肉食な深窓令嬢とチキンな暴君~私、お妃選考からどうにか逃げます~7

 ディランはジーンとして感涙に噎び、サニー男爵が砕けそうになりながらホロホロと涙を流した日から早半月が過ぎた。


 ミサは望み通り王宮魔法騎士になった。


 そして、望まずも王太子の婚約者として王宮に暮らしている。

 そんな彼女は今日も仮面を着ける。

 今日は王太子の婚約者として。

 今日はと言うのは、彼女は魔法騎士としても仮面をしているからだ。魔法騎士の中には王家の人間や親しい魔法騎士仲間以外には素顔や姿を見せない者も少なくないので特に問題にはならなかった。


「ミスティリアちゃん、このドレスなんてどうかしら?」

「い、いいと思います。王妃様にとてもよく似合うかと」


 ミサは現在王妃の宮殿に招かれていた。

 お茶会の日もあるが今はドレッシングルームで王妃と共にテーブルの上に広げられた装飾品やドレス、更にはそれらのカタログを前にしている。傍には採寸のための仕立て屋が控えオーダーを今か今かと待っている。


「あら、わたくしのではなくてミスティリアちゃんのドレスよ。婚約式で着る」

「そっそこはもうこっちで準備しているのでご心配なくっ」


 採寸などされては妊娠がバレかねない。いつ王妃がサイズ合わせをしましょうと言い出すかとミサはヒヤヒヤだ。既に婚約自体はしているが婚約式を行うのは歴代行ってきたのだから行うのが当然という王家の慣例に則ってだ。近々ある婚約式では腰回りに負担の掛からないが妊婦には見えないようにフワッとしてレースのたっぷりあしらわれたドレスを注文してある。それ以外の着用はリスクでしかないので想定していない。


「あらそうなの? 残念。それと、わたくしの事はお義母さんと呼んで頂戴?」

「い、いえまだ婚約者身分で正式に結婚したわけではないですので駄目です、そんな図々しい真似できません」

「うーん、ミスティリアちゃんは律儀でハッキリしているわよねえ。まあでもそういうところはむしろあの子とお似合いだわ。ふふっ随分とあの子も手こずっているみたいだし」

「えっ、い、いえ王太子殿下を煩わせるつもりはありませんっ、天に誓って!」


(煩わされてるのはこっちの方だしね!)


 王妃はディランのどこに彼女の気質の要素が受け継がれたのかと言いたくなる程に善良だ。実母であるのは確かなようでディランの容姿だけは美人な母親似だ。にこにこと親切に接してくれる王妃はいい人なのは会ったその日にわかったが、ミサは内心辟易としていた。

 妊娠をまだ内緒にしているのはとても心苦しい。何しろ彼女の孫なのだ。しかし知られてしまえばもう逃げられない。

 王太子妃確定だ。少なくとも大事な跡取りたる子を産むまでは王宮に留め置かれ、自由なんてないだろう。


(そんな窮屈嫌だもの)


 故に王宮入りした当初ミサは王宮の人間と距離を置こうと決めていた。それなのに王妃に大層気に入られてしまい複雑だ。


 ミサとしては王妃との関係が悪くとも構わない、悪ければむしろ王宮から放逐されるいい理由になると思っていた。


 しかし彼女は三日と開けずにミサに会いたがる。ミサが行く時と王妃が来る時とがあるがどちらでも大差ない。

 お腹が目立つようになってきたら宮殿内に引き籠り、関係者以外面会お断りにして密かに産むつもりでいるが、これではそれも難しいかもしれなかった。

 人生思う通りにはいかないものである。

 この日ミサはドレスは何とか断ったが「未来の娘に贈りたいの」と王妃が目を潤ませてきたので装飾品だけは奢ってもらったのだった。ある意味ディランとは違った意味で手に負えない人だとミサは思い、血は水よりも濃いという古来よりの格言に大納得した。

 因みにディランも連日会いに来る。

 王都暮らしを始めたサニー男爵も五日に一度は来る。

 王宮魔法騎士の仕事もあって、ミサの日常は領地にいた頃よりも格段に忙しく賑やかになっていた。


 ミサはサニー家から連れてきた侍女以外の王宮使用人達には素顔を見せていない。見せるつもりもないので細心の注意を払っている。無駄なトラブルを避けるためにも真実を知る者は少ない方がいいのだ。


 よって、王宮でミスティリア・サニーの素顔を知る人間は極々限られていた。


 だからこそ、ミサは王宮の外を大手を振って素顔で歩ける。


 王妃から装飾品を買ってもらった翌日、ミサのこの日は完全オフだった。王妃に会う予定はないし、王宮魔法騎士も非番、ディランは来ても公務の終わった夜だ。つまりはどのように自由行動をしても構わない。王宮の使用人達にバレないようにすれば問題なしだ。


