第8話 祐之介と志野

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二か月ほど経ち志野の借家に油紙で包まれた有山からの荷物が届いた。固く麻糸で結ばれた包みを解くと紺色に映えるように淡い白色のボタンが付いた洋服が目に留まりその上に封書が置いてあった。志野は封書を傍らに置くと洋服を広げ鏡台の前に立ち合わせてみると、体全体は映らない鏡台に自分が初めて見る洋服の姿に志野は見惚れ。少し離れ今一度肩に合わせるとサイズは丁度良く、包みには白色シャツと上着、スカートが同梱されていた。

有山の書面は先方の男が会いたいと申している事と会う場所と時が簡潔な文字で、最後に(志野包みを開き驚いたであろうと思う、此れは西洋の洋服で千鶴が志野にと生地を選び仕立てたと)認めてあり、千鶴は明るい性格が幸いし交友関係が広く初めて洋服を作った時、志野様にと有山に願い出て縫製し、文末に(洋服を着てより女子になりましょう)と書き添えてあった。志野は千鶴と有山の自分に対する思いに眼には歓喜の涙が溢れて、強い日差しが部屋に差込み初秋を想わせる微風が流れていた。

志野の平穏な日常とは別に世相は移り変り、明治九年に廃刀令、明治十年西南の役(最後の内戦)にて西郷隆盛自決、同年に東京大学が新設され、13年には教育令が改定され、翌年には小学校教育網領、同教職員心得と中学校及び師範学校の大綱も定めた。教育という大義名分の元、志野の平穏な時は世論に渦に巻かれていく事となる。志野は改めて書面の大垣祐之介と書かれた男の名前に眼を留め、どんな男だろうと思いを巡らせた。

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その時は直ぐに訪れた。 志野は朝から弾む心を抑えながら真新しい洋服に着替え廊下を下ると、借家の賄い婦から「あら、志野様なんと御綺麗なー」声に志野は俯きながら会釈し表に出た。 秋空の下志野は高揚する胸に、袴とは違い軽く歩き易い事に感動をしていると、行き交う人の視線が自分に集中しているような錯覚を覚え有山との待ち合わせ場所へ向い、道すがら千鶴の心遣いを思い出していた。


「志野様洋服はこの様に着るのです。」と志野に着方を手取り足取り教え、「此れはどう着るのですか。」と質問攻め千鶴は当惑したが、志野はすぐに会得して、「何事にも覚えが早い」と千鶴は感服した。志野はそんな千鶴に気になっている事を訊いた。「千鶴様、どうやって寸法違わず仕立てられたのですか」

「どうしてでしょう?」と笑みを浮かべ。

「教えてください。」と伺う志野に。

「志野様3か月ほど前に此処へ来た時の事覚えていません?。。」と洋服の裾を触り云うと志野は考え込み何やら思い出したように「あー」と手を叩き、

「あの日、身体測定の日で御座いますね」と大きく頷き、千鶴は満足げに「そうです。」と答えた。

有志館で初めて西洋の身体検査と称して医師に問診で診て貰った事があった。皆、怪訝な顔をしていたが、有山の志野も来いと云われ有志館を訪れた。「あの時、女子に志野様の採寸をお願いしました。此れで謎が解けましたか」と伺う千鶴に「千鶴様は本当にお茶目な方です。」と頭を下げ会釈した。「でも、良かった。洋服の志野様は本当に美しい」千鶴は愛らしい笑みを浮かべた。

待合わせ場所は上野の西洋料理店であった。日本の西洋料理の草分けとして明治5年に築地に創業し、明治九年に上野公園開設に伴い、不忍池畔に支店を開業した。当時としては鹿鳴館時代の華やかか象徴として名士が集まっていた。

志野は荘厳な木造西洋風の建物を見上げ、行き交う人が皆貴族か士族のような感覚を覚え、入るのを躊躇していると、「志野待たせた」と有山の大きな声に後ろを振り向いた。

有山の後に志野は取付くかの如く続き中へ入ると、其処は今まで見た事のない別世界が広がり、眼を丸くする志野に白いシャツを着た男が先頭に立ち有山と共に、華やかな洋服を身に纏い、皆皿上の料理を食している男女を横目で見ながら奥へ進むと、立襟シャツにズボンを履いた男が有山に会釈した。

