第12話 仇討

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佐助が学館の郵便受けに志野殿と書かれた書付を見付け、差出人は竹野嬢で内容はお話したい義が有りと書かれていた。志野はあれ以来学館の仕事に手が付かぬ裕之介が気になり、場所と日時を認めると書かれた住所へ佐助を行かせた。

桜は散り何時しか若葉が芽生える有志館の庭先を眺めていると、「志野殿は居られますか」と男の声に玄関先へ向かった。今日は、有山、千鶴門下生以下を連れだって、上野不忍の池へ歌の会と称して出掛け、志野も誘われたが客人が来ると断った。竹野嬢を広間に案内すると茶を入れ志野は前に座り、その様子を嬢(ゆたか)は眺め、「志野殿は何故嫁に行かぬ、その様に美しいのに」と女子を見る目で眺め、志野は視線に眼を背け「女子は、お嫁に行かぬといけませんか。私は外見で判断せず内面を磨く方が好きで御座います。其れは男も同じです」と云い放し、嬢(ゆたか)は「其れでは、俺は如何だ」と身を乗り出すと志野は胸を押え後退りし「俺より、裕之介の方が良いのか」と呟き、頬を赤らめる志野に嬢(ゆたか)は「頭だけの木偶の坊よりわしの方が、余程役に立つと思うが」と鋭い目に志野は赤らめた自分を恥じ、「今日はその様な事を云われる為に来たと申されますか」気丈な声を上げた。

嬢(ゆたか)は姿勢を戻し「話は簡単な事。わしの雇わぬか、志野殿」少し間を開け「裕之介の代わりにだ」と低い声を上げ、「志野殿にも好いと思うが、わしの方が。男としても」とその誘惑するような目に志野は我慢ならず「裕之介殿を妬かれて云われているのですか。貴殿は邪淫と無道で人の道を外れ己の欲する儘に進む邪悪な輩としか見えませぬ」とハッキリとした口調に「人に道に反すると申すか、女子の分際で」と声を荒げ平手を出す嬢(ゆたか)に志野は身構え、その表情に「学問に踊らされている女子に、わしの気持ちが解る訳もなし」と手を下げ、上目使いに志野を見て「志野殿、良い事をお教えしよう裕之介に今後何か起きるかも知れぬ。覚えておいた方が良い」と眼は笑ってはいなかった「裕之介殿に何が起きるのですか」と聞く志野に嬢(ゆたか)は「後で、知る事となろうが。」云うと立ち上がり玄関へ消えて行った。志野は裕之介の今後に一抹の不安を感じ、無性に騒ぐ心が何かと考えていた。

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志野が嬢と有志館で会っていた時、泰山の書付が裕之介の手元に届いていた。泰山の内容は嬢(ゆたか)が泰山の所へ来たと有り、裕之介への忠告を記していた。

泰山は、嬢(ゆたか)が話した父の遺恨の事を危惧し、本当の事では無いと書かれ、決して嬢(ゆたか)の口車に乗るなと強い筆で認められて、その文字から泰山の危機感を裕之介は感じ、多くの人を殺めた嬢(ゆたか)は何を企むか解らないから、素行にはくれぐれも注意を怠るなとあった。明治初期多くの謀反論者が捕えられたが、嬢(ゆたか)を含め数人の者は今でも行方を晦ましその輩と結託するかもしれないとも添えてあり、文末には警官には伝えてあると追記されていた。読み終えた裕之介は「学館に災いが起きねば良いが」溜息交じりに呟き、泰山の危険を促す言葉が頭を巡っていた。

夕刻、志野は学館に帰ると直ぐに裕之介の部屋で出向き、書き物をしている裕之介に嬢(ゆたか)との会話の内容を話した。裕之介は少し驚いた様子で聞き入り、興奮している志野に、「何故、一人で会いに行ったのですか。今後はその様な事はお止め下さい」強い口調になり志野は「心配で仕方なく。然し、あの男は卑劣で裕之介殿の同志とは思えません」とだけ答え、志野の裕之介への愛しさの表れに、「最後に私に何か起きると云ったのですね」と訊くと、志野は頷き、「そうです。後で知る事となると、冷血な眼をしていました」不安に駆られる顔を見た裕之介は「大丈夫です志野殿、何も出来やしません」と笑顔で答えた。

「あの男は裕之介様とどの様な関わりで」と恐る恐る聞く志野に、笑みを返して「嬢(ゆたか)と私の事ゆえ、志野殿のご心配はご無用」とだけ答えた。志野はそれ以上何も聞かず最後に「裕之介殿は私の大切な方ですから

