番外編 悪役令嬢は安眠したい 鳥さんはぶきっちょだった。

※時系列的には66話「新たなる異世界生活の幕開け3」辺りの話です。



「はあ~~」


 私がやや大きな溜息をつくと、長椅子のウィリアムが顔を上げた。

 彼はわざわざここで仕事関係の書類を眺めている。

 私は私で彼が持ってきてくれたこの世界の地図を別のテーブルに広げて眺めていた。

 セピア色の大きな地図は見易くて、地名も細かく書き入れられている。

 関係ないけど私のドレスはブラックよ。

 地図には当然もっとサイズの小さな物もあるようだけど、そっちだと多少簡略化されているって言ってたから、どうせなら詳しい方をって希望したのよね。

 ついでに言うと日記はニコルちゃんのお胸に抱かれて散歩に行った。


「覚えるのに疲れたのか? 別に試験があるわけでもないんだし、そこまで根を詰めなくてもいいだろう。人間何事も徐々に成長していくものだ」

「ううん、覚えるのは楽しいわよ。全然苦じゃないし」

「なら何に溜息を?」


 怪訝に眉を上げるウィリアムはいつ見ても身綺麗だ。


 今回の破壊魔法騒動では彼だって散々だったのに無精髭一つ生えてる顔を見なかった。服だって手垢一つなさそうにパリッとしている。

 じっと見つめてしまっていたら「何だよ、キスでもしたくなった?」ですって。全くもう恋人を小馬鹿にして。やになっちゃ……わないからまた悔しいのよね!

 少しムッとしながらも私は彼への率直な疑問を口にした。


「あなたっていつお風呂に入ってるの?」


 途端、ウィリアムが嬉しそうにして長椅子から腰を上げた。


「何だ、俺と一緒に入りたくなったのか。それならそうと早く言ってくれればいいのに」

「は? いや違うから!」

「今更遠慮するなよ」


 昼間っから彼はすっかりその気になったのか私の横に来て当然のように腰に腕を回してくる。


「今すぐに薔薇の風呂でも用意させよう。それともジャスミンのにするか?」

「そうじゃなくて、あなたって昼も夜も忙しくしてるのに入浴とか体を拭いてる気配がないでしょ。なのに今だって清潔感にめちゃ溢れてるからこの世界の男性はどうなってるのかなって。私の方は時間をかけてバスタブにお湯を用意してもらってっていう手間が結構掛かるから、頼むのもまだ実は気が引けるのよね。入る時だってちょっと時間がずれちゃうと温度が微妙だし」

「そこは熱くしろ温くしろと命じればいいだろう」

「あ、あなたみたいにそういうのにまだ慣れないのよ」


 そうできれば苦労しない。口をすぼめれば小さく苦笑された。


「君は優しいからな」

「別にそんなんじゃないわよ……」


 照れていると顔が近付いてきて、私は目をパチパチと瞬いた。


「……ここは普通目を閉じるところじゃないのか?」

「へ? ああええとでも」

「下手な言い訳はおしまいだ」


 再度ウィリアムが続きをしようとしてきたから焦った。


「だって鳥さんが!」

「……」


 ようやく彼も状況を呑み込んだのか動きを止めた。

 私の視界、ウィリアムからは死角になる彼の背後にはいつの間にやらチビ鳥が出現していた。こっちに出てくる気分だったのかもしれない。相変わらずの強面だわ。ウィリアムはウィリアムでいいところを邪魔されたと思ったらしく忌々しそうにチビ鳥に目を向ける。

 私と目が合ったチビ鳥は嬉しそうに腕の中に飛び込んできた。


「どうしたの? 私に会いたくなったの?」


 コクコクとチビ鳥は一生懸命首肯する。顔面は別としてその仕種に妙な愛嬌があってふふっと微笑んだ。


「アイリス、話を戻すけどどうして溜息なんてついてたんだ?」


 不服げに私の腰から手を離したウィリアムが腕組みして、チビ鳥を蚊帳の外にしての会話を試みてくる。この子に嫉妬したってしょうがないのにね。

 まあでも最初の流れに戻って甘い雰囲気が薄れて少しホッとした。いつでもどこでも彼はイチャイチャしようとしてくるから正直気が気じゃないのよね。この屋敷じゃどこに誰の目や耳があるか知れないんだもの。蕩けるような本格的な恋人のスキンシップはやっぱり結婚して相応の場所でって何となく思ってるし。……とは言えキスまでなら、まあいいかな。


「ああそれは、今日もきちんとお風呂に入らないとなあって思ったら何か……」

「まさか君は風呂嫌いだったのか?」

「違うわよ。毎日入りたいけど、用意を頼むのは気が重いの! 私はメイド達からぶっちゃけ疎まれてるから余計にね。だから今日から自分でお湯を沸かしてどうにかする方が気楽かなって考えてるんだけど、色々と大変そうだからついつい溜息なんて出ちゃったのよ。さすがに水のままはきついしね」

