モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録8モブ令嬢、思い出す

「――!?」


 膨大な記憶が頭の中に甦ってきて、私は咄嗟にレオンを……ううん、レオンハルトを突き飛ばしていた。


「メイプル?」


 後ろに倒れはしなかったけど、私からの拒絶に彼はどこか呆然としてこっちを見ている。


 呆然としたいのは私の方よ。


 レオンハルトは一体全体どういうつもりなの?

 チョコだった間の記憶もあったから、彼が私にどんな偽りの姿を見せていたのかも全部わかった。


 行く当てのないただのレオン?


 全く本当にふざけている。

 こんな場所で呑気に暮らしていていい立場じゃないくせに。

 もしかして時々家を空けるのは王子としての用事のためだったりしたの?

 私がメイプルと知った上で求婚なんてこんな展開、何も知らない私を弄んでいたの?

 思い出したって言ったら、その途端に「何だ思い出したのか」って冷たく蔑んだ目で背を向ける気だった?

 そんな有り得そうな光景がありありと想像できて、咽の奥に言葉が詰まった。


 だって、メイプル・シュガーはレオンハルトとは悪縁だ。


 一緒にいたら破滅する。

 私はそれを回避するために画策していたのに……。


 でも、嫌だ。


 この何カ月かの穏やかで優しい時間を嘘だなんて思いたくない。


 混乱の極みか、思考がノイズの中に沈んだようにザワザワ五月蠅い。


「……そんなに、今のキスが駄目だったか?」


 傷付いたように自嘲するレオンハルトの言葉さえ今はわざとらしい演技にしか思えない。ああそう言えば彼は演技も上手いんだったわ。

 私は私の中の思考にぐるぐると呑み込まれている。

 これじゃあ駄目だー。いかんよねー。

 ああもう、やんなっちゃうこんな展開……。


「――この結婚、やっぱりちょっと考えさせて」


 苦汁を絞り出すように告げた瞬間、レオンハルトはこの上なく目を見開いた。

 微かに揺れる赤い瞳が、どこか所在なさげに雪原にぽつりと佇む寂しげな雪うさぎみたいで、僅かな罪悪感と躊躇が湧いたけど、私は彼を置き去りに藁の山から下りて小屋の中に駆け戻った。





 客観的に言って、理由も告げなかった私は酷いとは思う。

 だけど、まだ頭の中が整理できない。

 落ち着いてまともに話をできそうにないし、顔だって直視できそうにない。


 どうして彼は私を無理にでもメイプルって呼ぶくせに、本当のことは無理に説明しようとしなかったんだろう。


 どうせ荒唐無稽と私がまともに取り合わないと思ったのか、面倒だったのか、やっぱり記憶のない私を面白がっていたのか。


 でも同時に、そんな風な男だって思いたくない自分もいる。


 レオンハルトは少し時間を置いて小屋に入ってきた。

 寝ていると思ってか、ベッドサイドの灯りを消してさっさと布団に潜り込んだ私に、何か言葉を掛けてくることもなかった。


 ……でもさー、さすがに声掛けにくいのはわかるけど、あっさり引き下がり過ぎじゃない!?


 自分から突き放しておいて理不尽な怒りを向けている自覚はあるけど、それでも私に求婚してくるくらい好意があるなら、食い下がって欲しかったって気持ちもあった。

 なーんて……やだもう、恋は私を随分とわがままにさせるようだわ。

 今夜はこれ以上ストレスをしょい込みたくなくて、自己嫌悪に染まりながら目を閉じた。

 ここは小さな小屋だし、元々寝室っていう寝室はなかったから、レオンハルトが来てからはカーテンを引っぱってそれぞれの寝床と他の共有スペースとを区切っている。

 安楽椅子を自作できるなら新たにベッドも作ればいいのに、彼はそこは面倒がって未だに藁のベッドなのよね。彼の面倒の基準が解せないわ。

 まあそれはともかく、だから部屋の中を動けば気配で大体分かる。


 カーテンをそっと開けてこっちに近付く気配がした。


 何……?


 こんなことは初めてで、私はぱちっと目を開けて身を起こす。


「レオン……?」


 ランプをベッドサイドに置いた彼は依然言葉を掛けて来なかったけど、その代わりとでも言うように行動で示した。


 キスをしてきた。


 な!? ななな何事!?


 びっくりして胸を押せば離れてくれたけど、一体どうしたって言うんだろう。


「い、いきなりしてくるなんて何考えてるの!」


 非難を含んだ声をぶつければ、彼は大真面目な面持ちで私の唇を指先で撫でた。


 ドキドキが再燃する。


「リベンジ」

「え?」

「今のキスはそんなに駄目じゃないと思うんだが」

「……はい?」

「さっきのキスが下手くそだったから、俺に幻滅して結婚したくないって思ったんだろう? あれは自分でも有り得ないくらいすごく緊張し過ぎて色々と調子が出なかったというか……」


 ええと、この人はそんな理由で私が掌を返したと思ってるの?


 彼の女性経験はどうだか知らないけど、恋愛的思考はここまでピュアピュアなの? ねえっ!?


