モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録5モブ令嬢、チョコになる

 生きるのに必要な森の水源も食料も使われていないこの小屋も、妖精たちが教えてくれた。

 妖精たち、彼らのおかげで今日の私がある。


 だって私は、自分が本当は誰かわからない。


 この森で目覚めて、どうしてここに居るのか思い出せなかった。


 チョコって名前は、妖精たちがたまたま見つけた包み紙がチョコレートのだったから、それから取って便宜上そう名乗ることにしたのよね。何かしら名前がないと不便だもの。

 ただ、記憶がないとは言っても不思議と言葉も不自由ないし、文字を読むのだってできる。


 だけど人間関係の一切合財が脳みその回路上を不通になっている。


 そのうちきっと何か思い出すかもって気楽に思っていたら三年が経っていた。

 今じゃもう自分が誰か思い出せなくても、ここで妖精たちと穏やかに暮らしていけたら満足って思ってるわ。


 だけどそんな日々に突然訪れた変化が、今まさに私のベッドで寝ている青年だった。


 介抱しているうちにすっかり日も落ちた。

 私が夕食なり沐浴なり、私の日常生活を終えて様子を見に戻っても、彼は深く眠っている。

 まるでようやく安心して心置きなく熟睡出来た人みたい。

 寝顔はすこぶる安らかだ。

 服装は平民服だけど、目を閉じていても高貴さが漂っているから、ワケあり貴公子なのかもね。

 そんな風に誰かさんみたいに冷静に分析して、私は床の上の即席藁ベッドの上で目を閉じる。


 あれ? そう言えば今咄嗟に浮かんだ誰かさんって誰だろう?


 まあいっか、眠いし後で余裕があったら考えようっと。





 翌朝、良い香りに目を覚ますと自分のベッドに居た。


「……人を拾ったのは、もしかして夢だった?」


 でも、漂ってくる良い匂いは食べ物の匂いだわ。

 眠い目を擦って竈のある方に行ってみたら、一人用の小さな木の食卓には美味しそうな料理が用意されていた。葉物のサラダと目玉焼き、水の入った水差しとパン。


「え? どんな状況……?」


 妖精たちは基本的に料理はしない。

 材料の場所や野生動物の危険を教えてくれたりはしても、私の生活のそういったことには手を出さない。まあ狼とかに遭遇して本当に危ない時は妖精の魔法を使って護ってくれるけど。

 だからこれを用意したのは別の誰かだ。


「ああ、もしかして昨日の人が……?」


 食材を置いている棚の戸が少し開いたままだからきっとそこから取り出したんだわ。夢じゃなかったみたいね。

 すると、小屋の玄関が開く音がして、誰かの足音がした。

 行ってみれば、案の定昨日の青年が、何と手に野兎を提げている。

 武器は携帯してなさそうだし、うちには捕獲用の罠はないから素手で捕まえたのよね?


「え、どんな特技……?」


 二日酔いがなさそうなのは何よりだけど、早朝からご飯を作って狩りまでしてきたなんて、すごい家事スキルだわ。

 感心と困惑を半々にしていると、私に気付いた青年がどこかホッとしたような顔で傍に来た。


「その、昨日は面目ない。かなりの醜態を晒した」

「ああいえいえ、酔っ払いなんて皆あんなものだし、別に気にしてないわ」


 私の台詞に「酔っ払いを見慣れて……?」と彼はどこか危ぶむような眼差しになったけど、すぐに表情を取り繕った。

 でもどこか居心地が悪そうに目を逸らす。


「こんな所にいたんだなメイプル。その……元気だったか?」

「メイプル? 昨日もちらっと聞いたけど、人違いじゃない? 私はチョコよ」

「チョコ……?」


 不可解そうな顔付きを隠しもしないで青年は私をじっと見つめた。


揶揄からかっているのか? 君はメイプルだろ。メイプル・シュガー」

「わ~、メッチャ甘そうな名前ね。それに揶揄うって、それはこっちの台詞よ。あなたこそ見ず知らずの私に何の冗談よ」

「見ず知らず? ……つまり俺が誰かわからない、と?」

「初対面だもの当然でしょ?」


 そうは返しつつ、もしかして私のない記憶に関係しているのかなって薄ら思った。

 うーんでもそんなわけないか、だって三年何もなかったんだし今更まさかよねー。

 早々に浮かんだ疑問を頭の塵取りに片付けた私は、もう彼の言葉を相手にしないで彼が手に持つ野兎を指差した。


「ねえそれ、捌いていいの? 今捕ってきたのよね? お肉が新鮮なうちに処理したいし」


 彼はしばらく何故か絶句に近い様子だったけど、私がキョトンとして問えばハッとしてぎこちない動きで顎を引いた。


「ああ、まだ君が起きるまで時間がありそうだったから、ちょっと捕ってきた。裁くのは俺がやるよ」


 ちょっとで捕ってこれちゃうなんて、やっぱり特技なのかも。


「いいの?」

「捕ってきた責任」

「いや責任って……」


 何か酔ってた時と違ってお硬い人っぽいわねこの人。まあ任せちゃっていいかな。


「俺は、レオン」


 野兎を手に台所に向かう彼が、思い出したように足を止め、どこか寂しそうに名乗った。

 きっと、人違いだったから落胆したんだわ。

 だけど違う人でごめんって謝るのもアレだし、そのまま何となく見ていたけど、朝食がまだなのを思い出した。


「あ、やっぱり捌くのは後にして先に朝ごはん食べない? あなたが折角作ってくれたんだし、すっかり冷めちゃう前に。あなたって料理も出来る男なのね。ふふっ得点高いわよ?」