「ふうん」


 ああその軽い反応、彼にはよくわからない私の葛藤なんだわ。


「それは、湯船に浸かるよりも体を清潔に保つのがメインだって考えていいのか?」

「え? ええまあ?」


 湯船に浸かるのと体の清潔をどうして分けて考えてるんだろ。浸かれば綺麗になるのにね。

 内心首を傾げていると、彼はきっぱり堂々とこう言った。


「俺はほとんど入浴しない」


 一瞬耳を疑った。


「…………あ、そうなんだ、へえ」


 そこは人それぞれだろうし、屋敷牢に入れられたりして体も拭けなくて既に汚れた姿を晒した私がどうこう言う問題でもないけど……。

 はっもしやこの世界のイケメンには、お風呂に入らなくても凄く綺麗なままでいられて良い香りもするって法則があるとか!?


「君はまた変な想像をしているだろう。俺の体は風呂要らずとか」

「惜しい、あなた限定じゃなくてイケメン全体にって思ってた」


 ウィリアムは呆れ目で嘆息した。


「魔法だよ」

「魔法?」

「そう、浄化の魔法。俺の場合はそれを自らに行使しているんだよ。ほぼ一瞬で入浴後の状態に持っていける。まあでもたまにじっくり湯船に浸かりたい時もあるけどな。周囲にはその手の魔法具を購入して使っていると思わせないといけないのも面倒だし」

「あなたもあなたで大変よねえ。でも凄いわ! 魔法でそんなこともできるんだ!」


 風呂要らずなのはその通りだったみたい。つくづく魔法使いって便利よねえ。


「ああ、だから風呂が面倒なら君も魔法を使えばいい」


 ちょっと興奮が冷めた。


「あのねえ気軽に言わないで。痛いのは嫌よ」

「いや魔法の血を使うんじゃなくて、そこのそれに頼めばいいって話だよ」


 彼がそこのそれと指を指したのはチビ鳥だった。


「鳥さん? そんなことまでできるの?」

「魔法を操れるんだし、浄化と言えば炎も一般的には連想される部類だろう。得意なんじゃないか?」

「そうなの?」


 期待を込めてチビ鳥を見下ろせば、私に頼られて余程嬉しいのか誇らしそうに胸を張って目を輝かせる。


「とてもタイミングよく出てきたようだし、何なら今やってもらったらどうだ?」

「ああそうね! お願い鳥さん」


 しかと頷いてくれる目付きの悪すぎるチビ鳥を腕から放つと、チビ鳥は音もなく部屋の中を舞い上がった。

 さっさと帰れって目が言っているウィリアムはまだ直近での邪魔を根に持っているっぽい。大人げない。

 それにしても、もしも浄化の魔法が日常的に使えるようになるなら、この先もお風呂事情は安泰だわ。私はわくわくして魔法を待つ。

 ふわりと浮かんでいたチビ鳥がくわっと両の眼を見開いた。

 私に炎が纏いつく。

 私にだけは熱くない、精霊の炎が。

 髪を柔らかく撫で上げるような炎の微風が清々しくて、目を瞑った。

 は~ん気持ち良~い!


「あ……」


 途中、ウィリアムのどこか気まずいような声が聞こえて疑問に思ったけど、上機嫌な私は体を滑る風が収まってからゆっくりと目を開けた。

 浄化の魔法って凄い。本当に全ての体の汚れや余分な物が取り払われたような爽快感がある。


「ん? ウィリアム?」


 最初に目に入ったウィリアムは何故か片手を口元に当てて難しいような顔をしている。でも視線は揺るぎなくこっちを捉えていた。ええとどういう顔よそれ?

 困惑する私はだけど次に微笑んでチビ鳥を見やった。

 しかーし、何故かチビ鳥は慄いた目でビクッと大きく震えた。


「え? 鳥さん? 二人して何か変よ?」


 ああ、変と言えばさっきから私の感覚もおかしい。

 スッキリしたのはいいんだけど、やけにスッキリし過ぎているというか何というか、まるで何も摩擦がないかのようで…………。


 それにちらちらと視界下方に入る肌色は何かなあ?


 私、つい今し方までブラックドレスを着ていたはずなんだけど…………。


「………………。――――っっっ」


 真っ裸。


 悟って羞恥に顔を真っ赤にする私を見つめるウィリアムがしれっと微笑んだ。


「やっぱり君はイイ女だよな」

「出てけーーーーーーーーっっ!!!!」


 普段不死鳥の炎に触れても私の服は燃えないのに、敢えて浄化って括りでの魔法は苦手みたい。髪を一つには結べても三つ編みはできないってのと似たようなものかしら。

 まあつまり、身ぐるみそのまま全部灰へと浄化されちゃったってわけ。

 不死鳥は猛烈にごめんなさいをしてきたから許してあげたけど、残念ながら私のお風呂事情はまだまだこの世界に即していくしかないみたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る