「は~~~~。息抜きっ。屋台飯も美味しいし、魔法騎士の休日はこうでなくちゃ」


 と、言うわけでミサは朝からこっそり王宮を抜け出して王都の街中に出掛けて来ていた。

 王太子の婚約者としての王宮暮らしは肩が凝るし、魔法騎士としての仕事は体に負担の掛からないようにセーブしてもらっているので書類仕事の方が多くてやっぱり肩が凝る。

 加えて、結構自由に生きてきたミサなので必要以上に傅かれ世話されるだけの王宮暮らしは中々どうして退屈だった。

 だからこそこんなガス抜きが必要なのだ。


 一応は庶民の服を着てもいる。サニー家から連れてきた侍女に用意させたのだ。実は侍女もグルだ。


 彼女には領地暮らしの時にもアリバイを手伝ってもらってこっそり各地を出歩いていた。また、ミサは領地でのようにこの王都でも可能な限り出歩くつもりでもいる。もう母親のルーツを探さずとも良いので外歩きの目的は純粋に気分転換と当時とは異なるも、王宮にいてはわからない王都民の暮らしをじかに肌で感じられるのは決して悪くない経験だ。


 母親の故郷、隣国グラニスの兵三人は、王都まで移送され今は王都の監獄にいる。


 三人は未だ生かされていた。


 ディランがミサに配慮したのは明白だ。

 現に、婚約者として王都に来てからミサはディランの勧めで彼らに面会した。訊いておきたい事があるならそうするといいと。彼らから話を聞いた後に彼らがどうなるのかはミサにもわからない。ディランには何となく躊躇ってしまってそこは訊けなかった。

 ともあれ、三人からは大した話は聞けなかった。同期で軍にいてそこそこ表面的な付き合いがあった程度らしい。ゼニスでもグラニスでも二十年くらい前は女性軍人はまだ珍しい方だったのと、母親は頗る真面目で同期の中では男女合わせても五指に入る優秀な軍人であったのとで三人ともよく覚えていたらしい。

 任務中に死亡したとされ、その辺りでミサの父親サニー男爵と出会ったのだろう。直接父親からはまだその話を聞いていないので本当の経緯はハッキリとはしないが、ミサは敵国軍人同士のロマンスには少しの羨望を抱いた。

 まさに運命の、燃えるような、二人の恋。


(私にもそんな相手がいるのかしら)


 ――ミスティリア。


 そう思った途端耳の奥に甦るのはディランの声だ。


 ミサは我知らず胸の辺りを押さえてかぶりを振った。


(だぁからあの男は駄目なんだってばあ~、人生平和じゃないでしょ……! 婚約者なのは今だけよ)


 ドキドキしている自分を認めるのは癪でもある。

 ミサを前にすると信じられないくらいに甘い男になる彼に毎度毎度翻弄されてほだされそうになるのがとても悔しかった。

 寄りかかってしまいそうになる自分の優柔不断な脆さが嫌だった。


(そうよ、脆さってか弱さでしょこれ。なのにあの男は……)


 つい先日、食後に書棚のあるリビングのソファーで休んでいた時にディラン本人に直接そう言った。そうしたら横にべったりくっ付いていたディランからこう返された。


『寄りかかるのが弱いとは思わない。ミスティリアがそうしてくれるなら、それは俺を支える太い柱になる。支柱は強いんだ。だろ、ミスティリア?』

『もっものは言い様ってののいい例ですよね!』


 暴君王太子ディラン・ルクスのくせに狡いとミサは彼を睨んだ。うっかりトキめいてしまったのもあって幼稚にも反対の態度を取ってしまった。

 やや冷静な大人の部分でやってしまったと半分後悔をしたのだが、それも直後に霧散した。

 何と彼は頬を赤くして膨らませてそっぽを向いたミサの頬に口付けてきたのだ。


『怒った顔も可愛いな。そういう本当のお前をずっと見ていたい』

『なっ……~~~~っ』


 文句を言ってやりたかったが、彼の大人な微笑を見てそれを堪えた。

 時々ディランはミサに彼が歳上なのだと思い出させる表情やら振る舞いをしてくる。……いつもはそうでもないのにだ。その不意討ちにミサは弱かった。


(ああもう~、着実に惹かれてるっっ!)


 どうにかして他に目を向けないと、ドキドキデンジャラスなディランとの王宮新婚生活が現実のものになってしまう。


 ただ、他に目をと言っても不思議と他の男にという思考にはならなかった。


 他の何か……例えば動物や裁縫、料理でもいいのだ。婚約解消の策を練るのもいい。


「よし、今日は精神統一、煩悩滅却、心の漂白をしに礼拝にでも行こうっと!」


 ミサは王都散策に適当にほっつき歩こうと予定していたが、予定変更して大聖堂へ向かう事にした。無心に祈る。彼女としては今は色々と細かく考えたくなかったというのもある。いやそれが大きい。






 その頃王宮では、娘の顔を見に訪れていたサニー男爵が蒼白な顔でディランに詰め寄っていた。


「殿下、うちのミサはいずこに? 何故王宮にいないので? まさか父親たる私から隠そうと?」

「義父上目が怖い。俺も彼女の不在はついさっき知ったところだ。仕事が早目に終わったから来てみればここを抜け出して街中に繰り出したというじゃないか。今から捜しに行くところだった」


