モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録9モブ令嬢、主役になる
「ど、え、何、その、あなたはそれで本当に良かったの!?」
「問題はないだろう」
「大アリよ!!」
「何で。俺の運命の相手がいるとしたらそれはメイプル以外にいない」
「……」
えー、もう何なのこの憮然としたような表情に反しての激甘なお口はー。
「本命と上手く行かなかったからって、手頃な所に居る私に鞍替えするの?」
「何でそうなる! どうしてそんなに俺を信じられないんだ」
「それはだって……」
あなたが小説の登場人物で私を殺すから……なんて言えない。
言った所でだったらどうするんだって話だし。
答えられないでいると、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。こうやって感情豊かにしている様を見ていると、彼があの小説の冷徹なレオンハルト本人だなんて思えない。
まるで普通のどこにでもいる男みたい。
「さっきは覚えてないなんて嘘をついたが、君に俺を信じてもらえるように洗いざらい俺の感情変化を時系列に沿って正直に告白するよ。君への感情は、最初はハッキリ言えば――恐怖だった」
「んな……ッ?」
「初対面の食事会じゃ、一瞬本気で人も食べるのかって凍ったのは事実だ。まあ違ったが。恋愛対象からは程遠かった。だが段々君は変な娘だってわかって不思議と一緒に居て嫌じゃなくなった。君が池に落ちた時は俺の人生で取り乱すって感情を初めて理解した日だった」
ううう、一番最初の印象がマジで恐怖とか、そんなつもりはなかったあぁ……ッ。
私の食い気の異常さをドン引いて変な子って嫌ってくれれば良いなって思ってやらかしたのに、恐怖って……っ。泣けてくる~。
「君が将来的には俺の隣にいるのかと想像したら、退屈しなそうだし、いつの間にかそれはまあ悪くないなって思うようになっていたんだ。それがどんな感情から来るのかも知らずにな。だから君の前ではやけに気恥ずかしいものを感じて、変に思われたくなくて君には素っ気ない態度ばかり取っていたのは謝る。あの頃は悪かった」
「えっとでも、あなたはぽっちゃり系が好きじゃないんでしょ?」
「は? どうして結婚相手に容姿を求めるんだ? 政略結婚は家同士の利害だけが重要だろう?」
「え……」
本気で言ってる?
生まれも育ちも生粋の王子様だからなのか、彼はそういう部分はすごく割り切っていたってことか。だけど容姿に頓着しないなんて、彼らしいって言えばそうなのかも。
「それに、記憶にある母上も些かぽっちゃりしていた女性だった。嫌うわけないだろう。本音を言えば、君を見た時は少しだけ母上を思い出して嬉しくもなったんだ。その後の恐怖で親しみは木っ端と消えたが……」
「……ははっ」
「しかしたまたま君が相手になったのは、俺にとって世界一の幸運だった」
「お、大袈裟よ」
「どうして。君と一緒にいた俺は、気付けば普通に笑える人間になっていて、誰かを愛せるそんな人間にもなれた。おそらく、君がいなかったら俺と父上の関係ももっと殺伐としていただろうな」
元の小説だと、確かに二人の親子仲は決して良好とは言えなかった。
レオンハルトの実母は彼が幼い時に事故で亡くなっていて、密かにそれは王后の位を狙っていたある女性の差し金だって囁かれていたけど、明確な証拠はなかった。
その後、国王がよりにもよってその疑念を持たれていた女性を妻に迎えたもんだから、レオンハルトが父親に反発するのは当然よね。王権の強化とか政治的な打算が複雑に絡み合って国王は彼女を娶るしかなかったんだろうけど、レオンハルトの感情的に納得はいかなかったと思う。
だからずっと、それこそ国王が病に倒れて儚くなるまで、二人は和解しないままだった。
でも、今のこの小説世界は違う。
国王は健在だし、レオンハルトの話しぶりから二人は険悪ではなさそうだ。
「そっか。親子仲が良いのは何よりね」
「ああ、そう思う。メイプルのおかげだ」
レオンハルトは必死さを滲ませてじっと私を見つめた。
「君からもたらされたものも全部引っ括めて、俺は長い間ずっと君を好きだったんだって今ならわかる」
彼はいつからこんな情熱的な男になっていたんだろう。
小説の中ではいつだって颯爽としたヒーローで、弱い所なんて女主人公以外には決して見せない冷然とした強い男って印象だったのに。
もしも情熱があったにしてもメイプルには絶対に向けて来ないって思ってた。
それがどうしてこうなってるの?
そして私はどうして命惜しさに離れたかった男からの素直な告白を受け入れちゃいそうなの?
彼がレオンだから?