、心配致します。」小声で下を向き部屋を出て行く志野に裕之介はその言葉の意味を理解するほど心は平常心ではなく、「奴は何を考えている」眼は一点を鋭く見据えていた。翌朝、郵便受けの手紙を裕之介の部屋に届ける佐助の姿があり、書面は裕之介に嵐の時を知らせる事となる。

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朝霧の中新緑に覆われ苔が生える階段を祐之介は踏締め上っていた。嬢(ゆたか)からの書には学館の裏にある小高い山の竹林に来いと日時が記され、遠くに旅立つ事に付き最後に話したいと認めてあった。祐之介は狡猾な嬢の心を読もうとしたが、懊悩になっている自分に読めるはずがなく、ただ「嬢(ゆたか)を侮るなかれ」と繰返し自分に説いた。朝霧は上るに連れ祐之介に纏わり登り切った頃には白霧の世界が広がりザワザワと竹林の擦れる音が聞こえていた。耳触りな音を抜け小高い丘の上に嬢(たける)は袴と羽織姿で二本の刀手にしていた。

「祐之介遅いぞ。」と白霧の中に佇む嬢は一本の刀を放り投げ、祐之介は嬢(ゆたか)を見据え「やはり、お主は昔と変わらぬ。卑怯者だ」と腰を落とし身構えた。

「刀を持て祐之介、」

「最初から俺を斬る気だったのか」と左に回り込み、合わせるように嬢(ゆたか)も動いた。「いい事を教えてやろう。貴様の父を斬ったのは俺だ。」と口には笑みを浮かべ「なに! 嘘を付くな嬢(ゆたか)」と血走る眼を向け、風は強くなり竹林が唸った。

「本当の事だ。登城の折り要件があると嘉門殿を呼び出し、一突きに刺した。云っても聞かぬ相手に容赦はせん」ザクッと砂利を蹴る音と共に嬢(ゆたか)刀を抜き鞘を投げ捨てると、祐之介は受け身で一回転すると落ちている刀を取り抜いた。刃金が重なり合う鈍い音が竹林に響き、押される祐之介は嬢(ゆたか)を蹴り飛ばすと右に回り込んだ。

「祐之介、相変わらず剣は不向きな様だな。」息が荒れる祐之介を見下した声に祐之介は腕が痛み切れた洋服の裾から血が流れ「う…」と呻き声を上げた。嬢(ゆたか)の刃先に血が滲んでいた。「ふっふっ...」と蔑む声を上げ「志野殿はそなたには勿体ない。わしに鞍替えしろと云ったが、嫌だと申した。口が減らぬ女子だ」と剣を上段に構えると草履を捨て足袋になり、「志野殿は関係なき事。」と災いが志野へ向かう事を怪訝した祐之介は嬢(ゆたか)に向かい走り出すと渾身の力で下段から刀を振り上げた。鈍い音と共に柄を通して肉と骨を突き刺す感覚を覚え、新之助の刃は嬢(ゆたか)を貫き、仁王立ちになった胸に刺さり

「うわ・・・・・」と嗚咽する声が嬢から漏れた。祐之介は後ずさりをし

「なぜ、交わさぬ嬢(たける)。」

「う・・う・・」と声を荒げた嬢(たける)は倒れ込み、口から血が滲み始めた。

引き攣る口元から「裕・・祐之介… 此れで良いのだ」と寄り添い抱き上げる祐之介に「己の腕なら私を斬れたはず。何故、何故 剣を下げた。」と問い虚ろな眼を返し「此れで、仇が討てたではないか。ふと、、懐を、、」と血まみれの手を懐に入れると、血が滲んだ書付を取り出した。表には自決書と書かれていた。

「お主、自決するつもりで此処に来たと申すか」と手渡された書を持ち。

口元に笑みを広げ嬢(たける)は「仇討は法度な今の世だ。俺が自決すればお主に災いは起こらぬ。」(仇討は明治六年に禁止された) う~とまた苦しみの声を上げ「其れに、人を殺めた俺に自決など許されない。お前に斬られる事で俺は許しを乞うたと思っている。今となっては叶わぬ事だが、俺の遣ってきた事は何なのかと常に問うていた・・・・」と声はか細くなり、そう云うと刀を震える手で支え「さらば、祐之介。」と言い残し果てた。祐之介は言葉にならない声を上げ、ざわめく竹林が声をかき消した。

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