モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録3モブ令嬢、罠にはまる
更に月日が流れて、私は十三歳、王子は十六歳になっていた。
依然として食欲旺盛なメイプル・シュガーな私は、三歩で転ぶのから少なくとも三十歩はいけるくらいにまで進化した。妖精たちとも仲良くなって、徒に転ばせないでってお願いしたら、次からはむしろ転びそうになると助けてくれるようになった。ラッキーね。
ああでも、今日も夜会がある。三十歩安全圏じゃ全然足りないわ。
「はあ、またダンスかあ。絶対息切れする……」
自室の窓辺に立って空を見上げる私は、映画館内でもないのに腕にポップコーンの大きな箱を抱えてむっしゃむっしゃしながら、疲れた溜息を落とした。
そう言えば、最近は王后の動きも怪しくなってきた。
殺されるまでもう二年を切ったんだし、色々と手を回したりって動き出していて当然なのかもしれない。
彼女に陥れられる前に、誰にも見つからない場所に行きたいわ。
でもこんな重たい体じゃ身軽に逃げることも出来ないけどね。
……ん? 身軽に逃げる?
身軽に?
そうよ。身軽になって逃げれば良いじゃない。
いつまでも食欲に任せてぽっちゃり系でいなくてもいいんだわ。
大体にして、元の小説じゃぽっちゃりおどおどしていてレオンハルトに疎まれていたのが災いしたのよね。
まあおどおどって性格的な部分は今じゃ微塵もないけど。
ともかく、小説になかった設定としてメイプルが痩せたら、生きられる道を確実に切り開けるんじゃないの?
ってなわけで、その日から私はぽっちゃり令嬢を止める決意をした。
しばらくは飢えた水牛みたいな血走った目で「ゼロカロリー! ゼロカロリー!」って周囲を威嚇していたそんな時期があったから、だいぶシュガー家の皆には迷惑を掛けたけどね。空腹過ぎて錯乱してたみたい。てへっ!
勿論そんな狂気な私に王子を会わせるわけにはいかないってんで、シュガー家総出で言い訳を作ってくれてレオンハルトとはしばらく会わずに済んだ。
胃も多少は小さくなってもう水牛にはならないようになったから、ようやくレオンハルトとの望まぬ隔週逢瀬が再開された。具合が悪いとか親戚が危篤だとか何とか家族が上手く言い訳を重ねた結果、彼と会うのはかれこれ三カ月ぶりだった。
「メイプル、その格好は?」
「タジン鍋の模倣に目覚めたんです」
「へえ……」
久しぶりに会った彼から訊ねられ、中東の女性っぽく頭からすっぽり布を被ってはいるものの、中東女性たちとは些か異なるフォルム――大小のタジン鍋を重ねたような見た目になっている私は、目元だけを見せながらそう答えた。勿論猫を被って上機嫌に小鳥が囀ずるような微笑ましい声でね。
因みにタジン鍋って言うのは、底は平皿に近くて蓋と言うか頭の方は玉ねぎの半分より上みたいなニュッとした形をしている、蒸し料理なんかをするには持ってこいなお鍋の事ね。
私はそのタジン鍋みたいな形にした頭部の覆面と肩から足元までのマントで全身を覆って隠していた。
こうやって彼の目から姿を隠すのは、このダイエットがバレないためだ。
妖精たちにも協力してもらって、ヘルシーな木の実とかをおやつにしたりして少しずつ食事改善と食事量の減少を進めていった効果は、確実に出ている。
スッキリ痩せたらきっと誰だかわからないだろうから、そこが狙い目なのよね。
身軽になって逃げられるし、下手に変装しなくても逃げられて一石二鳥。
検問とかで調べられても、私がまさかあのぽっちゃりメイプルだって誰も思わないと思う。
そのまま逃げて、十五歳の一年をどこかで無事に過ごしてみせるわ。
色々と尽力してくれている家族には悪いけど、勝手に家出してモブ令嬢死亡フラグは叩き折らせてもらいます。
タジン鍋趣味を前面に押し出して王子とはその後もしばらく会っていたけど、私の目と声だけで本人確認は出来ていたみたいで、特に布を取れとは言われなかった。
レオンハルトだし、彼の目には虹彩認証機能でも付いてるとか?
