肉食な深窓令嬢とチキンな暴君~私、お妃選考からどうにか逃げます~5

 その夜、グラニス国の奇襲作戦を見事に阻止したゼニス王国国境では、兵士達が不夜城よろしく沢山の炎を焚いて臨戦態勢が整っているとグラニス側に示した。

 敵兵三人を連れ帰って牢にとりあえずぶち込んだディランが全ての指示を簡潔かつ的確に出して行ったおかげだ。

 言うまでもなく、奇襲部隊に少なくない被害が出たグラニスとの危機は回避された。

 この話が広まれば、ディラン王太子の的確な分析と指示のおかげで隣国の密かな企みは実を結ばなかったのだと国民は沸くだろう。

 ゼニス国民のディランへの評価は相変わらずの次期暴君だろうが、これまでも反感を抱いている貴族達が彼へと明らかな反旗を翻さない一番の理由は、彼の軍事や交渉事を含めた護国面での有能さにあると言ってもいい。わざわざ王宮を掌握する王太子と敵対するなどデメリットの方が大きいのだ。


 しかし現在彼は、ディラン王太子殿下は、後々下されるかもしれないそんな自らへの評価などよりも遥かに重要な局面を前にしていた。

 彼は依然サニー男爵親子の泊まる宿の一室で、段差はないが玉座よろしく備え付けのテーブル一式の上座に腰かけて腕組みしていた。両目を瞑って黙してもいる。


 彼の対面にいるのは言うまでもなくサニー男爵親子だ。


「殿下っ、王宮を欺いた大罪は叶うならばこのサニー家当主たる私の首一つでご容赦を!」

「お父様!? 私のためだったんですし私が責任を負います! 罰は私自身で受けます!」


(私は仕方ないけど、お父様に何かしたらホント末代まで祟ってやるんだから……って私の子供も入るからそれはよそう。でも絶対赦さないわ)


「殿下、私のこの隠蔽を娘は何も知りませんでしたし、私が責任一切を負います!」

「やめて下さいお父様!」


 親子はディランと対面してはいるが、椅子にも腰かけず床に平身低頭して言い合っている。

 ディランの存在は全く以て蚊帳の外にあると言っていい。半ば不敬をしているのだが、お互い相手の身の保身に忙しい父娘はそこに気付いていない。


「ディラン殿下、罰はどうか私に!」


 とうとう意識を向けたのか、ミサが上半身をがばりと上げてディランへと声高に訴える。


「ならんっ、私は老い先短い身! しかしお前には男爵家は無くなろうとこの血を継いで行ってもらわねばならん! ですので殿下、娘はどうかどうか無罪放免に……!」


 今度は男爵も顔を上げ必死の形相で訴える。


「ミサよ、愛しい我が娘ミスティリアよ、お前達母子二人だけでもどうか強く生きていくのだ!」

「嫌です、お父様とお別れなんて嫌です! 三人で強く生きていくと約束したではありませんか!」

「すまない。今はただ耐えるのだミサよ! 生きるために……!」

「ううっ……お父様あぁ!」


 またもやディランから注意が離れ、ひしっと抱き合いお涙頂戴の親子劇が繰り広げられていたそんな時、


「母子二人……? 母子、だと? 三人で強く……? 一人、二人……しかいないのに三人で、だと?」


 幽鬼のような顔色で丁寧に指先で人数を数えたちょっと危ういディランの声が父娘の耳朶に絡み付く。

 言うまでもなく二人は見事な氷像のように凍り付いた。


(もうーーーーッ! お父様ったら思い余って不用意な発言を! 私もうっかりしてたし!)


 ダラダラと妙な汗を流す男爵の横でミサがどうやってやり過ごそうかと目まぐるしく考えていると、いつのまに椅子から離れていたのか、ディランがミサの前に膝をついた。


「ミスティリア、今の台詞はどういう意味だ? 義父上も何かあるのなら話してくれ」

「えっ? ええっとそれはですねー、お父様も私もよく数え間違いや言い間違いをするんですのよーホホホホホホ!」


(っていうかまだ義父上って言ってるし!)