 ディランは半魔の血をたぎらせて瞳を赤くする。王都なら魔法嗅覚の有効範囲内。ミサの匂いを辿れば居所などすぐにわかるのだ。

 今は午後の遅い時間で誰もが家路を急ぎたくなる時間帯。

 朝から出て、この時間になってもミサは戻っていない。

 サニー男爵は崩れるようにして床に両膝を突いた。


「おおっおおっミサよどうか無事でいてくれ! 馬の骨と王宮暮らしなんぞをさせたばっかりに……っ、一月も経たずにストレスが溜ってとうとう臨界点を突破したのだろうな。馬の骨と一緒ではちっともリラックスなどできなかったに違いない。何とも不憫な我が娘なのだあああっ!」

「義父上、心底案じるあまり心の声が全部出ているが……。不敬罪って知っているか?」

「……え?」

「俺を馬の骨と」

「は、ハハハハ! 馬は気高く美しく力強い生き物ですぞ殿下! それの骨などはまた強靭な芯も同然。殿下はゆくゆくはこの国の芯になるのですからそう例えたのですよ、ハハハハ!」

「ははっ、義父上はいつになく饒舌だな」


 顔を突き合わせてハハハあははと笑い合う男二人。


「っと、今はそれどころではありませぬ! ミサを捜さねば! あの子は自分が世にも綺麗な娘なのだと言う自覚がとんとないのです! ですから領地にいた頃も一人で勝手に出掛けて平然と街中をうろついて、よく軟派な男共から声を掛けられていたのですーっ!」


 サニー男爵は心労のあまりかエア悪漢を創り出し「貴様ミサに何をする~っ」とそいつの首を絞め始めた。つまりは目の前の何もない空気を。男爵は常日頃から冷静で礼儀正しい寡黙な人物と目されていただけに周囲は何か見てはならない恐ろしいものを見たような顔で震えた。

 血相を変えたのは何もサニー男爵だけではない。話を聞いたディランもだ。


「なんっ、だとっ!? それを早く言え義父上!」


 彼はミサが悪い男に声を掛けられ無理矢理連れて行かれる光景を想像したのかわなわなと震えてだんっと一度地団駄を踏み床にヒビを入れた。これは修繕に結構かかりそうだ。エア悪漢殺しを終えたのかサニー男爵がギロッとディランを睨む。


「殿下は国民の血税という言葉をご存知ですかな?」

「悪かったよ! こんな時だけ真面目に諭してこないでくれ!」


 何はともあれ、二人はもしもミサに何かあればそいつを容赦なくミンチにして犬の餌にしてやろうと殺気立って王宮を出たのだった。

 狂犬二人が解き放たれた。今の王都はある意味どこよりもデンジャラスかもれなかった。






「はあぁ~~~~、何か気分がスッキリしたあ。程よい疲労感もあって今夜はぐっすり眠れそうだわ。時間も帰るのにちょうど良さそうな頃合いよね」


 厄介が迫っているとも知らず、夕焼けの下ミサは大聖堂から伸びをしながら歩き出たところだ。

 今日は祈って敷地内の清掃を手伝ってと適度に体を動かした。初めて大聖堂に来たが建物が重厚な石造りなので石ばかりのかっちりした場所かと思いきや、案外花壇緑化などで自然の植物が多かった。剪定もきちんとなされていて自然でありながら整然としてもいた。なるほどさすがは王都民の祈りと憩いの場所だと感心した。


「おおミサさん、もうお帰りですか」


 前方から歩いてきた好々爺然とした老人はこの大聖堂の神父の一人だ。ミサの王都に来て間もないのでここの清掃を手伝って心を安らげたいとの申し出を快く受け入れてくれたのが彼だった。


「本日は沢山お手伝いをして頂きありがとうございます。助かりましたよ」

「そうですか。なら張り切った甲斐がありました」

「しかし良かったまだいらして」

「はい?」


 ミサがキョトンとしていると神父は小さな包みを差し出してきた。


「どうぞこれを。ここのシスター達が焼いたクッキーです。明日孤児院に持っていく物のお裾分けです。こんな事でしかお礼できませんが」

「ええっ、お礼なんてとんでもない! 見返りのためにお掃除を手伝ったわけじゃありませんから! ですが折角なので頂いていきますね。小腹も減ってたので」

「それなら良かったですよ」


 神父はふふふと柔らかく微笑んだ。ミサも笑い返してありがたくクッキーの包みを受け取るとぺこりと一礼して神父と別れ大聖堂の正門を出た。包みを手にるんるんと軽く弾んで街路を歩く。


「今は怒る人もいないし、食べ歩きしちゃおうかしら」


 一つつまみ二つつまみしながら彼女は上機嫌に王宮へと向かうのだった。






 そんな彼女を追う視線がある。


「う、浮気現場かあれは!?」

「殿下は正気ですか? あれは単に大聖堂の関係者と話していただけでしょう。彼は父親の私よりも遥かに歳上ですし、仮に枯れた男が好きだとしても、他の男の子供を身籠ったままアプローチするなどと不誠実な真似をうちの娘がするとでも?」

