第13話 本心と恋心

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役所の検分が終わり、嬢(ゆたか)の書もあり自決とされ、書には自分の行いを悔い謝罪する文面が記されていた。結局祐之介が立会人として処理された。

祐之介は学館の自室で考え事をしていると、志野が部屋に手紙を持ち現れた。

「祐之介殿、手紙が来ています」とその声は何故か寂しそうで、渡された手紙を見て愕然とした。其れは、竹野 嬢(ゆかた)からだった。その光景を見た志野は部屋退出しようと扉へ向かうと「志野殿、一緒に居て下さい

」と雄之助の声に「居てもよろしいのでしょうか」頷く姿に、傍に立ち読み始め志野は心痛な思いで聞入った。

(祐之介、手紙が届く頃には俺はお主に斬られ果てているであろう。 俺はお主の父上を斬ってから、自分を蔑み、時には忘れた一心で己の志が唯一の支えとなり突き進む様になっていった。

お主は俺の事を憎み、許さないであろうと思うが、お主に斬られる事で自分の殺伐とした心に平穏を与えてくれると思い、失礼な事ではあるが此れが唯一父上に報いる方法だと考え、そなたを探し近づいた。身勝手な自分を許してくれ祐之介。

自決書は役に立ったと思うが、今は反刀令に始まり武士が脇差を持つのも憚れる世になった。正直、俺はお主に妬いていたかも知れぬ。人に惑わされず、自分の信念を持ち真直ぐ進むお主に俺は何時も見下された思いに苛まれた。もう、剣では世は変えられない、此処までだ。あと、志野殿へ無礼な振る舞いお許し下さいと伝えてくれ。でも、本当に繊細で気丈な女子と思っている。最後に昔の様に木に登り、学業に励み笑い合いたい、今となっては叶わぬ夢であるが。)嗚咽し肩を揺らし泣き崩れる祐之介を志野も涙を浮かべ見詰め、嬢(ゆたか)は文末に「祐之介、志野殿はお主を好いておる。貴様も分かっておろう、大事にすることだ」と認められていた。空一面広がる五月月晴れに真綿の様な雲が点々と流れていた。

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夏の日差しが校舎を照らし、乾いた地面から砂埃が舞上がる午後、祐之介はあの悪夢の出来事から時の経過と共に忘れようと学館の仕事に努める傍ら、進めていた学び舎の移設計画に奮闘していた。そんな折志野の母が倒れたと知らせが故郷より舞い込んだ。祐之介の配慮で志野は急遽戻る事となり、故郷へ帰るのは東京に来てから以来で志野は母の無事と久しぶりに帰る故郷を思っていた。

昔の山道、野鳥の囀り、家へ帰る道を志野は急ぐ足を踏みしめ懐かしき景色と蘇る真綿の如く学問を吸収しようと猛進していた自分を思い出して、坂道を上がり切ると柿木が青々として葉を揺らせ志野は家へ駆け足で駆け込み、「お母上、帰りました」涙が自然と零れ始めた。

出迎えた義三は以前の様な恰幅さは薄れ、手には銅製の桶を持ち、志野を見るなり満面の笑みで「志野、志野ではないか。今戻ったのか」と眼には薄らと潤んでいた。志野義三の前に座り「父上ただ今帰りました。お手紙を頂戴し直ぐに駆けつけるべき所を、遅くなり申し訳ございません。」と手を付き云うと、義三は笑みのまま頷き「早く、母上の所へ挨拶に行こう」と促した。

「母上は大丈夫ですか」と訊く志野に義三は先に立ち無言で部屋へ歩いた。

母たねは布団で横になっていたが父義三の声に起き上がろうとする所へ志野が添え、横に座った。

「母上、帰郷が遅くなりました」と頭を下げる志野を、白髪交じりの結った髪を触り「志野、無事でなりよりです。手紙では東京のそなたの活躍、嬉しくてたまりません。

父上も同じです。」と横で何度も頷く義三の顔があった。

「母上ご病気は大丈夫で」と義三と(たね)を交互に見た志野に「貧血と腰の痛みがあるが薬も貰っているし、医者は問題無いと申している。」と気丈な声で義三が答えた。安堵の顔をした志野に「心配させた、大丈夫だから」と反対に自分を気遣う志野を心配した。