「ミスティリア、本当に話してほしい……今のうちに」


(いいい今のうちにって言った! いやーっ怖い怖い怖い脅しに掛かってきたあーーーー!)


 男爵の方は迂闊過ぎる失言にすっかり蒼白な顔で黙り込んでしまっている。これは助けにはならない。本当に軍事面以外では頼りにならない。ミサは自身で解決するしかないと腹を括った。

 気持ちを立て直してディランを強い目で見据える。


「言え、ミスティリア。どういう意味なんだ?」


 ディランの方もいつにない鋭い眼差しをミサに向けていて見逃してくれない気配が濃厚だ。ミサは彼が酷薄と言われる片鱗を目の当たりにした気がした。ひゅっと変な場所に空気が入って咳き込みそうになって息を堪えるミサは、何とか呼吸を落ち着ける。

 観念するしかない。

 医者やその手の心得のある者に調べられたり、或いはすぐには殺されずとも時が経てば出てくるお腹で露見するだろう。


「私には、子がいるのです」

「何……だと?」


 ディランが眉をヒク付かせた。


「その子供は今どこに?」

「私のお腹です」

「……妊娠中、なのか」

「はい」


 ディランがミサの腹を見下ろして押し黙る。

 しばらく、室内には気まずい沈黙だけが流れた。


「……子の父親は? 跡取りとか言っていた男か?」


 ミサは口を引き結んだ。ここで偽りを述べた所ですぐに嘘だと彼には見破られてしまうだろう。事実、意識してか無意識かは知らないがディランの目が赤く光っている。


「聞こえなかったか? その腹の子供の父親は誰だと訊いている。言えない相手なのか?」


 再度問う声に苛立ちが紛れた。

 雄ライオンは番いたい雌に既に我が子ではない子ライオンがいるとその子を殺す事が多々あるという。彼からしてみれば彼と一夜を過ごした前後に別の男と寝ていたと思っても全く不思議ではない。

 ディランの金の目が険しさを増す。

 腹の子を殺してやるーと彼がキレて暴れる前にとミサは一度ぐっと息を呑み込んで……極上の笑みを浮かべた。

 彼女には彼を宥められる最上の手札がある。

 しかしそれは諸刃の剣。

 盾にもなるが鎖にもなりかねない。

 だがここで使わずどこで使うと言うのか。

 ミサはすっと息を吸い込んだ。


「――デックです。行商人の」

「な……」


 ディランは言葉を失くしたように目を見開いた。

 ここで彼と入れ替わるようにして男爵が正気を取り戻した。


「そう、そうなのです殿下。我が娘には既にそのような馬の骨、こほん、相思相愛な相手がいるのです。よって王太子妃には相応しくありません。ですからどうかお戯れはおやめ下さい。これはこのミスティリアの父親としての願いです。社交界の右も左もまだまだわからないような未熟な娘に代わり、これまで以上に私が殿下の御ために身を粉にして働きましょうぞ! いえむしろこの身を全て捧げます!」

「ちょっ、お父様!?」


(そんな事言って召集されての通いじゃなくて年中王宮勤務にでもなったらどうするのーっ! 国外に行きにくくなるじゃないの!)


 男爵の娘への愛に感動でもしたのか、暫し神妙な顔で黙したディランは徐に口を開く。


「……デックとか言う男の他には?」

「はい? 他とはどういう意味で?」

「デック以外にもミスティリアには恋人が……跡取りとしての婚約者がいるんだろう? それはどこの男だ?」

「は?」


 男爵はあからさまにポカンとした。


「娘に婚約者などおりませぬ。お恥ずかしい話ですが、私がまだ嫁になど出したくなかったのもありまして、今までどこの申し入れもお断りしてきたのです」

「えっ、密かにそんな事してたんですかお父様!」


(って詰んだーっ。ここも前以てお父様と設定の相談しておけばよかったよお~っ)


