モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録7モブ令嬢、キスをする

「あなたって人のどこを見てるの。私のこれのどこが照れてるように見える!? あの人から腕力で来られて屈辱的なキスをされそうになって、必死で暴れて何とか急所蹴り入れたんだから!」


 叫ぶように言ってしまえば、感情が次から次と溢れ出た。


「あなたの中で私ってそんな女なんだ……?」


 大きな目に零れないよう涙をためて責めるように見つめれば、レオンはハッとして手の力を緩めた。


「メイプル……」

「メイプルじゃないチョコよ! 馬鹿にしないで放して! こんな風にするなんて、あなたも同じなんだわ!」


 好機とばかりに振り切って、私は再び玄関へと向かう。


「待つんだ! 外にはまだ…」

「そもそも! ……そもそも私はあの人を何とも思ってないし、この先もないわ。世界が終って彼と二人になっても、絶対に、ないっ!」

「そこまで……」

「うう、本当にそこまで~……?」


 え?

 玄関扉の向こうから聞こえた声に扉を開ければ、案の定牛飼いの息子が絶望的な顔付きで立っていた。

 彼は仕事が早いから、もう藁を全て運び終えたんだわ。

 この際ハッキリ言おうか。


「そうです。だからごめんなさい。他に良い人を探して下さい。でも、さっきのことはまだ怒ってますし謝罪の必要はないですよね?」

「あ……ああ……済まなかった」

「藁はありがとうございます。おじさんに宜しく伝えて下さい。それじゃ」


 言って、ろくに返事も待たずにすれ違う。


「メイプル、どこに行くんだ!」


 レオンが追いかけて来ようとした。

 ……無神経。


「この人だけじゃなく、しばらくあなたの顔も見たくないの!」

「なっ……」


 牛飼いの息子同様に、大きな衝撃を受けたようなレオンが玄関先に立ち尽くした。

 私はもう男二人を振り返りもせずに、森の中で頭を冷やそうと妖精たちを引き連れてさっさとその場を後にした。





 しばらく経って空が暗くなった頃に、ようやく私は家に帰ることにした。

 きっともうとっくに牛屋の息子は帰っているはずだし、レオンも落ち着いている……はず。

 それとも、私の勝手な言い分に怒ってる?

 時間潰しに摘んだ木の実や薬草や山菜の包みを持って小屋の前まで辿り着いた私は、だけど中には入らず、小屋の横手の薪の倉庫へと直行した。

 今はそこを薪と干し藁半々で使っている。


 もしも彼が怒っていたら……とそう考えたら、家に入りたくなかったのよね。


 森でゆったりと妖精たちに囲まれて過ごして、思えば私の方も感情的だったって反省したら余計に顔を見辛いなって思った。


 運んでもらったふかふかの新しい干し藁の山は、まさに大きなベッドだ。

 その上に思い切りダイブして、ボフンと埋没してそのままじっとする。


「謝るべき? ううんでも向こうだって悪いし」


 藁に埋もれて寝転んだまま悶々と考えて、そのうち眠くなっちゃった。

 ふっと意識を手放して、ふっと意識を取り戻した。

 だって何だかさっきから藁が摩擦でカサカサ言って、加えて藁が吹き上がるような風を感じてちょっとスースーした。藁の中は保温効果でぬくぬくだったから、夜の外気との温度差に自然と目が醒めたってわけだった。


「メイプル……! ああ良かった、こんな場所に居たのか」


 銀の頭髪にキラキラと手に持つランプの光を反射させ、そのランプで私を照らすのはレオンだ。


 彼は何度注意しても私をメイプルって呼んでくるから、さすがに最初の頃はむかっ腹が立ったけど、最近だともう面倒臭くてそのままにしていた。慣れもある。ま、さっきみたいに気が立っていたら別ですけどもー。


