第11話 宿敵

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千鶴はお茶を運び入れ机上に置くと、有山は筆の手を止め口にした。「裕之介と志野は頑張っているようだな」千鶴は窓の外の桜を眺めて「昨年より蕾が多い様に思われませんか」と手を有山の手に添えた。 有山は今にも咲きそうな蕾を眺め、泰三が志野を花の蕾と称した事を思い出し、「何時しか蕾は咲き誇る」と厳つい顔に優しい目に、千鶴は「先生、なぜ、裕之介殿を志野様に合わせたのですか、私は紹介しないと思っていました」と伺うと(千鶴は今でも、夫有山を先生と呼んでいた)有山は認めている書を眺め「俺も最初はそう思った。裕之介と志野は性格も価値観も違う、でも志野の成長にはその方が良いと考えた。」千鶴は思いに耽る有山を見て「何故ですか」と聞きたい素振りに有山は、千鶴と云い顔を向け。

「志野は皆が知っている通り知識と教養に溢れ行動力があり、洞察力もある。然し、人とは全てに秀でている者はおらぬ。」

「志野様には何が足りないと申されます」と千鶴は興味津々な様子に、有山は髭を人撫でして「疑う事だ。」と答え首を傾げる千鶴に「志野は真直ぐな性格ゆえに、人を騙し、欺く事が苦手で嘘を付くと許せないと自分を責めるようになってしまう。」

「其れが志野様の良い面ではないのですか。私は慕っております。其れでは裕之介殿との関わり会いが分かりません」と不思議そうな顔に、有山は頷くと眉を撫で、

「人は己の五欲に苛まれる。 財欲、食欲、名誉欲、催眠欲、そして色欲だ。 どの欲も強すぎれば災いが降りかかる。 欲を持つのは良いが、己の欲する儘に人を欺き、騙し、利己的(他人を自分の利益だけを追求する)になり、何時しか絵顔に現れる。幾ら自分を隠そうとしても必ず見透かされる時が来る。それを見た時に人は嘆き、悲しみ、心の奥底に留まり、歪んでいくものだ」と咳払いをして「ちと、話がずれたが」と苦笑し千鶴も笑みを向け、「裕之介は志野の足りない面を補う事が出来ると思うた。志野が人の五欲に悩み、苦しみ、他と自を責める時に、別な視点(価値観)で助言が出来れば一番良いではないか。最初に会った時に彼がこう云った(価値観が違えども志は同じであると)、その言葉の意味はその様な事だとわしは解釈した。」

千鶴は有山を改めて敬服し「そこまでお考えでしたか」と差出した茶を持ち自分の口を濡らした。有山は下向きに頭を撫でると「今一つ、志野は裕之介に好意を持ったと思ってもいた。そちにも話したであろう。」千鶴はクスっと笑い「顔を赤らめていたと申された事でしょうか」と愛しい顔を向け。「先行きが楽しくなりそうでございますね」と問いかけ、頷く有山に「先生、私共は同じ心で御座いますか?」と聞き、有山は照れながら「解りきった事を云うな」と机に向き直し、苦笑する千鶴に「時が経つに連れ、燃え上がる炎は何時しか消え去るもの、故に今が大事だ。志野も裕之介も」と二人の今後を憂いた

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祐之介が勤め始め1年目の春を迎え、銀行への鞍替えより舎の策も円滑に廻り大店の発言力を抑えながら事を進め、志野には教育面に専念させ、祐之介は影となり時には日向となり志野を支えていた。

小春日和の陽気に薄着を来た学徒達が怪しく学舎の中を伺う着物姿の男を見て、学徒に不信な男の事を耳打ちされたのか佐吉が声を掛けた。

「当学舎に何かご用ですか」と問い掛けると、男は気付かぬふりをしていた。佐吉は無視された事に憮然とした顔を男に向け「お主、何か用かと聞いている。」と声を荒げると鋭い眼つきを佐助に向けはしたが何も言わずに、相変わらず中を伺っていた。その態度に佐助は男の肩に掛けようと手を出した時、佐助の体は宙に浮き地面に叩きつけられた。柔道の技を掛けられ、手を押さえ痛がる佐助に男は「無礼であろう。町人分際で」と着物の裾を払う仕草をした時、後から祐之介の声がした。「佐助、如何した」その声の時には佐助は再び飛び掛かり、男は払い腰の姿勢で投げ飛ばした。砂利の鈍い音と共に佐助の悲鳴が辺りに響き、数人の学徒が立ち竦み怖がっていた。

