モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録4モブ令嬢、失踪する

 メイプル・シュガーが消えた。


 当初は異国に出奔したと噂されていた。


 その彼女がいなくなって、かれこれもう三年が経っていた。


 シュガー家でも娘の行方を掴めていない。勿論王家でも。


 それくらいの時間が経てば、両家の間の婚約だって当然解消されていた。

 しかし王子レオンハルトは新たに誰かと婚約する気配はない。


 小説の中では本来ならもう死去しているはずの国王も健在で、レオンハルトは未だ王子の地位にある。

 小説の中では彼をより孤独にさせた激務続きの国王時代に突入していなかったのは、彼にとっては幸運と言えるかもしれない。


 そしてこの三年の間に、異世界から一人の奔放な少女が現れて、王子の良き友人となっていた。


 王后は、その少女によって王宮から「あんた要らないよ!」と蹴り出されていた。比喩ではなく物理で。どうやらその少女はサッカー部らしい。

 しかも彼女には衝撃的な秘密があり、王后の姪がその秘密を知ってしまって一事件となったり何だりと、決してレオンハルトの周囲は人を寄せ付けなかった元の小説の彼のように静かではなかった。

 むしろ、異世界の友人と王后の姪から勝手に部屋に入り浸られて、この上ない迷惑を被っていた。

 一人になって落ち着いて考える暇もろくろくない。


 頭を悩ませた諸々の王宮事情を抱えたレオンハルトは、しかしそれとは別に頑固にもこう決意していた。


 メイプルを捜し出して償わせる、と。


 彼女は彼に罪を犯した。


 彼女でなければ購えない罪を。


 未だに痛む胸は彼女のせいなのだ。


 彼女が自分を好きではないと王后に告げたりなんぞするからだ。


 三年前、王后を監視させていた密偵からメイプルが王后に呼び出されたと聞いて、急いで扉の前まで駆け付けた時にそう聞いてしまった。


 自分のことは三十番目くらいには好きと思ってくれているだろうと勝手に思い込んでいたから、頭をガンと何か硬いもので殴られたような気がした。


 条件反射で反駁はんばくするように、自分だって食欲の塊のような娘など好きではないと憤った。


 しかし同時に、どうしてか胸が酷く痛んだのだ。


 長くあの場に居たくなくて適当な所で踵を返したが、その日以降メイプルがいなくなった。


 どう考えても王后の仕業だった。


 どうしてあの時、去らずに部屋に踏み込んで連れ出さなかったのかと、それだけは後悔している。


 何しろ、王后は少々質が悪いのだ。メイプルには注意喚起しておくべきだったとほぞを噛んだが、全てが後の祭りだった。

 彼は昔から王后の本性を知っていたのに、王家に害はなさないようだと黙認していたのだ。

 しかし、メイプルの失踪は王后がやったという明確な証拠がなく糾弾出来なかった。これは自らの落ち度だと心から悔しく、そしてメイプルに申し訳なく思っている。


 それが、異世界の友が現れたおかげで好転し、見事に追い出せたのは本当に良かったと思う。


 いくらあくどい王后でも、良く言えば純真、悪く言えば脳みそまで筋肉の体育会系まっしぐらな相手にはどんな悪意も通じないのだと疲れ果てていた。さまあみろと思った。

 久しぶりに胸がスッとした。

 関係ないが、異世界の友の胸も物理的にスッとしている。


 しかし王后がいなくなっても一時的な気晴らしにはなったが、根本の心は晴れない。


 ずっと、この三年、曇り空だ。


 原因はメイプル。


 だから彼女に会えばきっと理由がわかると、彼はそう思って一人で捜し続けていた。


 それでも全然見つからず、ここ最近は王宮を出て一人でぶらぶらと各地を放浪することが多くなった。酒を手にどことも知れない場所で寝てしまうこともあった。

 王子らしからぬ体たらくだと国王からは叱責され、自分でもだらしのなさをその通りだと自嘲した。


 ――子孫を残すという王族の義務すら果たす気がないのなら、王宮から出ていけ。嫁を連れてくるまで帰ってくるな。このボンクラ息子!


 終には、王后の本性を知って離縁して独り身の寂しさを痛感していたのかもしれない国王から、半ば勘当同然に突き放された。

 きっと嫁とか孫とか孫とか孫とかを早く作って来い的な催促だったのだろう。孫に囲まれてのきゃっきゃうふふのじーじ生活を送らせろと目が言っていた。


 でも息子を単なる種馬扱いって酷くね?とか密かにイラッとしたが、レオンハルトは賢明にもそこは文句を言わなかった。


 ――幼子を愛でたいのなら、年齢的に父上もまだ全然…。

 ――たわけ! それとこれとは別物だ! 誰かこやつをとっとと放逐しろ!


