ループ二度目のシンデレラは人生最後までハッピーでいたい4

 真夜中、まだ残る痛みのせいか彼は泣きながらうなされている。


「憐れな男……」


 私はベッド脇に佇んで見下ろしていた。ここの所じゃあ滅多に魘されなくなっていたから久しぶりに聞こえてきた呻き声に様子を見に来たわけだった。安眠妨害よねー。


 彼を拾ってから二月が経っていた。


 私は未だ誰にも王子がここに居ると伝えていない。


 樵のおじさんには男物の古着を譲ってもらったけど、事情は話していなかった。

 おじさんも私が助けを求めたわけじゃないからか、小屋に居る男の存在を詮索して来なかった。

 私と同じ年頃の娘のいるおじさんは一応は独身女性の私に遠慮してか家の中までは入って来ない。おじさんのおかげで樵の中にもいる不埒な輩から嫌な目に遭わされるなんて災難もこれまで起こらなかった。おじさん様様だ。


 ただ、人の好いおじさんでもやっぱり王子を軽蔑して嫌っているようだった。


 彼の話をする時はいつも眉根を寄せて超絶渋い顔をしていたもの。


 自分の娘と同じくらいの年頃の娘が、王子から足を斬られただの爪先を何だという目を覆いたくなる非道をされては好意など抱けようもない。


 私はベッド脇にしゃがみ込んで寝汗に濡れ苦痛に歪む顔を見つめながら、そっと手を伸ばした。


 ゆっくりゆっくりと王子の頭を撫でてやる。そうしていると次第に彼の寝息も穏やかになっていった。


「良かった、今夜はこれで足りそう」


 いつからだったか定かじゃないが、彼が苦しそうな時、私はこんな風に子供をあやすような真似を欠かさない。

 髪を撫でたり手を握ったり、恐怖に眠れない時には抱き締めて子守唄でも聞かせるようにして背中にやった手で優しくリズムを取った。温かさに安心するのかそうすれば朝まで起きなかった。

 勿論変なことは何もない。


 嫌っている男に優しくしてやるなんてどうかしていると自分でも思う。


 だけど不思議と私自身の気持ちも落ち着くんだよね。


 まあ呻き声が五月蠅いと私も眠れないからこれでいいんだ。


「本当に、憐れな人……」


 どうして誰も止めなかったのか。止めてあげなかったのか。人を害する前に殴ってでも叱ってやらなかったのか。

 彼が王子だからよね。彼の方も感情的になってしまっては聞く耳を持たなかったのかもしれない。


 そんな彼は相変わらず見えないし聞こえないけど、文字によってこっちの意思を伝えることが出来たのは幸運だった。


 彼の掌を指先でなぞって文字を伝えれば、彼の方は言葉を喋って寄越すと言った具合だ。 文字は確かに人類の偉大なる発明の一つだわ。

 そのやり取りの中で私のシンデレラって名前だけは教えたけど、その他は素性に関わる内容は避けて無難な範囲で色々と話をした。


 彼も彼で王子だとバレたくないのか、オスカーと名乗った。


 起き上がって歩けるようにもなって、家の中なら何とかなるようにもなった。……よく転ぶけど。


「こんな僕を生かしてくれて、どうもありがとうございます」


 ある日、食事の席で彼、オスカーはそう言った。

 食前に唱えるような神への感謝の言葉じゃない。

 彼がスープを零したりうっかり口元にソースを付けたりしたら拭いてあげていたから、今も私が正面の席に居るのはわかっていたと思う。だからこそ言葉を発したんだろう。


「感覚で喋っているからきちんとした発音になっているのかはちょっとよくわからないけど、文字じゃなく、僕の言葉で言いたかったんです」


 驚いた。


 彼は話しながら泣いていた。


 内心ちょっと目の傷が開きはしないかと心配になったものの、涙が染みる包帯に血の色は無かった。


「僕は沢山の人をこの手で傷付けました。そんな人間だったんです。何て愚かで自分勝手で傲慢で浅はかだったのかと思います」


 食事の手を止めていた彼は、俯いて肩を震わせる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……皆には本当に悪いことをしてしまった、ごめんなさい……」


 嗚咽塗れの謝罪の声。

 自分の身がこうも不自由になって、そして誰かから生かされて、ようやく彼は自らの罪や間違いを悟り深く反省したのだ。

 彼からの懺悔に、私は告解部屋の牧師のように許しを与えたりはしなかった。どうせ何かを言った所で彼の耳にはもう届きはしないのだ。ただ、


「憐れで……とても脆い男」


 依然見下しつつ、私も泣いた。

 たぶんきっとこれは貰い泣きだ。そうに違いない。

 この食事が終わるまで、どこか粛々とした時が流れていた。


 私はオスカーの体力が回復してくると小屋のごく近い周辺へと散歩に連れ出すようにもなっていた。


 陽光の下で体が温まるのが心地良いようで、庭先のベンチに腰掛けて彼はよく転寝をした。

 彼は未だに時々自分の現状に意気消沈していたが徐々に笑顔も増えていった。私がベンチで隣りに座って頭を撫でれば、ちょっとぎこちなくも寄り掛かって来るようにもなった。

 罪を告白した食事を終えた今もそうだ。


「大きな大人しい犬みたい」


 劇的に心を入れ替えたからなのか彼の凶暴性は鳴りを潜め、彼への嫌悪もこの瞬間は陽光に浄化されてしまったよう。

 そうしてまた日が過ぎ、目に包帯を巻いた彼がぬくぬくとした日の光の下で、促せば躊躇いなく私に寄り掛かるようになった頃、巷では王子はとっくに死んだと思われているらしいと知った。まあ姿を見せないんだからそうもなる。