 彼は今まさに藁の中から私を見つけたような状況で、その綺麗な顔に大きな安堵を浮かべた。

 反則……。

 ああ因みに彼ってば無精髭は同居二日目にはさっぱり剃っていたっけ。


「帰って来ないから周辺を捜したんだ。でもいなかったから何かあったのかと……」

「妖精たちもいるし、勝手知ったる森だから心配なんて無用だったのに」

「今はもうだいぶ夜更けだ。心配しない方がおかしいだろう」

「え、もうそんなに時間経ってたんだ? でもよくここだって見つけたよね」


 するとレオンは藁をじっと見つめた。


「捜し回っていたら、藁が飛んできて、辿って行ったらこの藁山から勝手にポンポンと吹き上がっていたから、一体何の不思議だと思ってよくよく見たら君がいたってわけだ」

「あー……きっと妖精たちの仕業ね」


 彼らはレオンの助けになってあげたんだわ。ここで一晩明かすんじゃ私が風邪でも引くって思ったのかも。あったかいから杞憂なのに。


「でもそっか、心配かけてごめんなさい」


 ちょっと思っていたのよりも大幅に寝過ごしちゃって申し訳なく思っていると、レオンってば「全くだ」なんて言った。ぐぬぬ、誰のせいだと思ってるのかな~?


「森での事故は君の言う通りほぼ心配していなかったが、人間同士のやり取りは別だろう? 昼間の件といい、そういうのに妖精はほとんど何もしてくれないようだから、また知らない男と何かあったらって不安にもなる」

「……大袈裟」

「最寄りの街じゃ、君はとても可愛いから評判だそうだ」

「何それ?」

「あの下郎から聞いた」


 へー、男同士あの後何だかんだで会話したんだ。

 そんなしょーもない情報仕入れないでよって面白くないものを感じていると、レオンはランプを地面の上に置き私の隣に陣取った。


 少しだけ心臓が早まる。


 平常心平常心平常心!


 真っ暗な藁置き場でランプの光に薄らと輪郭を浮かび上がらせる端正な横顔は、どこか深刻そうに見えた。


「君に求婚した男は牛飼いの息子が初めてじゃないらしいな」

「そんな話までしたのね。全部断ったわよ」

「それも聞いた」


 お隣さんはそれきり手元の虫でも観察するように目を落として口を閉じちゃったんだけど、ええーと、一体何の話をしたいの? それとも話自体したくないの?

 横目で見ながら言葉を掛けられずに困っていると、


「ごめん。昼間は悪かった」


 そんな声が聞こえた。


「頭に血が昇って、愚かにも君を責めた。俺にそんな資格なんてないのに……。本当に済まない。もうあんなことはしないから許してほしい」


 横顔がより俯いて、彼はまるで裁定を待つ罪人のように呼吸さえほとんど詰めたまま恐恐と沈黙する。


「一応は反省、したんだ?」

「ああ、凄くした」

「だったら、もういいわ」

「……」

「あーちょっと何よその顔? 赦してあげるってばホントに!」

「……ありがとう」


 また、先よりは短い沈黙が続いた。


 珍しく、緊張しているのか唾を呑み込む音が聞こえた。


 レオン……?


 謝罪は終わったのに、まだ何かあるのかしら。

 怪訝に思ってそろりと視線をやって眺めていると、彼は一度肩を大きく上下させ深呼吸した。


「君は俺の想いに応えてくれるか?」

「……え?」


 唐突な物言いに戸惑っていると、彼は尚も言葉を継ぐ。


「俺が懇願しても、他の有象無象と同じく絶対に脈はない?」


 有象無象って……。


「ええと、何の話? 後でも構わないなら一先ず家の中に入らない?」


 何となく見当は付いたけど、相手が誰であれそういうのはずっと避けていたからどうにかかわそうとしたけど、立ち上がろうとしたら私を押し止めようとしてか腕をやんわり押さえられた。


「頼むから逃げないでほしい」

「に、逃げてなんて……」


 ない、とは言い切れなかった。

 自分でも意地を張っているのがバレバレで、些か居心地が悪い。


「じゃあ、早くして。私に何の話があるって言うの?」


 少々突慳貪つっけんどんな口調になってしまうもレオンは気分を害した様子はなく、むしろすっと向けられたのは真摯な目だった。

 ドキリとして息が詰まる。

 ランプの明かりでも十分煌めく魔性の赤いルビーみたいな双眸が、その魔力で私の心臓までをも鷲掴む。目を離せない。


「――俺が君に結婚を申し込む話」


「は!? 結婚!? あなたまで!?」

「あの男の君にしつこくした気持ちがわかるだけに、昼間の光景を思い出すとまだ腹が立つ。あの時は俺以外が君に触るなって激情が湧いてつい殴ってた。まあ、どうやら俺は君が好きらしいってことをおかげで気付いたんだが」


 そんな、嘘でしょ?