 これでミサはフリーだと知られてしまった。逃げのための手札が一枚消えた。そんな娘の胸中など知る由もない父親は申し訳なさそうに頭を掻いた。


「す、すまぬミサ。つい出来心でな。もしかしたら善き縁談もあったかもしれぬが……赦してくれ!」

「グッジョブだ義父上ーっっ!」

「グッジョブ?」


 ディランはあたかも金鉱山でも見つけたように頗る興奮してから、ちょっとだけミサを「あなたってばいけず~」的な恨めしげな目で見た。

 彼から目を逸らすミサはディランの方で勝手に勘違いしたのだからと自分を強く持った。


「ありがとうお父様、私も全然その気がありませんでしたし断ってくれて正解でした」

「そ、そう言ってくれるなら良かった」


 ディランからの歓喜の称賛はともかく、ミサから赦しどころか感謝の言葉を貰って男爵はどこか誇らしげな様子だ。けれど次には渋面を作った。


「そういうわけではありましたが、殿下、私はですな、デックという男がもしもまた娘の前に現れた時は、娘と添い遂げるように説得する所存です。そもそも彼の子供を身籠っているのですし殿下とは無理なのです。ですのでどうか娘の王宮入りはご容赦を」


 男爵からの明確な妃選考辞退の言葉にか、ディランは再び難しいような顔付きになる。


「それはつまり……義父上は腹の子の父親との交際果ては結婚に賛成、と言う意味か?」

「その通りです!」

「なるほどそうか!」


(えっ)


 ミサは猛烈に嫌な予感がした。


(何かこの流れって……)


 氷が解けるようにディランの顔から険しさが薄れていき、更には天からの光でも降り注いだように彼の周囲が輝いた気がした。天使が飛び回っているような幻覚さえ見えた。


「ほほうほう、これではもう、ミスティリアとその男は結婚するしかないな。そう思うだろう義父上?」

「はあまあ、そうですな」


 男爵は恐怖の王太子よりはどこぞの馬の骨の方がマシだと思ったのかもしれない、乗り気ではなさげだが首肯する。ディランがうんうんと相槌を返した。


「そうだろうそうだろう。こほん、あー、時にー、その腹の子の父親だがー、義父上、実はだな、俺――」

「――デックはデックです!」


 ミサは真実を口にされる前に声を張った。


「殿下、私は結婚するにしても行商人のデックとしかしません。行商人のデックが私の目の前に現れてくれれば、喜んで左手の薬指にたとえ藁の指輪だって嵌めましょう」


 ディランは一度ポカンとし、無理難題を突き付けられたように顔を歪めた。

 ミサの言葉は王太子をやめろと言っているのと同義だからだ。


「……俺の事は嫌いじゃなく、むしろ見た目はドンピシャなのに肩書きだけでもう駄目なのか?」

「うっ……、ひ、必要以上に縛られたくないだけです」

「縛るつもりは…………ぅうむ」

「何で濁すんですか!」

「いやっそのっ、だっだがもし……もしも……俺が帳簿を付け間違ったら怒らないでいてくれるか?」

「……はい?」

「釣銭を渡し間違っても大目に見てくれるか?」

「はいい?」


 ディランはとても真面目に深刻な顔付きで、それでいて真っ直ぐにミサを見つめる。


(えっまさか)


「お前が望むなら、どうにか適当な後継を見つけて俺は王太子をやめてもい――」

「ちょおおおーーーーっと待って下さいいいっ!」


 ここで男爵が「後継を見つける?」と一人呟いておずおずと手を上げる。


「殿下、何人か候補を絞ったら最終的にはあみだで決めると良いで――」

「お父様は黙ってて!」


 ミサから見た事のない物凄い形相を向けられて、男爵は「はい」と正座でいつになく小さく丸まった。そんな父親から目を逸らして溜息をついてから彼女は次にディランをこれは心底疲れた心地かつ腹立ち紛れな目で見やる。