 とうとうそんな感じで冗談ではなく、パンパンに詰まった旅の荷袋と共に城門から叩き出されたのだ。


「さすがにあれは酷いだろ……」


 思い出して遠い目になってささくれて、そういえばあの旅の荷袋のパンパン具合が昔のメイプルを想起させたなーとも考えて、


「メイプル……」


 鬱々となった。相当末期だ。


 しかし彼にその自覚はない。


 王后がメイプルの排除に躍起になったのは、自分が王子だったからだと彼は悟っている。もしも王子でなかったのなら、余計な邪魔は入らなかったかもしれない。


「余計な、邪魔……? ははっ、何の邪魔なんだかな」


 彼にはまだ自分の感情が何かわからない。相当のアホだ。


「はあ、婚約者がこんな駄目男になってるってのに、メイプルは本当に今どこで何をしているんだかな……ああいやもう元、か」


 無精髭を生やした顔で自嘲の笑みを浮かべ、手に握っている酒瓶を大きく呷った。

 酒に呑まれ王子なんて辞めてやるーっと半ば自棄を起こし、宵の口、レオンハルトはこの日も千鳥足で辿り着いたどこかの森の入口でつまずいて、そのまま近くの茂みに突っ込んで沈黙した。そこそこ弾力のある茂みのベッド……結構だ。

 ふと、三歩で転んでいた昔のメイプルを思い出して、レオンハルトはほろりとした。


 あの頃に戻りたい、と。


 無条件で当然のように彼女に会えて言葉を交わせた、今から思えばとてもとても貴重だった時間に……。


 どうしてか、そう思った。





「ふんふんふーん」


 夕方、妖精たちに美味しい木の実を教えてもらって上機嫌の私は、藤の籠を腕に提げて森の中の小屋に帰る所だった。

 妖精たちのおかげで飢えることもなく、こんな人里離れた森の中でも独りで暮らしていられる。

 だけどこの日、妖精たちが何かを教えるように道を先導し出した。


「え!? ちょっとそっち行くと家と反対方向なんだけど?」


 止めても「来て来て~」と聞かないので仕方なく付いて行ってみることにした。

 因みに妖精たちの姿も声も私にしか見えないし聞こえない。

 そんで以って、程なく辿り着いたのは森の入口だった。


 普段余り人が通らないこんな場所の茂みの一つに誰かが頭から突っ込んでいた。


「……。ええと生きてるよねー……?」


 第一発見者になるのは勘弁願いたい。

 様子を見ようと恐る恐~る近付けば、妖精たちが大丈夫って教えてくれたから、遠慮なくふんぬとかぶを引っこ抜くようにして茂みから引っ張り出した。


「うっ酒臭あ~。はあ……厄介事の臭いだなあ……」


 銀髪を乱して酔い潰れている若い男の手から酒瓶が転がり落ちる。すっからかんだ。


「危ない人だと困るし、放置でいいよねー…………えー、ああハイハイお世話します」


 妖精たちから睨まれて「この人でなし~」的な駄目出しを食らったのもあったし、塩対応……じゃない大人な対応で本当はすっごく超絶面倒臭いのを我慢して、森の小屋まで連れ帰った。運ぶ際は妖精たちが浮力で補助してくれて楽々だったから感謝ね。

 彼には小屋に一つしかないベッドを使わせてあげた。だから私は今夜は牛飼いのおじさんからもらった藁でも敷いて床で寝るしかないかな。

 横たわる青年に布団を掛けてやりつつ、その顔を見つめる。


「髭剃ったら綺麗な顔してるんじゃないのかなあ、この人」


 そんな感想に妖精たちは頷いて同意を示す。

 頭にくっ付いた葉っぱとか頬の汚れを拭いてあげた方が良いかなと思って濡れた布を当てて擦れば、青年が薄らと目を開けた。

 あらまあ赤い瞳が綺麗な飴玉みたい……って食欲は駄目駄目。


「ああ起きた? でも寝てていいわよ。まだ全然酔っぱらってるみたいだし」

「……君は、メイプル?」

「は? 誰それ?」


 じっと私の目を見つめて不思議そうにするから怪訝にすれば、まだまだ酔いが強いのか相手は何故か嬉しそうにはにかんで目を閉じて寝息を立て始めた。


「あら~あ無邪気にはにかんじゃって~。ふふっこの人意外と可愛い男の人なのかも。にしてもメイプル? 知り合いかしら。何か美味しそうな名前だけど」


 一つ鼻で息を吐き出す私は、思わず苦笑してしまった。


「まあ私の名前も似たようなものね」


 何しろ私はチョコ・レート。


 冗談みたいに甘い甘い響きよね。ただし、味覚的に。

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