 褒めたらちょっと顔を背けて「身に付けた」なんてぶっきら棒に言われた。見えている頬が少し赤いから、もしやこれは照れ……?


「さ、食べましょ」

「これは君の分として作ったんだ。君の所の材料を使っているし、俺は要らない」

「え……」


 ちょっとさすがにそれはキツイわー。私一人だけ食べろって言うの?

 私の家の物だから遠慮してるのはわかるけど、ちょっとそれは宜しくない。


「失礼ね、私そんなにケチじゃないわよ。あなたの朝食分くらい余裕で提供するわ」

「しかし、これを二人で食べたら……それで腹は足りるのか?」

「は!? 足りるわよもっと失礼ね!」


 どう見ても二人分はある分量でしょこれ!


「大体、あなたこそ動き回ってきたんだから、私よりお腹減ってるでしょ。働いてきた人が変な遠慮なんてしなくていいわよ」

「わかった。君が足りるならいい」


 ムッとしていれば、レオンは小さく笑った。

 彼は私の、時に貪欲とも言える食欲をこの人は知らないはずなのに。

 森で生活を始めた頃は生っている果実や木の実を食べ尽くしそうになって、妖精ストップをかけられた事もあったっけねー。あの時はちょっと体重も増えた。

 着席し、用意された食事に手を付ければ、彼は何だか微笑ましげな顔をしてこっちを見てくる。


「ええと、何?」

「いや、何事もなければ、本当なら今頃はって思って……」

「ええ?」


 よくわからないけど、噛みしめるような声だった。


「本当ならも何も、今はこれが現実よ。ほらほらあなたも早く座って食べて……ってああそうか椅子がない。ごめん今持ってくるから」

「……確かに」


 彼は妙に納得顔で今度は何だか楽しそうに笑った。


 彼が手を洗っている間に私は椅子代わりの木箱を一つ持って来て、普段は一人用の小さな食卓に二人分の席が出来上がり。

 ……妖精たちじゃない誰かと一緒って変な気分だわ。


「おかわりもあるから」


 棚から余分なパンを出して皿に盛れば、素直に「ありがとう」って返された。

 事情を抱えてるっぽいけど悪い人ではなさそうね。

 食後、兎肉を捌き終えたレオンにお茶を出して話を聞けば、彼は行き場がなくて飲んで森で眠ったんだとか。


「食材は調達するし、ここでしばらく世話になってもいいだろうか?」

「え? えーと……しょうがないな。行き先が見つかるまでね」

「ありがとう」


 会話の途中からそんな流れかなとは思ったけど、そうなった。

 断ろうと思っていたけど、話しているうちに何故か多少手狭でもいいじゃないって思っちゃったのよね。賑やかなのも悪くない。まあ賑やかとは言ってもあんまりぺちゃくちゃ喋る人でもなさそうだからちょうど良い。それに誰かが居ると生活にメリハリが出来るもの。


「じゃあベッドはあなたが使っていいから」


 この分だと藁をもっともらってきた方が良さそうね。


「どうしてだ? 二人で使えばいいだろう?」


 はいドーン! 爆弾発言来ました~。

 何がどうなったらそんな結論に至るのか、非常識な意見にさすがの私も妖精たちも呆気とした。


「ええと、そういうわけにも……」

「別に何もしない。俺たちは恋人でも何でもないんだから」


 え、ちょっと嘘でしょ?


 この人の貞操観念とか恋愛観ってどうなってるの?


 純粋培養なの?


 恋人じゃないから男女が一緒のベッドに寝ても大丈夫って?


 いやいや例外はあるにしても、昔の記憶がない私でもそれは駄目なやつだってわかるわよ。


「ええと、つかぬことを訊くけど、あなたって恋人は?」

「以前、婚約者ならいた」

「あ、そうなんだ」


 なのにこの男女観なの?


 世の中ってわからないわー。

 まあそんなわけだったけど、ベッドの件は私が諭して別々になった。

 だけどレオンの方が自分が藁の寝床で寝るって頑固一徹にも言い張って譲ってくれなかったから、私の方が折れた。


 正直、だったら恋人になれば一緒に使えるとか、そんなような無茶ぶりされなくてよかったってちょっと思った。

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