 子のためなら母は強しなのだ。

 睨まれたディランはらしくなくたじろいだ。


「とにかく、私には王太子妃は無理です。妃になったところで殿下がころりと心変わりをなされたら惨めで悲惨な末路しか浮かびません」

「心変わりなどしないっ。そこは信じてくれ」

「……だとしても、嫉妬と陰謀渦巻く王宮で暮らすなんてお腹の子にもし何かあったら耐えられませんっ」

「ミスティリア、お前は王宮の環境や何かしらの理由を作って妃を辞退したい程、そんなにも俺が嫌いなのか?」

「え……」


 まさかハッキリ嫌ですなどとリスキーな返答はできない。

 しかし嘘を言っても嗅ぎ取られる可能性が大だ。だから本心の一つを返した。


「今夜はとても勇敢で凄くカッコ良かったなあ、とは思いましたけど」


 的を巧妙にすり替えたようなミサの返答に、ディランは怒ったり文句を言ったりはしなかった。


「そ、そうか、ふーんそうかそうか」


 どことなく満足そうに一人で頷いている。

 ミサは発言しておいて自らの目と耳を疑った。何故なら暴虐王太子が想定外にチョロ過ぎる。


(ぶちギレられるよりは良かったと思おう)


 ディランは予想外に健気な男のようでミサは調子が狂う。


(どうして「俺を好きになれ」とか「俺を好きにさせてみせる」とか「お前は俺を好きになるんだよ」とか尊大強気発言が飛び出してこないの? 不可解っ)


 失礼千万な思考のミサは、それはディランが恋をして臆病になり過ぎたチキン野郎だからだとは思いもしない。

 直に接しているうちに、凶暴で怖いはずのディラン・ルクスという男が本当はどんな人間なのかわからなくなっている。

 好奇心は恋の始まりとはよく言うものだ。

 ミサはもうディランという男に興味がある。


(どうかしてるわね私)


 結婚するならデックしかいないというのは、裏を返せばディランしかその相手になり得ないと告白しているようなものなのだと、彼女自身もその危うい論理にはまだ気付かない。


「ディラン殿下、よくよく考えたんですけど私お妃選考にはちゃんと出ます。手も抜きません。あの三人の命にも関わりますしね」

「ホントか!」

「ただ一つ言っておきますと、結果がどうであれ結婚を無理強いしてくるようでしたら、どこかの国にでも逃げて二度と帰って来ません」

「なにっ!?」


 ディランはショックと仰天の挾間で震える。

 ミサは選考の末に王太子妃に選ばれても、その時にこそ辞退すればいいのだと考えをやや刷新していた。出場するしないでいつまでも揉めているだけ精神がすり減ると悟ったからだ。


「そ、そんな事言うな! 王太子としての威信を懸けて無理強いはしないと誓う!」


 動転の余りかディランはミサの腰に縋るようにする。ミサはびっくりしたが逆に憐れ過ぎて払い除けられない。横の男爵は「殿下どうかご乱心召されるなーっ」とミサから引き剥がそうと懸命になった。半魔の力を使っているのか軍人たる男爵の腕力でもビクともしなかったが、妊婦たる体を考慮してかミサには一切無理な力は掛からなかった。

 でも女の腰にしがみついている。嗚呼これが天下の王太子殿下の姿かとミサが心の目尻をそっと拭っていると、顔を伏せていた当のディランからおどろおどろしい声が聞こえてきた。


「もしも……もしも異国に逃げたなら……この手でその国を滅ぼしてでも連れ戻すから、早まって無謀な真似なんてするなよ……?」


(ひいいいいっ!)


 顔を上げたディランから薄暗い不穏な半魔の赤い目で暴君だけではなくヤンデレの片鱗を見せられたミサが硬直していると、彼はふと考え込むようにした。


「さっきは応じるような事を言ったが、魔法騎士の件にしても結論を出すには早計だな。お前が本心から望んでいるようにも思えない」


 鋭くも見破られミサは息を詰めた。


「次に、妃選考の件だが、出てくれると決心してくれたのは嬉しいが、俺にも元より思うところもあったしな、これまでもらったお前の言葉を少し考えてみる」

「私の言葉を?」

「ああ、ミスティリアは選考とは言え、他者との争い事を敬遠するきらいがあるようだからな。断トツで勝てるというのに心優しい娘だ。お前のその善良な心に免じて今夜見聞きした一切は他言しないし罰則対象としないと誓おう」


 ミサは父親と歓喜に染まった顔を見合わせる。超ラッキー、マジラッキー、めちゃラッキー。


「父共々ディラン殿下の寛大なお心に感謝致します!」

「娘共々ありがたき幸せにございます!」


(でもねえ敬遠対象はあなたよあなた、ディラン・ルクスよっ)