「だがしかし見ただろうあの満面の笑みを! 俺には一度だってしてくれた事がない……っ!」

「あー……それは殿下に徳がないからですな」

「急に哲学的!」


 勇んで街中に踏み込んだディランとサニー男爵は早々にミサの所在を突き止めていた。しかし大聖堂という些か予想外の場所だったので出鼻を挫かれた感じだった。

 まだ彼女が中にいるのはディランの嗅覚が証明していたのでどうしようかと躊躇っていたところにタイミング良くミサが建物から出てきたという次第だ。そして老人神父と話し出した。


「はー、今日の義父上はいつもと違うな」

「とうとう殿下もこの私の大人の男のかほりにほだされてしまったようですな。しかし私には妻と子が。妻一筋ですし」

「遠慮なくディスってくるなって意味だよ! 誰が義父上みたいな筋肉オヤジにほだされるか!」

「またまた。私は娘の代わりになら喜んでこの身を犠牲にしますとも」

「犠牲!? 義父上酷いっ!」


 二人が路上コントをやっている間にミサは正門を出て人混みに消えてしまったので、二人は慌てて捜して追いかける。

 またも辿った匂いから程なく見つけた彼女は、今度こそは二人に危機感を与えた。

 何しろ、ディラン本人ですら負けたと思うような破格な美男子と笑い合っている。しかもミサの方から何かを手渡した。大聖堂でもらった包みだ。

 物をあげただけならよかったが、しかし聖なる粉でも入っていたのか感激したような美男子は恭しくミサの手にキスをした。


「で、殿下さすがにあの顔面偏差値では……」


 娘の男性のタイプをよくよくわかっている男爵はあわわと本気で危ぶんだ。王太子を袖にしたとなれば即日亡命するしか命はないだろう。


「嘘だ……」


 他方、鞍替えされたかもしれないディランはサニー男爵の服に辛うじてしがみ付くようにして、愕然として打ちひしがれた。じわりと泣いた。

 二人はミサが手を振って男と別れるのを無言で見ているしかできない。

 それでも彼女の後を追った。






 ミサは満足だった。


「はあ~、眼福眼福~、ホントにあの人が男だったらヤバかったわ~。しかも既婚者で子持ちだなんてね。あんなイケメンな奥さんがいたら旦那さんも大変よねー」


 大聖堂を出て少し歩いたところで見知らぬ美男子から声を掛けられたと思いきや、その人は女性だった。

 ミサの持つクッキーの包みを見て、シスターの作ったお菓子だと気付いたのだと言う。イケメン女性はお菓子をどうか譲ってくれないかと頼んできた。シスターの作ったクッキーは彼女の子供が好きなのだと。いつもは大聖堂主催のバザーなどで買うのだが普通の日は手に入らない代物なのだと言う。決して高価な物ではないが代金を払うとも言ってきた。

 ミサはただでもらった物なのでと遠慮なく全部あげた。

 その結果、女性はせめて精一杯の感謝を表しようと、ミサの手の甲にキスを落としたというわけだった。

 女性は王都で雑貨屋を営んでいて、店に来た際には安くするよとも言っていた。店の場所を聞いたので近いうち行ってみようとミサは思った。

 そして再び歩き出す。


 暫く歩くと、川辺の人の密度が下がった辺りで目の前に三人の男達が現れた。


 服の仕立ては悪くなく、彼らがそこそこいい家の息子なのだとわかる。近しい家柄同士でつるんでいるのだろう。容姿も悪くはなかった。


「そこのお嬢さん、さっき道端であなたを見かけて一目惚れした。是非俺と付き合ってくれ!」


 男のうちの一人が先走ったように言って仲間から「いきなりかよ」「早えよ」と肩を叩かれていた。さっき見かけてという事はミサを尾行してきたのだろうか。

 ミサは困った。サニー領でもよくこんな風に声を掛けられた経験があったからだ。一度や二度ではない。こんな時は故郷同様キッパリ断るに限ると息を吸う。


「ごめんなさい。ご期待には応えられません」


 それでは、と彼らの横をやや膨らむようにして距離を取って通り過ぎようとしたが、距離を詰めた男から腕を掴まれた。


「そう釣れない事を言うなよ。これも縁だと思って試しに付き合ってみないか? 綺麗なドレスだって宝石だって買ってやるよ」


 ミサの見た目が好きなのは確かなようで、折角の顔がだらしなくなっている。しかし誠実さが欠片も感じられないし買ってやるとは何たる見下げた言い種だ。ミサが街歩き用の庶民の服を着ているからそう判断したのだろうが、それにしても傲慢だ。


「ごめんなさい。放して下さいませんか? 帰らないといけないんです。遅くなると大騒ぎすると思うので――婚約者が」

「婚約者? いるのか?」

「はい」

「なら普通は指輪をしてるだろ。逃げの口実にしてはお粗末だな。正式に婚約してなくとも恋人同士で揃いのをしたり贈られたりもするだろうに」

「それは必ずしも全てのカップルに当てはまるものではないでしょう?」


 ミサは手を引き抜こうと引っ張ったが、相手から逃がさないと余計に強く掴まれてしまって鈍く痛んだ。


「放して下さいよっ」

「怒ると可愛い顔が台無しだな」


 怒った顔も可愛いと、優しい照れの眼差しを向けてくれた男を思い出す。切なくなって、でもその気持ちを打ち消す。


「それはどうも! ならさっさと他を当たって下さいませんか?」

「いい生活をしたいだろう?」


 男は聞く耳を持たない。同意するまで解放してもらえない気がして、ミサは面倒だと言わんばかりに荒く溜息をついた。


「いい加減にして!」


 ミサの苛立った態度にはさしもの男の方も不愉快な感情を浮かべた。仲間二人は敢えて手は出さないが面白そうににやにやして傍観している。嫌な感じだ。


「婚約者なんて本当はいないんだよな? 美人だからって素っ気なくしやがって。俺の父親は子爵なんだ。お前のような庶民を妾にしてやるって言ってるんだよ、普通は感激して然るべきだろ」

