ループ二度目のシンデレラは人生最後までハッピーでいたい2

 深夜十二時の時計の鐘が鳴り出した所で私はハッと全てを思い出したのだ。


 最悪だった一度目のシンデレラとしての人生の全て、そして、現代日本人として趣味に生きたちょっと不運だった人生の全てを。


 今再びのシンデレラたる私は王子の花嫁を見つけるための王宮の舞踏会に来ていて、美しく着飾ってまさにその王子と踊っている最中だったらしい。

 で、とうとう名シーンの一つ、深夜十二時の鐘が鳴り出したってわけ。


「疲れたのかいレディ?」


 一瞬呆然としてダンスを止めてしまった私に王子が怪訝そうにした。


「あ、え、あの、もう今夜はこれで失礼します!」


 咄嗟に王子から離れて駆け出した。

 ゴーン、ゴーン、と時計塔の鐘は一つまた一つと鳴り響いていく。十二回鳴り終えたら全てが終わりだ。早く急いでここから去らなければならない。

 何故ならそれがシンデレラのメインストーリーだ。

 ああここで全てを思い出せたのは心底良かった。

 私の記憶的にはさっき階段から落ちたばっかりって言っていいからまだ日本人としての私は死んだのねって実感は湧かないし、またもやシンデレラになった絶望に心が掻き回されてはいたけど、物語の主人公だった行動力とか日本人時代の趣味で沢山読んだ異世界転生や転移物で得た、生きていくための胆力や図々しさや狡猾さなんかがしっかりと役に立っていた。

 だから私はこの先シンデレラとして幸せに生きて行くため、とりあえずまずは無難にこの王宮を脱出する方法として、ストーリーに添って逃げたのだ。

 そもそもここでみすぼらしい娘って正体がバレたらアウトだし、シンデレラって素性が知れても困るもの。まあ継母や義理の姉たちは私だって気付いているとは思うけど、悔しいから絶対に口外はしないわね。だから口封じしなくても安心だ。


「レディ!」


 案の定王子は追いかけてきた。シンデレラって名乗っていなかったからレディって呼ばれたけど、彼がこの改まった物語の中で私をシンデレラって呼ぶ日は来ない。

 私が来させない。

 私はもうこの男なんて好きじゃない。





 会場の外の大階段でガラスの靴を片方うっかり落としてしまった私は、家に帰って猛烈に落ち込んでいた。


「何でどうして……。ガラスの靴を残す気なんてさらさらなかったのに……!」


 かまど横の灰塗れの寝台もどきに打つ伏して鼻を啜った。


「でもガラスの靴を王宮の人が持って来ても絶対に出なければいいんだよね。いや待って確か前回はこの家にもう一人娘がいるぞって教えられた王宮の人が問答無用って感じで入ってきたんだったわ。じゃあこの家にいたら駄目だ」


 王宮の人間が回って来るのはまだ先だったけど、思い立ったが吉日と私は早速家出の仕度を始めた。むしろ舞踏会のおかげでまだ誰も帰って来ていない今がベストだわ。

 父が本当は私に遺してくれていた家財を持てるだけ鞄に詰め込んだ。血の繋がらない家族たちが帰って来て悲鳴を上げてもお生憎様、もう私はトンズラした後ってわけ。

 とりあえずは森の奥に身を潜めて硝子の靴のほとぼりが冷めた頃に戻る予定でいた。

 いやもう家なんて捨てて戻らずに他の街に行ってもいいんだよね。うん、その方がいい。それか気の合う男性を見つけてさっさと結婚しちゃってもいい。

 どんなに不細工でも頭が悪くても私を想ってくれて性根が良ければそれでいい。


 だって王子と結婚するよりは良い人生になる。


 恐怖と悔しさと惨めさで締め括られたかつてよりは……。


 私はもう王子の暴虐ぶりを目の当たりにしたくない。


 結婚してからしばらくは幸せだった。王国の財政も政治も安定していたからだ。

 だけど放物線が頂点を境に下るように、私のシンデレラとしての人生もそうだった。どこまでも終わりのない永遠のどん底に向かって止まらない、そんな様相を呈した。

 発端は王国経済の悪化だった。

 次には王国は未曽有の飢饉に見舞われて、更には外国との貿易赤字が膨らみに膨らんだせいで、火の車だった財政は終には灰になった。

 国民の誰もが王宮の怠慢だと詰り、また王宮の凡庸さを……ううん凡庸ならまだ良かったのかも、暗愚さを糾弾した。

 とりわけ財政を任されていた王子……ううんあの時は既に国王だったっけ、とにかく彼に批判が集まって彼は苦悩していた。それが彼の中に隠されていたというか今まで抑え込んでいた凶暴性を露見させる要因になったんだと思う。


 主な矛先は私に向いた。


 叩かれたこともあったし、浮気の括りに入れていいのか最早知れないような毎晩何人もの女性たちを呼んでいかがわしい行為を繰り返したりもした。豪華な食事を作らせておきながら手も付けず無駄にしてもいた。財政がひっ迫しているのに豪遊していたって言っていい。

 酔っていてもいなくても私を役立たずと酷い言葉をぶつけてきたし、私がいたから王宮が破綻したのだと嘘みたいに名誉まで踏み躙られた。私も王家の一員として国民の敵とみなされたけど、まさか愛した人のせいで死に追いやられるなんて思わなかった。