 彼に都合のいい解釈をされて望まぬ方向に株を上げられてしまって全身が痒くなるもミサは何とか耐えた。


「まあ、そうは言っても正式にあれこれを決めるのはまずは王都に戻ってからになるだろうな。どうするにしろ連絡が行くだろうからそれまで待っていてくれるか?」

「それはもちろんです」


 ミサは力強く頷いた。

 こんな展開になるとは正直期待していなかったが、少なくとも王太子妃回避のための時間稼ぎにはなる。その間に決定的に妃不適格の烙印を押されてしまえばいいのだ。無論命を失わない程度の不適格で。さすれば平和な家族団欒と子育ての道が見えてくる。





「ところで――」


 窓の外はすっかり白くなり、気持ちが落ち着いてようやく椅子に戻ったディランがふと思い付いたようにミサ達親子を見つめる。

 二人はディランの正面の椅子に腰掛けていた。やっとカオスからまともな人間達の話し合いの場になったとミサは密かに胸を撫で下ろしていた。


「二人はどうしてこの国境の町に居たんだ? 義父上に至っては念入りに変装までして」

「「えっ」」


 親子二人はそれまでのそれぞれの思考などすっかり吹き飛んで顔を見合わせた。


 ――その国を滅ぼしてでも連れ戻す。


 先に放たれたディランの言葉の一部が強烈に二人の耳奥に甦る。ミサに限っては「お父様スリーアウト!?」という危惧も。

 絶対に、言えない。旅行という設定もあるのだし……と父娘は絶妙なアイコンタクトで以て身の安全を選択する。

 しかし下手な嘘はディランにバレるので身の破滅。不用意な発言をしてはいけない。


「私達を見てわかりませんか?」

「普通にお忍び旅行か?」

「お忍び、そうですお忍びです! お父様、もう随分と遠出を堪能しましたし、そろそろ領地に戻りましょうか!」

「あ、ああ、ああっ、そうだなミサよ!」


 果たして無難な台詞のチョイスで凌げるかと手に汗握る二人だ。その汗が出ている時点で半魔の覚醒時のディランなら容易に感づいたろう。けれども、今の彼は普通状態だったのでバレなかった。

 正直な話、このような展開になりミサ達親子は今後の方策を立て直すにしても一旦安息はしたかった。心身ともに落ち着ける場所などやはりサニー男爵領しかない。

 ミサ達が戻ったら領地の皆はどう思うだろうかと少し不安もあったが、不都合が起きるにしてもディランの手前一度領地には帰らなければならない。


「そんなわけなので殿下、私と娘は明日にでも帰路に就きます。どうか私共を気になさらず公務に集中なさって下さい」

「何だそうなのか。帰るならこちらで馬車の手配をして領地まで送らせよう」

「いえいえそこまでお気遣いなく。来た時同様に娘との馬車旅を楽しみながら戻ります故」

「なるほど馬車旅か。御者や護衛には自由に帰路行程の変更を命じてくれて構わない。遠慮するな」

「ごっ護衛!? 大袈裟ですよ! こっちでも雇っていますし」

「ミスティリアが心配なんだ。護衛はいくらいてもいいだろう? この町からサニー家の領地まではかなり距離もあるからな。生憎と俺は同行してやれないから無事に送り届ける確証がほしいんだ。俺の部下達は最上級任務を決してミスったりはしないからな。万一があれば……彼らもわかっているだろう」


 ミサの護衛を最上級任務にするのはまだいいとしても、部下達はミサに万一があれば命はないのだ。断ってもどうせ陰ながら見守られるので、彼らのためにも絶対に生きて帰ろうと決意するミサだ。