「ああもうハッキリ言うけど、あなたは丸っきりタイプじゃないの! これで納得した?」

「何だと!」

「きゃっ」


 タイプじゃないと言われて余程プライドが傷付いたのか貴族男は逆上してミサを強引に引き寄せて凄んでくる。腕力に負けて男の胸にぶつかりそうになったミサだが、嫌悪感しか湧かず肘を使って距離を確保する。この手の輩に密着するなんて御免だった。


「はっ、本当に婚約者がいるなら連れてこいよ、助けでも乞えばいい!」


 ミサの強い拒絶には、友人達の前であるのもあって男の羞恥心もひとしおだ。カッと怒りに顔を赤くした男はついには手を離したが、同時にミサを強く振り払うようにして押しもした。


「あっ」


 ミサはヒヤリとした。変な転び方をすればお腹に影響があるかもしれないのだ。


(転んじゃう!)


 貴族の男は冷静さを欠いているままに冷笑し、仲間の男達のやり過ぎではないかという気まずそうな顔付きが目に入る。しかし友人を初めから或いは途中止めなかった時点で同罪とミサは見なした。


(何かあれば末代まで祟ってやるんだからっ!)


 お腹を護るように手で庇った。

 肩を強打するくらいで済めばいいとそう願う。


「……ディランッ!」


 ミサは願うように小さく彼の名を口にしていた。


「――ミスティリア!!」


 ふわりと風を感じた。


 いつぞやの国境の夜を彷彿とさせるように逞しい腕に抱き止められる。

 その刹那力強くそれでいて気遣いの温もりに抱き締められていた。


「もう大丈夫だ。遅くなって悪かった、本当にすぐに出なくてごめんなミスティリア……!」

「ディ、ラン……?」


 本人を前に敬称を付けるのも失念して呆然として呟く。


「ああ、そうだよ俺だ。お前の唯一無二の婚約者ディラン・ルクスだ」


 どこか可笑しな言い回しにミサはつい気が緩んでくすりとしてしまう。むしろそうする事で張っていた我慢がほろほろと砂のように落ちていく。


「ディラン……、ディラン……! 良かった、ありがとう来てくれて……っ、私……正直もう駄目かと思ったの…………失うかもって思ったら、すごく、怖かった……」


 お腹を押さえながらミサは声が震えた。泣きそうだったが涙は堪えた。泣いている暇があれば、まず、まだ、すべき事があったからだ。

 不届きな貴族の男への引導を渡すのはミサ自身の仕事――……。


「ぐわあああっ! ひいっやめてくれーっ!」


 件の男の呻き声と悲鳴が聞こえ、連動するようにして「ぎがあっ」「ごああっ」と他の男達の苦悶の声が上がった。

 驚いたミサが咄嗟に見やれば、何と鬼の形相のサニー男爵が片手でミサを押した男を宙吊りにしている。


「えっお父様も来てくれてたの!? でもどうして殿下と一緒に?」

「そこはまあ何と言うか、義父上と散歩だ散歩、ハハハ」


 問われたディランはまさかそこの男達と同類にも尾行してましたとも言えず、誤魔化すような顔付きだ。ミサはピンときた。


「もしかして、父が王宮に来て私がいないのがバレて、父に責められて殿下が直々に私を捜してくれた、とかですか?」

「凄いな、大体合っている。俺も今日は仕事が早く終わって、いつもより早目にミスティリアに会いに行って不在を知った直後の義父上の電撃訪問だった」

「そうだったんですか。それは父が申し訳ありませんでした」

「いや、かえって良かった。こうして助けられたのは、義父上が俺にお前を助けるのを任せてくれたからだ」


 サニー男爵は三人を死なない程度にけちょんけちょんにしている。ミサはそろそろ止めた方が良さそうだと三人のトラウマの心配をした。

 三人にはいい薬だったに違いない。

 暴虐王太子ディランの顔はさすがに知っていた中央貴族の三人はサニー男爵により幾つもの青痣とたんこぶのできた額を地面に擦り付けて謝罪した。

 ディランの婚約者ならばミサが何者なのかも悟ってしまった彼らは、その場で他言すれば即死ぬ魔法で秘密を守る旨を誓約させられた。

 ディランは処刑したいような意見を口にしていたがミサがそれを止めたので、厳罰を免れた三人は滂沱と涙してミサを女神のように崇め奉った。生涯ミサに尽くしますとも自主的に誓った彼らはミスティリア・サニーの舎弟としてこの先暗躍する……かもしれない。しないかもしれないが。