ううん、レオンだろうとレオンハルトだろうと、どっちも同一人物には違いない。
彼が彼だからだ。
小説のメイプル同様にメイプルになった私も、本当はこの男がずっと好きだった。
小説と同じ
記憶を失くしても巡り会って惹かれるくらいに、魂ごと彼への恋に落ちていた。
婚約中は、素っ気ないくせに長い買い物だってきちんと最後まで付き合ってくれたし、転ぶ度に実は一瞬心配そうな顔をするようになったのだって気付いてたし、近くに居れば助け起こしてだってくれた。
ぽっちゃり令嬢だった頃も、ダイエット中のタジン鍋令嬢だった頃も、私への口さがない言葉や悪口を囁く相手に睨みを利かせて黙らせて、後はムスッとしていた。彼の勘気を被りたくなくていつしか悪口を言っていた人たちも口を噤むようになった。
本心では私を疎んじていたとしても、そういう面では婚約者をちゃんと彼なりに護ってくれる人なんだって思ったら、心はもう傾きを止められなかった。
案外良い人なんだって好意的な感心がときめきに発展するのは、難しいことじゃない。
意地を張って「違う、そんなわけあるかーっ」て認めないようにしていたけど、結局は私モブ令嬢メイプル・シュガーはどうあってもレオンハルトに恋をする定めみたいね。
「君はレオンを……俺という人間を一度は心に受け入れてくれたはずだ。肩書きが違ってもそれは俺なんだ。どうかもう突き放さないでくれ」
乞うような、そんな訴えに胸が詰まる。
心が揺れる。
手を取るべきなの?
でも一緒に居たら死ぬんじゃないの?
「定まった運命には抗えないってよく言うわよね」
ポツリと言えば、彼は怪訝にした。
「いきなり何の話を……」
「絶対的に異世界からの彼女があなたの運命の相手なの。きっと否応なくあなたは彼女に惹かれるはずで……。それを覆せるの?」
「彼女……? 王后の姪のことなら端からない」
「そっちじゃなくて、今は異世界から来たって女の子の話をしてるんだけど」
「女……?」
益々以ってレオンハルトの眉間が不可解そうに寄った。
話が上手く噛み合っていない気がする。
でも何で?
「何にせよ、今の私はその異世界の子には負けたくないって思ってる。運命なんて大元から覆してやるんだから」
今夜ここで、私の中では不思議と覚悟が決まった。
この恋に挫けないって強く思ったの。
するとレオンハルトが怪訝な顔で首を捻った。
「――来たのは、男だが?」
「え……ッ――――」
私は大いなる衝撃を受けるしかなかった。
男? おとこ? オトコ? マン?
「
「いやそのニュアンス、何かきっと違う方向だろ」
どっどういうこと!?
女主人公がいないんじゃ恋愛小説が成り立たないじゃないのよッ!?
いつからこれはBL小説になったわけ!?
「まあ確かに異世界から召喚されてきた当初は女装していたから、俺も初めは女だと思っていたよ」
「女装!? 何で!?」
「どうやら学園の文化祭とかいう催しで女装コンテストがあったとかで。本人も召喚当初はかなり絶望したらしい、よりにもよって女装のままだった自分に。まだ素っ裸だった方がマシだったとか何とか嘆いてたな。まあ女子と見紛うばかりにしっくりきていたから、周囲もほとんど未だにあいつを女性と思っているよ。王后の姪は秘密を知っているが」
ああ、だからデキちゃった、と。
でもあららー、コンテスト中に召喚されちゃったってわけね、不本意召喚御愁傷様。大いに共感するものがある……。
ちょっとでもこれは由々しき事態じゃない?
レオンハルトはノン気だから、異世界男子とくっ付きようがない。元継母王后の姪っ子、つまり義理の従姉妹から略奪愛なんて土台無理だ。
「そんな……じゃあ物語が破綻する!? そうしたらどうなるの? この世界自体がなくなっちゃって必然的に全員消滅!? どうしようそうなったら私はどうなるのーッ!」
ううん、そもそも既に王后がどっか行っちゃってるなら、この物語はもうとっくに終わってるんじゃないの?
もしもそうなら、私ってばどうしてまだこの世界にいるの?
まさか本来の世界に戻れないってわけ!?
そんなあ~~~~っ!!
