モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録6モブ令嬢、迫られる

 チョコと名乗った少女が洗濯をしに出て行った所で、小屋に残ったレオンハルトはホッと一つ息を吐き出した。


 ――チョコはメイプルで間違いない。


 朝起きて、酔って夢現に見たのが本当にメイプルだったとわかって、この巡り合わせに感謝した。

 彼は痩せたメイプルを知っていたから一目でわかった。

 物陰でこっそり大布を取って休んでいた所を見掛けたことがあったのだ。


 仮にそうではなかったとしても、いずれかのタイミングで瞳を覗き込んだ時点で彼女だと知れただろう。


 人間一人一人の瞳は唯一無二だと彼は知っているのだ。


 レオンハルト・ソルトの赤眼は特殊で、相手の瞳の虹彩を見分けられる。


 王后のように焼き菓子を一口含めば魔法に掛かって記憶を失うような魔法を使えるわけではないが、ある種の魔眼と言って良かった。


「……リバウンド、してなかったな」


 痩せたメイプルを見た時は、確かに一般的見地から言って綺麗になったと称賛は湧いた。

 ただ彼女が何のためにダイエットをしたのかはわからなかった。

 巷で痩せて綺麗になった女性がその理由を「恋人を喜ばせたいから」だなんて語った話を耳にした日は、もしもそうならそんな健気な面もあったのかと何故か気持ちが浮き立った。


 しかし、実際はその真逆、近付くどころか離れるための努力だったのだ。


 怒りさえ湧いた。彼女は自分の何が気に食わないのかと。


 それに、自分はどうしてこんなにも心が乱れているのか。


 居なくなった彼女に会えばわかると思い、それはその通りだった。


 どうして胸が痛かったのか、捜し続けたのか、ようやくわかった。


 ただただ、会いたかった。


 無事な顔を見たかった。


「変だな。こうして会えたんだし、満足のはずなんだが……」


 何かが絶対的に物足りない。

 彼女が独り暮らしをしているというこの何でもない小さな小屋の中を眺めて、レオンハルトは俯いた。


「どうしてこの場所で満ち足りている、みたいな顔をしていられるんだ……」


 生活の質素さを見下しているわけではない。

 本音を言えば、朝は彼女をベッドに寝かせながら、このまま連れ帰ってしまおうとさえ思った。

 でもまだきちんと話をしてもいなかったので、もしも彼女の意思でここに居るのなら無理強いはできないと思いとどまったのだ。

 実際は記憶喪失だったから戻れなかっただけかもしれないが、そうと知って衝撃だったのは否定しない。

 きっと王后の魔法のせいだ。


「彼女が俺をまっさらな状態から知ってくれるのは、良いのか悪いのか……」


 メイプルはレオンハルトを好きではなかった。


 だから王子のレオンハルトでは駄目かもしれないと思って、躊躇から行き場のない男レオンだと嘘をついた。


 まあ放逐されて行き場がないのは嘘ではなかったが、だからと言ってここで彼女の世話になるつもりなんてなかったのに、ここに置いてくれだなんてそんな頼みまで口から出てきた。

 本気で自分がわからないレオンハルトだ。


 考え込むように腕組みし、その中で彼はこうも思っていた。


 ……チョコたるメイプルはレオンなら嫌わないでいてくれるだろうか、と。


 もしもそうなってくれたなら、その時は改めて彼女が知るべき全てを告白しようとレオンハルトは小賢しくも思った。





 レオンと暮らし始めて数カ月、彼は今では森を出て近くの街に生活必需品を買いに行くようにもなった。

 調理器具や調味料、ちょっとした小物や果ては工具類まで、森にはないものを買ってくるから、そのおかげでここで出来ることは飛躍的に多様性が増した。

 いやー便利便利~ってな便利グッズをどこぞから見つけて買って来てくれるのよね。

 うそこの機能でこの値段って驚いた品も中にはあった。


 日雇いの仕事なんかもこなして来るようで、一日だったり長くて三日くらい戻って来ない日もあった。


 初めて三日も戻って来なかった時は、実は結構心配したわ。


 いつの間にか妖精たちと同じように、レオンが居るのが当たり前になっている。


 ……同じ? 本当に?


 一瞬考えちゃったけど、居ないと寂しいのは妖精たちに感じるものと一緒かな。

 今は自作の安楽椅子に凭れて昼食後の午睡でうとうとしているレオンを盗み見ながら、妖精たちと、レオンと、こんな穏やかな一家団欒みたいな時間が続けばいいなんて、密かにそんな願望が心に浮かんだ。