 幸運にもミサが怪我をしなかったのもあって三人は五体満足で釈放されたのだった。


「身から出た錆とは言うけども……。命懸けになるなんて少し気の毒なような気もしないでもないわねえ」

「何を言うミサ。あんな馬糞よりも役に立たない輩を生かしてやっただけでも破格な温情なのだぞ。本音を言えば私もディラン殿下と同意見で、処刑場に送ってやりたかった」


 何度も頭を下げて去っていく三人を複雑な心境で眺めているミサの隣に父親のサニー男爵が立って不愉快そうに鼻を鳴らした。ミサは苦笑する。この父親も家族事になるとディランのように苛烈になるところがある。

 ディランはこの場に召喚した誓約魔法に長けた王宮魔法騎士とまだ話をしている。


「改めて無事で良かったが、王都のろくでなしは厄介なのだな。ミサが可愛いからと軟派したのはわかるとしても、地元ではあの手の男を上手くあしらっていただろうに」

「あー、それはあしらうと言うより、もっとアクティブに動いてしつこい相手は撃退していたからです。お父様直伝の護身術で。ですが今は妊婦なのでできるだけ激しいバトルは控えようかと……それが裏目に出ましたが」

「ミサよ、出歩くな……と言ってもどうせ聞かないだろうからな、次に出歩く時は護衛を連れなさい」

「はい。出産まではそうします。あと、指輪もするべきかも」

「指輪?」


 父親の疑問顔の前に彼女は何も嵌まっていない手指を広げてみせる。


 実は、婚約指輪はまだ受け取っていなかった。


 婚約式がまだなので、指輪はその時にと予定されていたのだ。


「あの人達は私をフリーだと思って食い下がってきたので、次回からは何かしていた方が最初から声を掛けられる頻度も減るかな、と」


 男爵はそれは妙案と頷いた。これからついでにどこかで買って行こうかと提案もしてくれたが、ミサは実家から持ってきた荷物の中から選ぶからと断った。娘と久しぶりに買い物ができるかもとウキウキしかけた男爵はちょっとシュンとした。


 そんな父娘の様子を、やや離れた場所でまだ魔法騎士と会話をしていたディランが横目で一瞥した。


 その日はディランが馬車を手配して、ミサは彼と共に王宮に戻った。サニー男爵は王都にこさえた別邸へと帰らされた。その際男爵は今にもハンカチを噛んで引っ張りそうな顔をしていた。舅と婿の確執がまた深まったようだった。






「ミスティリア、今日は本当に悪かった。様子を見ていないで三人をさっさとぶん殴ればよかった」


 帰りの馬車の車内、珍しく向かいの席に座ったディランが悔いたように俯いた。常の自信満々の彼からは想像できない姿だ。しかしミサはそれなりに見慣れてしまったのでもう大して驚かない。


(この人って私の前でだけはこんな風に可愛……いやいやおかしくなるのよね)


「ええと、過ぎた事ですし、気に病まないで下さい。ディラン殿下は助けに来て下さったんですし、むしろ感謝してます」


(ストーカー宜しく尾行していたのはこれでチャラにしてあげるわ)


 ミサは緩めた面の皮の下で密かに裁定を下す。


「そう言ってくれるなら、俺も少しは気が楽になる。だがお前が危険な目遭ったのは半分はこちらの落ち度だ」

「落ち度?」

「義父上と指輪がどうとかと話していたのが聞こえた」

「ああ、それですか。ですがそれも指輪の有無を気にしない相手にならしていたところで無意味ですし、ディラン殿下が落ち度と自責する必要はありません」


 ミサがそう促すように微笑めば、彼はもううじうじとした事は言わなかった。

 加えて、王宮に到着するまで真面目に何かを深く思案していたようで口数も少なかった。やけに静かな車内はミサをどことなく寂しいような気分にさせ、いつも隣に陣取る彼の温もりを恋しいと感じさせた。

 ミサの外出を知る一部の者達は彼女の無事な帰還に安堵した。ミサの首謀だからと協力してくれた侍女もお咎めなく済んでミサはホッとしたものだった。


 夕食まではまだあるからとディランと別れ、ミサのための宮殿に戻った彼女は二階のバルコニーに出て少し風に当たる事にした。使用人は下がらせているので仮面は外していても平気だ。

 空はもう夜の帳が降りている。星の輝く様をぼんやりと眺めた。

 正直、ディランの車内での様子が気になっていた。


(今日こそは私に呆れて失望したのかもね。王宮をこっそり抜け出す婚約者なんて普通は歓迎しないでしょ)


 ミサの場合は王宮魔法騎士にもなっている。しかもミサだと言う素性を隠してだ。ディランは秘密を知っているが内心ではやはり快く思ってはいないだろう。


(ま、不満に思われてても魔法騎士は辞めないけど。婚約者は辞めてもね)


 もしも婚約解消したとしても、半魔の血も子供の存在も彼には知られているのだ。下手に魔法騎士を辞めて王宮の情報から遠くなるよりは維持する方がベターだ。


「婚約解消、か……あはは、そのうち本当にされるかも」

「――絶対にしない」


(え?)