「私が大垣祐之介です。」とハッキリとした口調で云い。有山は「それがしが吉田有山」と云い志野を指すと「この女子が有賀志野申します。」と答えた。志野は黙って会釈すると祐之介は繁々と志野見てから視線を有山に向け「先生、女性を(この女子)と云う紹介はいけません」と堂々とした仕草に、有山は散切り頭を触りながら「雄之助君は手厳しいな」と云った。

志野の眼前に立ち背の高く物腰が柔らそうで優しい声の男を見て、頬の赤らみと脈道が早くなるのを感じていた。

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椅子に座る有山を尻目に大垣祐之介は中々座らなかった。志野は祐之介の座るのを待っていると、見兼ねた雄之助が「女性が先に座るものです」と優しい声に、有山が「失敬」と立ち上がり志野は当惑した顔で「それが西洋式ですか?」と云い「そうです。」と答える雄之助に、志野、有山、祐之介の順に腰を落とした。

祐之介は士族でアメリカ留学の後二年前に帰国してからは書簡の和英の訳を側にしていると告げ、アメリカでの留学の目的は語学力は勿論、専攻は経営学であると述べた。志野は同じ位の歳だと思っていると。

「有山先生から色々聞きました、志野殿は根津にて学舎を開いて、女子に学問を教えているそうで」と俯きながら聞く志野へ問いかけた。志野は黙って儘に俯いているばかりで、「有山先生から学舎を切り盛りしていると聞かされ、活発で行動力が漲る女性かと思いました。」と平生な顔で云うと、有山は何時もと様子が違う志野へ目配せしたが、志野は気付かずに下を向き、頬の赤らみが増していた。

祐之介は何も言わない志野に業を煮やし「志野殿は御淑やかで物静かな方とお見受けしますが、その様な方に学舎が務ますか。此処に何しに来られたのか黙っては分からず、ただ学問を教えるのであれば、私は要りませんし無駄な時間と考えます。」と呆れた顔をした。

その無礼な言葉は志野に火を付け「只、学問を教えていると云われますか」と突然顔を上げ眼は鋭く変わり、一心腐乱に学館の話を始めた。祐之介は志野の変貌に唖然とした顔で聞き入り、自分の学問への姿勢、学館の現状と将来性と話は多岐に渡り、雄之助は時々有山へ眼を遣り腕組みをして頷いていた。志野は話終えると我に返り祐之介を直視した。

「それが、志野殿ですか」と雄之助は笑みを浮かべ、有山に問いかけ。

「お分かり頂けましたでしょうか、志野と云う人物を」と笑みを返すと

「志野殿、其れでは私が調べた女子学館の現状をお教えしよう」と椅子に腰かけ直すと「女子学館は学女の授業料もありますが、遊郭の大店と遊びに来る大問屋の資金で大方賄っている状況です。此れでは、先行きが見えない。店主達が手を引けば学館は消滅するでしょう。」と机に手を置き「学館として存続させるには、融資先を変える必要があります」と言い放した。

「元々、遊郭の女子の学問の場として開いた学び舎ですから」と答える志野に祐之介はまた、笑みを浮かべ「遊郭が無くなった時どうなされる所存か?」と低い声を出し、志野は「考えもつかぬ事」と驚き答え、「元々年限を限って許可した遊郭である事はご存知か?」云い「まだ、少し先ですが」と付加えると、志野は呆気に取られて黙り雄之助を見てその様子を察したのか「その時までの学館と申されるか、貴女の熱意とは期限付きと?」真剣な眼を志野に向けた。

志野は初めて言葉が見つからず、自分の知らない事を知っている男に敗北感を感じていた祐之介は叩き込む様に「其れまでと申すなら此の儘でもよいでしょう、終わると分かっている所に誰が金を出します。徐々に寂れ人は去り、その時は早いですよ」訝しげにまた笑みを浮かべる顔に、志野は顔を赤らめた自分が恥ずかしくなり、祐之介が強かで信用できぬと思い始めていた。

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