なーんて、本人確認も不必要なくらい、単にメイプルに興味がないだけよね。
そんなわけで、私は安泰を目指して着実に歩んでいたと思っていた。
だってメイプルが死ぬのは十五歳だって思ってたんだもの。
だけど、それよりも前に王后はメイプルに様々な謀略を仕掛けていたみたい。
小説じゃメイプルが死ぬ原因になった陥れの一件しか書かれていなかったけど、この世界も現実的に動いているんだから、それだけなわけがなかった。予兆なり何なりあって然るべきでしょ。
レオンハルトにメイプルを煙たく思わせるのが出来たとしても、そんな感情だけで婚約解消に走るなんていう王子としての責務を放り出す真似はしないだろうし、メイプルを捕縛対象に追いやっても動かないかもしれない。
だから他にもメイプルを排除するための策を用意して保険をかけておいたのね。
愚かにも私はそんな悪役の考え方に思い至らなかった。
因みに、魔女たる王后にはメイプルがダイエットをして容姿が激変しようが、メイプルを間違えることなんてなかった。
病気にさせて婚約解消とか外国に長く足止めして婚約解消とか、よくよく思い返せばそうなりそうだった時期があった。全部王后の差し金だったみたいだけど、最初の頃はそれでもそんな程度のもので、彼女もきっと命を取るつもりはなかったんだと思う。
だけど、ダイエットに成功した私がバッタリ彼女の馬車と遭遇しちゃって痩せた姿を見られて以降、態度があからさまに変わった。風当たりが強くなった。
あの時の、馬車を降りて私を見つめた彼女の眼差しはとても怖かった。
鏡よ鏡よ~とか実際本当にしそうな雰囲気を醸していたわ。
因みに、痩せた自分はそこそこ可愛いんじゃないのって感じよ。
自分の美的感覚に即しての評価はそんな所。本当に王后ってば嫉妬したのかもね。
だけどまあ両親も王子も国王も王后も美形ばっかりだから、まあ後は好みの問題かなって思う。
王子の前では相変わらず布を被って過ごして、もう少しで十五歳っていう十四の年のある日、私は王后から直接、そして内々に王宮に呼び出された。
王后専用の広くて天井の高い豪奢な応接室で緊張して待っていると、彼女は襟ぐりの開いた超セクシーかつ裾の長いブラックドレスを引き摺って現れた。これぞ悪役の鑑よ!
私はくびれ攻めーって自分でもよくわからない雄叫びを上げそうになった。
まあ、そんなオヤジ思考は置いておくとして、王后の細い腕に提げられたバスケットには真っ赤なリンゴ……ではなく山盛りの焼き菓子が詰められている。
「さあ、遠慮なく食べるといい」
「うふふ私の食欲を覚えていて下さって光栄ですわー」
苦労してダイエットした相手にこれは嫌がらせかって思ったけど、食べないわけにはいかないわよね。だって王后直々の勧めだもの。
えー、でも何だか怪しいわよね。
まあまだ十五歳になってないし、毒殺されるなんてことはないだろうけど……。
紅茶まで出され、私が手を伸ばして焼き菓子を一つ取ろうとした所で、王后が遮るように言葉を発した。
「ところで、メイプルは何故ダイエットなどしたのだ? しかもレオンには姿をまだ見せていないとか」
これは探りに来ている、とピンときた。
だって彼女は私を王子と結婚させたくないんだし。
「そのままぶくぶくとした子ブタのような姿をしておれば良かったものを、何故なのだ? 王子の気を引くためか?」
これぞ小説通りの高飛車な悪女像とぴったりな物言い。
私はどこかで感激しながらも、悩んだ。
ここで私の真意を告げてみる?
目的は一緒なんだし、正直に言ったら協力してくれるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に、私は告げた。
「まさか! 私はレオンハルト殿下と結婚したくないんです。ダイエットはそのためにしました。この姿なら逃げても大半の相手にはメイプルじゃないって誤魔化せますから。現にまだ家族とあなた以外には私がメイプルだとはバレたことがありません」
別にレオンハルト本人を嫌いなわけじゃない。
命が惜しいだけ。
「私は、彼が好きではないのです。ですからこの縁談は苦痛なのです」
でも本当のことまでは言えないから、そういうことにした。
「そうなのか……」
王后は何故かチラと入口の方へと目をやった。
扉は閉まっているように見えて僅かに隙間が開いているようだった。
王后が入って来た時にきちんと閉めていなかったんだと思う。
もしも、現在その向こう側に誰かが居て話を盗み聞いていても、私は魔法使いじゃないからその正体なんてわからない。
「王后も彼の婚約者から私を外したいのですよね?」
無駄な興味を捨て去り、この際だからとズバリ突っ込めば、彼女は僅かに目を瞠った。
「そなたも中々に食わせ者だったのだな。そうだ。わたくしは別の者を推している」
設定通りだ。私はこの場の密談に相応しい密やかな笑みを浮かべた。
「利害の一致ということで宜しいですか? もしよければ婚約解消に協力して下さいませんか?」
どっちが悪女なのって提案と共に、私は遥かに目上の王后相手に微笑んで見せる。
「願ってもない」
取引は成立。
王后は妖艶とも言える赤い唇を緩めて危険な美しさで微笑した。
「メイプル、今日は急に呼び付けて悪かったな。それにしても、そのようなわけだったのか。もっと早くに知っていれば良かったのだが」
クフフと笑う王后から冷めてしまう前にと紅茶と焼き菓子を再度促され、腹を割った後でもあって私はやっぱり杞憂だったって安堵して、無警戒にも焼き菓子を一口齧った。
「――!?」
直後、白雪姫の毒りんごじゃないけど、私の意識は急激に遠くなる。
な…に……これ……?
「なぁに、殺しはしない。そなたの願い通り、レオンの婚約者ではなくしてやろうという親切だ。これからそなたはどこぞの森で好きに生きるが良い。これもそなたの決意を聞いてのわたくしなりの慈悲だ」
忘れてたわ、ここが小説の中だってのを。
そう、ここでは悪女はいつだって悪女なのだ。
「さようなら、メイプル・シュガー」
その言葉を最後に、私の意識は真っ暗な闇の底に落ちた。
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