「無礼だと申しただろう、何度やっても同じ事だ」と嘲るように含み笑いを男は浮かべたその光景を見ていた祐之介は「竹野ではないか」と親しみ深い声を掛け、男がその声に振返ると、「祐之介か」と日下した眼つきで答えた。佐助は黒服の汚れを落とす仕草をして「祐之介様のお知り合いでしょうか」と驚きの声を上げ、祐之介は「昔の知り合いだ」とだけ答えたが、目は竹野を見据えていた。

(竹野 穣(ゆたか)は祐之介と同じ津川藩 藩主大垣立野穣の家臣で、幕末に攘夷派として藩内では恐れられた存在だった。祐之介の父嘉門を陥れたのも竹野だと内々では噂になっていた事も祐之介は知っていた。然し、祐之介と穣(ゆたか)は年恰好も同じで学問は祐之介が勝っていたが、剣術に関しては武才流を共に拝したが、師範並みの穣(ゆたか)腕に祐之介は何時も負かされていた。穣(ゆたか)は幕末の中、武力による攘夷を推し進めようとする豊源内(学者)の教えに染まり、穣(ゆたか)の考えに、藩を存続させるべく武力では無い方法を働き掛けた父である嘉門との思想の違いに悩むようになり離れていった。

結局、主君立野穣が嘉門の方策を進める事に激怒した穣(ゆたか)は数人の同藩者と共に脱藩した後、藩外で攘夷に逆らう輩を問答無用に斬ったと噂となった。)

長い年月が流れ、いま目の前に立つ姿に祐之介は不安に駆られ、「何しに来た」と鋭い声を上げた。「その方に会いに来た。何か不服か」と穣(ゆたか)は笑みを浮かべ、その顔に祐之介の親しみ深い顔は何時しか嫌悪感へと変わっていた。

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嬢(ゆたか)を裕之介は自分の執務室へ案内し、「落ち着いた部屋ではないか、メリケン被れにしては」と減らず口を叩き、無視する裕之介に嬢は苛立ちを隠せずに

「昔馴染みに会いに来たんではなかろう。貴様何しに来た」見据えた儘の目を向け

「お父上は切腹されたと殿から聞いておろうが、本当の事を聞きたくはないか。」笑みを浮かべ「あの時そちは見ておらぬだろうが。」と続けた。

「なに、貴様今頃何を言っている」と詰め寄る裕之介は眼線を窓外に向け。

「お前の父上は登城された時、攘夷の輩に本当は刺されたのだ。一突きに」と裕之介は嬢(ゆたか)の声に冷静さを保とうと必死であったが、肩が震え握り拳が手に刺さる感触を感じ

「殿が云った事が嘘だと申すか、貴様、父上を愚弄するつもりか。誰が刺したと云うのだ!」と大声を上げ振り返り怒りの拳を嬢(ゆたか)へ向けた時、「何を騒いでいるのですか、もう授業が始まっております。」と扉が開き志野が部屋に入り二人を見渡すと「お客人でしたか」と云い、何時もと様子が違う裕之介を察し、

「何かあったのですか。こちらの方は」と訝しげに嬢(ゆたか)を見た。

「貴女が志野殿ですか。 裕之介から聞いていた通りの美しい方です」を笑みの顔に突き刺さる様な目をして、「私は裕之介殿の同志で竹野嬢(ゆたか)と申します。」と立ち上がり裕之介を見据え「近い内にまた来る」と云い部屋を出て行き

、裕之介は「貴様など二度と来るな」と吐き捨てたが嬢(ゆたか)は「お主とは今一度合わねばならない」と扉を閉めた。怒りに震え只ならぬ殺気を帯びている裕之介を初めて見た志野は何を云えず佇んでいた。

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