第14話 伴侶

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祐之介は丘陵地の上に佇むと、乾いた秋の匂いを一杯に取り込みように息をした。

「祐之介殿この様な汽車も通っていない山の中では人は集まりませんぞ。」と登りってきた坂道に目を凝らし白いワイシャツに麻の帽子を被った男が団扇を仰ぎ訊いた。祐之介は学館の土地探しを有山の紹介で仲介を営む新蔵に託し探させていた。蛇行する川の両岸には集落が点々として、その中央を幅の広い街道に並木道が横に伸び家屋が並んでいた。

「新蔵さんは知らないのですか、後二年位で此処に汽車が通ります。」 あの川に橋ができ、街道沿いも賑わうでしょう。私はそれを見越しています」熱いのか扇子をバタバタと扇ぐ新蔵は疑うような眼をしていた。

「工事をしているのは知っていますが、この辺は未だ許可が下りてないと聞いています。」新蔵の声に「今年(明治二十二年)に線路が敷かれます。」自身有りげに祐之介は答え未だ疑った顔をしている新蔵に「役所に訊き確認は済んでおります」と振り向いた。

「其れを見込んで探せと言われましたか。新しい学館の場所と言われた時は驚きました。正直、別宅でも作るのかと思ったほどです。」伺う新蔵に、「なぜ、田舎に作るのかと思われたのでしょうが、いい場所を探して頂き感謝しています。新蔵さん此処に決めましょう」祐之介は満足そうに頷くと、眼下に広がる色彩パレットの様な秋の風景に目を移した。

「祐之介殿、建物の図面は御座いますか」と問う新蔵に「昔の学友に建築を営んでいる者がおりまして、図面を描いて貰いました。建物中央が正面玄関で、コの字の様な木造2階建ての建物です。中庭を設置し、学徒が自由に行き来出来るように配置しました。」手に持っていた図面を広げ、食入る様に新蔵は見入り、「正門から伸びている一直線と丸は何を意味しているのです」と不思議そうに問い笑みを浮かべ「銀杏並木です」と眼下の風景を目で印す様な眼で「志野殿が銀杏木の黄金色が好きで、新しい学館の入り口に並木道を作ろうと思いました本当は桜なのでしょうが。中央に銀杏、学館中庭と沿道に桜を置こうと思います。」

意味が分からず遠い目をしている祐之介を見ていた新蔵は何か思い入れがあるのだろう程度しか思っておらず「ふーん。 学館長の意向で!落葉時期は黄金色に輝きますから」と呟いた。

我に返った祐之介は「私の意向です」と余計な事を云った子供のように新蔵に目配せをして、「分かりました。事務長の意向で作られると云うことで」何かを悟られまいとする態度を感じ新蔵は図面に目を遣った。

祐之介は今一度眼下の景色に「立秋に色彩秀でる銀杏かな」と此れから始まる新しい学館の将来を頭中で描いていた。

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帰り際祐之介は有山へお礼を兼ね有志館を訪ね広間に通されると、有山の甲高い声に先客がいる事を知らせていた。

「志野、御母上は元気でなりより。」笑う有山に志野は手を付き「先生にも心配して頂き感謝しております。本当に良かったです」返す志野の笑みに「祐之介ではないか。」と視線を外し、祐之介は会釈すると「志野殿戻られたのですか。」視線の先に(はにかむ)志野の姿があった。「新学舎の移設場所を決めました」何処にですかと伺う志野に「この前お話した場所です。」祐之介の喜びの声に「決めたか」と有山が答え、志野は祐之介の顔を愛おしく眺めて、「良かったです」と他人事の様に返答し、有山と満足げに話し込む祐之介を見詰めていた。

志野は帰郷中に祐之介への思いが胸の中から止めどなく溢れ出し心中を抑えられず、踏み込めない自分を素直に認めようと決めた。今日故郷の手土産を持参と称して祐之介のへの思いを相談しようと考え、然し突然の来訪に志野は有山へ問えない牴牾(もど)かしい自分に苛立を覚えた。祐之介は志野の心情を伺いもせず、学館の今後の展開を話し続け、「志野殿来週は如何です」訊き、「何を」とうわの空になっている志野は答えてしまし、「大丈夫ですか、場所を見に行く件です」と再び伺い、「祐之介殿の都合に合わせます」と答えてしまった。祐之介は様子がおかしい志野に「気に入りませんか、先に私が決めてしまった事に」と躊躇する顔を向け、「いいえ、私も喜んでおります」答える志野に、祐之介は笑顔に変わった。結局来週の火曜日に一緒に向かう事となり有志館を辞去した。

現地を確認した後、「志野殿此処からの丘からの景色を見て貰いたい。」と云う祐之介の言葉に志野は頷き、伴っていた佐助は上るのが嫌だと里の茶屋に残して二人は小高い丘の上に立っていた。相変わらず眼下に広がる景色は秋空の元紅葉が更に色付きを増し広がりその素晴らしい光景に「綺麗です。空気が澄んで気持ちが良いです」志野の満足した様子に、「あの、銀杏の木の横が先ほど見た場所です」と祐之介が指さす先を志野は見詰め、大きな銀杏の木が秋日に映え黄金色に輝きを放していた。銀杏ですかと志野の声に振り向く祐之介は

「私は学館が新設された折りに銀杏並木を作ろうと思っています。」

「何故、銀杏なのですか」と問う志野に

「銀杏は志野殿の木ですから」乾いた秋風が二人を包み、ススキが左右に揺れ、後ろに結んだ志野の髪が後ろに靡いた。

「私のために木を植えると」云う志野に祐之介は一心の眼を銀杏の大木を再び指し、「最初は小さい銀杏も何時しか大木になります。其れには長い年月が掛かります、私は志野殿と一緒に成長する木を見たいと思っております。大きな葉は人に潤いを与え、黄金色に輝きは人を癒し、実は人に恵みを与える。学問は人の価値を見出すためにあると申された志野殿に相応しいと思いました。私は志野殿と歩きたいと願います、大木となり豊かに実るように」

志野は祐之介の言葉に涙が自然と溢れ出し、「風雨に晒されようとも?」と詰まりながら訊く志野に祐之介は頷くと「全てを受ける覚悟です」とそっと抱き寄せた。祐之介の肩に顔を寄せ頷く志野が泣いているのを祐之介はシャツに染みる涙の暖かさで感じていた。二人に秋風が寄り添う様に纏わり付き、祐之介は「一本の花の蕾はやがて咲誇り、何時しか種となり、そして花園となる」と呟いた。

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