モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録2モブ令嬢、色々と失敗する

 きっとこの婚約話は水面下では話を進められていたに違いない。

 だって普通は、王族の婚約なんてその日にポッと話が出て決まったりはしないでしょ。


 ってなわけで、さてさて失望させて白紙に戻しちゃるわいって意気込んで、両親と一緒に意気揚々と王宮に出向いた。


 そこではやっぱり食事会が開かれた。

 ふっふっふっ予想通りね。

 密かに目をキラーンとさせて料理の皿を見つめる私。その向かいの席はまだ空席で、たぶんレオンハルトが座るんだろう。

 国王様と、そして私にとっては悪でしかない王后様は既に着席している。

 全部知った上で王后を見れば、顔色がやや優れない。それは明らかに腹の中が不満たらたらだからよね。

 だって彼女は自分の姪を王子の花嫁にしたがっているんだもの。

 元の小説で、手酷い目に遭わせてメイプルを排除したのはそんな目論見があったからだ。


 でも異世界から主人公が現れてそれもおしゃか。


 読んでいた頃は無駄な悪だくみ御苦労様~って心の籠らない労いさえ送ったわ。それくらいにメイプルに対して無意味に執拗だったんだもの。

 だけど、メイプルは死ななきゃいけないくらいの何か罪を犯したわけじゃない。勿論王后に対しても何かしたわけじゃない。


 彼女は確かに描写の少ないモブだったけど、王子レオンハルトに恋していた。


 なのに疎まれていた上に誤解されて余計に嫌われて、最後は……。


 全くホント気の毒としか言いようがない。


 そんな同情もあったし私自身の意思もあって、このメイプルの人生は少しでもマシなものにしてあげて、気楽に生きて長生きしてあげたいって思う。


 ああ、それにしても良い匂い~。

 さっきからずっとぐ~ぐ~お腹の虫が鳴ってるわ。メイプルの嗅覚をこれ以上刺激しないでほしいわね。そのうちホントにお腹にでっかい口が出来てそこからパクパク食べちゃうんじゃないかって思うもの。

 今は、ご主人に待ったを掛けられたわんこよろしく、支度を済ませた王子が来るまで皆で食事の開始を待っていた。


 程なくして侍衛と共に現れた王子レオンハルトは、これから何年もすれば小説の表紙イラストの美青年に成長するわこりゃって太鼓判を押せるくらいに、超絶美少年だった。


 ほわ~っ、まさに見た目だけなら王子の中の王子よね。


 半ば感心しながら彼を眺めて、皆が口ぐちに挨拶を交わして、そして私の番。

 まさにお見合いの場面よろしく、両親から娘ですと紹介されて私は口を開いた。

 もちろんご趣味はなんて言ったりしない。


「殿下にお目にかかれて光栄です。一目見てその綺麗な銀の御髪が極上の綿あめの糸のようだってうっとりしましたし、その鮮やかな赤い瞳は熟れたリンゴやイチゴみたいで甘くて美味しそうですわ。白いほっぺは極上のシュークリームみたいにしっとりしてますし、殿下は私の百番目に好きなものになりました!」


 不敬極まるこの台詞に白いテーブルクロスの掛けられた食卓上は言うまでもなく凍り付いた。

 さすがの王后も驚きに目を瞠っている。


「ところで、もう食べていいんですわよね?」


 無邪気に訊ねれば、言葉もなかったらしい王子はぎくりとしたように「え!?」と慄いた。文脈的に自分が食べられるとでも思ったのかもねー。


「実は美味しそうな皿ばかりが並んでいてそわそわしていました」

「あ、ああ……この料理の方か……」


 彼はどこかホッとしたようにしてぎこちなく「ど、どうぞ」と許可をくれた。

 私は食欲に身を任せるがままにテーブル上のほとんど大半の料理を腹の中に入れた。

 私の分も両親の分も勿論国王夫妻と王子の分も。

 普段控えめで恥ずかしがり屋の娘が、この最も大事な場面で遠慮もへったくれも何もなく食欲に振り切って驀進ばくしんしている姿を目の当たりにし、これは現実かって両親は卒倒しそうな顔色だったけど、こればっかりは譲れないわ。