 下から聞こえた。

 ドキリとして視線を下げると、バルコニーの下にディランが佇んでミサを見上げているではないか。いつからいたのか、ミサは全く気が付かなかった。


「え、そ、そんな所でどうしたのですか?」

「会いに来た」


 彼は半魔の力で地上からバルコニーまで一気に跳躍する。

 着地と同時に彼の瞳からは赤が抜け金に戻った。


「ついさっき会っていたばっかりですけど、急用です?」


 頷くようにやや俯いて、彼は戸惑うミサのすぐ前で膝を折ると片方だけを床に突く。


「ディラン殿下?」


 彼は懐から何かの高価そうな小箱を取り出すと掌に載せて蓋を開けた。

 ミサは目を見開いた。


 そこにあったのはペアの綺麗な指輪だ。どう見ても高そうで単に恋人達がお揃いで着ける指輪ではなさそうだ。


 結婚指輪だろう。


 婚約指輪をすっ飛ばして結婚指輪を持ち出してくるとはまた予想外だった。


「ミスティリア・サニー嬢、俺と結婚してくれ」

「ディラン殿下……」


 何を今更、とは感じなかった。

 ディランからはこんな風にプロポーズされてはいなかったのもあって、ぶっちゃけるとどうして結構かなり衝撃だった。世間一般の女性が夢見るような形の求婚を彼に期待していなかったというのもある。

 それなのに常識的な振る舞いをしている。あの暴君王太子のディラン・ルクスが。指輪の種類は置いておくとしてもだ。

 だからこそ彼は成長したっと感動してしまった。これはたぶん母性愛。


「少し早いが、生涯俺とペアの指輪をしてくれるか?」

「え、もしや街で指輪の話をしたからですか?」

「それもある。それに、この指輪をしていればお前は俺のだって誇示できるだろ」

「誇示って……」


(言い方! 私は物じゃないんですけどねっ)


「俺はミスティリアのものだともな」

「……はっ恥ずかしい言い方しないで下さいよ」


 彼はふふんと片方の口角を持ち上げる。


「何を今更。恥ずかしがる事なんて何もないだろ」


 暗に言葉に込められた意味に余計に顔が熱くなる。


(破廉恥殿下めええ~っ)


 彼は小箱の中の片方の指輪、大小と二つ並んだサイズから女物だろう方を取り出すとミサの左手を取る。ミサが嫌がらなかったのでホッとしたようだった。

 そのまま指輪を嵌めてくれるのかと思って見ているとディランは何故かそこで手を止めた。


「ミスティリア、いいか?」


 らしくなく気弱な面持ちで確認してくれる彼の意外な慎重さにミサはクスクスと小さく笑ってしまった。気持ちが満たされるようにホカホカしてくる。自然と柔らかな笑顔が浮かんだ。


「ディラン殿下、どうせならもう一度仕切り直してもらえませんか?」

「うん?」


 怪訝にする彼へとミサは朗らかに笑って言った。


「キュンとくるような求婚をです」


 本当はほとんどもう自覚していたのに、最後の砦のように認めようとしなかった気持ち。

 いつから心の変えられない部分に落とし込まれて根付いていたのだろう、ディラン・ルクスという男への思慕が。


 デックとして出会った時だろうか、王宮で思いもかけない再会とダンスをした時だろうか、国境の荒野の夜に抱き留められた時だろうか、さっき助けられた時だろうか、こうして今目の前に真摯に紳士に跪いて愛情で蕩ける眼差しで見つめてくれるからだろうか。


(きっとそのどれもなんだわ)


 どれかではない。積み重ねだ。

 女神でも見たように惚けて見上げていたディランはハッと我に返って嬉しそうに頷くと、尤もらしく咳払いして真っすぐ見上げてくる。


「ミスティリア・サニー嬢、俺と結婚してくれ」


 ミサはやや頭を下げてディランの目線に近付けた。


「はい。喜んで」


 互いに見つめ合って照れたように微笑んだ。ゆっくりと指輪が嵌められ、それは魔法で微調整される類いの物だったようでミサの指にぴったりフィットした。


「今度はじゃあ私がディラン殿下に着けてあげますね」

「ディランでいい。俺も勝手にミスティリア呼びにしているからな。さっきも咄嗟に俺をディランと呼んでくれたよな。あの時みたいに俺をディランと呼んでほしい。名前で呼ばれたい」

「えーと、あれはうっかり殿下って付けるのを忘れていたんですが、何だ気付いていたんですね。……と言うか勝手にって自覚あったんですね。まあそこは今更いいですけど」

「……」


 多少気まずくは思っていたのか表情が硬くなるディランへと、ミサは彼の気持ちを解すつもりで囁いてやる。


「ディラン、ではお手を拝借して」


 拍子を取る際の掛け声かとディランは思ったが、立ち上がると素直に手を預ける。ミサの手で指輪がディランの指に差し込まれ魔法調整でピタリと嵌まった。


「これでお揃いですね」


 何だかしみじみとしてミサが呟くと、ディランは「まだ、もう一つ」と口にした。ミサはキョトンとする。


「もう一つ?」

「誓いのキス」

「それって結婚式でするやつでは?」

「……駄目か? それでなくても俺は毎日お前にキスしたいと思ってるよ。頬とかおでことか手で耐えているが、本当は唇にしたい」

「耐えるとか言わないで下さい」


 ディランはやや水分量多めの金瞳でミサに訴えかけてくる。


「駄目か? なあ、ミスティリア?」


(ああもおおお~っ、お願いわんこなイケメンが憎い!)


