第10話 系譜

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桜色の並木がある旧白山御殿町(文京区白山)播磨坂を祐之介は歩きながら眼に映る、散り桜と砂利の踏む音が過去へ誘い一瞬目を凝らし、父と昔歩いたことを思い馳せた。坂を上り切り大垣と書かれた表札の大きな門構えの屋敷に入ると、両脇の楠木の木の横を玄関へと向かった。下僕に池が中央に配置された庭を見渡せる部屋に案内され、塀越しに桜色が一面に覆っていた。(小石川の屋敷は泰山の別邸で昔は父の江戸住まいとしていた。)

祐之介は望郷とも思える感情が胸に湧き、昔小僧の頃、此処で武芸の稽古をしては楠木の木に登り降りられなかった事などを思い出し(あの頃は平穏であった)と呟くと、廊下を歩く音に平伏した。


「祐之介ではないか、メリケンから帰国したのか。懐かしいの~」と大垣泰山(旧立野穣)が思いも掛けぬ来客に感情を露にして祐之介の前に座ると。

「泰山様、懐かしく存じます。突然の来訪お許し下さい。」と頭を下げた儘答えると。「無事である事が一番じゃ。顔を見せぬから、如何したと思っておったが。顔を上げ祐之介」と手で手招きに祐之介は表を上げ手を膝にのせた。

「そちから手紙を貰い、突然に日時を指定して来るところなんぞは父上に良く似ておる」その時、女中がお茶を持参し二人の前に置くと泰山は立去るのを見て「父上が生きておれば、そなたの立派な姿を見られたものを」と低い声に「其れも、時世で御座います」と祐之介は柔らかい言葉で返した。泰山は溜息を漏らし、「省に返らねばならない、祐之介が突然来るとは何か相談事であろう。夕方には帰るゆえ、一緒に膳でも囲いながら聞くのはどうだ?」と投げかけ、祐之介は「私が参った事なれば、お待ち致します。」とだけ答えた。

喜びを露にする泰山は「今は会議、会議と議論ばかしで、先に進まぬ。」と愚痴めいた言葉を云い、女中に客人に膳の用意と外出する事を告げ立去った。

祐之介は泰山が変えるまで、昔の優雅な時と自分の心に折り紙の如く畳んでいた心情が湧き上がっていた。

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春先日は短く女中がランプに火を灯す時には闇が支配しようとしていた。時折鳴く虫の声と未だは座寒い風に祐之介は背広を着こんだ。

泰山はそれから一刻過ぎた頃に帰り、着替えをすませ女中に膳の用意をさせた。女中の膳の用意ができましたとの言葉に祐之介は席を立ち畳の上に絨毯が敷きこまれ、椅子と机が置かれた部屋に案内され、泰山は着物姿で「祐之介、遅れてすまぬ」と云いながら待っていた。

泰山の日本の酒より旨いとワインを開け、濃い赤紫色の液体を入れたグラスがランプの明かりに光っていた。泰山は運ばれる料理を食して、ナイフの手を止め「ところで祐之介、嘉門(父)の墓には報告したのか」ランプ越しの泰山は優しい目をしていた。「未だで御座います」と一瞬躊躇すると、「そなたの気持ちは分かるが、墓の下には罪はない」と投げかけると「承知しております。然し、私の中ではあの時が未だに生き続けております。」と灯るランプに目を遣り、泰山は溜息交じりに「そのたの心はあの時の儘と申すか」とワインへ手を伸ばした。祐之介は「事件以来、単身アメリカに渡りました。其れを支援して頂いたのは、殿で御座います。あの時、私は感慨な思いに胸が熱くなりました。」

(泰山(立野穣)は四国の旧藩主であり、祐之介の父嘉門は家老を務めていた。泰山は版籍奉還後知藩事となり辞職を経て、今の職に就いた。泰山は激動の時に祐之介をアメリカへ渡らせ(後世を作れと言い)、此れは忠義を尽くし切腹して果てた嘉門への弔いだったかもしれない。)泰山の悲しい目に、祐之介は切り出した。

「殿、お願いの儀があります」と頭を下げ、それに泰山は「もう、殿では無い。ただの役人だ」と云い、立上ると格子窓を開け、外を見た。火鉢からけんけら音が部屋に響き「何か力になれか分からぬが、」と呟いた。

「殿、私は今女子学館と申す学舎にて財務担当をしております。お願いの儀とは、学館の融資の件で御座います。」と泰山に椅子を向け答えた。後を向きながら「春とは云え、外はまだ寒さそうだ」手を摩り向きなおすと「細かい事は訊かぬ、そちが教育の場に居るとは思わなんだ。融資してくれと、其れは祐之介の願いでも難しい、今は役人の身で周りの眼もあるしな」と難しい顔に「其れでは殿、何か妙案が御座ませぬか。」と云う祐之介は絨毯に正坐をした。考え込む泰山は「紹介は出来るがどうだ。」伺う顔をして「民間の銀行を開いた事は知っておろう。」云うと頷く祐之介に「そこの座衛門と云う番頭が居る。訪ねてみてはどうか、紹介状を認めよう」と云う泰山に祐之介は改めて「宜しくお願い致します。殿のご配慮傷み入りまして御座います」と平伏した。泰山は大きく息を吐くと「祐之介、その代わり墓前に参り父と話せ。早々だぞ」と強い口調の後「あと一つ、もう二度と殿とは呼ぶな」と笑い声を上げた。祐之介は泰山を父のような優しさに甘えている自分に安らぎを感じていた。

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祐之介は早々に銀行に出向き、泰山の紹介状と共に座衛門へ願い出た。当初座衛門は訝しげな顔をしていたが、泰山の認めた書を食い入る様に読み、頷くと急に態度が変わった。祐之介は学館の財政、融資に叶う将来性等と問き、座衛門は丸刈りの頭を撫で「分かり申した」訛りの有る口調は鹿児島を思わせた。「おはんは、代表者で御座るか」と細い目を向け「代表者は有賀志野と申す女子に御座います」と返答すると、また訝しげな顔をした座衛門は「女子」と大きな声を出した。「女子に融資しろと申すかおはんは?」と馬鹿がてるとでも言いたげな表情に「私が共同出資者では如何ですか」と祐之介は冷静に答えた

。座衛門は繁々と祐之介を眺めて「それならヨカド。(良い)、泰山様の紹介状にもあり申す」と答え「然し、祐之介殿。貸す以上は心構えを伺いたい。」それに反応し祐之介は鞄から提案書(企画書)を取り出し手渡すと、また、丸刈りの頭を触り念入りに目を通し、読み終えると「おはんが此れを書いたと?」書を机の上に置き驚く座衛門は「良く出来ておる」と呟いた。


腕組を組み考え込んだ座衛門は「本来この様な小規模な学舎の融資は受け付けておらぬが、幾ら用立てれば宜しい」と上目使いに「この程度では如何でしょうか」と祐之介は金額を認めた紙を差し出した。座衛門は金額を見て「うーん」と呟き、また祐之介へ視線を向けると「一つ条件があり申す、志野と云う女子に合わせて下さい。其れから決めましょう」と云った。祐之介はニヤリと笑みを零すと「承知いたしまた。」とだけ云い辞去した。

後日志野を連れ、座衛門に面会を求め、融資は決定した。座衛門は志野の姿勢(考え方)に感服して、また祐之介には「おはんの云う意味が分かり申した」と最後には良い縁だと喜んでいた。志野は祐之介の誘いに最初難色を示したが、座衛門の共同出資者と言う言葉に祐之介の覚悟を感じた。

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