 食事速度も常識の範疇にはなく、まるでパカッと開けたカバの口に次々と餌を放り込むように、ものの十分もしないで全てが異空間たる私の胃の奥深くへとなくなっていた。

 皆奇術でも見ているように唖然としてナイフとかフォークを手に持ったまま固まっている。


「はふう。と、とても美味でした。ご馳走様でした!」


 私はわざと指にくっ付いたイチゴソースをしゃぶって嘗め取って見せてから、にこっとじゃなく、にごぉっと破顔する。


 たぶん前歯に黒コショウのカスかワカメか何かがくっ付いていたと思う。


 この場の皆がひっと息を呑んだ。

 誰かが銀器を取り落とし、王子は「僕が食料に見えませんように」とか無意識の独り言を口に更に輪をかけて呆然としていた。


 マナーがなってないとか、淑女たりえないとか、莫大な食費がかかるとか、そんなこと以前に人間かって言いたそうな顔付きだったわ。


 まあこれで婚約話は消えるはず、少なくとも考え直すはずよね。


 元より、ここでもう婚約話は出て来ないはず。


 生存ルート確保!


 出席メンバーの表情からそう確信した私は、だけど甘かったことを知る。


 政治的な婚約婚姻はやはりそう簡単には覆せないのだと。

 要は時既に遅しってわけだった。こんな食事会を開く段階では最早各所への根回しも済んでいて、破談にすればかえって波風が立つってケースもあるみたい。


 そんなわけで、ソースと食事カスと時間差で訪れた食べ過ぎの胸やけと腹痛に塗れたこの日、私は王子レオンハルトと婚約する運びとなった。


 あああー……無駄な悪だくみ御苦労様ぁ私~。





「はあ……どうしよ……。お、このビスケットうんめっ!」


 実家の厨房でこっそり今日もモリモリ盗み食いをしながら、私は大きな溜息をついた。


 両頬を膨らませてハムスター人間になりながら、私は実に八歳らしくないヤンキー顔負けのウンチングスタイルで厨房の床上にしゃがみ込んでいる。


 婚約して一年、私はそれを解消する術を思い付けないでいた。


 婚約者だからってわけで、王子とは隔週って頻度で顔を会わせている。


 お茶会に行っても王子。

 買い物に行っても王子。

 劇場に行っても王子。

 しかも劇場と言えば、一度なんかはいつもいるボックス席に来ないから、どうしたレオンきゅん今日は風邪でお休みでちかーって余裕の寛ぎをぶっこいていたら、え?はい?舞台上にるんかい王子おまえ!って感じだった。

 多才なレオンハルト君は、演技もこなせる男だったらしい。

 死んじゃった女の子を一途に想うって少年役がはまってて、上演後に一応はって感じで会いに来たからすごいってべた褒めしたら、何だか嬉しそうにはにかみかけて、直後ハッとして自分でも不可解そうに頬っぺたを触って首を捻っていたわね。

 きっとメイプルから称賛されてびっくりしたんだわ。


「五十番目くらいに好きになりましたわ!」


 百番目でも婚約相手に対しては失礼だったけど、少しは好感度が上がったから正直にそう告げたら目を瞠っていたっけね。言ってさっさとボックス席から出た私は彼の表情を見もしなかったから、どう思われたかは知らないけど、幸い怒って追いかけてくる様子はなかった。


 彼とのことをもっと詳しく話すと、顔を合わせても親しくならなければいいじゃないと、私はお茶会ではトイレを口実に長々と抜け出していた。


 最初は大の方なんだろうって気を遣っていた周囲も、何度かそれをするうちに逃げの手口だって勘付いて、見破られて以後は絶対に侍女や侍衛たちに捜されて、茂みの中に身を潜めていても最終的には呆れた顔のレオンハルトから見つけられる始末だった。