 人々の口に上る悪道王子像など嘘のように、彼からはすっかり毒気が抜けたようになっている。

 誰に脅かされる懸念もなく、煩わされもしないこの小屋の生活は彼の心を穏やかに満たしているのかもしれない。


「ねえシンデレラ。僕はずっとこのままここに居てもいい?」


 夜、ベッドに横になる良い歳をした王子様を寝かしつけるために、私はベッドの端に腰かけて彼の手を握っていた。いつでも文字を伝えられるようにって意図もある。

 一方、王子は王子でこの時間はいつもその日の出来事を話す子供のように私との会話に声を弾ませる。


 ただ、ちょっとこの日はシリアス寄りだった。


 ずっと彼とここで……。

 私だって考えなかったわけじゃない。彼はもう彼自身だけで後継者として指揮を執れる体ではない。襲撃で負った怪我がそれを不可能にした。点字も何も施されていない書類一枚読むのさえ一人では無理だ。そもそもこの国に現代日本のようにそんな便利な文字は無い。

 生涯正体を告げないまま過ごすのもそれはそれでありかもしれない。

 以前の自分が完全に望んだ形ではないが、王子との安穏とした二人だけの生活ができるのだ。

 だけど私は答えずに反問した。


「家族の所に帰りたくはないの?」


 文字を伝えれば、彼はしばし思案してから静かな森の夜に相応しいような声を出す。


「どうだろう、わからない……。申し訳ない気持ちにはなるけれど」


 恋しいわけではないのだろうか。彼は未だに素性を明かそうとしないから私は下手に突っ込めないけどね。国王も王妃も良い人だったのは覚えている。二人共病がちになって王子が国王になって、そうして何年か経って国が傾き始めた頃に揃って息を引き取った。だから彼の変貌や私への仕打ちを彼らが知ることがなかったのはせめてもの救いかもしれない。

 でもどうして今回は止めなかったんだろうか。

 止めてもこの人が止まらなかったのかもしれない。或いは私が知らないだけで彼の一派に軟禁されていたとか? 噂通りの横暴ぶりならあり得る。

 まあ実際そうでも、もうとっくに解放されているだろう。仮に王子の言いなりになって国王夫妻を軟禁していた大臣がいたとしても、王子がいなくなってしまっては威を借るなど到底無理だ。何より国にとって国王不在はまずい。

 そんな可能性をつらつらと考えていると、彼がまた口を開いた。


「今だから振り返って話せるんだけど、僕にはどうしても手に入れたかった人が居たんだ」

「……へ、へえ、そうなんだ」


 いやもう唐突だな!


「何が何でも見つけ出したかった。だけどもう無理だし、あの頃血眼になって草の根を分けてでも捜し出そうとしていた自分が恐ろしいよ。そのために多くの人を傷付けてそれで報復された。でも、僕はこうしてシンデレラに救われた。君には感謝し切れないよ」


 正直意外でもあった。これまで彼は自分の過去を口にはしなかったから。

 少しは心を開いてくれているのかもしれないと思えば、余り懐かれても困るので複雑だった。しかも手に入れたかった人とは私だ。複雑にも程がある。


「……その人をそんなに好きだったの?」

「うん。でももういいんだ。だって今は君が居る」


 はい?


「シンデレラが僕の心の穴を埋めてくれたから。いつも温かな気持ちで満たされていて幸せだと感じるんだ。さっきの問いを繰り返すようだけど、本気で僕をここに置いてくれるつもりはない? ただ、そうなれれば僕も家計の助けになる何かをしたい。今みたいにただただ君に負担しか掛けていないお荷物ってのは心苦しいから」


 私は彼の手を握り締めたまま文字も書かず黙し、やっぱりまだ答えあぐねた。

 彼が私の葛藤を察したのかはわからない。


「ええとごめん、一度考えてみてほしい。お休み」


 彼はもうその問いを蒸し返さなかった。

 自分から会話終了と手を離したオスカーはどこか申し訳なさそうに少し背を向ける。

 私は猛烈に自己嫌悪した。きっぱりと断れない時点でもう彼を王宮に帰すべきなのだろう。情に絆されてこのまま暮らせば遅かれ早かれ家計は破綻する。細々と使ってはいたが実家から持ってきた財産にだって限りがあるのだ。

 そう思うのに、そうなったらそうなったで活路を考えればいいかなんて楽観的思考をしてしまう自分がいた。贅沢はできないまでも外に出て彼を養う稼ぎの当てはあるのだ。


「私もこの暮らしは悪くないって思うよ。だからさ、まあそりゃあ何か出来た方が良いのはそうなんだろうけど、別にそこまで気負わなくていいのに」


 聞こえていない彼は反応を見せない。でも下手に期待させたくなかったからちょうど良かった。

 しばらくして、ようやく寝息を立て始めた横顔を見下ろして、願う。


「何か奇跡が起きて少しでもこの人に幸がありますように……」


 彼にとっての幸が何かは私にはわからない。

 ただ少しでも彼が望むようになって気持ちが軽く明るくなればいいと思った。

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