 体を冷やさないように薄手の膝掛けを掛けてやっていると、妖精たちが来客を知らせてくれた。


 きっと牛屋のおじさんだ。

 彼には時々頼んで藁を運んでもらっている。

 外に出て待っていると、一応は敷いてある細い道の向こうから牛飼いらしく藁を積載した荷車を牛に牽かせて一人の男性がのらくらとやってきた。


 だけどおじさんじゃなくて、彼の息子だった。


 マジかー……。

 正直な話、労う気持ちはあるけど、歓迎の気持ちは全く湧かない。

 だってこの人おじさんと違って人の話を聞かない質なのよね。

 そして開口一番は予想通りの台詞を吐いた。


「おーいチョコ~、この前の返事を聞きにきたよ~」


 この前。

 時期的にはレオンを拾うギリギリ前で、私はあの時にも問われたからきちんと返事をしていたはずなんだけどね。通算三度目の。


 今日答えればこれで四度目になるんだわ――求婚を断るのが。


「えっ……ええと、私まだ誰ともそういう気はなくて……ごめんなさい」


 藁を持って来てくれた牛飼いの息子はちょっと不服そうにした。


「僕はこれでも結構モテるんだけどなあ」

「あはは、それは何よりですね。それだったらすぐに良いお嫁さんが見つかりますよ」

「そう思う? ははは僕もそう思う。だって将来の花嫁はすぐ目の前にいるからね」

「アハハハハ! 藁ありがとうございます。早速下ろさせてもらいますね! ああこれお代代わりの薬草とキノコです」


 今日は笑い飛ばしてあやふやにしよう。うんそれがいい……と物々交換の品を押し付けるようにして私はそそくさと荷台側に回って藁の束を抱え上げた。


「チョコ、僕はチョコの気持ちを尊重して待っているんだよ。本当なら今すぐにでも僕の家に連れて帰りたいのを我慢しているんだ」

「ええと、ですから、私にそのつもりはないんです」

「君はまだ若いから時間が必要なんだね」

「いえそうじゃなくて、私当分誰とも結婚はしません」

「チョコのようなうら若き美しい女性がそんなことを言っては勿体ない」


 話し半分に聞き流して一旦藁を置いてこようとすれば、遮るようにその腕を掴まれて折角の綺麗な藁束が地面に落ちて転がって、無用な土に塗れた。

 ちょっと~~~~っ!

 でも、お世話になってるおじさんの息子だからここは抑えないといけない。


「チョコ、一度キスでもすれば君だって僕の魅力が骨身に染みて、すぐにお嫁に来たくなるはずだよ……!」

「え、はい!?」


 牛飼いの息子はハッキリ言ってナルシストなんだよね。

 顔立ちは中の上程度なのにどこから来るのその自信ってくらい、自分カッコイイと思っている男なんだった。

 彼は私を引っ張って荷台に背を押し付けると、逃げられないように両肩を押さえてくる。

 今までは言葉だけだったのに、今日に限って腕力で攻めてこられて完全に油断した。

 がっちり押さえられているから上半身を捩ろうとしても動かせず、上手く逃げられない。

 いやいやいやちょっと待って!


「チョコ~~っ」


 タコの口になった唇が迫りくる。

 きゃ-っ!

 どうする!?

 どうすべき!?

 牛の鼻息みたいな勢いのある息が顔に掛かった。


「いやーーーーっ!」


 気付けば力一杯膝蹴りしていた。


「ぎゃあああああああっ!」


 相手の急所を。


「彼女に触るな!」


 しかもナイスタイミングで飛び込んできたレオンからアッパーを一発お見舞いされて、藁の荷台に吹っ飛んだ。

 予期せぬ助っ人にビックリしたのと、急所を蹴り付けておいて何だけど、成仏してくれって思う気持ちで私は咄嗟には動けず、放心気味にその場に突っ立っていることしかできない。


「おい、その藁は貴様が所定の位置に置いておけ」


 冷ややかな声音と態度のレオンの命令に、痛みに悶える牛飼いの息子は涙目でコクコクと首を振って従う意思を見せた。

 わー、息子さんってば明らかに格上の相手にはゴマをするタイプみたいねー。


 そんな彼にはもう目もくれず、レオンがやや強引に私の手を引いて小屋の中に連れて行ってくれた。


 一時的にでも不埒者の姿が見えなくなってホッとしたのも束の間、レオンからすぐ傍の壁に追い詰められた。


 俗に言う壁ドンで。


「え、何?」


 彼は壁に着いていない方の手で私の肩を押さえて凄むようにした。向けられる据わった目に冷汗が垂れてくる。

 だって突き刺さる~って感じなんだもの。

 きっと崖の上に追い詰められたってこんな怒ったような目で見られたりはしないんじゃないのって思った。

 ん? でも崖の上って何だろ……?

 何かを思い出せそうで思い出せない。


 それとは別に初めて威嚇のようなことをされて、どうしたもんかと内心で辟易していると、レオンは声も低く問うてきた。


「あの下郎は何だ?」

「何って……牛屋さんよ。正確にはいつもお世話になってる牛飼いのおじさんの息子さんだけど。必要な時に藁を分けてもらってるの。ほら干し藁って牛の飼葉でしょ」

「……君の何だと訊いているんだよ」

「な、何でもないけど」


 どうして怒ってるの?

 目付きが凄腕の拷問官みたいに怖いんですけど。


「だったらどうしてキスしようと?」


 迫るタコチュー男を思い出してぶるりと身震いした。


「むっ無理やりされそうになったのあれは!」


 何よ、見かねて止めに入ってくれたんじゃないの?

 変な場面を見られた羞恥と密かな怒りで顔を赤くすれば、彼は機嫌が悪そうに眉をひそめる。


「どうしてここで照れるんだ。やはりあの男が好きなのか? ……それとも、君は無理やりが好きなのか?」


 どこか意地悪く言った彼が、肩を掴んでいた手で私の顎を上げる。

 至近距離で睨むように見下ろされて、急激に心拍数が上がって……つまりは血圧が上がって怒りのボルテージの上昇を私の全身が知覚する。

 パシリと顎の手を払いのけて逆に睨んでやったら、相手は尚も不服気にしてその空いた手で今度は私の手首を掴んだ。

 どうやら話が終わるまでは私を解放してくれるつもりがなさそうね。


 ホント何なの? 大体、私のどこがあの男に照れてるって言うわけ?


 ついさっき彼に感じた安心感とか幸福感みたいなものが嘘みたい。


 どうしてどうしてどうして、私があの男を好きとか無理やりが好きとか、そんな見当違いな思考に至れるの?


 この数カ月、男女のことは一切何もなかったけど、それでも一緒に暮らして家族みたいにして、少しは気の置けない間柄になれたって思ってた。


 ……でも、私だけだったみたい。


 彼が私を全然理解していないって知って、悔しくてやるせなくてズキリと胸の奥が痛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る