 その日夫の乗るはずだった馬車に乗っていた私は、道中で刺客の馬に追われて馬車ごと崖から落ちたの。


 それでシンデレラとして一度死んだ。


 夫から出発直前で馬車を変えるように言われて従ったのが悪かったのよ。


 何でも、私の暗殺計画があって刺客たちを私の馬車におびき寄せて護衛たちと迎え撃つつもりだから、私は反対に彼の馬車に乗っていてくれってね。

 死の直前、散々に壊れた馬車を覗き込んでいた見知らぬ男が私を見下ろして同情的に顔を歪めて言い放った言葉は一生、ううん厳密に一生は二度ほど終えているから魂が消滅するその時まで忘れないわ。


『何だ、国王じゃなかったのか。ははっ、旦那に裏切られて可哀想にな』


 そう言われた。

 それで全て分かった。

 夫が私と自分の命を天秤にかけたんだって。

 本当の標的は彼で、私は彼の身代わりだったんだって。

 夫婦仲は冷え切っていて、巷じゃ彼のふしだらな私生活から国王は新しい王妃を迎える気なんじゃないのかとさえ囁かれていて、実は私が邪魔なんだとも噂が立っていた。

 噂通り彼は私を死んでも構わないと思っていたみたい。まさかそこまでだなんて思いもしなかった。私は何て惨めで愚かでどうしようもない人間だったのかって自分を呪った。もう二度とあんな思いはこりごりよ。

 そんなわけで王子と関わらないようにって私は深い森の中に隠れて暮らし始めた。この森には犯罪者じゃないけど表に出られない人や外国人なんかもこっそりと暮らしていたりするから、仕事でやって来る樵たちもそこは暗黙の了解ってやつで密告したりはしない。こっちも森に来た樵たちにお菓子や食事を時々ご馳走していたからそれが口止め料ってわけだった。


 樵たちの話から、今王国では大がかりに硝子の靴の持ち主を探しているのだと知った。


 どうせ持ち主は見つからない。或いは奇跡的にピッタリと硝子の靴に合う足の娘が現れればいいと思う。でもあの魔法の靴はサイズで決まるわけじゃないからやっぱりきっと持ち主は見つかりっこないのよね。だってここにいるもの。

 でも私にはどうでもいい。

 王子がどんなに失意や悲嘆に暮れようとも。

 ただ、懸念は一つあった。


 凶暴性が出ないといい。


 しかし懸念は現実になった。


「なあシンデレラ知ってるか? 王子の話」

「……何ですか?」


 私は庭先に置いたテーブルの上のカップに樵のおじさんの分のお茶を注いでから、自分の丸太椅子に戻った。久しぶりに王子の話題が出て来てちょっと動揺した。ガラスの靴の持ち主捜索開始から二年いや三年は経っているから、もうとっくに王国中を回り終えているはずだ。だからもう諦めただろうと思っていた。

 だけどおじさんの話は真逆だった。


「王子は未だにガラスの靴の持ち主を捜しているらしいんだが、見つからないせいか酷く思い詰めて、まるでお人が変わられたようになってしまったらしい」

「え……?」


 人が変わった。

 嫌な記憶がよみがえる。

 樵のおじさんは他人事にもかかわらずやり切れないような顔で頭を左右にゆるゆると振った。


「どうにかして靴に合わせようと思った娘が無理に爪先を突っ込もうとしたそうだ。そうしたら王子が靴が割れたらどうすると大変お怒りになったんだよ。それで娘の爪先を剣で斬り落とした」

「なっ……」


 息を呑んだ。


「そうして血塗れの足を無理やり入れて、ああこれでは足りないな、と素っ気なく言い放ったそうだ」


 吐き気を覚えて思わず口を押さえた。何だそのむごい仕打ちは。かつて自分が見た彼の狂気が再び迫りくるような気がして、ガタガタと体が震えた。憎しみのような感情と共に。

 その他にも合わない足は要らないと言って足を切り落とされた娘もいたらしい。彼のその時々の情緒によって狂気の沙汰が出たり出なかったりするようだが、王国の娘たちの憧れの王子は今や恐怖の暴君へと変わり果てていた。


「……まさかこんなに早くそうなるなんて」


 全くの予想外だ。

 以前だったらまだこの時分は夫婦として関係はとても良好で、相思相愛を絵に描いたような自分たちだったはずだ。


「シンデレラ?」

「ああいえ、何でもないです。怖いですね、権力者という生き物は」

「そうだな。たった一人への恋のためにこうも他者を踏み躙れるとはなあ」

「恋……ですか?」

「ああ、王宮の舞踏会で踊った娘をずっと捜し続けて待ち焦がれているって話だ。しかし舞踏会の時同様に逃げられたってのはわかっているんだろう。死んだんじゃなければ彼の前に現れないのが良い証拠だ。相手の釣れない仕打ちに心を病んだと言っていい」

「……」


 おじさんからは王子が狂気染みて叫んだという台詞を教えてもらった。


『このガラスの靴の合う娘を見つけたら、きっともう逃がさない。二度と僕の目の前から逃げられないように両脚を切り落として妃の席に座らせておく』


 だからさっさと捜すようにと臣下たちに命じたらしい。


「……さ、最悪」


 身震いして思わず不敬罪な本心を吐露すれば樵のおじさんは同感とばかりに苦笑した。

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