 そこ以前に断ってもたぶん怖いので、彼女は父親に厚意を受けるように促した。


「な、ならば娘共々ご厚意に甘えさせて頂く事に致します」

「先々には姻戚になるんだし、義父上もそう気を遣わないでほしい」

「ア、ハハハ……まだ義父上呼びには及びませぬー」


 ディランが婿として及ばないのでそう呼ぶなという意味なのか、正式に婚姻を結んだわけではないのでそう呼ばれるのは畏れ多いという意味の及ばないなのか。

 どちらか際どい言葉にミサは内心ヒヤリとしたが、幸いディランは特に眉を寄せたりはしなかったので安堵した。


「俺は少なくとも数日はこの国境沿いは事後処理や防衛対策関係で気忙しいだろうから離れられない。俺自身の目で色々と確かめておきたいものもあるしな。その後にはなるだろうが、担当方面は違うとは言え、義父上には近いうちグラニスとの今回の件で王宮に召集が掛かるだろう」


 サニー男爵は「左様ですか」と心積もりを胸にしたようだ。

 そうしてサニー親子はディランの手の者に領地まで送ってもらう方向で話を進めたのだった。


「それでは明朝迎えを宿まで来させる。それでいいか?」


 サニー家の二人が各々頷く様を見てディランは椅子から腰を上げた。彼としてはもっとミサと居たかったが、危機は回避されたとは言えする事が立て込んでいる現状には変わりなく長居はできかねた。

 色々さっさと片付けてこの先彼女との時間をたっぷり作ってやると、子供もデキてしまったのだし心の距離をもっとずっと縮めてやると、そして最終的には結婚すると、密かに決意もするディランだった。


 後に、全てが明るみに出ると、奇襲など掛けようとした当初からもうグラニス軍は天に見放されていたのだろうと、後々人々はそう噂した。






 結局ゼニス国を脱出出来なかったミサとサニー男爵の二人が合わせる顔がないような気分で屋敷に帰れば、男爵家の騎士達からは予想外にも男泣きで歓喜され、早くお入り下さいと屋敷の中へと胴上げ宜しく担がれた。

 ディラン配下の王宮騎士達は異常なまでの帰宅の光景に呆気に取られていたのでミサは変に勘繰られないといいと願った。

 そして財産などはまるっとそのまま返された。

 というかまだ継承に関する書類一切は提出されておらず領地は依然ミサの父親の所有だったのだ。あみだくじ後継者を中心としたサニー男爵家臣下の騎士達がきっと男爵達は戻って来るだろうと信じて書類提出の猶予を設けてくれていたのだ。

 男爵のあみだくじは最良な人選をもたらしていたようだった。これも不思議と強運な彼だからこその展開かもしれない。まあ娘婿に限っては男爵自身その限りではないと感じているだろうが。


 何にせよ二人は涙ながらの感謝と安堵と共に再び元の生活に戻ったのだった。


 後日、ミサの元には王宮からの使者が運んできた書面が届き、王太子妃選考に関する決定があるので、最終選考に残った者は王宮へと参上するようにとの勅命が記されていた。


 勅命では拒めない。

 病床の国王を引っ張り出してまでこのような勅書を作るとは、ディラン王太子め何とも狡猾なやり口を……とミサとサニー男爵は親子の寛ぎティータイムに全く寛げずに歯ぎしりしたものだった。


 しかも、半月の後に迎えの使者を寄越すとの事で、とうとうその日が訪れた。


 その日までは平穏だったのに……とミサは後にそう述懐している。


「会いたかったぞ、ミスティリア!」

「何でディラン殿下なんですかーっ!」


 ミサは馬車から降りてきた迎えの使者だと言う青年へと思わず突っ込んでしまった。

 共に玄関前で出迎えたサニー男爵は嬉しくなさそうな戸惑いを隠さない。彼もまさか迎えにディラン本人が来るとは思っていなかったのだ。しかしディランと目が合った途端に無難な微笑へと表情を瞬時に切り替えると言う早業をなしていた。その表面の素早さが社交界でも男爵の腹を容易には読ませない理由でもあった。