「メイプル、何を激しく取り乱しているんだ?」
「レオンハルト!!」
頭を抱えた私がぐりんと首を回して見やれば、その鬼気迫る仕種が人間離れして見えたのか彼はぎくりとした。
「な、何だ?」
「本当の本当の本当に本心から私なの? 他の子じゃなくていいの? 後悔しない?」
ややあって、ふっと笑まれた。
何か超余裕ってオーラがバンバンのマフィアのドンみたいなニヒルな笑みで。
「もし俺が一度でも後悔したなら、この世界が丸々終ったって構わない」
彼は何も知らないのに、深い求愛の気持ちから、奇しくもこんなにも意味深な台詞を吐いた。
この世界が終ってもだなんて、何て素敵で真っ直ぐで私たちにぴったりな愛の告白なのかしら。
でもね、私は爆弾を抱えている。
根本的に住む世界が違うんだもの。
魂は、きっといつか、帰還する。
「ねえ、もしも……もしも私の中身は本当はメイプルじゃなくて異世界の女で、いつか魂が本当の世界に帰るって言ったらどうする? それでも結婚したいって思う?」
「何だか急に可笑しな問いだが、そうだな……こっちで天寿を全うしてもらってから帰ってもらう? それまでは帰さない」
「何それ強引」
「無責任にも俺を放り出して帰るって言うなら、無理にでも異世界に付いて行く」
逃がさない、と主語なしに囁いて彼は私の頭に軽くキスをする。
思わず「ふぁッ!?」て驚いちゃったじゃないのー!
レオンハルトってば、察し良く会話の途中で私の気持ちをほぼほぼ確信したみたいで、最早遠慮もへったくれもない……。
まさかこうやって甘やかしてくる人だったとは完全予想外よ。だって小説だと主人公と上手く行ってからは、爽やか恋愛でほのぼの進展していってたんだもの。こんな一面があるなんて書かれてなかったわ。
「と、とんでもない執着心ねそれは」
「そうか? 俺は大事な物は絶対に他に譲らない。……不満?」
……じゃない。
レオンハルトにかかれば私の悩みなんて些事になっちゃうみたいで、諸々の葛藤も何だか徒労に思えてくる。
ゼロサムゲームも然りで、そういった懸念が落ち込む分彼への想いが増大して照れていると、レオンハルトが横からぎゅーっとわざと体重を掛けるように寄り掛かってきた。何てことしてくるの、可愛いんですけど!
体の側面で押し返してやれば、密着をいいことに肩を抱かれた。
「概ね、俺の気持ちは信じてもらえたか?」
「概ねって言うか、もう全部ね……」
「反論は?」
「…………ないわよ」
「それじゃあこれからは、心置きなく二人で一つで済むよな?」
「え、何の話? なぞなぞ?」
トントン、と手でベッドを叩いたレオンハルトが得意気に見下ろしてくる。
「ベッド……? ――ッ!? 今それ言うの!? っていうか、まだハッキリとは了承してないんですけどね!」
「つれないな。本当は一緒に暮らしていて何度も我慢したんだ。これは単に男としての生理的な欲求だと思っていたから。だが単にそれだけではなくて、メイプルだったからずっと乱されっ放しだった」
「あなたってホントそういうとこあけすけよね! 大体まだ結婚してないし!」
「じゃあ早く結婚しよう? 本来なら君が十六になった日に式を上げる予定だったろ?」
そう言えば、そうだった。
ああそっか、もう死ぬ予定だった十五の年はとっくに過ぎた。
物語は勝手に一段落して進んでいる。
だからもう死ぬのを怖がる必要なんてないのかもしれない。
ようやくメイプルはメイプルとしての物語を始められるのかもしれない。
死亡予定を乗り越えたご褒美に望む相手とメイプルはくっ付いても良いのかもしれない。
「メイプル、改めて訊くよ。――結婚してくれるか?」
レオンハルトの再三にわたる求婚を私はようやく受け入れた。
だけど散々ごねたのが恥ずかしかったから、返事の代わりに両腕でおずおずと抱き付いてこくりと頷いただけにした。
きっと数多のモブ令嬢だって読者の知らない所で恋だの愛だのをしているに違いない。
私もきっとその一人。
この先がどうなろうと、元の世界に戻ろうと、それまで私はレオンハルト・ソルト、あなたのメイプル・シュガーなんだから。
心置きなく愛してね。
図書館のとある一席でパタリと小説の表紙を閉じて、少女は満足そうに頷いた。
その表紙には「公爵令嬢メイプル・シュガーの回避録」とある。
因みに同じ文字が本の背表紙にも印字されている。
(はー、そこそこ面白かったけど変な話だったわね。この恋を護るために、メイプルの途中で元の世界に帰るのを回避する羽目にもなるなんて、この主人公はホント回避回避の連続する数奇な人生を送ってたなあ。それで、帰ったら帰ったで、現代にはレオンハルトの記憶持ちの男性が居てそっちでも恋に落ちるなんて、ホントどこまで運命に雁字搦めの二人なのかしらね)
「……そんな運命の赤い糸、あたしにもあるのかな」
口の中だけで小さく呟いた少女は、読み終えた小説本を返却用のカートに置いて図書館を後にした。
「――メイプル・シュガーの回避録? これまだ読んだことないかも」
また別の少女がその本を手に取って、彼女は貸出カウンターへと向かう。
そう、主人公だ。
モブではない。
その小説の主人公、それは紛れもなく――…………。
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