兄さんはとっても強いですから――でも、僕ももうすぐ卒業かぁ。教官の豊満な胸の谷間が拝めないとなるとボク、寂しいです。あ、デートしてもらえるとテンション上がって、卒験もちゃっちゃとこなせるんですけど」

 ボカン! と一発、教官の拳が飛んでくる。

「私を口説こうなんて、千年早いわ。まずは、きちんと卒業してからにしてもらえるかしら?」

 笑顔で拳を飛ばしてくる教官の目は笑っていない。

「わかってますって、イテテテテテッ。大体、エルフに寿命はないのに千年だなんて……」

「何、ここで人生を卒業したいのかしら。なら、お望み通り……」

「やだな、冗談キツイな教官。では、レイバー・ガネット、朝食をとる任務のため退散します」

 まだ何か言いたそうな教官に一礼し、僕は食堂へと入った。


 ギルロスの学食は余裕で三百名は入るほど、広い。

 えっとロディ、ロディ……。

 あ、いた。

 ?? 何やってんだアイツ?

「オラは食事中ズら。話があるなら、後で聞いてやるズらよ」

「だから、それは僕のメシだって言ってるだろ! ウギギギギッ、何だこのスライム……重過ぎて動かないっ!」

 自分の席の前に立つロディは、席に座ってメシを食べ続ける黄緑色のスライムと格闘している。

「ようロディ、なになにコイツ? てか、何でスライムが学食にいんの?」

「そんなの僕が知りたいよ……。テーブルにトレイを置いて、水を取りに行って戻ってきたら、席でコイツがバクバク食ってたんだよ」

 スライムが食べている横にある皿に目をやると、驚くほどピカピカな空の皿が並んでいる。

「ちょっ、もうすでに食べられてるし。おい、この馬鹿スライム!」

 僕はスライムが食べようとしていたパンをすかさずひったくった。

 スライムは僕のほうを振り返り、眉間に皺を寄せながら、さもこちらが悪いかのような目つきで睨んでくる。

「何するズら。食事中にジャマをするとは不粋な子どもたちズらね」

「ジャマしているのはお前だろっ! 大体、なんで僕たちのだけ食べるんだよ!」

 必死に抗議するロディを尻目に、スライムはフフンッとせせら笑う。

「それは愚問ズら。食べ物が置かれていれば、頂くのが礼儀ズらよっ!」

 そう言うやいなや、スライムは電光石火の勢いで、パンを持った僕の腕にかぶりついてきた。

「だあぁぁぁあーー、気持ち悪い。吸いつくな、吸いつくなって!」

 僕は右腕に吸いついて離れようとしないスライムを引き剥がそうと、力いっぱいに押さえつける。

 スッポン! という音と共に腕は引き剥がされたものの、僕はバランスを崩して、床にしたたかに臀部をぶつけた。

「いってぇ、コイツ!」

 目の前のスライムに拳を飛ばす。

 確実にレイGをとらえた! と思ったのも束の間、視界にはスライムの姿はない。

「むぐむぐ、そんな拳なんて遅すぎて当たらないズら」

 いつの間にか、ロディの頭に乗ったスライムは、パンを頬張りながら余裕綽々の表情で僕を見下ろす。

 もう一度、殴りかかった拳はスライムを捉えるどころか、ロディの顔面に直撃した。

「ご、ごめんロディ。こんなつもりは……」

 床に倒れ込んだロディを抱き抱えようとするが、口から泡を噴いてノックダウン。

 ふと、辺りを見回すと僕たちの騒ぎに、周りの生徒たちがみんな視線を向けている。

「ちょっと、何の騒ぎよ!」

 騒動に気づいたグローリエル教官が僕らのほうに走り寄ってくる。

「教官、コイツが……」

 僕が説明しようとする前に、教官はスライムに抗議する。

「キング! あなたは何をしているのです? 試験塔に行っているはずでは」

 “キング”という大層な名前で呼ばれるこのスライムは、ふんぞり返りながら答える。

「まだ、食事が済んでないズら」

「食事って、あなたは教官室であんなに食べたじゃないですか……って、聞いているんですかっ!」

 教官の話を無視するかのように、ロディの朝メシをコイツは食べ続けている。

「そうカリカリしていると、いつまでも彼氏ができないズらよ」

「まともに働きもしないスライムから言われたくありません。あんまり、言うことを聞かならその大きな口を塞いで差し上げましょうか――欲に塗れし悪しき心を持つもの。我が蒼穹の放つ光にて……」

 精霊術を詠唱しはじめる教官の前に、僕は慌てて立ち塞がった。

「ちょっ、教官! ここ学食ですよ! みんな吹っ飛ばす気ですか!」

 一瞬僕の顔を見たものの、詠唱を止めない。

 どうして、僕の周りの人は話を聞かないのか……。

「……集まりし光輪〈ランネル〉!」

 教官の指先には光の輪が作られ、キングめがけて投げつけられる。

 キングの大きな口はまるで、お菓子の袋を閉じる輪ゴムのように光の輪っかでグルグル巻きに縛られた。

「むっ……むぐぐ」

 そして、教官は“カルシン”と唱えると、キングの体をヒョイと持ち上げた。

 どうやら、重いものを軽くする精霊術らしい。

「いいですか、キング。あんまり好き勝手していると、このままスライムゼリーにして、学食で出しますよ」

 なかば恫喝ともいえる態度で、教官はキングの顔を覗き込む。

「後で術を解いてあげます。このまま試験塔に行きますよ」

 仕方なくコクコクとうなずくキング。

 呆気にとられた表情で見ていると教官が、

「レイバー、何をボサッとしてるの。早く食事をとって、ロディと一緒に試験塔に集合するように」

 それだけ言うと教官は、カツカツと靴音を立てながら、キングを片手に出て行った。

 僕の周囲にあったのは、まだ目を回しているロディと、キングが食べ損なったゆで卵が一個だけだった……。

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