 彼ってば厄介にも勘が良いのよね。

 この日も隠れていた庭の茂み奥から出るのを手伝って手を引っ張ってくれたレオンハルトへと、しみじみとした感想を送ったわ。


「殿下は犬並の嗅覚をお持ちなのですね」

「……。たぶんメイプルならどこに隠れても時間を掛ければ見つけられると思う。ところで、頭隠して脇の肉隠さずって知ってる?」

「んまっ!」


 皮肉にはぜい肉いやいや皮肉で返されて内心地団駄踏んだけど!


 買い物一つにしたって、折角の乙女の買い物時間だってのに、どうしてわざわざ王子と一緒に服選びしないといけないの? 気い遣うわ!

 しかも毎回国王に言われて見るからに嫌々って感じで来るから、こっちだって噴飯ものよ。……まあ実際にレストランに行った時に噎せて彼の顔面に食物を浴びせた日もあったけど。

 さすがは氷の如き冷静さをのちのちは身に付ける男レオンハルトは、黙ってハンカチで顔を拭いていたっけね。偉かったわ~。

 でもさあ、国王命令だから来ないわけにはいかなくても、店の外とか近くのカフェで適当に時間潰してればいいのに……。

 ある時なんか「遅い」って言われたわ。

 全くホントわかってないわよね。女子の買い物は時間が掛かるのよ!


 だけど、そのある時の彼は手に甘ったるそうな二つの飲み物を持ってたわ。やっと出てきた私を見るとしれっとして従者に飲み物を捨てるよう命じていたっけ。ちらっと見えた中身はミルクとかチョコとかストロベリーとか、幾つかの味が混ざったような不味そうな色で、氷菓子がまんま解けちゃったような飲み物だったけど、まさかねー。

 斜め向かいには出店があって、カップルが仲良さそうに氷菓子の食べ合いっこをしていたけど、そっちを見るなとばかりに不機嫌そうな彼から手を引かれて馬車に押し込まれた。

 食べたかったなら待ってないで一人で食べちゃえば良かったのに、わっかんない子よね。


 まあ、たまに謎の行動は取るけど、レオンハルトは大体ずっとご機嫌斜め。

 こっちだって正直行きたくないし会いたくないのに、強制参加させられるんだからどうしようもないのよ。


 そして本日もお子様にも優しい昼間の舞踏会で王子と一緒にダンスをさせられて、丸々している私は自分と王子の足を踏ん付けまくって、何度も王子の上に圧し掛かっちゃったわ。

 押し潰された王子がぐえってなって慌てた周囲から引き離されたけどね。

 足の骨折を避けようと彼は嫌々安全靴を履かされてもいたようだし、そこまでしてすることなのダンスって?

 これでも私は何度も嫌だって言ったのよ。

 しかも美味しそうな会場の料理に舌鼓を打たせてもらえず、ダンスが駄目ならと庭を散策させられた。


 だけど歩くのにも疲れて人工池の縁に腰かけたら、うっかりころりとひっくり返って嬢ちゃんだけどぼっちゃんよ。


 大真面目な話、予想に反して深さのある池で死ぬかと思った。最初は。


「メイプル!? 今助け――……」


 焦った顔のレオンハルトが手を伸ばしたけど、ああ、はい、心配には及ばないわー。


「……脂肪って浮きやすいんですー、えへへ、へへ……」

「……あ、ああそう」


 力を抜いたら余計にぷーかぷーか浮輪みたいに浮いた。

 その後、十一歳かそこらの王子じゃ体力的に無理ってわけで、すぐに大人を呼んで引き上げてもらったわ。だって茂みから引っ張り出すのとはわけが違うもの。

 だけど、普段冷たそうな王子も時には焦るんだってのを発見して、ちょっと新鮮でもあったかな。

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