第19話 教える側と教わる側
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志野は咲を連れ学校寮へ向い廊下を通り十号室と書かれた札の前に数人扉越しに中を伺っている横に向かうと学校長を見るなり生徒は扉から離れ挨拶をした。
志野は扉を軽く叩き「すず、居りますか。私の声が分かりますか」に返答が無いのを察して、再び「学校長の志野です。お話がしたいので来ました」再び問い掛ける声を掛けた。
生徒が不安げに見守る中、ゴソゴソと床を歩く音と共に扉が少し開き志野は優く問い掛け「すず、黙っていても何も進みません、私と話しましょう。入れてもらえますか」と云うと、「はい学校長」小声で(すず)は答えた。志野は咲に目配せをして、皆が見守り中へ入った。
部屋の中はカーテンが閉められ薄暗く陰気な雰囲気が漂っていた。志野は母の様に「このような暗い所では病気になりますよ」とカーテンを開けると強い日差しが部屋に入り込んだ。眼を細める(すず)は泣いていたようで眼が真っ赤に腫れ容姿から活気が感じられなかった。志野は部屋を見渡すと机の上に英語辞書を見つけ、赤線が多数引かれ使い込んでいる様子に若かりし頃の自分を思い出し「この生徒は自分と同じで努力を惜しまない」と直感した。
「すず、英語は好きなようですね。」と辞書を見つめ問うと、すずは眼を逸らして「英語は嫌いで御座います。」鼻を啜り答えた。志野は賺さず「好きではないが、努力は惜しまないと云う事でしょうか」と(すず)の答えを待ち考え込み(すず)は「試験がありますので、勉強はしないといけません。私は英語より国語が本当は好きでございます。」と答えた。志野は咲の言葉を思い出すように「国語の何処が良いのです」問う声に、(すず)は「君が行く海辺の宿に霧立たば 吾が立ち嘆く息と知りませ」と万葉集の一句を口にした。志野は「海辺に宿に霧が立ち込め、その霧を私の息だとお思い下さい。恋歌ですね」と笑みを向け、(すず)は「そうでございます」恥ずかしそうに俯き答え。
「(すず)は優しい気持ちを持っています。では何故咲先生を嫌うのですか」と訊き、黙って俯く姿に「黙っていては、気持ちは伝わらぬものです。教えてください」促し、顔を上げる(すず)は
「咲先生は英語が此れからの時代には必要不可欠であると申されました。でも、私はそうは思いません。何故なら万葉集、古今和歌集、最近では樋口一葉が好きで御座います。日本人として咲先生のように西洋文化を押付ける授業はどうも好きになれません。然し、学校の生徒として遣るべき事とは理解してはおります。」と学校長へ説いている自分に手が震えていた。
「それで、英語を勉強していたのですか」辞書を手に取り項を捲る志野に(すず)は「はい」と姿勢を正す姿にそれではと考え込む志野は「やめなさい英語を」と問い辞書を机の上に置いた。
「え・・私に辞めろと申されますか」と呟く(すず)に畳み掛けるように辞めたくはないと志野は伺い
「辞たくは御座いません」と涙目になる(すず)に志野は笑みを浮かべて
「咲先生の様にはなりたくないと」と再び問い、「咲先生は好きです。ただ、英語が苦手なだけで御座います。」震えながら答える(すず)に、一つ溜息を付いた志野はならばと云い(すず)こうしましょうと生徒として授業は重要なものです、学問とは好き嫌いでするのではありません、自分の将来の糧として学ぶべきです。色々な分野を学ぶ事が出来るのは今しかありません、(すず)は今その時を過ごしているのです。反省は良いが後悔先に立たずではいけませぬ故に。そして、授業の後で私に和歌・俳句をして下さい、私は何時でも(すず)と共に和歌の勉強を致しますから。
「学校長自ら私に和歌を教えて下さると」(すず)は驚く様に答え、志野は頷き「歌は感性です、感じるもので教えるものではありません。貴女の感性を私に見せて下さい。」眼を見開き答える(すず)に伺い、「はい、お願い致します」顔は何時しか笑顔に変わっていた。
「其れでは、約束してください。授業へ出ると。」その言葉に頷く(すず)に志野は扉を開け咲を招き入れると「咲先生、(すず)に英語の補足授業をお願い致します。」とだけ言い残し部屋を去っていった。咲は活気に満ち溢れる(すず)の顔を見て安堵な顔を向けていた。
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咲は部屋を出て聞きたき事を自分に問う様に足早に志野の元へ向い、学校長室の前で呼吸を整えノックをした。志野は何事もなかったかの如く英文の和訳に勤しんでいた。チラッと咲に視線を移すと「(すず)へのカリキュラムは整いましたか。」と訊き、咲は深々と頭を下げ「有難う御座いました。必ず整えます。」と自分の心持を伝え「学校長訊きたき事が御座います。」問いかけ、志野は筆を置き見据え、「咲、訊きたき事とは(すず)と話した内容でしょう」既に察している様子に咲は頷き「何が私に足りないのでしょうか。どう接すれば良いのでしょうか。」身を乗出し志野の言葉を待っていた。志野は咲の進もうとする頼もしい姿に笑みを返し
「咲は、教師ですか」と唐突に云う言葉に、
「勿論、教師です。」渙発入れず答え、志野は笑みの儘
「教師とは教える側でしょうか。其れとも教わる側でしょうか。」意味が解らず悩む顔の咲は「学問に精通していれば、教師でしょうか私はそうは思いません。」と志野は促すようにヒントを与えた。
考え込む咲は突然清彦との会話を思いだし「上でもない、下でもない。教える側の心情、受ける側の心持」と答える咲に志野は「咲はもう分かっております」ポンと肩を叩き、誰が云った言葉ですかと訊く志野に、咲は顔を赤らめ「留学時に知り合った方です」と答えた。志野は咲の様子を伺う様に「良い表現です。男の方でしょうか」と覗き込む顔に手を振り違うと云ったが志野には通じず一つ咳払いをすると咲は話を戻すように伺った。
「(すず)の気持ちになり、添い共に学べと云う事ですか」と答えを探すかの如く問う声い志野は相手に合わせて添うのではありません、添うとは相手に主導権を取られ教える事はできませんから。先ずは相手を見定め自分の意思で歩ませる事を考えさせなさい
「難しい」と悩む咲に
「自分が変わらずして、相手を変えられません。全て己に降り懸るものです。答えなどありません。咲と(すず)が共に学んでいけば良いのです、お互いから」案じる志野は椅子に座り直し、また和訳を続け、咲は会釈をして部屋を後に廊下を歩き答えを探していた。
(すず)の変わり様に志野は咲の指導が順調に行っていると安堵した。咲も今までとは違い生徒の異変を見逃さず細かい事に注意を払い教えていた。気苦労は有るが今の咲に取っては必要な事だと志野は思い、(すず)と約束した和歌の会は何時しか咲と他生徒も加わり華やかになっていた。咲は得意な英語で和歌を英訳し皆に披露した。(すず)は英語の素晴らしさを咲から学んでいたのかも知れない。
或る時(すず)が自分の進路に関して云った言葉がある。
「学校長様、(すず)は咲先生と同じ教師になります、必ずや」
その姿は将来を見据え活気に満ちている姿に志野は「英語教師ですか其れとも」と笑顔で訊き返すと、(すず)は賺さず「決めていませんが、語学の教師になりとう御座います。」と気持ちは既に教師になっているかのように答えた。
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