 レオンが求婚するくらいに私を好き?


 好意があるにしても、精々、試しに付き合ってみないかレベルだと思ってたんだけど。だって恋人とか婚約者段階と、教会で誓って夫婦関係になるのとじゃ大違いでしょ?


「で、でも一度結婚したら、離婚は難しいのよ? 簡単に考えてたら後戻りできないわよ?」


 この国じゃ離婚は両者にとって大きな負担になる。教会から別れて良いって許可がもらえないと無理なのよね。強行すれば罪にもなる。

 実際、王后様と別れた国王様だって当時は教会への説得とか罰金とかその他諸々の手続きで色々と大変だったって噂で聞いた。

 だから、伴侶選びはお互い真剣にお付き合いをして、きちんと気持ちを確かめる。

 そんなことは国民の誰もが知っていてやっている。


「普通に男女交際からって考えはないの?」

「そんな風にもたもたしていたら、君を誰かにさらわれてしまうかもしれない。俺の気持ちは固まっているよ」

「え、自覚したばっかりでもうそんなに……」

「自覚と言っても、自覚だ。名前を付けられなかっただけで、この感情はずっと心にあった。正直いつ何時からこの気持ちが君への恋愛感情だったのかは判別が付かない。それでも想いはどうしようもなく本物だ。メイプル、――俺と結婚してほしい」

「言っときますけど私はチョコよ」


 どうしてこんな大事な時にまでメイプル呼びなのよってむすっとすれば、レオンは意外そうにキョトンとしてから、面倒がらずに言い直す。


「メイプルでもあるチョコ姫、俺と結婚してくれませんか?」


 メイプルでもあるってのは未だによくわからないものの、ちょっと洒落っ気までプラスされての求婚に動揺した。

 どうしよう、さっきからドキドキが止まらないわ。

 絶対に真っ赤になってるから暗くて良かったって思う。


 心から、嬉しい。


 行く当てのないレオンの安らげる居場所がここになるならとても幸せだ。


 レオンが居てくれるなら、ううん彼が居るから、私はもう……一人じゃない方がいい。


 最近は一緒にいても安心と同時に何故だかそわそわして、緊張まで感じるような時があった。擽られるような胸のざわめきは決して嫌な感じじゃなく、もっと感じていたいって程に心地良くて、むしろ私の全てがレオンといるのを喜んでいるようだった。

 舞い上がるような感情のままに瞳が揺れる。

 レオンは答えを待っている。

 彼とならこの森できっと望むように生きていけるって信じられる。


「うん……はい、喜んで」


 もしかしたらレオンは私が一度じゃ頷かないとでも思っていたのか、すごく驚いたように瞠目してから、幻にでも触るようにのろのろと私へと手を伸ばした。


 もどかしくて、こっちから彼の手を掴んで自分の頬に押し付けてやる。


 一旦触れたから彼の中の躊躇とか境界みたいなものが消えたのか、レオンはもう片方の手も私の別の方の頬に触れてきた。


「メイプル……ありがとう……」


 心の底から感慨深そうに、愛おしそうな声で名前を呼ぶ。


 ああほらまたメイプル呼びだわ。彼はどうしても私をメイプルだって言って憚らない。ホントに仕方のない人!

 だけど人間不思議なもので、何度もメイプルって呼ばれるうちに、私の方でも私はチョコでありメイプルでもあるんだって思うようになってもいた。


 女の子たちが憧れるような煌びやかな舞踏会も宝石もドレスも、盛装して目の前に跪く綺羅星みたいな貴公子も、そんなものたちとは全然遠い求婚は、だけどこの世の何よりも私の心を満たしてくれた。


 ああ平民服の貴公子ならここにいるけど。


「メイプル……」


 今度は少し掠れた声と共に顔を近付けてくる。


 あ――、くるって思った。


 キスが。


 レオンは予想通りにそうしたわ。


 新鮮な干し藁の匂いの中での口付けだった。


 ――だけど時に、キスは魔法を解く鍵なのよ。


 だから、不用意にしちゃいけない二人も中にはいるのかもしれない。


 今までが全部ぶち壊しになる可能性を秘めているから……。

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