 ミサはこんなディランに滅法弱かった。

 こくり、と首を縦に振る。

 すると、そっとディランの両手がミサの頬を包んだ。微熱でもあるように熱い。最初指輪がひんやりとするかと微かに思ったが、とっくに彼の体温と同化していて冷たくはなかった。


「ミスティリア……」


 吐息塗れの少し掠れたディランの美声がミサの鼓膜を震わせて体の奥に浸透していく。項がぞくりとするけれど嫌ではない甘い感覚が瞬く間に全身へと拡がった。

 唇が重なる間、もっと呼んでとミサは欲し、それを伝えるためには自分も呼ぶべきだと思考する。


「ディ、ラン……」


 何度と唇が触れ合って、吐息と共に愛しい名をその濡れた唇で紡いだ。そして紡がれた。

 何度無心でしただろうか、火照った顔を離しディランを見据える。

 彼はミサと同じように上気した様子で極上の幸せを浴びたような顔をしている。


 そんな彼を見るミサは依然高揚に胸を高鳴らせつつも、ふと疑問を感じた。キスは勿論彼も喜んだだろうが、それだけではないような気がするのだ。何かある気がするのだ。直感だが。


「はは、ふはは、これでもうミスティリア、お前は俺と別れられない」

「はい?」


 尚も彼は不気味にふふふふと低い笑声を上げている。

 ミサは視界の下方から仄かな光を感じた。何だろうと見ると指輪が光っている。見ればディランのもそうだ。


「これは我が王家に極秘に伝わる魔法の結婚指輪なんだよ」

「極秘に伝わる、ですか?」

「そうだ」


 魔法の指輪でも普通の指輪でもどちらでも大して変わらないと思うが、何かが引っ掛かる。

 彼女の疑問にはこのすぐ後にディラン本人が答えてくれた。


「これは昔、好きな女以外とは契らないとの我が儘な君主がいて、王宮の世継ぎ問題を心配したその当時の王宮魔法騎士が作った魔法の指輪なんだそうだ。意中の相手とペアで嵌めて誓いのキスを交わすとその二人は世継ぎのために互いを求め合い、夜は世継ぎを設けるまで離れられないようになるらしい。離れていても自然と互いの居場所へと導かれるんだとか。お前とペアで指輪をするならこれだって閃いたんだ」

「…………」


 ミサは急激に頭が冷えた。目の前には残念君がいる。

 ロマンチックな気分も極音速いや光速でどこかへと飛んで行ってしまった。下心があり過ぎる求婚劇だった。


「さあミスティリア、イチャイチャしたくなっただろ?」

「それはお腹に既に世継ぎがいる場合にも効くんですか?」

「あ……」


 その日、ディランはバルコニーの隅っこで湿った砂になった。


(はあー。アホっぽ。だけど私も大概よね)


 ミサは黙って変な指輪をさせてと怒る気も失せた。

 ディランはかなり病んでいるがそこまで自分を好いてくれているとわかった。


(そんな男に悪感情を抱けない私もまた、かなり毒されてるのかもね。しかも陰謀渦巻く恐怖の王宮の餌食はやっぱり御免だし、危険とは無縁でもないし、将来安泰だとも言えないってのにね)


 まだディランの無慈悲な面を怖いと思う。まだとは言ったが全く怖くならない日がくるなんてお気楽過ぎる考えは持っていない。この先のどんな困難も好きな人となら乗り越えられる……なんてのは理想と言う考えも変わらない。

 けれど、どんな現実になろうともディランとなら生きて行けるとは今は思えるのだ。

 だからこそ、求婚を受けディラン・ルクスの傍に縛られるのをよしとした。


「ディラン、こんな指輪に頼らなくても、私にはあなたで正解なんですからね」


 笑い含んだ声で「愛してますよ」と気落ちする耳元に囁いたら、彼は復活した。


 それから、ミサとディランは婚約式と結婚式を一緒にした。


 その場で王妃と国王に実は、と妊娠を告げると二人は小躍りして結婚を祝福してくれた。サニー男爵はハンカチを引きちぎって嬉し悔しの涙を流していたとかいないとか。

 しかも後日、病がちだった国王は孫の顔を見るぞーっと張り切って目覚ましい回復さえ見せたので、国王代行のディランの負担は減ってミサとの時間がぐんと増え、ミサは辟易する程に甘い時間を過ごす羽目になるのだった。





 ゼニス国の歴史の中でも鴛鴦おしどり夫婦と言えば、ミスティリアとディランの名が上がる。

 半魔の魔法能力で隣国グラニスから国を護り抜いた二人は、ハニーよりシュガーより甘い夫婦とよく言われ、当時は流れる血は半魔のそれではなくシロップだろうとさえ揶揄されたという。

 これはそんな二人の物語。

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