 ミサ達は王宮へ向かう支度はしてあったので、早速と必要な荷物を積み込んで出発した。

 因みにサニー男爵も同行している。最終選考に残った娘の家族も出席可とされているので彼が一緒に行かない選択肢はないのだ。

 その馬車の車中、ディランはわざわざミサの隣に腰掛け、サニー男爵は娘達の向かいに座ってディランへと目が笑っていない笑みを向けている。何故に娘の隣に座るのだと。

 そんな男爵からの不満を知ってか知らずか馬車が走り出して間もなく、ディランが機嫌良く口元を笑ませながらあっけらかんとこう言った。


「実は、王太子妃選考自体を取りやめる事にした」

「「はい?」」


 ミサは目を点にした。サニー男爵も。


「俺も妃同士で殺したり殺されたりするような王家に益のない陰謀劇は御免だ。お前には安心して子を産んでもらいたいからな」

「私の、ため……?」

「それ以外に理由があると思うのか? ミスティリア以外の他の女も娶らない」


 意外そうにしたミサを彼は憮然として見やった。ただミサに言いたい事はあるのだろうが、彼は説明を優先するようだった。


「俺の気持ちがガチガチに固まっている以上選考はやるだけ時間とコストの無駄だ」


 無駄と言い切った。国を挙げての一大イベントとも言えた妃選考をさも簡単にゴミ評価する辺り、さすがは横暴殿下だ。


「此度は形だけでも俺の口からきちんと説明するようにと、王妃陛下に言われて仕方なくこうして王宮に最終通過者全員を集める運びとなったんだ。因みに通過と決めたのは俺じゃない。リオンの作ったあみだくじだ」

「「……」」

「こほん、まあそれはともかく、そこで中止の宣言をするつもりだ。大体にしてだ、そもそも俺の意思で選考会を開催したわけじゃない」


(そう言えばこの選考は王妃様の肝入りだって聞いた事があったわね)


 なるほどそれならば乗り気ではないのも頷ける。

 しかしミサはホッとしていた。そうならばもう煩わされる心配はないからだ。


「何だ良かった。殿下はまだ結婚する気がなかったのですね」

「何で、お前とならすぐにでもしたい。俺の生涯の女神……」

「はいい!?」


 ディランは眩しい物でも見るように目を細めてミサを見つめる。女神とまで呼ばれてミサはディランの激甘ぶりにポカンとした。男爵も変な形に口を開けている。王宮の軍事会議で何度と顔を合わせていた王太子は絶対的にこのような男ではなかったと。

 ミサは気を取り直して努めて冷静にと自分に言い聞かせてディランを見つめ返す。


(それにしてもいつ見ても綺麗な金色よね。見てるとどんどん吸い込まれそうになる……)


「ミスティリア」


(――っ)


 不意打ちの甘い声に、自覚なく彼の瞳に見惚れていたミサの胸がトクリと跳ねる。

 隣に座る同士なので極めて距離も近く、ハッとして目を逸らしこれだからイケメンはと苦々しく思いつつ頬を赤くしていると、その頬にディランの指先がそっと触れてきた。


「俺はお前と寝たあの夜から、俺の嫁はお前しかいないって決めていたんだ。選考なんて元からする必要はなかった。結婚を無理強いはしないが、お前が応じてくれるようアプローチはするつもりだ」

「……こんな風に?」

「そうだ」


 と、ここで二人はとてつもない悪寒を感じた。

 ミサはぞくりとして肩を強張らせたが、それだけだ。しかしディランはあたかも強烈な殺気に晒されたかのように極限の緊張を強いられた。純然たる殺気を向けられたのは彼一人だけだったのだからそれも当然の反応温度差だ。彼は得体の知れない刺客の出現かとミサを抱き寄せ庇いつつ、武人としての鋭い嗅覚で出所を即座に見やり、困惑した。


「義父上……?」

「わ~た~し~は~で~ん~か~の~義~父~上~で~は~あ~り~ま~せ~ぬ~ぞ~」


 サニー男爵の怨嗟の声が呪いの蔓のように床を這ってきた。彼の舌先も二つに分かれ蛇のようにチロチロしている……ようにも見える。


「お、お父様?」


 実父の妖怪変化も然りな豹変に、さしものミサも息を呑む。

 男爵はギョロリとさせて今にも飛び出そうな目ん玉をディランへと向けている。


「殿下ぁ~……今何とぉ~? ミサと……寝たとぅおおお~?」


(あー……うっかりしてたわ)


 ミサもディランも実は途中からすっかり男爵の存在を忘れていた。

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