 自分だけが深刻に考えているのが馬鹿らしくなって、どんな表情をしていいのかわからない。


「今のでもまだ不合格なら……」


 そう言って、また、してくる。


 私は最早そんなバカなって思考回路に唖然としてしまっていて、止めるとか怒るとかもできず唇を許していた。


 ……全然巧いんですけどー。


 胸キュンに感情が高まって、意地とは別の方から意識が蕩けていく。

 口付けの湿った音が耳に届いて、それが自分たちの立てた音だとわかるだけに羞恥に耳の先まで染まっていく。

 レオンハルトにこんな強引さで女性に迫る一面があったなんて思いもしなかった。

 小説の中じゃ、そこは女主人公に「していいか」って訊ねるくらいに爽やかで紳士だった。そのいじらしい場面には密かに萌えたものだった。

 なのに、今のレオンハルトは私が何も言わないから余計にか、これでどうだと言わんばかりに私へと唇と舌先で訴えてくる。

 この人ってば実は硬派を気取っていただけの単なるムッツリすけべ君だったわけ?


 攻め上等の攻め上手、これはこれで萌える……ああああああ!


 一体何の試練なの? 愛の試練とか言わないわよね!?


 どうしよこのままじゃ向こうの情熱に絆されそう~…………って駄目駄目駄目駄目!


「――ッ、も、もうわかったから。キスは最初から合格だから!」


 今度こそ私はしっかりとした意思で以ってレオンハルトを押しやった。

 しかも何気にベッドに押し倒されてるし!

 実はこいつ結構手が早い!?

 呼吸が乱れている自分がああもう恥ずかし過ぎる~っ!

 思わず両手で顔を覆ってしまうと、耳元で囁かれた。


「それじゃあ、どうして俺を振るんだ? 今の君の可愛らしい様子からは俺を嫌っているようには見えない」


 レオンハルトーーーーッ!!


 うっかり手を外せば、近い位置にある彼のカッコ良すぎる顔のせいでまたまた血圧が上がる。

 しかもあなた真面目な疑問顔で何ぺろって感じで唇嘗めてんのッ、ちょっと無自覚にトボけ過ぎでしょ!

 ランプの頼りない明かりだけじゃかえって色気が増し増しな彼を直視できず、私は目を逸らして半ば自棄のように答えを告げてやる。


「あなたがレオンハルトだって、全部思い出したからよ!」


 見る間に彼の表情が強張った。





「……そうか、だから俺を遠ざけたいと思うのか。君は俺を好きではなかったからな」


 あからさまに肩を落とし大人しくベッドの端に腰かけて、私の隣でレオンハルトは項垂れた。


「自分が何者かを思い出して、俺への悪感情を思い出して、それがチョコとして育まれた俺への恋慕の気持ちを上回ったということか」


 何かややこしいこと言ってるけど、ええと何か勘違いしているようね。


「私は嫌ってないわ。あなたが私を嫌っていたんじゃない」

「俺が? いつ?」


 さも心外だと言わんばかりの表情にちょっと気圧された。


「こ、国王命令でいつも嫌々私に会ってたでしょ」

「嫌々? ……そんな大昔のこともう記憶の彼方に消えたが、初めはそうだったかもな」


 いやいや大昔って……。それに小説のヒーロー特典で記憶力抜群なんだし絶対覚えてるはずよね。まあ、認めたくないならそこは追及しないであげるわ。


「覚えてないなら仕方がないけど、あなたは初めだけじゃなくてずっと私を疎んじていたんだから」

「え、いやそんなことは…………ないんじゃないか?」


 自分から覚えてないって言った直後なだけに、彼は途中で曖昧にした。


「私なんて死んだって大して気にも留めない程度の存在だったしね」

「死ぬ? 何の話だ?」


 あ、やばっ、ついついここまで声に出してたわ。


「……ううん、王后から魔法を掛けられた時は死ぬかと思ったって話」


 適当に誤魔化せば特に変には思われなかったようで、彼は「ああ……」と何かを思い出したようにする。


「もう君を害した王后は王宮にはいないから安心してくれ」

「え? そうなの? てっきり王様と離婚はしてもどうにか未だそこに陣取ってるんだと思ってたわ。だって権力大好きでしょあの人」

「その通りだが、異世界から来た者が追い払った」

「!?」


 そ、そうだった。

 私が失踪して三年経ってるんだし、色々と変化があって然るべきよね。

 現在私は十七歳だけど、本来は十五の私が死んだ一年後くらいに主人公が現れるはずだもの。元の小説通りのスケジュールならもう来ていて当然だし、とっくに王后を退場だってさせているわよね。


 あはは……何だ、女主人公が現れたなら私は完全にお役御免、この恋はゲームオーバーでしょ。


 だってレオンハルトはその女主人公と恋に落ちるのに。


「じゃあ、私にこだわる必要ってなくない?」

「どうして?」

「だってあなたはその子のことが気になってるんでしょ? 違う?」


 小説上で定められた絶対的な運命の相手なんだもの。


「気には……なる。何しろ常識外に筋肉脳なんだ」


 失礼な言いようだけど、もう二人はそんな軽口を叩けるような気安い関係なんだと思えば、悔しいようなやるせないような気分になる。


「気になる相手が居るのに、これ以上私に執着してどうするの。余所見なんてしてないで、あなたはあなたの運命の相手をきちんと見てあげるべきだと思う。その子の所に戻って」

「は? 運命だって?」


 レオンハルトは急に顔を歪めて嫌そうにした。


「気色悪いことを言うな。あいつに恋愛感情なんて抱くか。何よりあいつは王后の姪の何ちゃらとデキた」


 …………は!?


「えっえっええええっ!?」


 まさか、予想だにしなかった女主人公の百合展開来ちゃったのーーーーッッ!?

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