「見違えるように大人になった。」と義三は洋服姿の志野を見て「動き易い」志野は(たね)に見えるように立つと(たね)は「綺麗ですね」愛しい笑みに何度も頷いた。

「志野、好いている男はおらぬのか」突然聞く義三に、志野は一瞬戸惑うと首を傾げ「おりません」と細い声を(たね)は見逃さなかった。

義三はタオル絞ると「おらぬのか」と寂しげな声掛け桶を持ち部屋を出て行き、その様子を見て(たね)は志野へ向き「志野、好きな男子がいるのですね」と優しい声を掛け、俯く志野に「どこの方です」と訊きなおすと「同じ学館の方で、信頼でき、真直ぐな性格に慕っております。」と(たね)に伺うような顔に、「慕っているのでは無く、好いているのですね」と問い小さく「はい」と志野は答えた。「なぜ、母上はお分かりに」と不思議そうな顔を向けると、満足そうな(たね)は「女子は恋愛をすれば、直ぐにわかります。艶と張りが出て綺麗になりますゆえに」とひと呼吸置き「尤も、相手には伝えたの」と訊き、手を摩り俯く志野に「片思いで」と再び問い「毎日お話しするのが私には楽しくてたまりません。自分の心を躍動させ、抱擁してくれる人だと思っております。」と顔を上げ答えた(たね)は溜息を一つ付き腰に手を当て「貴方は学業には自分の考える儘に尽き進んできました。でも、恋事は自分を閉塞させその中の世界で恋焦がれていては、何も進みません相手がある事ですから。慕っているのではなく、好きなさい。志野の体、感情から既に湧いて出ている相手への気持ちを受け止め、思うが儘に進むのです、私が貴女に旅立つ前に云った言葉で。歳を重ねる毎に人は堪え、臆病になります色々な経験から生まれる防衛本能かもしれません。然し、臆病とは経験に押し潰され自分を見失う病で今を生きぬと云う事かも知れません。」淡々と話し病気など微塵に感じさせない(たね)は「志野、飛び込みなさい。結果は後から付いてくる。結果を怖がってはいけません。但し、人を騙ったり、操ったりしてはだめです、相手の心を受け慈しむのです」その言葉は志野の胸に一筋の火を付け、張裂けそうな胸の鼓動を感じ、自分が母上から元気を貰った事に敬服していた

義三は襖越しに聞こえる(たね)の久しぶりの豊かな声に顔は笑みに包まれていた。

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母の見舞いの後、志野は遊学館を訪れ学び舎に眼を細め懐かしい幼い自分を思い出していた。あの頃は周りも見えずただ此処で学ぶことが誇らしく新鮮でしか感じず、昔の学友、恩師の顔が浮びその時後ろから「志野ではないか」と声がした。聞き覚えのある声に志野は振り返ると、恩師に「秀治先生」と相変わらず若々しい声で満面の笑みを浮かべた秀治の姿があった。

古い建物特有の歩くとギシギシと音を立ち茶褐色と黒ずんだ部分が多くなった学び舎は、過ぎ逝く時を感じさせ、大きな秀治の後ろ姿を追いながら進み教務室教務室へ入った。

「志野、懐かしいの~。 少し痩せたのではないか。」と秀治は心配げな顔をして「母上の見舞いに来たのであろう」と懐かしい声に頷き、秀治の(師を持つことに男女問わず、心に心眼を持てと)昔云われた事を思い出ながら「そうで御座います。」と返答した。

「それで、大丈夫なのか」と慈しみの顔に

「はい、元気に私に説いて下さいました」と笑みを返すと

「親とは子を幾つになっても心配するもの、尤も、老いては子に従えと云う言葉もあるが」と笑い声をあげ「立派に自立している子でも、親は心配事を探す生き物だ」

「親とはその様な者でしょうか」と不思議がる志野を秀治は「わしのも2人子供がおる。一応な」と目配せをし、「然し、親とは子の成長を見届けることは出来ない、だから出来る時に小言を云いたくなる。」と眼を細めた。志野は自分が未だ知らない世界を秀治に感じ感銘を受け思う姿に「志野は未だ伴侶は居ないようだな。その口振りでは」伺う顔に志野は「母に、諭されました飛び込めない自分に」と眼を古びた掛け時計に裕之介の顔が写り込み様な錯覚に凝視していると「そなた、好きな男がいるな」秀治の声に「私もいい歳です、好いている男子の一人位はおります。」恩師の前で急に昔の勝気な自分に戻り苦笑すると、「恋は切ない愛おしい、愛は尊くもあり、厭うしくもあり、紙一重だ。依って、大事にせねばならぬ」誰かに云うように語る秀治に「それは、誰かに云われたのです」と伺い「妻に云った言葉じゃ」嬉しそうに照れる秀治の顔に窓から西日が射し、志野はこの師に出会い学ぶ事が出来た自分が恵まれた縁なのだと感じ「先生、巡り会う人の縁とは」と尋ねると秀治は「縁とは待っていても巡り来ないもの、良縁もあれば悪縁もある。先ずは来る者拒まず去る者追わずだ。」有山先生が云った言葉だが志野は聞き入る様に「良縁と悪縁の見極めは」と問い、笑み返す秀治は

「其れは、見極められん。」と突き放す言葉に、志野は項垂れ「志野、最初から良縁も悪縁も無い、縁とは自分から望み交わり、己の邪推を捨て人を認め交わりの中から作り出す事だ。良縁は己から沸き上がる自尊心と他尊信から生まれ、それは思いやり悔いない心ぞ。」愛しむ声に志野は潤う心を貰った気がして胸の中に裕之介への思いが増幅している自分に気付いた。

遊学館の帰り道志野は母(たね)が云った言葉が少し理解している自分に、それは秀治が云った最後の言葉からで「だから、飛び込まねば何も生まれない。最初から満ちている縁など存在しないから」と繰返し言い聞かせる自分自身がいた。

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